週刊READING LIFE Vol,96

「はい、よろこんで!!」仕事上達の鍵はYesマン思考にあり《週刊 READING LIFE vol,96 仕事に使える特選ツール》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
仕事をする時に必要な物。
ある人は、iPad(アイパッド)などのハイテク電子機器。
ある人は、ちょっと高級な万年筆などのアナログ文房具。
またある人は、とっておきのコーヒー豆で淹れたコーヒーなどの飲食物。
それぞれに、外せない物がある。
私が仕事に使うのは、持ち運びに便利なノートパソコン、レコーダーとしても使えるスマートフォン、使い込んだ一眼レフカメラと、ごく一般的な物。
そこにもう一つ、付け加えるとしたら。
「元気な居酒屋の店員さん」
と、私は答える。
実際に、人間を連れて行くわけではない。店員さんは、私の頭の中に居る。
そう、空想の存在、「イマジナリー店員さん」なのだ。
生まれた時から存在したわけではない。その人は、突然、私の中に舞い降りたのだ。
 
「無理、そんなの私にはできない!」
二十代前半ごろまでの私の口癖だった。私は、幼少期からとにかく、自己肯定感が低く、自分を卑下してばかりいた。
数学ができない。
ダンスのステップが軽やかに踏めない。
かわいく自然な笑顔を作ることができない。
自分から友達を作ることができない。
できないことばかり。
いつも一歩引いた所から自分を観察していて、「私は○○の素質がない、だからできない」と、早々に自分の中で見限って逃げていた。はじめは、努力したらいいかと思ったが、ちっぽけなプライドも邪魔をした。失敗すること、周りから「なぜできないの!」と嘲笑されることを恐れ、挑む勇気も失ってしまっていた。
できることだけを、コツコツ行えばいい。私にいくつかできないことがあっても、それを得意な、別の誰かが代わりにしてくれる。
ネガティブな方向に、自分をはげましながら大人になってしまった。
大人になった私は、編集社で働くことになった。
読書が好きで、書くという仕事に憧れて。でも、できっこないと諦めていた。でもダメ元で、一念発起して飛び込むと、重厚だと思っていた扉が開かれたのだ。
「なぜ、実務経験のない私を採ってくださったのですか?」
入社して、半年ほど経ってからやっと、面接官をしていた部長に聞くことができた。
「あれ、言わなかったっけ? 面接した時熱意を感じたってみんな言ってたから。それと、俺的に、決め手はカメラだな」
「カメラ?」
私は首を傾げた。
「履歴書の趣味の所に、カメラって書いてたでしょ? 若い女の子でカメラ扱える人って貴重なんだよね。だから、こりゃ使えるぞ! って採ったんだよ」
「はぁ、なるほど?」
ニヤリと笑う部長の顔を見つめながら、私はぼんやりとした顔でうなずいた。
何でもとりあえず書いてみるものだな、その時の私は軽く思った。
入社して、一年ほど経ったある秋の日。
広報部のA先輩が、慌てた様子で部長の隣に来た。
「部長、今度の取材、カメラマンを外注できませんか?」
「え、Bカメラマンがうちにはいるでしょう。彼女に頼めないの?」
弊社には、専属のカメラマンが一人常駐している。撮影の多くは彼女に依頼するのが通常の流れだった。部長の言葉に、A先輩が眉を下げる。
「それが、他の業務でスケジュールが抑えてあって、依頼ができないんです」
「なるほどね。だけど、経費的にもスケジュール的にも外注は難しいんだよね」
「どうしましょう。取材の予約を、先方にもうしてしまったんです」
大変だなぁ、と、上司たちの言葉に耳を傾けながら、私は部長の隣でのんきにキーボードを叩いて、自分の原稿を書いていた。
ふと、部長の視線がこちらを向いた。
「あぁ、いるじゃん、カメラマン! ここに」
部長がクイッと、広い背中越しに親指を私の方に向けた。
「え?」
私と、A先輩が同時に声を出す。部長がニヤリと口端を上げて、私を見ながらいたずらっぽく笑う。
「このこ、立派なカメラ持ってるよ。連れて行きなさい」
「ま、待ってください!?」
私は、思わず椅子を蹴るようにして立ち上がった。確かに、取材で自分のカメラを使って仕事用の写真を撮影したことはある。だが、それはWEB記事や、SNSなどに使うための人物や風景のスナップ写真だった。雑誌に載るような、きちんとした写真など撮ったことはない。
 
無理だ、できない。
プロカメラマンでもないし、専門機関で学んだわけではない、カメラ好きのただの素人だ。
そんな私の写真を使うなんて、無謀過ぎる。
 
私は、懸命に首を横に振った。
「部長、無理です! 私にはできません!!」
部長は、ケロッとした顔で、自分の椅子の背に、もたれかかる。
「何言ってんの、そのために採ったんだから、がんばんなさい。何事も、経験、経験!」
私の肩を、部長が肉厚の手で力強く叩く。A先輩は満面の笑みで私を見つめる。
「良かった~、ほんと助かるよ。当日よろしくね!」
上機嫌の二人の顔を呆然と見つめながら、私はふにゃふにゃと椅子の上に腰を降ろした。
 
完全に退路を絶たれてしまった。
いつものように、逃げおおせることはできない。
何が何でも、やり遂げるしかないのだ。
 
今回の撮影対象は、水炊き。博多名物の、鶏出汁の白濁スープで野菜や鶏肉を煮込んだ鍋料理だ。
慌てて、雑誌やWEBから、プロカメラマンが撮影した水炊きの画像を集め、食い入るように見つめる。そして、撮影テクニックのWEBサイトで見つけた鍋物の撮影の項目。
 
鍋物が美味しそうに見えるかどうかは、湯気にかかっているということ。熱々で、おいしそうな匂いが伝わるような。写真を見た人は、そんな雰囲気を、湯気で想像するのだという。
 
湯気なんて、撮ったことない!
 
WEB記事を映し出した、スマートフォンを持つ手が震える。
 
無理だ、終わった。
 
静かに目を閉じる。
だが、目を閉じれば浮かぶのは、A先輩の心底安心したような笑顔と、なぜか自身満々の部長のニヒルな笑顔。私を信頼してくれて、仕事を任せてくれる人がいる。緊張と恐怖で、白くなった手でスマートフォンをぎゅっと握りしめる。
 
何が何でもやるしかない。私のできることを尽くして、みんなのために返すのだ。
 
いつまでも逃げていいはずない。
自分の殻を破る時がきたのだ。
こうなったら、思い込むのだ。私はできるやつだと。
カラ元気でもいい。元気よく、首を横に振ってみんなの期待に応えるのだ。
 
「はい、よろこんで!!」
 
頭の中に、居酒屋で見た光景が浮かぶ。そうだ、Yesマンになろう。どんなに忙しくても疲れていても、お客さんのオーダーに笑顔ではつらつと応える「元気な居酒屋の店員さん」に成りきって、難関を突破するのだ!
 
私は、自宅へ帰り、夕飯をかきこむように食べた。カメラを持って台所へ向かう。鍋に水をひたひたに入れ、火をかけた。
しばらくすると、水が沸騰し、鍋の蓋をカタカタと揺らす。サッと、蓋を取ると、グラグラ煮えるお湯の上、白い湯気がもわっと立ち上った。
すぐさま、カメラをかまえ、シャッターを切りまくる。
湯気はあっという間に、台所の空気に混ざって消えてしまった。
撮影した写真を確認する。納得のいく湯気は撮れていなかった。
「これじゃ、ダメだ。もう一回!」
鍋の蓋を閉じる。
その動作を何十回と繰り返す。
シャッターのスピード、部屋の温度、蓋を開けるタイミング、理想の湯気が立っていられる耐久時間。
さまざまな条件を試し、データを取る。プロの技術を懸命に思い出す。イメージを思い浮かべて、近づけていく。
夜の台所に、鍋蓋が踊る音と、シャッターの軽やかな音が響いた。
 
「取材でうかがいました、出版社のAです、本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします!」
水炊き専門店ののれんをくぐり、にこやかにおじぎするA先輩。その後ろから、緊張でガチガチの私が後に続く。私はまるで、武道の稽古を受けに来たような顔で、女将さんにおじぎする。
「いらっしゃいませ。こちらのお部屋にどうぞ」
穏やかな笑顔で女将さんが部屋に案内してくれた。手入れの行き届いた上品な和室に足を踏み入れる。木の上質なテーブルの上に置かれた物を見つけ、私はゴクリと喉を鳴らした。コンロの上に、かわいらしい土鍋を見て声が震える。
「……水炊きだ」
立ち尽くす私を見て、先輩が苦笑いする。
「何か手伝えることある? 遠慮なく言ってね」
先輩の言葉にハッとする。そうだ、ここはもう戦場なのだ。何としても、理想の水炊きを仕留めなければならない。私はキリリとした顔で、先輩にうなずく。
「先輩、冷房をつけて、室温を下げてください。そうしたら、湯気がくっきりと写りやすくなります」
「なるほどね、わかった!」
先輩が冷房を調節していると、女将さんが撮影用の追加具材を持って来てくれた。
「あらかじめ、煮ておきましたので、もう召し上がっていただけますよ」
「はい、ありがとうございます!」
先輩と元気よくうなずく。私は立ち上がり、鍋と道具、具材を配置して、ファインダー越しに確認し、位置を調節する。
少しだけ、コンロのつまみをいじり、強火にする。
あまり強火にすると、スープが煮え上がって水分が蒸発し、具材も干からびてしまうのだ。
自宅のように、何度も繰り返すことはできない。
熱々の料理の撮影は時間勝負。
おいしい瞬間を仕留めるのだ。
鍋蓋がカタリと鳴った。
瞬間、私と先輩に緊張が走る。私は、脇を締め、カメラを構えた。
「先輩、今です、蓋を開けてください!」
「はいっ!」
先輩が素早く、蓋を開ける。
もわっと、大きな湯気が立ち上がる。数秒後に湯気がやわらかくなった瞬間、私は目をギラリと光らせた。
 
今だ!
 
カシャカシャカシャカシャ
 
静かな和室に、シャッターの軽やかな音が響く。
「先輩、蓋を閉じてください!」
「はいっ!」
私の合図に、先輩が土鍋の蓋を素早く閉じる。
私はサッと先輩の隣に腰を降ろし、カメラの後ろの液晶を見せる。ボタンを押し、撮影したばかりの写真を確認してもらう。
「どうでしょう?」
「もうちょっと、アングルをこっちに寄りめで」
「わかりました! では、もう一回」
「はいっ!」
 
「どうでしょう?」
「この角度で、次は全体を」
「わかりました! では、もう一回」
「はいっ!」
 
ぶつかり稽古のような勇ましさで、同じ動作を共同作業で繰り返す。
 
「よし、いいね! これでいこう!!」
「はい、ありがとうございます!!」
 
A先輩が、画面から顔を上げ、私にニッコリと笑いかけた。私は、カメラを握ったまま、崩れるようにして畳の上に座り込んだ。
「さ、お腹空いたでしょ、たくさん食べてね!」
「……ありがとうございます」
水炊きをよそってくれた器を、緊張と寒さで鳥肌がたっている腕で受け取る。じんわりと、冷えた指先があたたまる。湯気が立つ、女将自慢の鶏つみれと野菜をそっと口に入れる。
「おいしい~!」
ほっとして、肩の力がゆるりとやっと抜けた。
「お疲れ様!」
「お疲れ様です!」
先輩に笑顔でうなずき返した。
 
無事、水炊きの記事は雑誌に掲載された。小さいながらも、私の写真が添えられて。プロの写真と比べるとやはり少し迫力がないように思えて、私は肩を落とした。
「へぇ、よく撮れてるじゃん!」
いつの間にか部長が背後に立っていた。私の頭の上から、雑誌をのぞき見て満足気にうなずいている。
「そ、そうですか?」
「上出来、上出来! これから場数踏めば上達するでしょ」
「うん、よく撮れてると私も思うよ。ありがとう!」
おずおずと縮こまる私を、部長と先輩が両脇から挟み込む。二人の晴れやかな顔を交互に見つめる。部長がまたニヤリと口端を上げる。
「これからも、色んなことに挑んで、がんばりなさい」
雑誌を胸に抱き、私は二人に力強くうなずき返す。
 
「はい、よろこんで! がんばります!!」
 
月日が流れ、私もいつの間にか新人ではなくなった。
できない、無理です。
失敗を勝手に予想し、逃げ出すことをやめた。
たまに、思わずギョッとしてしまうような、ハイレベルな依頼が持ち込まれることもあるけれど、グッと踏みとどまる勇気ができた。
おっかなびっくり踏み出すと、目の前が広がった。
私にもできることはたくさんあるのだと知った。
新しい景色と共に、少しずつスキルも得ることができた。
 
何もできない、恥ずかしやつだと、自分の可能性の芽をつんで決めつけていたのは、私自身だった。
足りないことは、知識と鍛錬で補えばいい。
人の力を借りてもいい。
失敗することを恐れ、恥ずかしがらなくてもいい。
それでも、うつむいて背を向けそうになった時は、頭の中に召喚するのだ。
 
「はい、よろこんで!!」
 
威勢の良い声で、笑顔で小さな店員さんが叫んでくれる。
これからもずっと。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業経験を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、茶道、占い、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2020-09-22 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,96

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