週刊READING LIFE vol,104

あの一言を胸に、生きていける気がする《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》


記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「まだ終わらないぞー、まだまだ!」
「ここでくたばっていたら泳げないぞ! 頑張れ!」
 
コーチたちの怒号が響く。
私たちは、岸から少し泳いだ沖合で、何周も同じところをぐるぐると平泳ぎで回って泳がされていた。明日の午前に行なわれる40分間の中遠泳(ちゅうえんえい)に出るメンバーを決めるために、持久力のテストをされていたのだった。
 
真夏の刺すような太陽と、塩辛い海水が辛い。
 
(テスト、早く終わらないかな……)
 
同じところをずっと回っているので、前に進まないことが何となく疲れを増やしている。それに加えて暑さがさらに体力を奪う。私は列から少しずつ遅れ始めた。
 
「どうした! もう泳げないか?」
 
私が苦しそうなことに気が付いた先生が声をかけた。
 
(どうしよう、もうダメかも……)
 
ここで頑張って泳がなきゃいけない! という心とは反対に、身体は重くなっていった。
 
 
 
小さい時から、運動と名のつくものがあまり好きではなかった。
外遊びや公園遊びは一応はしたけど、猫を追いかけて引っかかれたり、高い木に登れなかったり、思いっきり転んで膝を血だらけにして家まで帰ったことの方が記憶に残っている。
 
だから小学校に入って最初の授業で、
「じゃ、みんな、登ってごらん!」
と担任が声をかけ、クラスの大半の子が校庭の金属の登り棒をスルスルとてっぺんまで登れてしまうのを見て、ものすごく焦った。
 
(私、全然登れないよ、こんなの……)
 
どちらかというと外で遊ぶよりも、家で本を読んだり、リカちゃんごっこをしたり、レコードを聞いたりTVを見たりする方がずっと好きだった。登り棒なんてまるで興味なかったし、する必要もないと思っていたのに、それが学校の体育の授業で出てくるなんて知らないし!
入学早々、私の苦手科目は「体育」に決定した瞬間だった。
 
そもそも、入学した小学校はやたらと体育に力を入れているなんて、誰も教えてなんかくれなかった。
小学校では、登り棒に始まり、鉄棒、跳び箱、マット運動、縄跳び、様々なことに級だのランクだのをつけていた。冬のめちゃくちゃ寒い朝の始業前には校庭で児童にマラソンをさせ、何周走ったかを色鉛筆で塗らせて競わせる表なんかがあって、それも大変な恐怖だった。なんでこんな寒いのに外で走らせるんだよ? 絶対頭おかしいよね? と、同じく運動が嫌いな女子と文句を言いながらもしょうがなく走っていたことを思い出す。
 
そんな小学校だったので、夏にはもれなく水泳の授業があった。
これも細かく級が分かれていて、それによって水泳帽の色や、それにくっつける線が違っていた。
記憶が定かではないけど、最初はプールの横幅の12mを泳げるようになり、そして縦の25mをクリアして、次は50m、100mと距離を延ばすごとに級が上がっていった。また距離だけではなくて、最初はバタ足、そしてクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと4種目をクリアするごとにこれも級が上がる。その先は、タイムが速くなるとさらに級が上がる。
 
4種目で個人メドレーもできてタイムも速い人は一番級が上で、黒い水泳帽をかぶっていた。そういう人のことを「黒帽」と呼んでいて、みんなのあこがれの対象でもあった。もちろん私だってそれを目指していたけど、悲しいかな、運動神経が少なめなためタイムが遅くてクリアできず、いつまでも白帽をかぶっていた。
 
(別に、速く泳げなくったっていいもんね。それだけが人生じゃないもんね!)
 
しまいには「カナヅチじゃないからいいじゃんかよ!」みたいに開き直った感じで水泳の授業を受けていたと記憶している。
 
 
 
5年生・6年生になると、夏に千葉で臨海学校があった。
そこで遠泳をすることが学校の伝統行事になっていたため、必然的に水泳の授業もそれを意識したものになっている。
遠泳は平泳ぎでするけど長時間になるので、正確な泳ぎと持久力が必要になる。そこを見越して、長い時間泳ぐための練習をしていた。
 
夏休み前に、遠泳の班分けが行われた。
元々運動神経がよくなかった私は、5つある班のうち、上から4番目の班だった。
学校として水泳に力を入れているので、みんなかなり泳げるようになっているけど、タイムが遅くて平泳ぎの形が綺麗じゃないせいか、班分けのテストで下の方のクラスになった。
 
5年生の遠泳は40分間だった。そんなに長く泳いだこともないし、何よりも遠泳自体が初めてなので、みんなにも不安があった。
「この子は持久力がある」と判断された子は、40分間の中遠泳に参加ができる。でも力量的に無理と判断されてしまったら、20分間の小遠泳か、それ以下の10分くらいの泳ぎでしか参加できない。
 
臨海学校3日目が、遠泳前日となった。
この日の午前に、試験的に長めの時間を泳ぎ、明日の遠泳の参加者を決める。
遠泳は、上手な順に分かれて泳ぐ訳ではない。参加者全員で1つの集合体を作り、列に沿って泳ぐ。日本手ぬぐいのように長い、1つの隊列を作るのだ。当然、泳力に差が出てくる。泳ぎの上手い子は、先頭と最後尾と、列の両脇に配置されて、そうでない子は真ん中に配置される。3日目のテストは、遠泳の体形や並び順を決める重要なものだった。私は、
 
(ここまで来たんだから、どうせなら中遠泳に出たい!)
 
と思っていた。4班だったから出られないかもしれないと思っていたけど、わからないけど、なんとなくやれるところまでやってみよう。そう思っていた。
 
「それでは、テストを始めます。もうやめと言われるまで泳ぐこと」
 
7月の快晴の海は、じりじりと照りつける太陽が容赦ない。持久力を見るのである一定の時間をグルグル泳がされているけど、連日の疲れはある。泳いでいるうちにだんだん身体に力が入らなくなって、私は列から遅れ始めた。
 
「どうした! もう泳げないか?」
 
私はすぐ答えることができなかった。答えようとしたら、あっぷあっぷしてしまった。
 
「そんな泳ぎじゃ持ちこたえられないぞ? お前、本当に泳ぎたいのか? やる気あるのか?」
 
先生に訊かれた。
 
「泳ぎ……たい……です!」
 
そりゃ、泳ぎたいよ! 海水を飲み込んでしまってむせながら私は答えた。
当然だ。当然すぎる回答だ。
そうじゃなかったらなんのためにここに来たんだ?
 
「見てると、持つか持たないか、ギリギリに感じるんだよな。本当に、やるか?」
「遠泳、絶対やりたいです!」
「そうか。わかった。じゃあ、やってみろ。先生たちはそばについてるからな。がんばれ!」
「ありがとうございます!」
 
こうして私は、40分間の中遠泳の隊列に入れてもらえることになった。
 
 
 
そして遠泳当日を迎えた。
海は青く穏やかだけど、日差しはとても強かった。
 
「では遠泳を始めます。 笛が鳴ったら1列ずつスタートすること」
 
先頭の人から横に1列ずつ、ゆっくりとした平泳ぎでスタートしていった。
隊列は、縦に15列、横は3列くらいの細長いものだった。
私がいたところは、真ん中の列の、横も真ん中くらいだった。泳ぎがあんまりうまくない人は、こうして周りに人を配置してフォローしてくれていたのだと思う。
 
ゆっくりだけど、大丈夫だろうか。
だんだん自分の列の番が近づいてきた。胸がドキドキしてくるのがわかる。
 
ピッ!
 
笛が鳴った。私は左右の人と合わせて、海底から足を離して泳ぎ始めた。
 
(とうとう、始まっちゃったな……)
 
思いの外、ゆっくりとしたペースで遠泳は進んでいた。昨日の参加者決めのテストではあんなに辛かった太陽だったけど、今日はそうでもないかな。そんなことを考えながら、ゆったりと平泳ぎをしていた。
 
全員が海洋に出て、少ししたところで先生が掛け声をかけた。
 
「それじゃあ、いくぞー! エーンヤコーラ!」
「エーンヤコーラ!」
 
先生の声に応えて全員で「エーンヤコーラ!」と言うのが習わしだった。これをすることによって泳ぎのリズムをコントロールするのだという。
早く泳ぎすぎてもいけないし、逆に流れについて来れない子は、側で見守っている救護用のボートが助けてくれるという訳だ。
 
「エーンヤコーラ!」
「エーンヤコーラ!」
 
自分でも面白いくらいちゃんと声も出ているし、身体も動いていた。潮風も気持ちがいい。
もっとこの海で泳いでいたいな。そんな快適な感じだった。
 
そして40分間が終わった。
中遠泳、完泳したのだ。
 
先生たち、コーチたちの拍手に迎えられて岸に上がる。振る舞われたお汁粉は、とっても甘くて美味しかった。
 
(やっぱり、あの時、頑張って自分は泳ぎたいですといってよかった。ダメかもしれないと思ったけど、できた!)
 
不安だから、20分間の小遠泳でもいいかもと思ったこともあった。でも昨日先生に訊かれた時、反射的に「自分はやります!」と答えていたのだ。
結果的に、なんとかなった。完泳証を眺めながら、
 
(完泳、したんだなあ)
 
と、しみじみと思った。
 
「市川、よかったな。完泳できて」
 
遠泳のメンバーを決めるテストをしていたときの先生が、通りすがりに声をかけてくれた。
 
「ありがとうございます!」
 
「最初お前は泳ぎ切れるか怪しかったから、落とそうかどうしようかと思ったけど、中遠泳出られてよかったな。お前はね、ガッツがあるからな」
 
ガッツがある……。
 
その言葉が、なんだか無性に胸に沁みた。
運動なんて全然自信ないし、他にもできないことがいっぱいあるけど、とりあえず与えられたことはチャレンジしてみた。そんな自分のことをちゃんと見てくれていた人がいたんだ。
そのことが、嬉しかった。
遠ざかっていく先生の背中を見ていたら、涙がこみ上げてきた。
 
 
 
その翌年、6年生になって、またもや下の方の班だったけど、臨海学校で60分間の大遠泳を完泳した。
中学1年になると、今度は下田で2時間の遠泳となったけど、これも結局完泳している。
振り返ると、本当に運動神経というものがないんじゃないかみたいな私でも、なんとなくいろいろクリアしているんだなと思う。
 
それから、随分時は流れた。
自分には、できないことの方がたぶん多いんじゃないかと思っている。そんなの無理! と思う難題も結構あった。
 
でも、見込みがないかもしれないと思っても、とりあえず何かやれることはないか? どうしたら切り抜けられるか? それをまず考えることはしてきたように思う。できないのが悔しいので、もうちょっとだけ頑張ってみるか? と思ってやっていったらいつの間にか大きなことができるようになっていた。その結果、本当は成らないはずのものが成ったことも多くあった。
 
その原点は、思い起こせば、あの先生の言葉にあったのかもしれない。
「ガッツがあるからな」と言われた時は、初めて自分が認められたと実感した。
人生で出会った人のうちの誰か1人でもいい、自分を見てくれる人がいる嬉しさを味わった瞬間は、生涯忘れることはないだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子

東京都豊島区出身。現在は団体職員。「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月より天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月より同ライターズ倶楽部参加。2020年9月よりREADING LIFE編集部公認ライター。

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2020-11-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol,104

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