週刊READING LIFE vol.54

ある一撃《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》


記事:侑芽成太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ある一撃で狂わされるボクサー人生がある
 
思春期の頃読んでいたボクシング雑誌にあった一文だ。相手の強烈なパンチに負けたボクサーが、その相手と再戦するにあたってのインタビュー記事だったと思う。
 
私はボクサーではないが、自分の過去の人生を思い返す度にこの一文が頭に思い浮かぶ。
 
10年前私は大学4年生だった。地方の大学に通っていた私は東京のIT企業への就職が決まっていた。
憧れの大都会である東京。ずっとそこに住むことが夢だった。
大学受験に失敗後、地方の大学に入学することになった時は自分の人生はこれで終わったと激しく絶望した。田舎の少年だった私にとっては東京に行くことだけが人生の全てだった。東京に行けば人生は変わる。東京に行けば大成功できる。何も知らず具体的な目標も無かった少年の頭にはそんな夢だけがあった。
だから、東京に行けると決まった時には本当に嬉しく神様は必ず自分を見ていてくれるとまで思ったほどだった。
 
私は自分の明るい未来を信じた。その決断が暗闇の人生への始まりとも知らずに……
 
その時の私が知る由も無かったが、東京でのサラリーマン生活は酷かった。未経験で飛び込んだITの世界で自分なりに勉強はしたが仕事にそれをどう活かすのか、それすら掴めぬままほとんどの日々を資料作りで過ごしていた。
何より私が苦しかったのは会社の飲み会の多さだった。
毎月一回は当たり前。その他にも花見やバーベキューの後に飲み会。社員旅行で飲み会。新しい人が現場に入ってくるたびに歓迎の飲み会……
参加費の半分は会社が出していたが、新人の私が参加を断わることはできず給料から強制的に飲み会費が引かれるようなものだった。
 
さらに私を苦しめたのは会社の現状への矛盾だった。
会社の経営状況は厳しいと社員の前で社長自らがそう語った。それにも関わらず「今後も社内イベントは続けていきたい」とも。
冗談ではないと私は思った。そんな状況なのに何故予算を使って飲み会やイベントを続けるのか……
同期の人間と話していても、仕事があまり無いという話は聞こえてきた。
一体自分はどうしたらいいのか、悩みあぐねた私は入社一年にも満たない状況で転職を考えるようになっていた。
 
結果として私は転職し、わずか一年で東京を去り九州に戻った。
その転職にも失敗、流転を重ねて目も当てられないようなボロボロのキャリアで今に至っている。
10年前の未来への希望は大学受験に失敗した時のように絶望に変わった。
今度ばかりは待てば時間が解決してくれるという問題でもない。
 
もしも10年前に就職について別の選択をしていたら……
振り返るとそんな考えが頭に浮かぶ。
私が東京のIT企業に就職を決めたのは東京への憧れもあったが別の理由もあった。多くの企業の採用試験を受けたが全て不合格。友人が次々に就職が決まる中私は焦っていた。季節も既に夏になり「新卒」という自分のブランドを維持するために留年することすら考え始めていた。私は疲れ切っていた。
だからこそ就職が決まるとその後一切の就職活動をやめた。
本音を言えば不安もあった。大学の授業で多少ITのことを学んでいたが、私には難しい内容だと感じていた。就職先は「研修充実・未経験歓迎」と謳っていたが、本当にそうなのか、自分が付いていけるのか不安があった。
だがそんな不安より、果てしなく続いたお祈りメールに疲れ果て、やっと解放された開放感のほうが上回っていた。
 
大丈夫! 何とかなる!
そう信じた、信じようとした。
 
今ならわかる。10年前の僕はもっともっと人生を考えなければならなかった。
それは一概に何が良い悪いと判断できることではないのかもしれない。何をすれば確実だったというものもない。
就職先がどういう会社なのか、究極的には入社してみない限りは確実なことはわからない。考えても考えても確かな「正解」というものは無かったかもしれない。
 
だけど就職が決まったからと言ってそこで就職活動をやめずに、もっと色々な会社を見て回ることだってできたはずだ。一社受かったということを自信にして。そうしたらもっと続けられる会社に出会えていた可能性もある。
東京にだって、転勤のある会社を選べばいつかは行ける可能性もあった。そういう視点が僕には無かった。
 
仕事で大切なのは継続していくことだ。
それには「自分が何故その会社を選んだのか」という強い動機が必要だ。僕にはそれが無かった。僕にあったのはただ一つ「東京に行ける」という気持ちだけだ。そこにはそれ以上の展望は無かった。
働く前から僕は完結してしまっていた。
そんな気持ちだったから折れるのは簡単だったのだ。
10年前の私へ、そのまま東京に行けば君は簡単に折れる。
 
もう一つ思うことがある。当時の私は閉鎖的だった。
大学に友人はいたが、社会人となって見知らぬ土地で友人を作れる勇気が無かった。
友人は同じ大学のクラスにいたからできたもので、学校という枠組みから離れた時に友人をどう作ったらいいのか私にはまったくわからなかった。
その結果、会社に同期はいたが休日に一緒に遊ぶといった信頼関係を築けなかった。東京にいる時に新しい友人を一人も作ることは出来なかった。
休日は常に一人。どこに行くにも一人。話し相手もいないまま過ごす日々に、会社の矛盾への葛藤もあって私の心は擦り切れていた。
もしも新しい友人を作ろうとする努力をしていたならば……
友人を作るために通う場所が東京にできただろう。友人と語り合うことでストレスを軽減させることもできただろう。東京で大切な場所もできただろう。その結果東京で働き続けることができたかもしれない。
そんな様々な可能性が思い浮かぶ。
 
これらは決して妄想だけの出来事ではない。今の私が出来ていることだ。私にも友人を作ろうと踏み出す勇気があった。閉鎖的な自分を突き破ることはできたのだ。
だから尚更10年前の閉鎖的な自分が悔しい。
10年前の私へ、君には友人を作れる勇気がある。
 
10年前、東京に行くという選択は結果として私のその後の人生を歪めてしまった。そうさせてしまったのは自分自身なのだがその結果得られたこともあった。
別れてしまったが九州で恋人と過ごした時間もあった。九州にいなければ会えなかっただろうたくさんの人たちに出会えた。天狼院書店に出会って文章を掲載してもらえる喜びを経験させて頂いたこともあるし、応援しているシンガーソングライターに出会ったのも九州にいたからだ。
そして、この世界で一番大切な姪っ子が生まれ、その子に気楽に会いに行けるのも九州にいたからだ。
 
もし未だに東京に居続けていたらどうなっていただろう?
また別の出会いはあっただろうが、今自分が得たたくさんの出会いと体験とどちらが良かったのだろうか?
人生とはわからないものだ。
ただ、いずれにしても九州で得た出会いも自分から積極的に動き出そうという気持ちがあったからこそだ。
それが無かったら今でも私は休日に行く場所も話す相手もおらず一人で居続けていただろう。
 
10年前の自分へ。
自分のことをそんなに悪く思わなくてもいい。10年後の君はボロボロだ。相変わらず毎日不安とストレスに怯える日々を過ごしている。しかも、君自身が飛び出したいと願っていた地方の街でだ。
君が今の私を見たらどう思うだろうね?
情けない、根性なし、大馬鹿野郎……
君はきっと私を責めるだろうな。自分のことだからよくわかる。
だからそうならないように今の私が感じたことを君に伝えておきたい。
 
君は自分が思っているほど駄目な人間ではない。確かに要領も悪く不器用だ。これからも永遠にそのことに苦しんでいくだろう。
だけど、どんなに苦境に追いやられても「何としても生きてやる」という気持ちが君の中には確かにあるんだ。
君は仕事を失えばそれで人生が終わりだと思っているのだろう?
だからどれだけ落選しても就職活動を続けたし、その結果合格することができた。
その事実は君が思っているより何倍も凄いことなんだ。それができるということは決して当たり前ではないのだよ。
そして、君だって立派に女性と付き合うことだってできるんだ。君は自分のことをそんな運命からは程遠い存在だと思っているようだがそんなことはない。
自分から勇気を出せばいい。大げさなことは何もない。ただそれさえできればそれでいいんだ。付き合う時も別れる時もね。
そして、古風な君のことだからその頃出始めたばかりのSNSなど君はやらないだろう。
だけど、新しいことはどんどんやってみるべきだ。君は「自分のキャラじゃない」と言うだろうな。だが、その自分への決めつけが結果的に君の人生の幅を狭めてしまうんだ。使いこなせればたくさんの情報が得られる。もし東京で使えば、きっと新たな出会いをたくさん見つけられるだろう。
そして、仕事だが……
残念ながら就職した会社での日々はどうやってもどうにもならない問題だ。何故なら、その会社は私が退職した数年後に倒産してしまったのだから。
こればかりは君がどういう選択をしたらよかったのか、良いアドバイスをすることができない。就職が決まった君の喜びを今の私も忘れてはいないのだから。
一つ言えるのは、今も私は生き続けている。何度も死ぬかもしれない、死んだ方がましだという辛い思いをいくつもした。
10年前の君はこう思うだろうな。「弱い自分がそんな思いに耐えて生きているはずがない」と。
だが現に私はこうして生きている。
君は本当に、本当に君が思っているほど弱くはないんだ。
 
ある一撃で狂わされるボクサー人生がある
 
私にとって、自分の人生が流転の道を重ねることになったのは東京に就職するという決断だった。結果、未だに家庭も持てず裕福にもなれない人生を過ごすことになった。
それでも信じたい。そんな人生の中で経験したことに無駄なことなどないのだと。
何より自分は自分が思うほど駄目な人間ではないのだということを。
 
それは10年の歳月を経た今だからわかったことかもしれないが、10年前の自分に私がどうしても伝えたいことはそのことだった。
果たして次の10年後の私は今の私に何かを伝えることができるだろうか……

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
侑芽成太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

ゆうがせいたろう。
サラリーマン生活を送る一方、煮え切らない日々の中で天狼院書店に出会う。だけどやっぱり煮え切らずに悩むこと一年。やっとゼミに通いだす。
東京に残っていたとしても、いつしかは天狼院に出会っていたかもしれません。だけど、その出会いは今のようにゼミを受けてみようとかそうした熱を持ったものになっていたかどうかはわかりません。今までたどってきた経緯があったから「書くこと」をやってみようと思った。わたしはそのように感じております。
ライティングゼミを経てライターズクラブを受講中。

http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-10-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.54

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