週刊READING LIFE vol.55

青いオンナの棲む館 《 週刊READING LIFE Vol.55 「変人伝」〜変だけど最高に面白い人物図鑑〜》


記事:長島綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「ひっっ……」
目が、合ってしまった。ここにしばらく滞在するなんて。ホラーだ。
 
姉不在の家に娘と滞在することになった。大きな台風が週末関東を直撃するらしい。川からほど近い、マンションの一階に住む私は覚悟を決めた。よし。家を片付け、娘と事前に避難しよう。命さえ守れればモノはなくてもどうにかなる。都内に住む実姉に「台風来るね、怖いから二人で泊まりに行ってもいい?」 と聞くと「えー、私前の日から沖縄に旅行なんだよね」との返事。ガッカリするも、「二人で好きに使っていいよ」と快諾してくれた。喜びいさんで鍵を受け取りに行った。メゾネットタイプの半年ほど前に引っ越した姉の家に行くのは初めてである。
 
猫一匹と姉、悠々と暮らしている。当初は猫の世話も私がする予定であったが、「万が一避難する時には、私は猫より娘の命を優先します」と伝えると、「そうだよねえ」とあっという間に猫をいつもの犬猫病院に預けた。姉も猫も、不在に慣れている。
 
待ち合わせの駅に、姉はキティちゃんの黒いピチTで現れた。いかにもアジアで売っている、見るからに「インチキキティ」なTシャツだ。「面白いの着てるね」と言うと、「犬猫病院に行くときこれ着ていくと喜ばれるんだよね」とのことであった。
 
玄関を開けると、ぷわんと東南アジアのコテージのようなにおいが漂った。アレルギーはないが、すぐに猫の毛で鼻がムズムズする。窓から差し込む光で、時折猫の毛がクルクルと舞うのがわかる。
 
各フロアの説明を受け、三階の寝室に上がると、ベットの脇にただならぬ気配を感じた。髪の長い青いオンナがいるではないか。
「なんでこんなところにいるの?」
「夜真っ暗な中で怖いじゃん」
「朝目が覚めたとき真っ先に目に入って来るよ?」
聞きたいことはたくさんあったが、やめた。
 
姉は、趣味が少々変わっている。
 
青いオンナの他に、玄関に入ってすぐ、真正面に黄色い顔のオンナがいた。短めの金髪のウィッグをかぶり、さらにベトナム製の「ノンラー」という三角の麻の傘を被っている。滞在中はなんだかソワソワして外出先から戻るたびにきちんとご挨拶した。玄関には心臓の大きさと形を正確に再現した陶器の置物が置かれている。トイレには、なぜか男性器の硬軟度を示す模型があった。リビングのハイテーブルはオシャレなガラス張りで、中には「日清焼きそば U.F.O大盛り」が大切そうにディスプレイされている。
 
冷蔵庫を開けてみた。あ、ところてん。食べちゃおうかなと賞味期限を見ると2年も過ぎている。冷凍庫には豆腐スーなどという、お豆腐を圧縮した押し豆腐が小分けになってわんさと入っている。キッチンには所狭しと調味料が置かれ、その大半は何語か分からない説明文が印字されていた。ほんの少しだけ残ったカツオダシや、何十種類もの塩、友人が来ては置いていくのであろうリキュール類が何本も置かれていた。飲もうと思ったボンベイサファイアは5ミリしか残っていなくてやめた。
 
梅を漬けるのが好きらしく、棚にはいくつもの瓶に漬かったでっかい梅干しが大切そうに保存されている。なぜかテーブルの上にシャンパングラスに入った梅干しがラップにくるまっていて、「これは何?」と尋ねると、うん、置ききれなくてね、と話した。
 
優しい姉である。こんな優しい人が身内にいてよかったと心から思うほど、妹思いの姉だ。頭の回転が早く、日本語に英語、仏語、中国語を自由に操る。ゲーム感覚で勉強を楽しめる人で、毎日のコツコツが続く人だ。仕事もバリバリこなし、世界中を飛び回る。多趣味で、なんでもジビエを仕留める免許? を持っていたり、ドローンを飛ばしに日本を縦断する。
 
そんな姉であるが、嗜好が少々、変なのだ。
モノが捨てられない。
そして、掃除が苦手だ。
 
一旦自宅に帰り娘とともに再度お邪魔すると、まず掃除機をかけた。三階に行き例の青いオンナに挨拶し、申し訳ないが目に入らないところに移動させ、そばにあったバスタオルをかけた。台風がやってくるために避難してきたのだ。少しでも心のストレスは軽くしたい。
 
気づくと娘がこのオンナのカツラを奪い頭に乗せて歌っているではないか。嬉しそうにケタケタ笑っている。青いオンナは長い髪を奪われどこか恥ずかしそうだ。コギャルのような我が娘は残念すぎるほど可愛いかった。そんな娘を青いオンナと二人きりにして母は掃除に専念した。
 
家主不在の家で暮らすということはなんとも不思議な経験である。家とは、その人の思考や生き方そのものだ。姉の家で暮らすうちに、彼女のことが少しづつわかってきた。モノを捨てられずにとっておく姉だが、そのモノは不思議なほど整理整頓され、ほんの少ししか残っていないカツオダシもこの家の住人として堂々と存在していた。
 
そう、全てのものに「住所」があった。
 
感心したことに、姉は色々なものにマスキングテープで「塩梅2015.9製」などとしるしをつけていた。ややおばあちゃんのようだが、このおかげで私もモノを探すのになんの苦労もしなかった。台風がひどくなると、浸水を心配した姉から「一階のものを二階に移動させてほしい」と指示があった。シューズロッカーに収納されたバッグは一つ一つ丁寧に箱に入っており、「ホースヘアバック」などとマークされていた。そのほか、水のペットボトルやカセットボンベ、貴重品など、どこにあるか正確に把握しており、私にもわかるように丁寧に収納されていた。
 
結果として姉の家は被害にあうことなく、移動したすべてのもは私の手で次の日元の場所に戻された。そして落ち着きを取り戻すと、なんだか家の中の全てのモノたちがゆっくりくつろいでいるように感じられたのだ。
 
そこで思った。ああ、姉は、家の中の全てのものをとても愛しているのだなあ、と。
 
昔、とある小説で「このひとは私を愛するのと同じくらいこの万年筆も愛しているのよ」と、女が男の万年筆に嫉妬するシーンがあった。そんなこと有り得ないでしょう、と思ったが、もしかしたら姉はそういう人なのかもしれない。たとえモノであれ、深い愛情を注ぐ。だから、逆に色々なものに囲まれている方が居心地が良いのかもしれない。モノや登場人物が少ないとそれに愛を猛烈に注ぐことになり、愛が氾濫してしまいかねない。
 
そういえば優しい姉であるが、家族の揉め事などはさらりと身をかわしていた。それまでニコニコそこに存在していたのに、気づくと透明人間になっているような、そんな心許なさを幼い頃から感じていた。その理由が少し解明されたようだ。自分の周りの全てに愛を注ぐ彼女の処世術なのだろう。
 
青いオンナがなぜ彼女の家に来たのかは不明であるが、間違いなく姉の寵愛を受けていた。帰る日、青いオンナを元の場所に戻し、あなたがこの家を守ってくれたのですねと心の中でお礼した。掃除が苦手な姉、猫も戻ってくるとなかなか掃除もできなくなるであろうからと、邪魔な娘を夫に託し家を掃除した。トイレのウェットクリーナーはだいぶ乾いていた。家の中は、のんびりとしていた。
 
同じ親から出てきたとは思えない姉妹。そんな姉の家に滞在し、私のガチガチの価値観が少しだけ緩んでいくようにも感じた。賞味期限に神経質にならなくてもいいこと、キレイに掃除すること以上に、好きな空間で好きなものに囲まれて暮らすことの大切さ。断捨離魔の私だが、自身の家に存在する一つ一つのモノに声をかけてみると、少し家が居心地よくなったようにも感じた。
 
沖縄から無事帰宅した姉から「やー家の中が白く見えるよーありがとねー」とLINEが届いた。そして二日後に、「よかったら週一でお掃除のバイトしない? 前にお掃除代行お願いしていたんだよねー」と職が舞い込んだ。なるほど、悪くない。いいよーと即返事をした。妹となれば安心であろう。しかも私は掃除も断捨離も得意なのである。
 
人の価値観とはまさに十人十色だ。変わっているなあと感じる人を観察してみたり時にはこっそりと行動を真似てみたり。またその人の館で暮らし生活を垣間見るということは、自分の殻をぶち壊すいい機会だ。良い意味で、今回、私の価値観が決壊した。だがしかし、青いオンナを認めたわけではない。これから毎週、青いオンナの棲む館に出入りすることになるとは、なんとも興味深い展開ではないか。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
長島綾子 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

18年日系航空会社でCAを経験。令和元年5月に退社。
接遇・コミュニケーション講師として活動を開始。
好きな食べ物は餃子。一女の母。


 


2019-10-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.55

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