週刊READING LIFE vol.60

山を登ると決めた新米母が考える子育て論《週刊READING LIFE Vol.60 2020年からの「子育て」論》


記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「どうして泣き止んでくれないの? ママに何か恨みでもあるわけ?」
 
手足をばたつかせながら泣き続ける、生後3ヶ月の娘に向かって、私は大声で怒鳴り散らした。おむつは替えた。おっぱいも飲ませた。抱っこして家中を何時間も歩き回った。それでも、娘はこの世の終わりとばかりに泣き続ける。娘の泣き声が、母である私を追いつめていく……。窓を閉め切った部屋で、私は両手で耳をふさいで、目を閉じた。頭の中では、同じセリフが何度となく繰り返されていた。
「いつまで続くの、この地獄は……」
 
「子どもはあっという間に大きくなるよ。今の悩みや苦労なんて、いつか終わるから、大丈夫」
先輩ママや、子育て支援センターの先生に相談すると、そんな答えが返ってきた。いったんは、もらったアドバイスに希望を見出した。しかし、再びいつまでも泣き止まない娘とふたりきりになると「いつかじゃなくて、今すぐに終わって欲しいの!」と心の中で叫ばずにいられなかった。
 
乳幼児期の子育ては、毎日が戦いの連続で息つくひまがない。食べさせ、着替えさせ、寝かせるという仕事が待ったなしで、次から次へとやってくる。だから、子どもがいつかは、ひとりで食べることも、着替えることも、寝ることもできるようになる日が来るという事実に、なかなか思い至らないのだ。
 
娘が6歳に成長した今、先輩ママや先生の話は本当だったと、納得することができる。
2,400グラムほどで生まれた小さな体は、20キログラムに増え、抱っこするのも限界に近い。
今なら、生後3ヶ月の赤ちゃんが、いつまでも泣き続けるわけがないことを、よく知っている。
もし今、新米ママさんに相談されたら、私は自信をもって答えるだろう。
「大丈夫、今の苦労は、いつかは終わるから」
と同時に、私は付け加えるだろう。
「でもね、子どもが大きくなればなったで、別の苦労や悩みがやってくるよ。子育てって、終わりなき戦いだから」と。

 

 

 

来年の春に小学生となる、ひとり娘を育てる私も、親としてはまだまだ新米の部類だろう。成人した子どもを持つ大先輩からは、子育ての「こ」の字もまだ終わっていないぞ、と言われるかもしれない。
そんな私が、子育てについて語れることが、はたしてあるのだろうか? 今回、『2020年からの「子育て」論』というテーマで記事を書こうとしたとき、はじめに感じたのは、そんな疑問だった。
そこで、私は改めて考えてみた。今の自分が「子育て」に対してどう感じ、これから、どう向き合っていこうとしているのかを。
 
親として過ごした6年間で得た実感としては「子育ては、次から次へと襲ってくる苦労や悩みとの、終わりなき戦いだ」と言うことができる。しかし、それだけではないことに、今回気がついた。
私の中には、子育てに対して「終わりがない」と感じている自分とは別に、「突然終わるかもしれない」と、常に意識している自分もいたのだ。
なぜ、ふたりの私が共存しているのか。それには、私の父親の存在が関係している。
 
「いってきます」
 
そう言って出かけた父が、冷たくなって戻ってきたのは、私が中学1年生のときのことだ。夏山で滑落し、父の人生は突然幕を閉じた。
平日は、夜遅くまで会社で働き、休日と言えば、仲間と連れ立って山登りばかりしていた父親との思い出は、正直言って多くはない。私が小さな子どもだったころの写真にも、あまり父親は登場しない。古い記憶の中で、私を叱るのも、ほめてくれるのも、宿題をみてくれるのも、ほとんどが母だ。
そんな中、今でも鮮明に覚えている、父とふたりだけの時間がある。
 
父が亡くなるちょうど1年前、私が小学6年生の夏休みのことだ。
夏休みが半分以上終わっても、自由研究のテーマさえ決まっていなかった私は、母に泣きついた。
「どうしよう。自由研究、間に合わないかもしれない。何かテーマを考えてよ」
すると、珍しくはやく帰宅し、家族と同じ食卓についていた父が、口を開いた。
「今度の日曜日、ご来光を見に、いっしょに山へ行こう」
 
数日後、標高1,900mあまりの山の真っ暗な道を、父の背中を頼りに、私は登った。この日のために、父が選んでくれた登山靴が、夜露で滑りそうになる足をしっかりと守ってくれた。普段から口数の少なかった父は、ときどき立ち止まり、後ろを振り返っては、私が追いつくのを確認すると、黙って再び歩き出した。
山頂にたどり着いた父と私は、東を向いて立ち、朝日が姿を現すのを、じっと待った。
数分後、目の前の空が徐々に白んでいき、一面に広がる雲海をかき分けるように、太陽のひかりがひとすじ、またひとすじと、目に飛び込んできた。父の隣で、私は生まれて初めてのご来光を拝んだ。
 
あのとき父が、宿題を手伝う目的で、私を山へ誘ったのか、それとも、何かを私に教えようとして、山へ連れていったのか、本当のところは分からない。もしかしたら、山好きの父の、単なる気まぐれだったのかもしれないし、普段いっしょにいる時間の少ない子どもへの、罪滅ぼしの気持ちからだったのかもしれない。
 
ただひとつだけ、はっきりしていることがある。
それは、一年後に自分が突然この世を去ることを、この時の父は、知らなかったということだ。
娘である私と、ふたりだけで山に登る機会が、二度と訪れないということを、予想していなかったはずだ。
私が中学生、高校生、大学生を経て社会人となっていく姿を、見届けるつもりでいたはずだ。
まだまだ、娘である私に伝えたいことが、きっとあったはずだ。
 
ちょうどあの時の父と同じ年齢となった私には、よく分かる。
父は、まだまだ続くはずだった「子育て」が、突然強制終了してしまうことを、想像していなかったに違いない。
 
父との別れがなかったら、私は子育て対して「終わりなき戦い」という認識しかもっていなかったと思う。赤ちゃんが、いつかは泣き止み、自分で歩き出し、字が読めるようになると知った今も、親としての悩みや苦労に終わりはないのだ、とだけ思い続けていただろう。しかし私は、親の意思とは無関係に、子育てが突然終わってしまうことがある、という事実を知っている。
 
子育てがいつ終わるのか。その決定権を持っているのは、はじめから親ではないのかもしれない。
父のように、自分の死によって、突然終わるという場合もある。それだけでなく、親はまだまだ子どもに伝えたいことがあったとしても、子どもが親に対して、もう充分ですとばかりに、領収書を切ってくるかもしれない。
 
そして、もうひとつの可能性も、私は無視することができない。不幸にも子どもの死によって、子育てが突然終わってしまうという可能性だ。
私の姉は28歳で病に倒れ、この世を去った。母は今でも時おり口にする。「もっと、やってやれることがあったはずなのに」「もっと、話したいことがあったのに」と。
 
親に必要なのは、自分の子育てがいつまで続くのか、いつ終わりを迎えるのかは分からない、ということを、常に頭の片隅に入れておくことなのだと、私には思えて仕方がない。
もちろん、いつも「明日死ぬかもしれない」と意識して、悲観的になる必要はないし、そのようなことは精神衛生上もよろしくない。「親として、今の自分にできることを、全部やらなければ」と思い詰めるのも、非常にしんどいし、現実的ではない。
ただ、親として私たちは、子育てが「終わりなき戦い」ではないということを、知っておくことが大事なのではないだろうか。突然終わっても後悔しないように、目の前の子育てに真剣に向き合おうとするかしないか、そこには大きな違いがあるはずだ。少なくとも私は、そう信じている。
 
子育ては、山登りと同じだ。
まだ見ぬ頂上に向かって、一歩一歩足を前へ進めるしかない。疲れたら休み、のどが乾いたら水を飲み、迷ったら地図を見る。隣を歩くパートナーに速度を合わせ、すれ違う山仲間と声をかけあう。
突然の嵐に襲われて、登頂を断念することもあると覚悟しながら、頂きを目指して、目の前の道を、進んでいくしかない。
 
情報社会が発達して、どんなに便利な世の中になろうとも、子育ての本質は変わらないと、私は思う。
よそ見せず、山道を登っていくように、「目の前の子育てに真剣に向き合う」それしかない。
 
私は、山を見ると安心する。
山に囲まれた土地で生まれ育ったからなのかもしれないが、山を見る度に、父と見たご来光のひかりを思い出すのも、事実だ。山を見る度に、父がとなりにいてくれるような気がするのも、本当だ。
父に育てられたのだということを、山が私に教えてくれる。
父は、私を山に連れて行ったとき、自分の子育てが1年後に強制終了することは知らなかった。
でも、きっとあの時、父は親として、娘の私に真剣に向き合ってくれていたのだと、私は確信している。
 
父が死んでから、私は一度も山に登っていない。
2020年、娘は小学1年生に、2025年、小学6年生になる。
その間に、私は娘を連れて、山に登りたいと思う。
山の頂上に立ち、インターネットで検索しても絶対に出てこない、父との思い出を、話して聞かせたいと思う。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
井村ゆう子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
天狼院メディアグランプリ30th season総合優勝。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。


2019-12-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.60

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