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週刊READING LIFE vol.131

書きはじめたことで、自分が変わり、世界が変わった。《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》


2021/06/07/公開
記事:白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「文章を書く」ことなんて、小さい時から苦手なことの一つでしかなかった。
ひとつの文章を書くだけでも、表現はこれでいいのか、読む人に伝わるだろうか、といつも思い悩む。
書き進めているうちに、書き始めと辻褄が合わなくなってきたり、言いたいことが変わってきたりして、その度ごとに書き直すなんてことはしょっちゅうだった。
 
文章を「書く」ということは、とかく時間がかかることであり、自分のなかでは「面倒くさい行為」にずっと分類されてきた。
 
それがどうであろう。
今やその苦手であった「文章を書く」ということを、ライフワークにしていきたい、とまで思うようになっている。
 
「書くこと」は、失意のどん底のような状況から、私を抜け出すきっかけとなり、自分を変えていこうとする気持ちを手助けしてくれたものとなった。
この体験が、「書く」ことに対する私の思いを変えていった。
そして、「面倒くさい」と思っていたことが、実は自分との大切な向き合いである、ということに気がついてから、なおさら「書くこと」を大切に思う気持ちが強くなっている。
 
この話は、2017年まで遡る。

 

 

 

2017年、とくにその前半は、人生のなかでとても忙しく、そして失意のどん底を味わった時期だった。
 
持ち家の任意売却、前年末に病気で亡くなった父親の複雑な相続整理、そして仕事の繁忙と、いろいろなものが押し寄せ、心労が一気にかさんだ。
 
その中でも、相続整理と仕事の繁忙が、大きな心労となった。
 
任意売却に関しては、その事態となったことに悔しい気持ち、残念な気持ち、というものはあったものの、その一方で「これを機会にやり直すのだ」という前向きな気持ちも十分にあった。
家族も、全く同じ気持ちでもあったし、みんなでこれを乗り切っていこう、という雰囲気であった。
だから、この事態に関して、心情的な負荷はまだ少なかった。
 
そんな前向きな気持ちで、いろんな手続きを進めていこうとしたとき、父親の相続整理の件で問題が湧き起こった。
それは、全くの予想外の出来事だった。

 

 

 

この前年末、まさに年の瀬押し詰まった12月27日に、父親が癌で亡くなった。
癌が見つかったのはこの3ヶ月前の9月半ばあたりだった。
見つかった時点ですでに肝臓の8割が癌に侵されており、もう手の施しようがなかった。
このことは本人の希望もあって、告知された。
担当医師より自分の状態について説明を受けた父親は、覚悟を決めたかのように、延命治療を自らの意思で断った。
 
父親が残す財産が、負のものであることはわかっていた。
その辺りの手続きや段取りについては、自らいろいろと調べあげた。
さすがに、いくら本人が自らの意思で延命措置の辞退をしたとはいえ、死を前提とした状況で、相続に関する相談や確認ごとを、本人に対して切り出すなどということはさすがにできなかった。
本を読んだり、ネットなどでいろいろと調べたところ、相続の整理については自分でもなんとかできそうなところが見えてきたこともあり、相続に関してはあえて父親へ何か確認する、といったことは何もしなかった。
 
しかし、まったく違うところに落とし穴があった。
 
この話をしだすととても長くなるので、ここでは割愛するが、かいつまんで説明するとこういうことになる。
 
・相続整理のため親族を調べていたら、全く見ず知らずの親戚が3軒も出現した
・そして、この見ず知らずの親戚に父親の相続を放棄してもらわないと、家の売却を進めることができない
 
この二つのことが発覚したのだ。
 
もう衝撃的だった。
なんとかマインドセットして、売却の手続きに取り組もうとしていた矢先でのこの事実に、目の前が真っ暗になった。
何をどう手をつけたらいいのか、全くわからない。
こうなると、本来であれば弁護士とかその筋の専門家に委ねるのが筋なのかもしれない。
しかし、そんな費用がある訳でもない。
そもそも懐事情が厳しくて家を処分しようか、といっているところなのだ。
ただただ頭を抱えた。
 
そんなところに、第二段の波が押し寄せてきた。
 
会社の仕事が忙しくなってきたのだ。
平日は、連日の深夜残業、平日でこなせなかったものを休日でカバー、そして、その合間に相続整理と売却手続きの作業する、といった日々が続く。
どれも手を抜くことができない。
もちろん、家のことに関わることについては、家族も手助けをしてくれた。
しかし、いろんな手続きや交渉といった実際の立ち回りは、私のほうでこなさなくてはならない。
 
相続の問題も、仕事も、まったく片づいていく様子が伺えず、時間ばかりが過ぎていく。
 
「なんでこんなことばかりが起こるのか?」
現状を取り巻くことへの不平と不満。
 
「この事態が本当に片づいていくのだろうか?」
先が全く見えない不安。
 
そんな感情にただ押し流され、焦りが募り、何から手をつけていいかわからなくなる。
自分が一体何をしたいのか、それすらおぼつかないのだ。
抜け出せない泥沼の深みに、自分がどんどんハマっていくような感覚だった。
 
そして7月に入り、仕事でついにある出来事が起こった。
 
当時、私はひとつの組織を牽引する立場の職に就いていたが、そのパフォーマンスが発揮できていないと判断され、その職から外されたのだ。
事実上の降格である。
それなりに頑張ってきたつもりであったが、このように判断下されたのであればもう仕方がない、と思いながらもやはり悔しかった。
 
このときが、心労のピークであった。
いつ病んでもおかしくなかった。
 
そのとき、家内が手を差し伸べてくれた。
いつ病んでもおかしくない私の状態を見かねて、ある人に引き合わせたのだった。

 

 

 

今では、私の友人でもあり、メンターともなるその「ある人」は、「自分の感じていることや、感情の出所をはっきりとさせよう。それがわかっていくと、冷静な自分を取り戻すことができる」ということを教えてくれた。
 
最初は、この考え方の意味がさっぱりわからなかった。
 
感情をハッキリさせるって何?
どうやってするの?
 
そんな戸惑いがあった。
しかし、不安感情に振り回されることに疲れ果てていた私は、この感情に向き合う、ということを実践して、少しでも自分を取り戻そうと思った。
状況変化に耐性が持てる自分になろうと思った。
 
この感じていることを掴む方法として教わったことは、自分の感じていること、抱いた感情を『言葉』としてしっかりと表現する、ということだった。
このことを初めて耳にしたとき、全てが腑に落ちた。
 
自分の感じたことや、喜怒哀楽の感情をしっかりと言葉にしてみる。
これを実際にやってみると、なるほど、自分で自分を見ているような感覚になる。
 
例えば、不安な気持ちに襲われたとき、「自分は今、胸がドキドキするような不安を感じている」と言葉で表現しようとすると、思考が働きだし、感情に流されるままの気持ちに歯止めがかかる。
つまり、自分が冷静になる時間が生まれる。
冷静になると、自分のなかで分析が始まる。
この不安は何か来るのか、何が原因なのか、と考え出すようになっていく。
 
考え出してもわからないこともある。
そんなときは、とことんまでその感情を感じ切る。
そうすると面白いもので、いつまでも不安な感情というのは、実はいつまでも続くものではなかった。
ある時点でスイッチが切り替わるように、「あれこれ思っていても仕方がない」という少し前向きな気持ちに、不思議と切り替わっていくのだ。
 
いままで、こんな体験したことがなかった。
 
そしてあるときのことだ。
感じたことを言葉にする、といったことを「書き残そう」という思いつきが頭に浮かんだ。
頭の中で言葉にするだけだと、その感覚はやがては薄れ、そして消えていく。
そのことが「もったいない」と感じたのだ。
 
思いついたこと、感じたこと、それをそのまま書き残したら、自分の記録、データベースとなるのではないか、と思い至ったのだ。
 
これが私にとって、いまの「書くこと」につながる第一歩だった。
 
文体や表現といったことを一切に気にせずに、リアルタイムに思ったこと、感じたことをまずありのままに書き綴る。
まさに、感じている様までも記録するようなイメージだ。
文体や表現を意識すると、せっかく抱いた感情が薄れてしまう。
それでは、意味がない。
これを実現させるために、携帯のメモアプリを使い、そこに書き残していくことを習慣づけた。
 
この習慣を始めたことで、ただ感情に押し流されて「どうしよう」と、ただ慌てふためくだけの状況に歯止めがかかるようになり、自分が大きく落ち込むということがなくなっていった。
 
この習慣を始めたことで、自分を俯瞰し、向き合うことが少しずつできるようなり、ただ慌てふためいて感情に押し流されることがなくなった。
それこそ、自己否定に走るような落ち込みかたがなくなっていった。

 

 

 

そうこうしているうちに、例の父親の相続整理で出てきた、見ず知らずの親戚3軒との交渉に関して、私はある決断をした。
この問題の解決を弁護士に依頼することに決めたのだ。
 
自分でもやれるところまではやっていた。
住所、電話番号を探りあて、直接コンタクトを試みた。
相手に取ってはまさに寝耳に水のような状態だけに、できる限りの丁寧な対応したつもりだった。
しかし、その気遣いと思いは、相手に全く届かなかった。
相手の年齢もかなりのご老齢でもあったせいか、ただただ不気味がられ、こちらのコンタクトは全て門前払いとなったのだ。
事情を切々と認めた手紙までも送ったのだが、受取拒否で舞い戻ってくるような始末で、ここまでになったら、自分の力ではもうどうしようもない。
 
ラチのあかないことをズルズルとやっても、時間がもったいないだけ。
そう思ったら、費用はなんとしてでもかき集め、もう専門家に委ねようと素直に決断した。
 
それまでの自分であれば、どうしようもならない事態に、ただあたふたとまだ迷い続け、それこそ心を病んでしまっていたかもしれない。
 
しかし、このときは、自分の感情に流されるのではなく、淡々と粛々とことを片付けていくだけだ、という思うことができた。
このような考えで決断を下せたことに、自分が少しずつ変わりだしてきているかな、と感じることができた。
 
そして、これを皮切りに事態も好転していった。
相続の問題は特にトラブルことなく無事に片付き、売却の手続きも進み出した。
さらには、次に移り住む家として好条件な物件までも現れてきたのだ。
 
自分が変わったことで、流れが変わったように思えた。

 

 

 

この「書き残す」習慣は、今度は外にも出すようにした。
 
このきっかけも、また家内であった。
書き綴っていたものを「ブログにしてみたら?」と、言ってきたのだ。
 
「今は何でも発信できる時代だし、書き綴ったその言葉でひょっとすると心が救われる人が出てくるかもしれないよ」
というアドバイスをくれたのだ。
 
「それに、あなたは何かがあると、体裁やら人目やらを気にして考え込んで行動が遅くなるタイプ。発信するということに慣れると、思いついたことを行動に移すという習慣にもつながるかも」
という、なかなかにこちらの深い心理というか、まさに痛いところまでも突いてきた。
 
どうせ変わるのであれば、そこまで変わることができたほうが、確かに強みになるかもしれないと思い、私は家内の提案を行動に移した。
 
それほど高い頻度ではないが、自分の中で大きな感動や気づきがあったとき、文章を整え、ブログに投稿していった。
 
そのブログに、反応があった。
その多くは知り合いからであったが、「わかりやすい」という感想を頂いたのだった。
今までで、自分の文章がそのような評価をされることもなかったし、もちろん自分の文章表現が上手だ、などと微塵も思っていなかった。
それだけに、この反応はとても嬉しく、ありがたいものだった。
そしてこの体験は、ちょっとした自信にもつながっていくのと同時に、「もっと文章が上手くなりたい」という思いへの起爆剤ともなった。
自分だけでなく、人がもっとわかりやすく読み進めてもらう文章を書き綴りたい、という望みが自分のなかで大きく膨らんでいった。
 
これはまた、「書くこと」が、自分のなかの新しいフィールドとして見つかったことでもあった。
「書くこと」が、自分の得意なフィールドとして、広げることができるかも知れない期待が膨らむ。

 

 

 

その新しいフィールドを開拓したくなって、フェイスブック広告で目にしたライティング・ゼミの扉を叩いたのは、ちょうど昨年の今頃だ。
 
初めてガイダンスで、上級者クラスなどもあることを知ったとき、さすがにそこは自分には縁遠い世界だろう、と思った。
とにかく、地道に少しでも書くことに慣れ親しもう、という気持ちだけだった。
だけど、いまその世界に自分がいる。
振り返れば、とても不思議だ。
 
このことも、自分の中では「書くこと」にいつも向き合ってきたからだろうか、と思う。
書くことによって、自分が変わり、見える景色が変わっていく体験をした。
その体験があったからこそ、書くことは「自分との対話することだ」という思いにもつながっている。
 
なぜ、その言葉をもって伝えようとするのか。
自分は、どんな景色を、その白い世界に広げたいのか。
 
これだけで、自分との対話がもう始まっている。
この対話が、自分を俯瞰して見つめることにもつながり、さらに成長につながっていくように思える。
だから、書くことがやめられなくなっている。
「面倒くさいもの」が、まるで自分の分身のような「かけがえのないもの」になっている。
「書くこと」への思いをもっと育み続けたい、という気持ちが強い「自分の軸」ともなっている。
 
だから、私はこれからもきっと書き続けていくだろう。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-06-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.131

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