校門が閉まる五秒前——背徳感に育てられた高校時代《週刊READING LIFE Vol.354「たまらない背徳感」 》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/04/30 公開
記事:回復呪文は使えない(READING LIFE編LIFE編集部ライターズ倶楽部)
タッタッタッタッタッ……。
ランニングシューズが立てる軽やかな足音が、早朝の静まりかえった道路に響く。
見えてきた橋への上り坂は、一気に駆け上がり、頂点からそのまま加速して下る。
悪くないペースだ。
最後の坂は、だらだらと長く続く。ここを登り切れば、あとは平坦な一本道になる。
心拍数が一気に上がる。太ももに焼け付くような痛みが走る。呼吸も苦しい。
それでもリズムだけは落とさない。脚が止まりそうでも、回転数だけは守る。
ゴールはもうすぐだ。
「一分前!」
遠くから叫ぶ声がした。
まずい。思ったより遅い。
最後の力を振り絞ってスパートをかける。喉の奥に血の味が広がる。
「三十秒前!」
もう目の前だ。
「五、四、三、二、一、ゼロっ!」
ゴゴゴ、と金属が砂を噛む嫌な音を立てながら、下駄箱前の戸は閉じられた。
「お前ら、遅刻だー! 遅れたやつ、こっちに並べー!」
ああ、やってしまった……。3日連続だ。
「あれ? お前、昨日も遅刻じゃなかったか?」
「いえ、3日連続です!」
「ばかやろう! 威張っていうな!」 ガツン!
ゲンコツまで食らってしまった。
あれだけコーナーを攻め、坂で失速しないよう配分したのに。
今日は少しカバンが重かったかもしれない。
明日は教科書を減らして序盤から飛ばそう。
中学生の頃、私は時間ギリギリで学校に飛び込むことに心を奪われていた。
私の前方を歩く生徒たちは、後ろから私の姿が見えると怯えた。
私がいることは、遅刻とほぼ同義だった。
私は陸上部だった。走りで私に勝てる者はそういない。
つまり、私に抜かれた時点で、その人の遅刻はほぼ確定する。
私はこのシチュエーションが大好きだった。
登校が遅い生徒の顔ぶれはいつも同じだ。
そして、彼らはみな私の姿に脅えた。
前方で振り返る彼の瞳が私を捉え、焦りに表情が歪む。
そんな彼らを私が追いぬいていく。
何か、私に生殺与奪の権が与えられたかのような錯覚が芽生える。
そして、何より学校の下駄箱での生徒指導部によるカウントダウンだ。
あのギリギリを争うスリルが何にも代えられない楽しみだった。
遅れれば、強面の生徒指導部長からの叱責が飛ぶ。
私の学生時代の出来事であるから、暴力を伴うこともあった。
だからこそ途中のコース取りやアップダウンでの失速など、失敗は一切許されない。
私がこの魅力に取りつかれてしまったのは、中学1年生の6月だったと思う。
それまでは友達と一緒にゆっくり歩いて通っていたのだが、おそらく宿題をやるのを忘れていたことに朝気づき、解いていて遅くなったのだと記憶している。
いつもより大幅に遅れて家を出ると、途中まで早歩きをした。でも、とても間に合いそうにない。やむを得ず走った。かばんは重たかったが仕方がない。なんとか学校まで走り切ると、下駄箱の方から生徒指導部の先生の声がしている。
それがカウントダウンだった。
このころは、怒られたくないから必死で走った。だが、終わってみると、何とも奇妙な充実感があふれた。
ギリギリまで家にいて、時間ギリギリに学校に着く。
それは時間の有効活用ではないだろうか?
そう考えてしまった。
最初は週に数日だった。だが、徐々にその頻度が増えた。
中3のゴールデンウイーク後からは、ほぼ毎日走っていた。
そして、徐々に私の意識の中心は「時間の有効活用」から、「カウントダウンのスリル」に移っていった。
ルールの塀の上を歩き、塀の内側に落ちればアウト。外側に落ちればセーフ。
そのスリルは、まさに私にとって「たまらない背徳感」だった。
時は流れ、私は高校生になった。
高校時代は自転車通学になった。
そして、この背徳感への執着は治っていなかった。
私は自転車で10分の道のりを平均すると4分で走破していた。
年間では月一回程度の遅刻に抑えていたから、私の中では優秀な成績である。
中学時代と違い、いかに赤信号につかまらないかがテーマとなった。
3つ先、4つ先の信号まで確認し、変わるタイミングを読み、最短ルートを選ぶ。
このころになると、他校の生徒までが私の姿に脅えるようになっていた。
そんなある日。
友人たちが数人、うちに泊まりに来た。
遊ぶためだと思っていたが、後で真相を聞いた。
「お前がなんで毎朝そんなギリギリなのか、調査しようと思って」
失礼な話である。
翌朝、私はいつものように早く起きた。朝食も食べ、身支度も整え、テレビを見て優雅に過ごしていた。
友人たちは拍子抜けしていた。
「なんだ、ちゃんとしてるじゃん」
「むしろ俺、朝こんなゆっくりしたの初めてかも」
そんな声すら上がる。
私は穏やかにコーヒーを飲んでいた。
しばらくして、誰かが時計を見て言った。
「そういえば、そろそろ行かなくて大丈夫?」
私は答えた。
「そうだね。あと五分だから急いで行かないと間に合わないね」
一同、凍りついた。
次の瞬間、全員が大慌てで自転車に飛び乗り、学校まで全力疾走した。
校門を抜けたあと、友人たちは息も絶え絶えに言った。
「危うく全員巻き込まれて遅刻するところだった……」
後年まで語り草になったらしい。
「全然遅刻する要素がないのに、気づいたら全員ペースに巻き込まれていた」と。
確かに、みんなにとって地獄のような朝だったかもしれない。
そして、その話が先生の耳にも入った。
私は生徒指導部長に呼び出された。
怒られるのか? そう思いながら、生徒指導室へ急いだ。
「先生、お呼びですか?」
私が生徒指導部長に声をかけると、何やらため息交じりに話し始めた。
「俺なぁ。お前を指導すること、もう諦めたんだ」
「何だと?」
と私は思う。
「お前のはなぁ。完全に愉快犯だ」
「しまった。これは絶対に友達を家に泊めたときの一件が漏れた……」
私はまじまじと生徒指導部長の顔を見つめた。
そこに怒りは読み取れない。いつもきれいな短髪に整えられた精悍な顔は、「穏やかな」としか掲揚できない表情だった。
私はほぞを噛んだ。
「これでは背徳感が台無しじゃん‼」
私は神妙な顔で言った。
「先生。これから頑張りますので、引き続き(ご指導のほど)よろしくお願いします」
だが、その後、私が多少遅れても先生は何も言わなくなった。
それはつまらない日々だった。
やがて、私は時間に余裕をもって登校するようになった。
結果として見ると、生徒指導部側としては指導に成功した案件だ。
だが、私からしたら、青春の楽しみを一つ奪われた気分だった。
社会人となり、当然のように時間を厳守する日々が続いている。
そんな今でも、私の行動の端々には「遊び」を求める傾向が色濃く残っている。
かつて組織にいた頃、「あえて怒られる隙」を作ることが良くあった。
結果として、かえって上司や先輩とかわいがられるような人間関係を築けたことが多かった。
「お前は問題児だが、なぜか嫌われない。それは才能だよな」と呆れ混じりに褒められたこともある。
ルールの境界線を攻めることで、思いがけず良いアイディアを拾い上げたことも一度や二度ではない。
かつての「遅刻の背徳感」は、少なくとも私の主観においては、人生を切り拓く大きな力となってきた。
その後、独立起業し、さらには「住職見習い」という道も歩み始めた。
どちらも独りだ。ルールを破っても、それを指摘し、叱ってくれる人はもういない。
そこで私は気がついた。
「背徳感」とは、他者から叱られるリスクがあって初めて成立するものなのだ、と。
私なりに解釈すると、「背徳感」とは、ルールの逸脱をポジティブなエネルギーへと変換する装置だ。
そのスリルを受け入れる余裕があるとき、人は常識の狭間にある「楽園」、すなわち斬新なアイディアへと辿り着けるのではないだろうか。
思えば、私の遅刻癖という背徳感に対し、生徒指導部長が「指導を諦める」という奇策を繰り出したのも、ある種のクリエイティビティだった。
私が逸脱を楽しむ姿を見て、先生もまた、私にどう「仕返し」をすべきか楽しみながら考え抜いた末の答えだったのではないか。
私の背徳的な姿勢が、相手にさえ、思いもよらないアイディアを降らせる。
これは一つの、幸福な化学変化とも言える。
もちろん、そこには相手を怒らせてしまうリスクが伴う。
背徳感を求めた結果、母に「あんたは人に嫌われるかもしれないという心配をしたことが無いんじゃないの?」と激怒されたことがある。
リスペクトを欠けばただの不遜に成り下がるだろう。
だが、相手を尊重する心を忘れず、共にその境界線を楽しむ余裕さえあれば、背徳感は何か新しいものを生み出す強力なトリガーになる。
「たまらない背徳感」は、人生を変える力を持っている。
あの五秒前のスリルは、今もまだ、私の中で走り続けている。
≪終わり≫
【ライターズプロフィール】
回復呪文は使えない(READINGLIFE編集部ライターズ倶楽部)
「そんなことってある?」という展開で、ある日突然妻の実家のお寺を継がなければならなくなった僧侶見習い。髪はまだある。本業は財務コンサルタントと金融投資業。煩悩の象徴、お金を扱う本業と、煩悩を断つ使命を帯びた僧侶の両立に悩む。
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