33歳女子が当然知っておくべき事実に気づいていなかった私へ《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》
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記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
10年前の自分へ、言いたいことは、ひとつしかない。
「卵子の老化を甘くみるな」
10年前、33歳だった自分の無知を、その後数年に渡って、どれだけ後悔したか分からない。
当時、結婚3年目だった私たち夫婦はDINKs (double income no kids)生活を謳歌していた。平日はお互い忙しく働き、週末はふたりして出かけた。好きなものを食べ、好きな映画を観て、自由気ままに過ごしていた。何の不満もない生活だったが、私にはひとつだけ、気がかりなことがあった。
それが、子どものことだ。
夫も私も「いずれは子どもを」と思っていたが、「すぐに」とは考えていなかった。
会社の先輩や同僚が子どもを預けて働く姿を見て、その多忙ぶりと疲弊ぶりに恐れをなしていた。電車の中で遭遇する、泣きじゃくる赤ちゃんをあやす母親に、じっと座っていられない子どもに手を焼いて叱りつける母親に、自分自身を置き換えてみることができなかった。夫婦ふたりだけの、縛られない快適な生活を、手放す勇気がなかった。
「子どものいる人生」を思い描くことができなかった。
ところが、自分の年齢が35歳に近づいてきたある日、何気なく立ち読みしていた雑誌から「高齢出産」「35歳」という単語だけが、突然くっきりと目に飛び込んできた。くわしく記事を読む勇気もなく、足早に書店を後にしながら、頭の中では「もうすぐ35歳になっちゃう。高齢出産になっちゃう。早く子どもを産まなきゃ」という思いだけが、ぐるぐると回っていた。
妊娠することを、至上命題に掲げた私は、基礎体温を測ることから始めた。しかし、元々月経不順の私の基礎体温はガタガタで、基礎体温から排卵日を特定するのは不可能だった。私は早々に自己流の妊活に見切りをつけ、専門家を頼ることに決めた。
それまで、産婦人科にはほとんど縁がない生活を送っていた私が、病院を訪れて、まず驚かされたのが、患者の多さと、待ち時間の長さだ。待合室に入りきらないひとが、廊下に立って待っていた。午前中だけ会社を休めばいいやと、半休だけとって病院に行った私は、丸一日休むことを余儀なくされた。
初めて訪れた私は知らなかったが、その病院がそれほど混みあっていたのには、特別な理由があったのだ。というのも、その病院は不妊治療に力を入れている病院だったからだ。家からいちばん近い産婦人科という認識で受診していた私は、問診票の紙に踊る「人工授精」「体外受精」という文字を、なんとなく意味は分かるけど、正確に理解することはできない中国語を見ているような気持ちで、追うしかなかった。主治医となった院長は、40代のおだやかな女性で、ゆっくりと丁寧に話をしてくれた。
「排卵が安定していないので、排卵誘発剤で排卵をコントロールすることから始めましょう」
主治医の方針に従い、排卵誘発剤を服用して何周期か自然妊娠を目指したが、結果はついてこなかった。
35歳までのカウントダウンが始まっていた私には、悠長にコウノトリの訪れを待つ、こころの余裕はなかったので、すぐに次の段階へ進むことを決意した。
「先生、自然妊娠はあきらめます。本格的な不妊治療をお願いします」
「分かりました。しかし、まずは検査をして自然妊娠が可能なのかどうか、調べてみましょう。検査の結果を見て、どんな治療をするのかを、決めていきます」
それからは、さまざまな検査をした。
採血によるホルモン検査、超音波を使った子宮の状態検査、子宮に造影剤を注入して行う卵管造影検査など、痛みを伴うものもあれば、あっという間に終わるものもあった。
一通りの検査が終わった後、主治医から提案があった。
「不妊の原因は、女性だけにあるわけではなく、男性側にある場合もあります。ご主人の検査もしましょう」
産婦人科に行って検査することを、渋るかと思っていた夫は、予想に反して「分かった。明日行く」と、38度の熱があっても休まない会社を休み、翌日受診した。
そのとき初めて、夫も子どもをこころから望んでいるのだという事実に、私は気づかされた。
そして数日後、夫婦そろって院長室の椅子に座り、主治医から説明を受けた。
「奥さん、ご主人共に、これといって大きな不妊の原因は見つかりませんでした。考えられるのは『卵子の老化』ですね」
……卵子の老化?
パソコンのディスプレイに映し出された、20歳から45歳までの妊娠率を比べた棒グラフを見つめながら、「卵子の老化」という初めて聞く言葉が発する響きで、私の頭の中はぐわんぐわん揺り動かされていた。
「卵子は、年齢と共に老化し、数が減るだけでなく、受精しにくくなります。また、加齢と共に染色体異常を持つ卵子が増えることも分かっています。そのために、女性の年齢が高くなればなるほど、妊娠することが難しくなってしまうのです」
……そんなこと、今まで学校でも家でも、誰も教えてくれなかった。
……そんなこと、知っていたら、妊娠を先延ばしになんかしなかった。
「知らない」ということが、取り返しのつかない事態を招くことは、それまでだって経験してきた。
だけど、こんなにも激しく、こんなにも苦しく、自分の無知を後悔する場面に出くわすなんて。
自分の過失を棚にあげて、神さまに悪態をつきたい気分だった。
「いじわるな神さま、一度でいいから時計の針を戻してくれよ」と。
神さまは、時計の針を戻してはくれなかった。
しかし、自分にすがりつく私たち夫婦を「この愚か者め」と、ばっさり切り捨てることもしなかった。
その証拠に、現在6歳になる娘を授けてくれた。夫を父親に、私を母親にしてくれた。
不妊治療は目隠しをして進む、マラソンのようなものだ。
短距離走のように、全速力で駆け抜けることはむずかしい。
途中、足を痛めて休憩することもあるかもしれないし、完走をあきらめて、ゴール手前で途中棄権することもあるだろう。走りきったその先に、目指す「ゴール」があるのか、誰も知ることができない。
女性の生理周期に合わせて通院日が指示される不妊治療では、ホルモンの数値や子宮の状態を診て通院日が決められる。「明日の午後来てください」「明後日の午前中来てください」と言われれば、それに従うしかない。選択の余地はないのだ。これは仕事を持つ女性には、かなりのストレスをもたらす。私も勤務先の上司に「体調が急にわるくなって」「実家で法事があって」など、下手な言いわけを重ねては、病院に通う日々を送った。
しかし、そんな綱渡りのような生活は、私から平衡感覚を奪い、後ろめたさと焦りを植え付けた。
「今回は、残念ながら、卵に力がなかったのかもしれませんね」
初めての体外受精は失敗に終わった。
と同時に、私の世界は「不妊治療」一色になった。
仕事を辞め、治療に専念した。スポーツジムに通って運動し、家にいる時は腹巻と靴下の重ね履きで、冷えから体を守った。大好きなコーヒーをやめ、ノンカフェインで妊婦でも飲めるとされる、ルイボスティーを飲み始めた。妊活にはパイナップルがいいと聞けばパイナップルを、毎日食べた。ざくろジュースがいいと言われれば、ざくろジュースを大量に買い込んだ。
「残念ながら、赤ちゃんの心臓、止まってしまいましたね」
2回目の体外受精は成功したが、妊娠9週で流産した。
と同時に、私の世界は「もうだめかも」一色になった。
子宮内容除去術を受けた後、麻酔が切れる過程で、嘔吐しながらジェットコースターに乗っているような気持ち悪さに襲われた。自分の目の前の闇が更に広く、濃くなっていくのを感じた。
仕事もできず、ホルモンの値が戻るまで不妊治療を再開することも叶わない状況に、不安は増すばかりだった。
「卵子の老化を、もっと早く知っていたら……」
同じセリフを、何度こころのなかで吐いては、ため息をついたことだろう。
学校の先生でも、親でも、神さまのせいでもない。「子どもを産む」ことに真剣に向き合わなかった自分が招いた事態だ。私にできることは、「もうだめかも」から逃れるように、体のコンディションを整え、女性の体について、不妊治療について、必死に勉強することだけだった。
「おめでとうございます。元気な女の子の赤ちゃんですよ」
3回目の体外受精で、娘を出産することができた。
分娩台の上で、しわくちゃな娘と対面した瞬間、長い道のりの先にあった、ゴールテープが見えた。
私の目と、こころを覆っていた「目隠し」が外れ、代わりに自然と涙があふれた。
「生まれてきてくれてありがとう」
目を離したら消えてしまうのではないかと思うほど、小さな命に向かって、繰り返し、新米母の想いを伝えた。
10年前の33歳だった私に言いたい。
「卵子の老化を甘くみるな」
幸運にも私たち夫婦は、娘を授かることができた。
しかし、いまでも「卵子の老化」という事実に気づいていなかった、10年前の自分を責めたくなるときがある。
きょうだいで仲良く遊ぶ友だちを見ているときの、娘のさみしそうな横顔が、私の胸をしめつけるときがある。
娘が1歳になるのを待って、ふたり目の治療を再開したが、当時住んでいた岩手県から娘を抱っこして新幹線に乗り、東京の病院まで通う生活は、半年しかもたなかった。
10年前の33歳だった私に、言いたい。
「卵子の老化を甘くみるな」
どんなに見た目を若作りしようとも、どんなに精神年齢が実年齢に追いついていなくとも、体は確実に年をとっている。体の中にある「卵子」という命のバトンは日一日と、老化している。
美容整形で見た目の若さを保つことはできても、卵子を若返らせることは、できないのだ。
女性が妊娠できる期間には、適した時期があることを、女性も男性も、もっと知らなくてはならない。
不妊治療によって、仕事を休まざるを得ない社員に、企業はもっと理解を示して欲しい。
そして、「卵子の老化」という事実を、子どものうちから、もっと教育していく必要がある。
私のように、自分の無知を後悔する女性が、これ以上増えないために。
10年前の「子どものいる人生」を思い描くことができずにいた私に、これも言っておきたい。
「子どものいる人生って、最高だよ」
◻︎ライタープロフィール
井村ゆう子 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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