週刊READING LIFE vol.128

人は思い通りにはならない《週刊READING LIFE vol.128「メンタルを強くする方法」》


2021/05/17/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「人は思い通りにはならない」
 
これは、私にとっての、教訓、かつ、お守りみたいな言葉だ。
大抵のことでこのように考えておけば、トラブルや失敗から立ち直りやすいマインドでいられる。
 
人は思い通りにはならないことを実感したことがある。
今から15年以上前になる。
勤め先(テレビ局)でのことだ。

 

 

 

私には、仲の良い同期の女性社員がいた。
彼女は、報道部で女性記者をしていた。入社したときから優秀で、度々スクープをとり、レポーターとしても雄弁だった。おまけに容姿まで整っていた。
「将来はキャスターだ」などと期待される一方で、当の本人にその気はあまりなく、ドキュメンタリーを多く作っていきたいと希望していた。社会的弱者への問題意識が高く、作品が賞を受賞したこともあった。
 
とにかく自慢の同期だった。
 
そんな彼女は、27歳のときに結婚し、やがて子供を授かる。
2歳ずつ離れて出産し、あわせて3人の母親になった。
毎度、育休もそこそこに復帰し、前にもまして必死に働いていた。
当時の社員は、育休から復帰後、1年間の時間短縮労働(時短)が保証されていた。
彼女は16時までの勤務だったが、報道部は、番組開始が17時からだった。
これからが本番というときに自分だけが帰宅するのは、さぞや形見が狭かっただろうと思う。自らそうしていたようだが、ランチを食べているのを見たことがなかった。
家でも会社でも忙しすぎるのか、ガリガリに痩せてしまっていた。
それでも、彼女はいつも溌剌としていた。
かたや、私は、自分のことだけで精一杯だった。
手を貸すべきなのは私なのに、小さなミスにクヨクヨする日々の私を、彼女は、ことあるごとに励ましてくれた。

 

 

 

そんなある日のことだった。
 
「会社、やめようかと思ってるんだ」
と彼女は言った。
コーヒーコーナーで久しぶりに声をかけられ、嬉しさで舞い上がった瞬間だった。
二の句が継げなかった。
それを察したように、彼女は続けた。
 
「3か月後には、時短勤務もなくなっちゃうし、手伝ってくれる身内もいないし。どう考えても無理なんだ」
 
私は、託児所だのシッターだのと、たいして持っていない知識を総動員して食い下がったが、彼女はどれも検討済みだった。
 
「夫がやめるか、私がやめるかしかなくて」
 
「向こうがやめればいいじゃん」と、すかさず口をついて出た。
彼女は笑っていたが、私は真剣だった。
彼女ほど、未来の女性役員にふさわしいと思う人物はいなかった。
もちろん、女性社員はそれなりにいた。しかし、当時の多くは、独身か、既婚でも子供がなく、男性社会のルールの中で戦ってきたタイプだった。
それに、彼女ほど、人格も実力も優れた人物はいなかった。
彼女が役員になれば、子育てをしながらしなやかに働く女性社員像の目標になるだろうと思った。
それ以上に、すぐれた報道姿勢が、局のジャーナリズムのあり方まで変えるのではないかと感じさせる逸材だった。
 
「ねえ、お願い。やめないで」
私はあきらめきれず、どんな状態が実現すれば、やめずにすむのかを尋ねた。
「う~ん。会社の時短が3年あればなあ」
どうせ無理だけど、と彼女は笑った。
一番下の子が3つになれば……
あと2年、彼女の時短を伸ばすことができたら、なんとかなるということだ。
 
私は、すぐさま他の同期の女性社員と相談し、そこで、署名活動を決意した。
女性社員の大半の署名を集めることができれば、組合も、議題として会社側に提案してくれるのではないかと考えた。
男性社員の同意はそれからでも遅くはない。なにより同性を一枚岩にすることが先だと思った。
 
一刻の猶予もない。
そうとくれば、急がなくては。
これは、彼女のためだけではない。
会社のためなのだ!
 
鼻息荒く決意を固めた晩は、なかなか寝付けなかった。
それまでの人生で、一番有意義なことを成し遂げようとしているのではないかと興奮した。

 

 

 

で、結論から言おう。
 
署名は、驚くほど集まらなかった。
「なぜ」と思うだろうか。
「やっぱり」と思うだろうか。
私自身は、「なぜ」でいっぱいになったが、のちに自分の甘さを思い知った。
 
「どうして彼女のためだけに?」
と、ある先輩女性は言った。
「時短3年の会社のリスクとか計算したの? 3人も産んで手が回らないのは、彼女の特別な理由でしょう」
 
ある同年代の社員は、こう言った。
「私は親がそばにいるから、子供を産んだとしても手伝ってもらえるの。自分がいざその立場になって使わないものに署名するのはちょっと……」
 
別の社員はこうだった。
「その署名って、会社に盾突くことになるんじゃない? 残るものだし。私は、出世もそれなりにしたいから、あまり波風はたてたくないの」
 
「彼女が優秀なのはわかるけど、その意思を継いで、あなた自身が頑張れば?」
という社員もいた。
 
人は思い通りになんてならなかった。
「人には、人の考え方、事情がある」という、当たり前のことに気づかされたのだった。

 

 

 

女性なら誰もが、「自分ごと」として考えるに違いないと思ったのは甘かった。
誰しもが真っ先には考えるのは、「自分自身のこと」なのだった。
 
それは、よくよく考えてみると、私自身にも当てはまった。
会社のため、と言いながらも、その時までは、育児制度に疑問すら持っていなかったのだ。
変えようと思ったのは、彼女が好きだったからだ。
何より、自分自身が「彼女と働きたい」と願っていたからだった。
彼女のため、と言いながら、自分のためだった。そんな個人的な理由で、ほかの社員の心を動かせるはずもなかった。
彼女の価値を客観的に伝える詳細なデータを集め、さまざまなリスクや代替案も検討するべきだった。
紙切れ一枚に、感情だけで「署名して!」といっても、土台、無理な話だったのだ。
 
結局、彼女は、三か月後に退社した。
「教育ママになりそう」と笑って去っていった。
 
「人は思い通りにはならない」
 
このことを、私は、その後、人間科学などの学問で、改めて学ぶことになる。
 
人は、誰しもが、それぞれの関心で生きている。
それは、100人100通りだ。
たとえば、「花が綺麗だね」と、互いにうなずきあったとしても、そのとらえ方は、一つとして同じではない。
どこを、どう綺麗と感じているかは、それぞれの経験や、感性、興味によって実は千差万別だ。
「綺麗」という共通言語のために、一見、同じものを、同じようにとらえているように錯覚するが、実のところは、みんな感動の内容が違うのだ。
 
「人はみな違う」という体験は、生まれた瞬間からはじまる。
最初は、親と子からだ。
まだ遊びたいのに、寝かされる。
大事なことを考えているのに「部屋を片付けなさい!」などと怒鳴られる。
子どもは、なぜ、親は理解してくれないのだろうと悩むが、親も子も、自分の正義で生きていれば、当たり前なのだ。
 
こんな話がある。
「ひきこもり」や「不登校」を扱う専門医によると、身体的には問題がないのに、ひきこもってしまう人は、子供の頃に、反抗期のようなものがないことが多いのだという。
良すぎる親子関係は、社会への免疫力をつけるという意味では、プラスにならないそうだ。
皮肉なことに、多少、自分勝手でいいかげんな親のほうが、人との関係に挫折しにくい子供に育つ。
身内との衝突の経験を経て、さまざまな意思の伝え方や、相手を思いやる気持ち、「人生にはどうにもならないこともある」という前向きなあきらめ方を、知らず知らずのうちに学んでいくという。
 
もし、親に反抗したことがないとか、人から嫌われるのが怖いとか、自分が傷つきやすいと感じている人は、そもそも「人は思い通りにはならない」ということを、日常的に意識しておくといいと思う。
 
私が、この言葉をことあるごとに胸にきざんでいる理由は、他にもある。
「人」の部分には、自分自身も含まれるからだ。
 
仕事が期間内に片付かない。
ジムやダイエットが続かない。
親孝行ができない。
 
思い通りにならない自分に落ち込むときは、自分に向かって発する。
人は思い通りにはならないなと。
体調、気分、心配事、興味の薄れといったさまざまな要因で、できないときはできないものなのだ。反省は必要だが、ふさぎ込む必要なんてない。
いつでも何度でも、挑戦すればよいし、それで、万が一うまくいったら儲けものだ。
 
そうして考えてみると、どうだろう。
なんだか、生きるのが楽にならないだろうか。

 

 

 

あれから、十数年の間に、会社の育休復帰後の時短は、1年から3年に伸びた。
そして、つい半年ほど前に、一度は退社した社員が復帰できるジョブリターン制度もできた。
 
私は、さっそく彼女にメールして、ジョブリターン制度に申し込む気はないかと尋ねた。
子どもたちも、すでに中学を卒業している年齢のはずだった。
しかし、帰ってきたメールの答えはNOだった。
仕事に未練はないし、今は、別のことに興味があるからとのことだった。
 
やっぱり、人は思い通りにはならないなと思った。
 
一方で、人は思いもしない行動をおこしてくれることもある。
 
実は、会社の時短制度が変わった一因には、あの署名運動も貢献していたのだと、ずいぶんあとになってから知った。
そのことを組合の議題にあげたのは、当時は、署名をしてくれなかった女性社員だった。
「彼女がいうことなら」と全会一致で決まったそうだ。
当時は、何もできなかったと思ったが、何かを残すことはできていたのだ。さらに、人が、何かに賛成するときは、どんな意見かではなく、誰の意見かもポイントになっているのだと、今更ながらに気づいた。
私も、そんな人間になっていかなればと改めて思った。
 
世の中は、思い通りにならないことであふれている。
コロナの対策、貧困、災害復興に、環境問題……
思い通りにならない人々を動かすために、人々のたゆまぬ努力は続く。
努力の成果は、なかなか目に見えてこない。
しかし、あきらめなければ、世の中も自分も少しずつ変わっていくはず。
そう信じていれば、人生、捨てたものではないと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

立教大学文学部卒。地方局勤務
文章による表現力の向上を目指して、天狼院のライティング・ゼミを受講。「人はもっと人を好きになれる」をモットーに、コミュニケーションや伝え方の可能性を模索している。

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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