もしもタイムスリップが出来たなら《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》
記事:不破 肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「あ?!」
「なんかどっかで……見たことあるよーな」
漫画「代紋(エンブレム)Take2」で主人公の阿久津丈二がタイムトリップした初めてのシーンのセリフだ。
うだつの上がらないチンピラヤクザの阿久津丈二が、鉄砲玉を命じられ敵陣の組事務所に実弾をぶっ放す。だが、すぐに追い詰められドブ川の排水溝に逃げ込む際、自分が打ったピストルの弾が跳ね返って死んでしまう。
しかし、ふと気がつくと10年前にタイムスリップしていた。
タイムスリップする前、大学生の応援団長にボコボコにやられて、応援団の怖さを思い知ったか!と聞かれ、次のような会話が交わされた。
丈二 「わ、わかり……まひた」
応援団長「何が分かったんだよ!」
丈二 「す すみま……へんでした…」「ゆ ゆるして……くら……さい……」
それが10年後、タイムスリップして同じシーンに出くわす。
本人はその時はまだタイムスリップしたとが分からず、夢だと思っている。
だから思い切りがいい。
ボコボコにやられるのは変わらないが、そこからが違う。
「俺達を殺す覚悟はできてんのか⁈」
「今日負けたら明日、明日負けたら明後日」
「ひとりで勝てななきゃ2人、2人で勝てなきゃ3人、負けても負けても勝つまでケンカをし続けるんだ……」
その迫力に押されて、応援団の団長は怯んで謝って帰る。
そこから、丈二の10年前の2回目の人生が始まる。
臆病でうだつが上がらなかったチンピラヤクザから一転、輝かしい伝説のヤクザに生まれ変わっていく。
2回目の人生では、1日目に何が起こるか全て分かっている。
その時、自分が取った行動が後にどのように影響を及ぼすのか全部知っている。
だから、言動や行動が変わる。そうすると周りが変わって人生も変わる。
そうすると、自分が経験をしなかったステージが現れて判断を迫られる。
そういったヤクザ漫画だ。
10年前の自分を考えた時、丈二のようにもう一回あの時代に戻れたらとか、あの時ああしておけば良かったということがたくさんあるのである。
20歳ぐらいの時、10年と聞くとめっちゃ長い年月という感覚があったが、51歳にもなると10年は別段長いという認識が無くなった。それよりも、10年あっという間という感覚の方が強い。でも、あえてこの10年前の自分を振り返って考えてみると、今の自分とは全く別人なのではないかと思うのだ。
当時、創業して5年ぐらいだった。その時、私には夢があった。
一つは会社を大きくして、大金持ちになるという夢。
もう一つは、息子をプロ野球選手にしたいという夢。
この2つを追いかけていた。でもまだひとつも叶っていない。
10年前の自分は。仕事の仕方は兎に角売り上げと利益を上げることばかりを考えていて、手段を選ばす経営をしていた。
だから、社員を採用しても長続きせず、すぐに辞めてしまうようなことを繰り返してそれを人のせいにしていた。そして、人間不信にもなっていたと思う。誰もついてきてくれないという孤独感の渦の中にいたように思う。
もう一つは息子のこと。一緒に野球チームに入り、私はコーチ、息子は選手で毎日朝練をやっていた。そして、息子への期待が大きいがために試合や練習で思い通りの成果が出なかった時は、怒っていた。
「なんであそこでバットを振らへんねん」
「なんでストライクが入らんねん」
朝練も起きてこなかったら怒っていた。
「なんで起きひんねん」
小学生の子供にそんなひどいことをいつも言っていた。
今考えると、ほんとに可愛そうだ。
そんな状態で、夢を追いかけて楽しいか! ってことなんです。
コーチと言っても、「息子のために!」という気持ちが強く、チームのためにやっていたという意識は弱かったと思う。ガツガツしていて、心にゆとりがない。だから、コーチとしても多分他の選手達に慕われていなかった。
それは今だから分かることだけれど、当時自分では分からないことだった。
それでも息子はそんな過酷な環境の中で、文句を言わず一生懸命野球に取り組んだ。
その結果、某東京の強豪高校の野球部に野手で推薦で入ることが出来た。
息子は小学生の時にピッチャーをやっていて、優秀な成績を残していた。しかし、私に気を使って肩や肘の怪我が絶えず、ピッチャーを断念せざるを得なかった。野手になった。
もし、私がもっと息子の気持ちに寄り添って、良好な関係を築けていたなら、
「お父さん、ちょっと肘が張ってる」とか「肩が痛い」と言えたと思う。
そして、中学生の野球チームの選択も変わったかもしれない。
そしたら、ピッチャーを続けられたかもしれない。
そして、夢だったプロ野球選手にもやれたかもしれない。
だから、私は息子に対しては申し訳ない気持ちがずっとある。
このことはおそらく一生後悔することになると思う。
一方、仕事も同じようなスタンスだった。
クライアントのためにというよりは、自分の会社の売り上げや利益を優先に考えていたと思う。
当時、京セラの創業者「稲盛和夫」さんの経営塾「盛和塾」で、経営理念や社長のあり方を学んでいて、実践しているつもりだったが全くもって出来ていなかった。
だいたい、会社を大きくして、大金持ちになるということが夢だから足元が危うい。
もっと売り上げと利益を上げるんだ!といったことばかりにフォーカスして、世の中の役に立つというスタンスが無かったのだと思う。
だから、上っ面な感じで地に足が付いていなかった。
しかし、今も事業を続けられていて16年目を迎えていることは、クライアントを始め協力会社さんやスタッフの皆さんのお陰だと思っている。
ところで、そんなどうしようもない人間が、10年経ってそんな変わることなんてできるはずがない。でも、私は10年前の自分を冷静にこのように客観的に評価することができるようになった。
小阪裕司さんというマーケティングのオーソリティとの出会いから私は変わったと思う。
彼は、商売の基本は「絆作り」にあるということを提唱されていて、その実践方法を「ワクワク系マーケティング実践会」というビジネス教室でノウハウを伝授している。
私はたまたま彼の本を読んで、興味を持ちそのビジネス教室に入会した。そこで、商売はお客様との信頼関係の上に成り立っているということを学び、商売の仕方が売り上げ主体からお客様との関係性構築主体に変わった。
そのことで、仕事をしていて「ミスをしたら売り上げがなくなる」とか「スケジュールを変更したら信用がなくなるのではないか」などということを気にならなくなった。
しかし、起業する前に働いていた会社では、「絆作り」よりもそのようなことが大事とされ、叩き込まれていて、商売イコールギスギスしたもので、ちょっとしたミスで仕事が無くなってしまうという固定観念を植え付けらていた。
だから、起業をしても協力会社様にも社員にもミスをしないように、お客様の機嫌を損なわないようにと伝えていた。だから、仕事が楽しくなかった。
当然、そんなことだから会社自体雰囲気も良くないし、面白くないから、社員も長続きしなかった。
しかし、「絆作り」を仕事の主体に考える行動に変えた時、今までと全く違ったお客様との関係性が出来てきた。
起業してからは特に、いつも「売り上げが無くなったらどうしよう」「お客様に嫌われたらどうしよう」という強迫観念がいつもつきまとっていて、それが私生活にも影響を及ぼしていた。
だから、余裕がなくいつも切羽詰まった感じで息苦しかったが、それから解放されて気持ちにも余裕が出るようになった。
また、その小阪先生のビジネス教室では「シネマセミナー」というものが3ヶ月に1回行われていて、ミニシアターで40名ぐらいで小阪先生が選んだ映画を観るというイベントがあるのだが、そこで映画を観てから、その映画から何を学ぶかという講義が行われる。
2年前、私はそこで「幸せの隠れ家」という映画を観た。
白人家族が、ホームレス同然の黒人の孤児を家族に受け入れて、NFLのスーパープレーヤーに育てるという実話を映画化した内容だった。
サンドラ・ブロック演じる母親代わりの白人が、彼に惜しみのない無償の愛情を注いでぐ。その愛情の注ぎ方が、自分がこうして欲しいとかという気持ちは一切なく、彼がどのようにすれば才能が発揮出来るのか、生き生きと生活が出来るのかということだけを考えて行動する。
それは、一切のエゴがない「エゴレスフリー」と呼ばれる育て方だった。
その映画を観て気が付いた。今までの自分の息子の育て方は「プロ野球選手になって欲しい」というエゴの塊だったんだと。
今、息子は大学生だが私は自分の考えを一切押し付けない。ただ、全力で応援するだけ。
それが、良い親子関係に繋がっていると思う。
もっとも、それまでひどい父親だったのを許してくれている息子に感謝しなければならない。
もしも、代紋TAKE2の阿久津丈二ように、タイムスリップが出来るなら、エゴばかりで生きていた10年前の自分に会って、息子を解放してあげてくれと頼みたい。
そして、仕事も売り上げばかり気にしないで、自分らしく全力で楽しめと伝えたい。
今年に入って、天狼院書店で学生時代に志した夢をもう一度追いかけて、写真やライティングに取り組んでいる。自分が楽しいと思えるジャンルを勉強することはとても有意義な時間だ。
そして、その延長線上で仕事が出来れば最高だと思う。
もしタイムスリップが出来て、学生時代からやり直せたらいいのにと思ってしまう。
だから、10年前よりも昔の大学生時代の自分にも伝えたいことがある。
バブルに流されず、お金を追いかけず、自分のやりたいことをやれと。
今、家族は昔のギスギスした関係から解放されて、仲良く生活が出来ている。
そして、こんなダメ人間が会社を15年も続けられている。
これは、どうしようもない自分を文句ひとつ言わず、公私ともに我慢強く支えてくれた妻のおかげなのだ。
妻がいなければ、今の私はない。
だから、10年前の自分に一番伝えたいことは、奥さんを大事にしろということだ。
◻︎ライタープロフィール
不破 肇 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
日大芸術学部写真学科卒業
学生時代カメラマンを志すも、サラリーマンになる。
現在は広告会社を経営しているが、
50歳となった今頃、昔の志の燻った火が灯り初め生き方を
改めて模索している。
http://tenro-in.com/zemi/102023