週刊READING LIFE vol.131

死体のない戦場を書く《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》

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2021/06/07/公開
記事:古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「○○小学校、避難者が二千人います。ボランティアが足りません」
阪神・淡路大震災のとき、そんな一枚の貼り紙が、深夜のテレビのCMで流れたという。
 
二千人の避難者が、たった一つの小学校に避難していた。
震災の2日目に、私がボランティアをしていたある小学校だ。
ここには、当時、住民の有志を含め、たった数名のボランティアが、食品の配給、安否確認、病人のリスト作りなどの、やっても、やっても終わらない仕事に、追われていた。
当時、開通していた駅の構内に、そんな窮状を訴えようとあるボランティアがこの張り紙をしたのだ。
その貼り紙が、深夜の震災の特番のCMで流れたのだ。
 
当時はインターネットや携帯電話は、普及しておらず、あっても回線が使えない状態だった。誰もが、予想しなかった大地震に、何をすべきか、わからないまま現場も後方も混乱していた。
そんな中、唯一の情報源はテレビ、新聞、ラジオだった。
特にテレビに映る惨状のシーンの連続に多くの人が釘付けになっていた。
 
翌日から、貼り紙を見たという人が、全国からやって来た。
 
たった20数文字が、こんなにも人を動かすなんて、思いもよらなかった。
テレビだからこそ、かもしれない。
しかし、私にとっては、この20数文字の言葉以上に訴える力がある言葉に、出会ったことはなかった。
 
わたしは、「何かを書いてみたい」と、具体的に意識したのは、この時だったかもしれない。
 
いっぽうで、何を書けば良いか、わからなかった。
 
あの張り紙を見てから、数ヶ月後。
分裂中のユーゴスラビアで、特に激しい内戦中のサラエボのある村で、私は検問にひっかかった。
「お前たちを、捕虜として連行する。戦時のために裁判はない」
数人の男から、私とガイドは、車から降ろされ、銃を突きつけられた。
軍服は着ていない。
そのうちの一人に、私はうつ伏せにさせられ、頭を手で押さえつけられた。
容赦がないというのは、こういうことなのかというぐらいの力で押さえつけられる。
 
あの時とは違うのだ。
数年前、ここサラエボで行われたオリンピック。
テレビでは、日本人の活躍を連日放送していた。スケートで金メダルをとったテレビのシーンに多くの日本人は熱狂していた。
しかし気になったのは、ニュースの枕詞として、ユーゴスラビアがさまざまな人種や宗教の人がともに一つの国に住んでいるモザイク国家という言葉だった。
特に、ボスニアはその象徴的な存在だと言われていた。
当時の私は、子どもながらに、学校で異質な人を排除するような風景を見ていたから、とても不思議に思った。
だから、サラエボはとても良い国ではないだろうかと思った。
 
それから数年後、ニュースでは、金メダル授与式が行われたサラエボのオリンピックスタジアムは、内戦で命を落とした人々の墓場になっていることを報じていた。
 
私は、うつ伏せにされ、手で頭を抑えられていたが、次には足で頭を踏みつけられていた。
その相手の片方の足は、小さなピンク色の花が踏みつけられていた。
牛の鳴き声といっしょに、鈴の音がなっていた。
午後3時を過ぎていた。
予定ではこの先の村で、宿泊することになっていたのだが。
 
拘束されるまで、とても戦争をしている国には思えないほど、のどかな山村を通ってきた。
銃声どころか、死者にも出会うこともなかった。
なんだか、ピクニックに行く途中のようだった。
私は、空腹を感じるほど、気持ちは緩んでいた。
 
しかし、今は胃がキリキリと痛む。
 
立たされた私は、運転手兼ガイドとは、離された。
頬に石や砂が張りついているのに、それをとる心の余裕もなかった。
現地人のガイドは殴られていた。
外国人だ、日本人だ、報道だ、と繰り返すが、無視される。
背中を押され、藁、スコップ、タンクなどが置かれた納屋に連れて行かれた。
そして、椅子に座らされた。
相手は、威圧するように、顔を近づけてくる。
英語で、ひとこと、ひとこと、区切りながら、質問をしてくる。
自分と同じくらいの年齢かもしれない。
父が吸っていたホープという銘柄のタバコと同じ匂いがした。
 
手が自由になったので、ポケットのパスポートと記者証を出した。
反対のポケットにある財布も、出すように言われる。
パスポートを見られる。
1ページごとに確認するように見られる。
見終わったら、彼はパスポートをゴミ箱に投げ捨てた。
りんごの芯、紙屑、のなかに私のパスポートは消えた。
記者証などは見向きもしない。
 
次に、財布の中身をぶちまけられる。
ドル札と、ユーゴスラビアのディナール札、ドイツマルク札、日本札。
クレジットカードは腹に隠してある。
なぜか、レンタルビデオの会員証。
最後に出てきたのは、関西空港の売店で買った弁当のレシート。
彼は、財布につけた鈴を引きちぎった。
鈴の中身を見ようとする。
 
お金はとられても構わない。
その後におこることを想像した。
「殺されるかもしれない」
 
彼は、札や、レシートを財布に戻して、私に差し出した。
パスポートをゴミ箱に放りこまれたのだから、意外だった。
 
どこの国か?
どこに行くのか?
親の名前は?
日本の会社名は?
カメラの数は?
ガイドとの関係は?
など、
いくつか聞かれた。
 
最後に、怒ったように「日本は、リンゴがあるのか?」と聞いてきた。
私は、再度、彼に聞き返した。
リンゴについての質問なんて、するわけがないと思ったからだ。
彼は、ゆっくりと話した。
「日本のリンゴは、赤色のか? 黄色のか?」
 
私は唖然としながら答えた。
「赤色だ。それから、青色もある。いやグリーンだ」
 
それから彼は、納屋から出て行った。
私は、椅子に座ったまま、動くこともできなかった。
冷や汗が流れてきた。
ガイドは、どうなったのだろうか?
陽が暮れてきた。
 
牛が鳴いている。
牛のフンの匂いを、初めて意識した。
 
突然、鶏だろうか?
絶叫するような鳴き声が聞こえた。
 
私は、頭が真っ白になった。
 
急に扉が開いた。
先程の男がお盆を持って入ってきた。
もう銃はかけていない。
ガイドが続けて入ってきた。
「大丈夫、大丈夫」と言うが、彼の唇は切れている。
 
お盆の上には、直径30センチくらいのパンがのっている。
さらにスープの入った皿が、そのパンの下に隠れていた。
「食べろ!」と言って、出て行った。
ガイドも彼に続いて出て行った。
私は、一人になった。
ラジオからだろうか?
現地語の歌が聞こえてくる。
窓の外は、真っ暗だ。
 
暗闇の中、
スープをスプーンで混ぜると、にんじん、じゃがいも、カブ?が入っている。
肉は鶏だろうか?
一口啜ってみた。
塩味しか感じなかった。
パンは、少し甘い。
そして、バサバサだった。
 
そのあと、彼がまた入ってきた。
コーヒーの香りがする。
小さなカップ一つと、コーヒーが入った魔法瓶を置いていった。
何も、言わなかったが、飲んでいいいということだろう。
しかし、私は無性に水が飲みたくて仕方なかった。
コーヒーは、ただただ苦かった。
 
私は、ぼんやりと魔法瓶を眺めていた。
赤色の花のようなものが描かれている。
 
うとうとしている。
牛丼を食べている夢の途中で目が覚めた。
トイレがしたい。
もう7、8時間トイレには行っていない。
私は、初めて椅子から立ち上がり、部屋の隅に向かった。
藁が積まれている。
そこに、放尿をした。
「ああ、生きているんだな」としみじみ感じた。
 
またウトウトしている。
もうダメかもしれない。
自分は、何もできないと思うと、なぜか眠い。
腰を地面に下ろし、椅子の足にもたれて寝た。
 
牛の鈴の音と鳴き声。
焚き火の香り。
昨日のシチューの匂い。
コーヒーの香り。
いつの間にか、陽が昇っていた。
 
ドアが開いて、彼が入ってきた。
部屋を出る。
今度は、居間のような部屋に通される。
ソファーと机がある。
ソファーに座るように促される。
 
昨日と同じスープとパンが運ばれてきた。
「食べろ!」と言い、彼は出ていった。
 
食欲もなく、次にどうなるのか?
そんなことばかり考えてしまう。
そして、自分の愚かさを痛感した。
なんのために、ここにきたのか?
何も書けないじゃないか?
 
ほんの少しスープと、パンを食べた。
 
彼が入ってきた。
「来い!」という。
なぜ、殺す人間に朝食を出すのか?
そんなことが、恨めしく思った。
 
家を出た。
家の外は静かだった。
庭には、木がある。
リンゴだ。
青リンゴ、いやグリーンだ。
 
彼は静かに英語で言う。
「おじいさんが植えたリンゴの木」
 
昨日は気がつかなかった。
十本ほどのリンゴの木が見える。
そして、根本から折れた木が、数本、見える。
それは、ノコギリではなく、明らかに銃弾で、薙ぎ倒されたのだろう。
根本が焦げている。
落ちた実が腐っているのか。
酸っぱい匂いがする。
 
彼について、私は歩く。
家が30軒ほどある村だ。
どの家も小綺麗に見える。
近づくと、窓ガラス越しに家の中が見える。
ソファーと机。
棚。
ベッド。
台所。
納屋。
三論車。
自転車。
大八車。
農具。
人形。
写真。
絵。
などが見える。
 
しかし、どこの家にも人はいない。
 
繋がれた牛を見かける。
昨日、聞こえてきたのはこの牛だろう。
鈴が鳴っている。
 
彼がゆっくりと言った。
「ここは、自分が生まれた村」
気がつくと、あの納屋の前に戻ってきていた。
村を一周、回ってきたのだ。
 
私は、トイレに行きたいと言った。
彼が、指差す方に、向かった。
芝生が終わり、小さな水場があった。
そこは、真っ赤になっていた。
血だ。
乾いた血糊でべっとりしていた。
「たぶん、次だ」と私は思った。
 
次の瞬間、白い物が目についた。
「えっ」
鳥の羽だ。
鶏の羽だ。
皿に入れた鶏肉がある。
血は、この鶏だ。
 
そして、鍋の中には昨日のスープが湯気を立てていた。
 
私は、トイレを済ませた。
手を洗おうとして、蛇口を捻ったが、水が出ない。
 
戻ると、彼がバケツ一杯の水を差し出した。
手と顔を洗った。
さっぱりした。
 
彼が私のパスポートを差し出した。
表紙を、ハンカチで拭ってくれた。
 
ガイドがやってきた。
昨日の怯えた顔とは、違い、明るい。
現地語で早口で話している。
彼の周りの、銃をもった三人は、昨日とは違って笑顔だ。
 
私は、車の助手席に座った。
ガイドは、エンジンをかけようとする。
しかし、空ふかしをしてしまう。
やっと、かかった。
後部座席には、私のカバンがある。
昨日と同じままだ。
 
ガイドが一言二言、彼らに話しかけ、手を振る。
車が少し動いたときに、後部のボンネット叩く音がする。
 
私が、振り返ると、彼が立っていた。
カゴには、グリーンのリンゴがたくさん入っている。
それを、後部座席に、窓から無理矢理押し込んでくる。
 
「これは、おじいさんのリンゴ」
と聞こえたか、聞こえないかのタイミングで車が動き出した。
 
サイドミラーを見ると、彼らが立っているのが見える。
 
死体のない戦場。
あれから、20年近く経つが、当時はこの出来事について、私は何を書いたら良いのかわからなかった。
 
今だからこそ書けることもあるのだ。
私が書くのをやめられない理由は、これだ。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

タイ東北部ウドンタニ県在住。
同志社大学法学部卒業後、出版企画に勤務。1999年から、タイで暮らす。タイのコンケン大学看護学部在学中に、タイ人の在宅での看取りを経験する。その経験から、トヨタ財団から助成を受けて「こころ豊かな「死」を迎える看取りの場づくり–日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県ウボンラット郡の介護実践の学び合い」を行う。義母そして両親をメコン河に散骨する。青年海外協力隊(ベネズエラ)とNGO(ラオス)で、保健衛生や職業訓練教育に携わる。現在は、ある地域で狩猟の修行をしている。
著書に『東南アジアにおけるケアの潜在能力』京都大学学術出版会。
http://isanikikata.com 逝き方から生き方を創る東北タイの旅。

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2021-06-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.131

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