週刊READING LIFE vol.128

まずは休息して逃亡してしまおう《週刊READING LIFE vol.128「メンタルを強くする方法」》


2021/05/17/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
30代でメンタルを病んだことがある。
その会社には中途採用されたのだが、360倍の難関を突破して入った会社であった。
当初、役員面接まで行った際に提示された条件の中には、
「残業は基本ありません。親会社からの依頼がメインですので、サポート体制はしっかりしています。土日祝日も休みですので、仕事とプライベートはきっちり分けて充実できると思いますよ。安心して働いてくださいね」
 
実際に入社してみて、上記の条件が一つも当てはまらないことに気づくのに、そう時間はかからなかった。
まず、私の前任者であったはずの若い女性はとっくの昔に辞めてしまっており、業務マニュアル等もなく、ファイリング途中の書類が無造作に置かれているような状況だった。
一緒に働く上司も、人材サービス業界は初めての経験だったようで、事あるごとに私に
「これって、どういうこと? 前職でやったことある?」と質問攻めの日々だった。
また営業担当も、「飛び込み営業行ってきます!」と言って出ていくものの、まともに新規の取引先獲得をしてきたことはなかった。
あまりにも営業成績が低空飛行な彼のために、以前の取引先で休眠状態(取引していただいていたが、他社の活用に切り替えてしまった会社)の会社をある程度、掘り起こししてみた。
それをリスト化して渡し、せめて1社でも獲得できれば、今登録している人材を派遣スタッフとして活用できると、私なりに会社のためにも必死だった。
それでも、彼はそのリストすらチラリと見ただけで机の上に放り投げ、営業カバンだけを持って外出し、終業時間ギリギリに帰社して営業レポートをまとめるという有様だった。
私は内勤のコーディネーターだったので、人材サービス業の今までのノウハウを活かし、マニュアルすらない中をなんとか模索しながら、「このやり方ならこの会社でも通用する」というのが少しずつわかってきたというのに、歯がゆい気持ちばかりが募っていった。
 
「あー、私この転職、失敗したかな」
そこそこ有名な会社なので社名は出せないが、なんと社内教育のできてなさよ、と一人ぼやいていた。
 
仕事にもだいぶ慣れてきたある日、唐突に上司に言われた。
「あのね、今だから言うけど、もともとはアナタを採用することに支店長は反対だったの。
年齢も年齢だし、なんかイマイチだったんだって。
それを私たちが、わ・ざ・わ・ざ推薦してあげたわけ。わかる? だから、感謝してよね」
 
私は自分の耳を疑った。
ん? それって、本人に言うことですか?
そんなことを言って、私に一体どうしろというんですか?
そう言いたい気持ちをグッと堪えて、私は言った。
「そうだったんですね。推薦していただきありがとうございます」
表面上、取り繕って笑顔で答えたものの、その日からなんだか一気にやる気が削がれたような気がした。
ほどなくして、支店長はグループ会社への出向を命じられ、営業担当はある事件を起こし、表向きは「自己都合」という名の解雇処分を受けて忽然と姿を消した。
4人ギリギリでやっていた仕事が突然2人になった。
アルバイトさんをなんとか入れて仕事を回していたものの、今度は、「私をわざわざ推薦した」上司が突発性の病(以前も何度か倒れたことがあったらしい)で入院したのである。
入院した本人からは、謝罪メールの一つもない。
待て、待て、待て。
これって、ドラマじゃないよね。現実だよね。どう考えても仕事回らないよ。
それが目まぐるしい日々の始まりだった。
 
社員としての営業、お仕事紹介のコーディネーター、スタッフサポート、親会社との時給交渉、トラブル対応のすべてが私一人に集中しだした頃、突然ひどい「不眠症」に襲われた。
仕事は定時どころか深夜に及び、休みの日も朝から夜まで、社用携帯が鳴り止まない日が続いた。
もちろん休日出勤はあるし、派遣スタッフの代わりに派遣先で仕事することもたびたび発生した。休みなんて全くない状態だった。というよりも気持ちが休まる日が1日もなかった。
当時、九州エリアすべてを担当していたので、体力的にももう限界だった。
気づいたら、47kgあった体重が40kgを切りそうになっていた。
160cmの身長と仕事量を支えるには到底足りない重さだったのである。
 
そんな私を見かねた友人が、心療内科を受診することを勧めてくれた。
初めは「心療内科!? そんなところに行くほど、私は弱くない!」と強く抵抗していた。
心が弱い、あなたは病気だと言われるのが怖かったのだろうと思う。
しかし、友人の
「嫌かもしれないけど、眠れないって、よっぽどだよ。一度でいいから行ってみてごらん」
という声に後押しされて、私はおずおずと門を叩くことになった。
 
初回の診療で、私は医師の前で号泣してしまった。
仕事の内容を聞かれても、まともに順序立てて話すことができないのだ。
その頃の私は、何週間も1日に2時間程度しか眠れず、食欲もほとんどわかない、朝起きること体が鉛のようにずしりと重く、なんとか起き上がることができたとしても吐き気を催して、せいぜい生唾しか吐けないくらい弱っていた。
今思えば、そんな状態で普通に話せることのほうが難しい。
そんな当たり前のことすら、判断できないくらいの状態だったのである。
一つ一つ上司に言われた言葉や今までに受けた扱いを思い出すと、涙がボロボロと出てきて、
「す、すみません……。あ……の……、せ、せんせい、少し、時間……もらえますか?」
と言葉を絞り出すのが精一杯だった。
目の前にそっと出されたボックスティッシュから、何枚も何枚も真っ白で柔らかいティッシュを引き出しては、あふれ出る涙と鼻水とつらかった日々を拭った。
受診するまで、大丈夫だと思っていた私は、砂の城のようにあっけなく崩れていった。
しゃくり上げながら、予定受診時間の倍以上の時間をかけて、今までの状況を話していった。
 
先生は、
「そうですか……。それは、つらかったですね。まずは眠れるようにお薬を処方します。しっかりと体を労わってあげましょう。今まで十分に頑張ってきた体をね。それと、診断書を書きますから、とにかく休んでください。そうでもしないと出社しなくちゃと思うでしょ?」
ズバリ的中だった。初対面でも私のことはお見通しのようだった。
診療中にもバッグの中でブーンブーンと執拗に社用携帯が鳴っていた。
ああ、またきっと何かのトラブルだ。
誰かが辞めたいとか言い出したかなぁと、回らない頭の片隅でぼんやりと思う。
その社用携帯に気づいた医師は、ゆっくりと諭すように教えてくれた。
「いいですか。会社ではなく、自分の体のほうが大事なんです。休んでいる間は社用携帯の電源も必ず切っておいてくださいね。とにかく、仕事のことを考えないように」と。
そこで、私はやっと「先生、電源、切っていいんですね……」と解放された気がした。
 
それから2か月。
睡眠導入剤を飲み始めた私は、驚くほど眠れるようになった。
ずっと眠れなかったのが嘘のように、すうっといつの間にか眠れるようになり、久しぶりに「寝る」ってこういうことなんだと改めて思った。
鉛のように重かった体も徐々にではあるが、上皿天秤から小さい分銅を一つずつ取り除いていくような感覚になっていった。食欲もわくようになってきた。
少しずつ人間らしい生活ができるようになってきたのがうれしかった。
 
同時期に、主治医の診療とは別にカウンセリングも受けていた。
年齢は私よりもずっと若いけれど、豊富な経験を持つカウンセラーの彼は、客観的に私を見て次のようなアドバイスをしてくれた。
1.休職することで「会社に悪い」と思う必要はないこと
2.体が抵抗反応を出していることを、素直に受け取るのがよいこと
3.動けるくらいの体力が戻ってきたら、太陽の光を浴びて歩いてみること
4.十分という程ゆっくり休む。退職という切り札は最後まで残しておいてOKであること
 
「動物だって明らかに自分が負ける相手に向かっていく必要はないでしょ? 逃げる様子をテレビで見たりするでしょう? 逃げることで生き延びることができるっていう選択肢があること。その会社がたまたま合わなかっただけかもしれないし。だから、チカコさんはそれを選んでもいいんですよ」
2か月の休職期間を経て、体調もほぼ回復した。
その会社との人事担当者とも協議を重ねた結果、残念ながら私が思うような状況下では今後も働けないことがわかり、最終的には退職という切り札を出した。
焦って出した結果ではなく、自身がしっかり休んで出した結果に何の迷いも戸惑いもなかった。逃げてよかったんだと解放感でいっぱいだった。
 
休職と退職を経験してみて、感じたこと。
メンタルを強くする方法は、まず「自分はメンタルが強くない」という自覚をすること。
それで強くなるの? とお思いかもしれないが、「私は絶対大丈夫!」なんてことは、思わないほうがいい。
なぜなら、どんな交通事故だって、労働災害だってどんなに気をつけていても、思わぬ形でやってくるものだし、0対10なんてないのだから。
そして、「逃げる」という選択肢を選べる気持ちの余裕があること。
時間も気持ちにも余裕が無いのに無理に強がってみたり、勝てそうもない相手に立ち向かっていかずに、ただ退散するということを選べると、気持ちは軽くなるものだ。
意外と簡単なことから始めていくといいのではないか。
これから五月病も出てくる。コロナ疲れも出てくる。まだまだ先が見えないことも多い。
そんな中で、私たち一人一人がしなやかに生きていくためには、これは必要な術なのである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

長崎県生まれ。福岡県在住。
主に人材サービス業を経験する中で、人それぞれの人生に興味を持つ。自身の経験を通して、自分自身に取り入れることが出来るものと、自分から発信できるものを探す日々。
天狼院書店の「ライティング・ゼミ冬休み集中コース」をきっかけに、事務として働きながら、ライティングの技術を習得中。
5年前から猫を飼い始めたことで、ゴロゴロ音に癒されている毎日を過ごしている。

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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