週刊READING LIFE vol,102

何のために? 魂のために! 《週刊READING LIFE vol,102 大人のための「勉強論」》


記事:記事:小石川らん(Reading life編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ここじゃないんだな」
 
と思いならがら働いていたことがある。
数年前に派遣社員として働いていた職場は、ネットワークビジネスのカスタマーサポートだった。自社の会員の人たちから電話で寄せられる問い合わせに対して、応対するという仕事だった。
 
ネットワークビジネスと聞くと、みなさんはどんなイメージをお持ちだろうか。
 
今、みなさんの心の声が聞こえました。そうです。そんな感じです。ただし、この話をすると、その「片棒」を担いでいたようなイメージが浮かんでしまうかもしれないが、中で働く人は決してそういうことをしてるわけではない。
 
知らない方のためにネットワークビジネスの仕組みを簡単にお話する。自分がAさんから紹介されて、会員になる。次にBさんに商品を紹介する。Bさんが買ってくれると、その利益がAさんと自分のものになるというシステムだ。
 
1年間「中の人」として働いて感じたことは、ネットワークビジネスの成功者になるためには、特別な才能がいるということだ。
 
まず他人に商品を買ってもらえるぐらいの話術(これはもしかしたら鍛えればなんとかなるかもしれない)に加えて、何よりも「この人の薦める商品を買い続けたい」と思わせるカリスマ性が必要性になる。
 
ネットワークビジネスで扱われる商品は、商品の質が良かったとしても、それを継続的に購入するには少々根が張る商品たちばかりだ。他の市販品でも感覚的にはいくらでも代替が効くため、購入し続けてもらうためには、「この人から買いたい!」「この人の薦める商品を買いたい」と思ってもらわなければいけない。
 
また、ネットワークビジネスは、次々と人を紹介して組織を大きくし、組織全体の収益を大きくしていくので、グループで活動することが多い。そうすると人間関係を円滑に進めたり、グループの偉い人から好かれて、目をかけてもらえるような素質も少なからず必要になる。
 
勧誘する側は「ビジネス」なんてうたっているが、人の心を掌握するような要素があるので、トラブルにも繋がりやすいし、下手をすると人生を踏み外しかねない。
 
ネットワークビジネスは、アメリカのように日本よりも盛んな国もあれば、法律でその商法自体が禁止されている国もある。日本では特別な法律のもとで、営業が許可されているが、利用者のルール違反が発覚すると国から営業を停止を食らう。
 
ネットワークビジネスの会社で働いていたなら、強引な勧誘の片棒を担いだり、「知人からあなたの会社の商品を薦められたんだけど、本当に良い商品なの?」と不安げに電話で問い合わせる人に対して、猫なで声で商品を薦めたりしていたのでないか、と思われるかもしれない。
 
そんなことをするはずがない。法律違反が発覚したら、すぐさま営業停止の憂き目を食らう。困るのは自分たちだ。働き続けるために、会員の人たちには法律に則って活動をしてもらう必要がある。だから、ときに無茶なビジネスを進めようとしている人を注意することも、私たちカスタマーサポートの仕事の一つだった。
 
カスタマーサポートの仕事というのは、どんな商材を扱っていてもストレスの多い仕事だ。電話の相手から常に怒られたり、怒鳴られたりということがなかったとしても、ずっと気を遣いながら話す必要がある。特にネットワークビジネスのお客さんたちは、ちょっと特殊な人たちが多く、電話口からでもその風変わりなエネルギーに当てられると、疲れたと感じることが多かった。それに加えて、「あぁこの人(あぶないことを)やってるな」という感じが電話口から伝わってくると、緊張が走る。職場の同僚達も同じ気持ちだったと思う。
 
ストレスフルな職場で働いていると、付き物なのは飲み会だ。同僚に飲むことが好きな人多かったので、多い時は週に2回ぐらいは飲みにいった。最初は楽しかったのだけど、何回も行っているうちに、話のネタが付きてきて、職場の悪口のループになっていった。職場の不満をどう解決するか、という建設的な方向にはいかず、「さっきもそれ言ってなかった?」という話を3時間の間に3度聞く羽目になった。「またか……」と思いつつ、神妙な面持ちを作っては、グラスの水滴を指で拭き取って相槌を打っていた。
 
「ここじゃないんだな。私の居場所は」
 
そんなふうに、ちょっと虚しく、物足りない気持ちになって家に帰った。
 
私は「自分の好きなことをして生きていきたい」という気持ちが強い。
 
「好きなことをしてお金を稼ごう」
インターネットの求人サイトのうたい文句だが、好きなことをしてお金を稼げる人というのはごく稀だ。大半の人がそんな理想を夢見つつ、「好き」から一段ランクを下げた「向いていること」「得意なこと」を仕事にしているのではないだろうか。
 
しかし私はときにそれが我慢ならなかった。この仕事が向いているとも、得意だと思えなかった。仕事に「好き」を求めることが不可能だとしても、「何か好きなことをしていないと心が死ぬ」と直感的に思った。
 
季節は夏を通り過ぎて秋になりかけていた。仕事終わりの飲み会も、刺し身の旨い店よりも、温かいものを出してくれる店を求めるようになっていた。「このまま酒に飲まれて、今年も終わるのか」と思っていた私の目に飛び込んできたのはフランス語検定の案内だった。
 
私は数年前から言葉の響きの美しさに取り憑かれてフランス語を学習していた。中学、高校、大学を合わせると、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語を履修したのだが、唯一、長時間意味が分からないまま聞いていても、発狂しそうになかったのがフランス語だった。発狂しないどころが、その音の流れが心地よいのでいくらでも聞いていられた。
 
かつてフランス語の語学学校に週1回通っていた時期もあったが、当時は暇なときに単語帳を見たり、テキストを読んだりと、テーマや目標も持続性もあまりない勉強が続いていた。
 
そんな中で、試験日があって合否が出るという、勉強の成果を形にしやすい検定に惹かれた。検定に向けてフランス語を勉強するのは「ここじゃない」「これじゃない」日常から抜け出すための手段だと思った。その日から、仕事終わりは同僚の飲みの誘いを断って、駅前のマックで勉強をしてから帰るようになった。
 
フランス語検定で挑戦する準2級は、それまで体系的な学習を無視して、のらりくらりと勉強をしていた私からすると、ちょっと挑戦的な級だった。複合過去・半過去・未来形・単純未来・接続法などの一通りの文法を理解している必要があり、それに加えて熟語や、前置詞や代名詞の知識も必要になる。
 
のらりくらりだった私にとって、いくつも知らないことがあり、検定用のテキストでつまづいては文法のテキストで改めて学び直すことの繰り返しだった。熟語や代名詞、前置詞に関しては、テキストで出てきた用法を丸暗記するしかなかった。
 
検定までの準備期間は2ヶ月。仕事終わりの1時間半ほどしかまとまった学習の時間がとれなかったので、もともと語学が大得意というわけではない私にとっては、準2級合格というのはかなり無理があった。問題を問いて、自分で添削していくうちに、「これはちょっと間に合わないな」という確信だけは深まっていった。
 
しかし、それで落ち込むかというとそうでもなく、むしろ仕事終わりのマックでの1時間半はとても充実した時間になった。勉強というのは、学習対象と1対1で向き合う。フランス語と向き合う時間は、試験日が迫っている中で、学習内容を十分に理解できないという焦りはあるものの、充実した静かな時間だった。何よりも自分の好きなフランス語に接している時間をもつことで、自分の中に「ここだ」と思える場所を持つことができた。
 
それまでは帰り道に、その日一日の電話対応を振り返ってはぐったりとした思いになったり、飲み会のアルコールでだるくなった身体を無理やり動かして自宅へ帰ったりするような日々だった。しかし勉強の後の帰り道というのは清々しかった。同僚たちに熱燗と鍋を求めさせる秋風は、勉強をしたことでポッポとした私の頭を冷やしてくれた。
 
 

 
 

「企業がどうして新卒を偏差値で見るか分かるか? 勉強なんてやっただけできるものなんだよ。それをどれだけちゃんとやってきたかってことを、企業は見てるんだよ」
 
高校時代の英語教師の言葉である。彼は旧帝大を卒業後、大手企業の人事課で働いていたが、脱サラして教員になった。授業が分かりやすいのはもちろんのこと、歯に衣着せぬ物言いが生徒たちから人気だった。授業中に繰り広げられる雑談には、こういった社会人を経験したからこそ知っている世の中の厳しさが織り交ぜられていて、とても好きだった。
 
しかしその日は、そんな教師の言葉に心の中で反論した。
 
「でも偏差値だけで人を見るなんてやっぱり酷い」
 
といういかにも高校生らしい、真っ当な反論だった。
 
しかし、一瞬で多くの新卒をふるいにかけなければいけない企業においては、たしかに偏差値というのは、その人の努力を測る分かりやすい物差しなのだろう。そう納得できても、進学校で成績の下位をさまよっていた私にとっては、素直に納得するわけにもいかず、そのジレンマでグッと唇を噛むような思いをしたことを覚えている。
 
しかし、大人になると、この「やった分だけ報われるのが勉強」というのが大きな救いになる。カスタマーサポートの仕事は、やった分だけ成果があるかというと、正直そうでもない。
 
「よく分かりました。ありがとう」と言ってもらえて、笑顔で電話を切ったところで、また次の電話がかかってくる。その繰り返しだ。大きな成果というものを上げることができない。
 
「お客様の一つひとつのありがとうが、大きなやりがいです」
 
と、心から言える人は素晴らしいと思うが、私はそういうタイプの人間ではなかったし、どんなに仕事に真面目に取り組んでも、そこに喜びを見出すことはできなかった。
 
当時ははっきり自覚していなかったが、お酒を飲んで人と騒ぐこともそんなに好きでもなかったため、仕事の後の飲み会もそこまで気晴らしにならなかった。むしろ同僚たちのモヤモヤを聞くことが、自分のモヤモヤを更に膨らますことに繋がり、ストレスになることが多かった。毎日が「ここじゃない」「これじゃない」の繰り返しだった。
 
だから静かに学習対象とだけ向き合うことができ、やっただけ成果につながる勉強は心の拠り所になった。
 
フランス語検定の結果は惨敗だった。しかし日常で「ここじゃない」と感じる場所にいても、自分の中に「ここだ」と思える場所を持つことができた。
 
フランス語を何のために勉強するのかと聞かれたら、それは趣味だと思う。大人になってから何かを勉強するというと、資格をとって仕事に繋げたり、何かに役立てるためにすることが一般的だ。だから「趣味でフランス語を勉強しています」というと、「どうして趣味が勉強なのか分からない。どうして英語じゃないの? 英語のほうが使えるでしょ」という顔をされる。
 
最近こんな話を聞いた。ロシア語で「趣味のために」というのは「ディヤ・ドゥシェ」。直訳すると「魂のために」という表現を使うらしい(ここでフランス語が飛び出さないのはちょっと残念だが)。
 
仕事につながらなくてもいいじゃないか。役立たなくてもなくてもいいじゃないか。大人なら魂のために勉強をしてみてはどうだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小石川らん(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

華麗なるジョブホッパー。好きな食べ物はプリンと「博多通りもん」。

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2020-11-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol,102

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