週刊READING LIFE vol.19

プロジェクションマッピング嫌いが、チームラボに行ってみた《週刊READING LIFE vol.19「今こそ知りたいARTの話」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

プロジェクションマッピングが嫌いだ。
スクリーン以外にも映像を投影できる技術だそうで、瞬く間に世界中のエンターテイメントに広まった。歴史ある建造物がかつての色彩を取り戻したり、某テーマパークのお城に素敵な物語が映し出されたり、アーティストの演出に用いられたり、水族館の水槽がミニシアターに変身したり、果ては結婚式の入場シーンにも使われたりと、猫も杓子もプロジェクションマッピングでうんざりしている。
 
確かに精緻な技術で、大迫力で、サラウンド音楽と合わせれば大胆な演出ができる。しかし、いろいろなエンターテイメントが安易にプロジェクションマッピングに置き換わっていくのは実にいただけない。某テーマパークのキャストを務める友人は、同僚とこんな風に話したと言っていた。
 
「パレードのフィナーレが、全部プロジェクションマッピングになってしまって寂しい。歌や踊りの方が暖かい感じがするのに」
 
そらみたことか。アーティストが精魂込めて描いた絵画やイラスト、ダンサーの美しい踊り、音楽にぴたりと合わさった一糸乱れぬ群舞など、人の手があり、人がそこにいるからこそ宿る熱気というものがあるはずなのだ。それをことごとく押しのけていくかのようなプロジェクションマッピングは、やっぱり私は嫌いなのである。

 
 
 

そんな私は美術館や展覧会が好きだ。アートというよりは歴史学寄りの、古代の埋葬品だとか、王妃が身に付けていたネックレスだとか、そういう類の展示が好みである。印象に残っているのは、マリー・アントワネット展、四大文明展、そして何よりニューヨークで訪れたメトロポリタン美術館! 最高だった、最の高だった。夫と一緒に訪れたのだが、エジプトコーナーでずっと大騒ぎしているので、夫は呆れ果てた。
 
「もう知らん。具合悪いから俺もう帰る」
「えっ、もうちょっと見ていこうよ、あっこのヒエログリフは」
 
夫は本当に帰ってしまった。それでも夫はほっとけばいいや、全部見て回ろうと思うくらいに最高だった。だって、目の前に、四大文明展や世界ふしぎ発見で取り上げられるような素晴らしい展示品がごろごろしているのだ。しかも、それらは日本の企画展のように大事に大事に置かれているわけではない。ケースの中に所狭しと並べられ、無造作に番号が振られている。通路のような細いところに、ビーズの引き出しのように小さな石器が並べられているところもあった。そして、日本の企画展なら、一番最後のメインの展示物として広いホールの真ん中に置かれるようなものが、普通にその辺に展示されている! はじめは見覚えのある展示品を見つけては驚いていたが、なにしろ膨大な収蔵品に、これだけたくさんあるのだから、あちこちに貸しても屁でもないのだな、と妙に納得したりした。
 
エジプトコーナーを出てからは全部走って見た。美しいギリシャ彫刻、西洋の甲冑、中国や中央アジアの鬼気迫る彫像。古代文明のレリーフ、三階建ての建物くらいありそうなペルシャ絨毯、精緻な宗教画、素朴な海洋民族の船。美しい磁器、煌びやかな宝飾品、そしてゴッホもモネもそのほかの作品と一緒に、特にカテゴリ分けもせず適当に展示されている! ゴ、ゴッホも特別扱いしないんだ! メトロポリタン半端ない!
 
カシャッ! ダダダダ……カシャッ! ダダダダ、ぜえぜえ……
 
汗だくで鑑賞しているのは私だけだった。日本のツアー客がルーブル美術館を走りながら鑑賞して笑いものになると言うが、その時の私がまさにそうだ。エジプトにあんなに執着したことを後悔したし、夫を呆れさせて先に帰してしまい、他の収蔵品を一緒に見て回れなかったことも後悔した。後悔したので翌日MOAを一緒に見に行ったが、やっぱりメトロポリタン美術館も一緒に回ればよかったと今でも後悔している。いつかまた夫とニューヨークに行くことがあったら、メトロポリタン美術館に三日は通いたい。まあ夫はそのうちの一日だけでも付き合ってくれればそれでよい。
 
私の後悔は置いておいて、メトロポリタン美術館が素晴らしいのは、たくさんの本物がその場に置いてあることに他ならなかった。インターネットやメディアが発達した現在、大抵の美術品は、その写真や画像であれば簡単に見ることができるようになった。しかし、本物を見なければ分からないことはたくさんある。私はメトロポリタン美術館に行かなかったら、二十メートル超のペルシャ絨毯に織り込まれた模様の圧倒的な美しさを知らなかったし、トルコの短剣の柄飾りがあんなにも美しく多様なものであると知らなかった。日本の企画展で見たマリー・アントワネットのドレスにも胸を打たれたし、インダス文明の印章がコロコロして可愛らしいことも知らなかった。本物は良い、いろいろなことを教えてくれる。趣味のダイビングも、テレビで海中の映像を見るのと、実際に潜るのでは大違いだ。そんな風に本物に触れることが好きなので、なおさらプロジェクションマッピングは好きになれなかった。

 
 
 

息子が生まれ、美術館や企画展からは遠のいた日々を過ごしていた私は、Facebookの友人が、最近同じような画像をアップしていることに気が付いた。
 
暗い空間に、たくさんのランタンが浮かんでいる写真だ。
その投稿には、「チームラボに行ってきました~」という旨のコメントがついていた。
 
写真を見る限り、果てがない空間に無数のランタンが浮かんでいる。どこか室内で鏡でも使っているのだろうか。友人の顔もランタンと同じ色に染まっている。不思議な世界を覗き込んでいるような、幻想的な雰囲気だ。
 
綺麗な写真だな。
チームラボって何だろう。
 
調べてみると、どうも現代アートとエンターテイメントが融合したような展示らしかった。ランタンの展示はお台場の「チームラボ ボーダレス」という展示内にあるらしい。最新の映像技術を駆使して、展示が次々と変化していくのだという。鑑賞者は作品に干渉することができて、アートと一体になる体験ができるのだという。
 
プロジェクションマッピングみたいなものかな。
作品に干渉できるってどういうこと?
 
「……このランタンはウユニ塩湖みたいで綺麗だな」
 
プロジェクションマッピングだったら気に食わないけど、ランタンは見てみたいな。子供向けの展示もあるみたいだし、行ってみようか。出不精の夫を、息子のため! と焚き付けてチケットを予約した。
 
入館してすぐに、色とりどりの花が私たちを出迎えた。やっぱりプロジェクションマッピングっぽいな。どんなに綺麗でも、所詮映像なんだよなあ。そんなひねくれた思いを胸に壁を眺めると、花は少しずつ動いている。どこかへ向かって流れるように移動しているのだ。その場で立っているだけでもどんどん風景が変わっていくんだ。ホームページにもそんな説明があったけど、目の前で動いている花たちを見ると、何だかワクワクしている自分がいた。
 
「花、動いてるね。どこにいくんだろう」
「どこだろう、あ、あそこに通路がある」
 
閲覧順路は特に決まっていないとのことで、夫と、抱っこひもの中で昼寝中の息子と一緒に探検を始めた。いくつかの広めの通路と、テーマごとの部屋があちこちにあり、それらを順に巡っていく。壁に描かれたものは刻一刻と変化していくので、同じ場所でも、同じ場所なのかどうかわからない。初めは壁一面に見えた花はいつの間にかどこかへ行ってしまっていて、象やライオンが歩いていたり、浮世絵のようなタッチの人物が踊っていたり、光の筋が飛び回ったり、ゆっくりと、しかしめまぐるしく入れ替わっていくのだった。浮世絵タッチの人物を、大学生くらいのカップルが追いかけていた。彼氏が浮世絵を気に入ったようで、ニコニコしながら彼女に話しかけている。「俺この人たち好きだわ」会話に聞き耳を立てると、どうもずっと追いかけているらしい。彼らの行く先で、いろいろな小部屋に導かれていくのだ。
 
作品に連れられて、作品の中を巡る。
なんだか、夢の中を歩いているような心地だ。
 
あちこちにひっそりとある小部屋では、それぞれ意匠を凝らした演出がされている。私が気に入ったランタンの部屋もその一つだった。部屋に入るまでは、マジックミラーで鑑賞中の人々の様子を見ることができる。期待値いっぱいに入ってみると、本当にランタンと自分たちしかいない、とても幻想的で特別な空間だった。他にも、眩いスポットライトを幾重にも重ねた光の彫刻、360度の視界を海に囲まれる部屋、水面から水上へ浮上していくような感覚になれる部屋、透明なスクリーンがたくさん並び、先ほどの浮世絵の人物や象のパレードなどが何重にも映し出される部屋、光の鎖がたくさん吊るされていて、氷山の狭間を覗いているような感覚になれる部屋。人気がありすぎて一時間待ちと言われた小部屋は、息子がぐずりそうだったので戦略的撤退をした。
 
「すごいねー、不思議な感覚になるね」
「ほんとだな」
「次は運動の森に行ってみよう、ゆーたんちょうど起きたし」
 
運動の森は二階にある。滑り台やアスレチックがあり、お絵かきした魚を取り込んで、壁を泳ぎ出すのだと言う。ハイハイの子供向けの赤ちゃんスペースもある。ここに来た目的の半分は、息子にアートな体験をさせてあげたいからである。運動の森は是が非でも行っておきたかった。階段を上って入り口をくぐると、今までの幻想的な雰囲気とは一転、にぎやかな光景が目に入った。壁も床も黒い。そこを、色彩鮮やかな生き物がゆっくり歩いている様子が映し出されている。子供たちは思い思いに走り回っていて、とても楽しそうだ。
 
「さあ、ゆーたん、遊ぼうー!」
「えうー」
 
お昼寝から目覚めて、見慣れない場所でキョロキョロしていた息子は、抱っこひもから解放されると我が意を得たりと走り始めた。彼の小さな足が、ちょうどトカゲのような生き物を踏んづけると、なんとそのトカゲが、水風船が割れるように弾けてしまったではないか!
 
「……う!」
 
息子はびっくりして、トカゲだったものを見た。それは色とりどりの絵の具をぶちまけたような状態になって、じわじわと染みこむように消えていった。私も試しに、足元を掠めていった蝶のような生き物を踏んづけると、やはり同じように弾けて、こぼれた絵の具になってしまった。
 
「わ、これ、すごいよパパ!」
「ほんとだ!」
「う!」
 
夫も何かを踏んでみたようで、足元が絵の具になっていた。ちょっと理屈っぽくなるが、映像は光だから、人体など遮るものがあれば、人体に映写されて、その下は陰になってしまう。しかし、靴で踏んづけたあたりもしっかり映像として映し出されている。さすがに床に足を付けると足の上に映像が乗るが、足を離せば床に映し出されるのだ。これは、複数方向から正確に映像を投影しているからこそできる高度な技術なのだ。しかも、踏む、というアナログ動作に反応している。これを、広いフロア全体で展開しているのだから、どれほどの技術を結集させているのだろうか。
 
そんな小難しいことを考えながら、いろんな生き物を踏んで回った。小難しいことを考えたくなる時、大抵私は感動しているのだ。息子は純粋に生き物を追いかけたり、夫とすべり台をしたり、楽しそうに過ごしていた。圧巻だったのは線路の部屋だ。床に線路の映像が映し出されていて、30cm四方ほどのクッションを床に置くと、そこに向かう線路が新たに敷かれるのだ。息子と、息子と同じくらいの子供たちが、クッションをあっちにおき、こっちに転がしとしては、ぱっぱっと追いかけてくる線路をしげしげと眺めていた。

 
 
 

「チームラボ ボーダレス」は、想像以上の大満足アート体験だった。これは鑑賞ではなく、体験である。果てのない空間にずっと続くランタンや、視界いっぱいに打ち寄せる波。どれも、テレビや映画、ゲームなどの映像としては、見たことがあるかもしれない光景だった。それらを映像から、体験できる現実に昇華させたのだ、と帰り道に考えた。私や夫は、映像技術の進化と共に生きてきたから、「チームラボ ボーダレス」がその最新技術を使っている、と体感している。最新の技術はすごいなあ。子供の頃に想像していた未来みたいだね。
 
興味深いのは、息子たちのように、幼少期にこの素晴らしいアート体験をする世代がいるということだ。自分が触れると、映像が変わる。それは物理法則を無視して、夢が現実になるように広がっていく。チームラボの世界の外でも、プロジェクションマッピング、バーチャルリアリティー(VR)や拡張現実(AR)の技術もどんどん進歩している。生まれた頃からスマホがあって、幼い指先で巧みに操作する子供たちを「デジタルネイティブ」というそうだが、現実に映し出された映像が鮮やかに変わっていくのを見ている彼らのことを、「プロジェクションネイティブ」とでも名付けてみようか。
 
あー、でもやっぱり、プロジェクションマッピングだけは好きになれない!

 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

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2019-02-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.19

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