週刊READING LIFE vol,111

わたしを世界一嫌いな彼女《週刊READING LIFE「世界で一番嫌いな人」》


2021/01/18/公開
記事:のぎひのき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
知らないうちに、わたしは彼女の「世界で一番嫌いな人」になっていた。
 
攻撃される時はいつも不意打ちで、後ろから殴られたような気分になる。
 
ついこのあいだまで、「なんてすばらしい人なの!」とみんなの前でわたしを称えていた彼女。
 
あっという間にその正義は、わたしを裏切り者に仕立てた。

 

 

 

「私、本当に感動してます」
 
優しげな瞳をキラキラさせて彼女は言った。
清楚な白いワンピースに手作りのビーズのイヤリング。
さらさらの黒髪は大きなリボンのバレッタできゅっと留められている。
顔も端正に整って、薄い唇はほんのり桜色。
誰が見ても「素敵な人」と思うであろう彼女は、ある日友達に連れられてわたしの前に現れた。
 
わたしはその数ヶ月前にママサークルを始めた。
ママ友何人かに声をかけて、とてもいい雰囲気でやれていた。
メンバーは主に、娘が卒園した幼稚園のボランティア活動で一緒だった人たち。
みんな優しくて前向きで、子どもたちのためによく動き、たくさんの力を出せる人。
卒園して離れ離れになってしまうのがなんとももったいなくて、これからも何か一緒に活動する場があれば、いつまでも日々を楽しく過ごし続けられるのではないか。そんな希望を抱いて、他にわたしが素敵だなと思う友達2〜3人にも声をかけ、月に1回、我が家で集まることにしていた。
 
彼女は隣町に住むメンバーに連れられてやってきた。紹介してくれたメンバーはとても気の合う人だったから、素敵な人を紹介してくれて、本当に嬉しかった。
 
「はじめまして、K・Yです」
 
そう言ってにっこり笑った彼女に、みんな見惚れていたと思う。
ほっそりとした色白美人で、立ち居振る舞いも完璧。
それでいてやわらかな雰囲気で、嫌な感じなど一つもしない、そこにいると周囲の空気が華やぐような人。
約1年前に旦那さんの転勤で隣町にやってきて、幼稚園に通う息子さんが一人いるのだけれど、なかなか地域に馴染めなくて苦労しているのだと、彼女は言った。
 
わたしは心から彼女を歓迎した。
女性というのは、結婚や出産、夫の仕事の都合で見知らぬ土地に引っ越さざるを得ないことがよくある。わたしもかつてそんな1人だった。新しい土地で苦労する女性たちの受け皿になることも、わたしがサークルを始めた目的の一つだった。
 
「いいの? 嬉しい」
 
彼女は花が咲くように笑って、それから毎回、私たちの集まりに参加するようになった。

 

 

 

わたしはこのサークルで、みんなに少しずつ自信をつけてもらいたいと思っていた。
地方のママたちは控えめな人が多くて、本当はいろいろできることがあるのに「私なんて大したことないから」と前に出ない人が多い。やりさえすればできてしまうはずのことを、やらないから、いつまでも自分を「大した人間じゃない」と檻に閉じこめることになる。それは本人のためにもったいないだけじゃなく、世界のためにももったいないと、わたしは本当にそう思う。みんなが力を発揮できたら、よくなることがこの世の中にはいっぱいあるはずだ。
 
それで、わたしは活動の中で、みんなに自分語りをしてもらうことにした。
自分はどんな風に育ってきたのか。何が好きなのか。何を大切に思っているのか。これから何がしたいのか。
「私なんてほんとに何もないから」と言いながら、みんな一生懸命語ってくれて、毎回、話が終わる頃には共感の涙が広がった。みんな同じだね。ひとりじゃないね。応援しあって支え合えば、できないと思っていたこともきっとできるね。そんな雰囲気で満たされて、その度に絆が深くなる。そういう時間を共有できていることに、わたしもみんなも充足感を覚えていた。
 
彼女・Kが自分語りをした時も、それは同じだった。
ただちょっと、話の深刻さが群を抜いていただけ。
Kの話はこうだった。
 
幼いころからDVを受けていて、学校でもいじめられていた。
高校で不登校になり、家を出るために毎日アルバイトをした。
やっとの思いで100万円を貯めて、家を出て行きたいと両親に申し出たら、お前が家を出るのは勝手だが我が家の恥だから、夜中に一人で出て行けと言われた。
言われた通りに家を出て、一人で働きながら暮らし、その中で出会った人と結婚したけれど、その人からもDVを受けた。
逃げるように離婚して、新しい職場で出会ったのが今の夫で、彼に出会って、自分をそのまま認めてもらうことができてやっと幸せになることができた。
 
話が進むにつれ、リビングはすすり泣きで満ちていった。私も目に涙をいっぱいに溜めながら、真剣にKの話に耳を傾けた。こんな話を、きちんと語ってくれているのだから、きちんと聴かなくては。
 
彼女はそんな辛い過去を乗り越え、今は人が夢を叶えるお手伝いをするために心理カウンセラーのようなことをしているという。とある師匠のもとで修行し、努力の末、講座を持たせてもらえるようになった。Facebookで参加者を募り、zoomを利用して時々有料の講座をやっているのだそうだ。さらに、もっときちんと学びたいからと、通信制の大学で心理学を勉強中らしい。
 
華奢でどこかはかなげな彼女がそんな壮絶な過去を乗り越え、力強く自分の足で歩いていることに、みんな感動していた。なんて素晴らしい人なのだろう、と誰もが思っていた。
そしてKは、そんな背景があったからこそ、このサークルを訪れた時に心から感動したのだ、と言った。
 
「誰もが自分のままでいられる安心・安全な場所が保証されている。そんな場所をひのきさんがやっていることに、私は本当に感動したし、すごくワクワクしてるの」
 
潤んだ瞳でそんな風に言われて、わたしはこの場をやっていることにとても自信が持てた。やっぱりここは良い場なんだと思えたし、とても強力な仲間が現れたな、と、頼もしく思ったのだ。

 

 

 

それからしばらくしたある日、わたしは「2人で晩ごはんを食べよう」とKを誘った。
みんなと集まる時ではなく、2人でゆっくり話をしたいと思ったのだ。
 
あの自分語りの後、Kは一度、サークルの場で講座を開いてくれた。師匠に私たちのことを話し、そういう場所で非公開ならと、特別に無料開催の許可をもらったのだと言った。
そのワークショップはとても素晴らしかった。
参加者が自分が潜在的に望んでいることに気づいて、それを望むことを自分に許し、行動に移すところまでがセットになっていて、合間で参加者が発表した内容にコメントするKのフィードバックも完璧だと思った。すごく努力して、すごく考えて、ここまでできるようになったんだろう。辛い過去を乗り越えて、あんなに凛として、強い人だな。
ワークショップは2回で一巡りする内容なのでもう次回開催も決まっていたけれど、これは、お金をもらって当然の内容だし、こんなにしっかりしたメソッドができているならば、わたしたちのサークルでわざわざ無料でやる必要もない。Kの講座はずっと続けることで成果が出ていくものらしいけれど、わたしたちのサークルは、メンバーの一人ひとりがやりたいことをみんなの協力で形にして、応援し合うための場所として始めたから、これからもそれを続けたい。Kは今まで通りに通信で講座を開いたり自宅で開催したりしてファンを増やしていくのがいいと思うし、サークルのメンバーがその講座に参加したいなら個々に参加すればいい。あれだけの実力があって、その上で私の開いた場を素晴らしいと言ってくれたKとなら、何か別の形でもこれからコラボレーションしていけるに違いない。そんな風に思っていたし、知的な彼女なら、わたしの言いたいことを理解してくれると思った。
 
食事は終始和やかに進んだ。
案の定、Kはわたしの言うことをすんなりと理解してくれた。
「私もちょっとどうかと思ってたの」と彼女は言った。
 
「私が話すと、なんだかみんな、ありがたい話を聴くみたいになってしまって、対等でいられないよね。それはなんだか違うなって」
「そうなんだよね。でもそれはKちゃんが本当にすごいからで、仕方ないと思うの。Kちゃんはそのままその道で上を目指せばいいし、それはすごく応援してる。わたしたちのサークルでお願いする時はきちんとお金を取って欲しいし、たまにそれはやりたいと思っているけど、そればかりになると、もともとやろうと思ってたこととは違ってきちゃうなって思ってるの」
 
そうだね、そうだね、と真剣にそんな話をして、その後は、わたしたち2人がこれからどんなことを一緒にやっていけるかあれこれアイディアを話したり、個人的な話もたくさんした。わたしは本当に彼女を素晴らしいと思っていたし、わたしのやっていることを理解してくれた彼女と、長い時間をかけていろいろなことを実現していきたいと思っていたから、自分のことも腹を割って正直に話した。そんな風に2時間ほどを過ごして、わたしは運転のできないKを車で自宅まで送り、「またご飯行こうね」と言って別れた。
ああ、充実した話ができた。ご飯に誘ってよかった、と満ち足りていた。彼女の笑顔を疑うことは、微塵もなかった。

 

 

 

それから約2ヶ月後のサークル活動の後。
わたしは涙を流しながら呆然としていた。
ついさっき、自分の身の上に起こったことが理解できなくて。
 
その日は久しぶりの活動で、Kの2度目のワークショップだった。
夏休みは子どもたちが家にいるからママたちは集まるのが難しくなるので、夏休み明けに日程を設定していたのだ。
ワークショップが終わってから、わたしはみんなに、Kと2人で話したことを伝えた。この形でワークショップをするのは今日で終わりにすること。次回からはもとの形に活動を戻すこと。Kにはこの講座とは別の形で引き続き活動に参加してもらいたいこと。
 
急に、場の空気が変わった。
さっきまで笑顔で話していたKの顔がさーっと曇り、場が凍りつく。
そして彼女はこう言ったのだ。
 
「私がここへ来るのは今日が最後です。もう2度とここへは来ません」
 
「……え?」
 
わたしは、何が起こっているのかわからない。
 
「ひのきさん、あなたは私に『ここはあなたの講座をやるための場所じゃない』って言ったよね。そんなことを言われて、私はもうここに来ることはできません」
 
「え、ちょっと待って、それは……」
 
「これ以上は言った、言わないになってしまうから、これ以上話をするつもりはありません。私はもう、ここへは来ません」
 
「え、だって……」
 
「ごめんなさい、帰ります」
 
Kはいかにも具合が悪そうにふらふらと立ち上がり、「私が送っていくから」と申し出たメンバーと一緒に部屋を出て行ってしまった。
 
わたしはまだ、何が起こっているのかわからない。
ぽかんとしていると、残ったメンバーが言ったのだ。
「ごめんね、Kちゃんがそう思ってること、私たちみんな聞いてたの……」

 

 

 

あの食事のあと。
Kはサークルの主要メンバーに、わたしに「もう来るなと言われた」と話していた。わたしに自分のスキルを「いいように利用された」とも。そして「これはひのきさんには絶対に言わないで」と口止めしていた。
わたしからすれば、嘘としか言いようの無い話。
でもKは、それまでの過程でみんなから深く信頼されている。わたしだって、Kのことを1ミリも疑いはしなかった。
みんなは、彼女の切実な訴えを守って、わたしに何も言わなかった。それは彼女たちが、誠実な人だからに他ならない。彼女たちはわたしが本当にそんなことを言ったのか疑いながらも、Kを裏切ることはしなかった。
 
え、こんなこと、起こるの? なんで……?
まさに不意打ちで、いきなり後ろから殴られた気分。
わたしが事実を事実として受け止めるまでには、長い時間が必要だった。

 

 

 

あれから1年以上経過した今、小学生のとき大嫌いだったCちゃんのことを思い出す。
Cちゃんは、よく嘘をつく子だった。
うちのパパはいつも海外出張していて有名人の知り合いがたくさんいるの、とか、うちはクジラを飼っているけどここでは水槽が置けないから沖縄に水槽があるの、とか、お小遣いは10万円もらっているとか。嘘だってみんなわかっていたけど、逆らうことができなくて、Cちゃんの理不尽な要求に応えていた。「明日までにこの塗り絵を塗ってきて」というのはいい方で、「明日までに毎日色と匂いの変わる消しゴムを買ってきて」と言われたわたしが母にそれを伝えた時は、母がCちゃんの家に電話してくれた。Cちゃんのお母さんはいなくて、母が電話口でCちゃんを諭していたのを覚えている。
そんな風でもCちゃんがいじめられなかったのは、みんななんとなく、Cちゃんが「かわいそうな子だ」と感じていたからだ。
 
子どもの嘘はわかりやすい。
でももしも、大人になるまでそういう習慣を続けていたら、ひょっとするとどんどん嘘がうまくなってしまうのかもしれない。もしかしたら、自分でも自覚できないくらいに。
 
Kの言ったこと全てが嘘だったとは思わない。
むしろ、本当にそういう生い立ちだったから、何の苦労もなく仲間に囲まれているわたしを、疎ましく思ったのかもしれない。自分が影響力を発揮できると思った道を閉ざされたことが、我慢ならなかったのかもしれない。
それはKにとって、きっと切実な事情だったのだろう。
わたしと2度と会いたくないくらい、激しくわたしのことが嫌いになったのだろう。
彼女にとってわたしは「世界で一番嫌いな人」だったのだろう。
 
これまで生きてきて、あんなに辛い出来事は、そうは無い。
こんな思いをさせられて、わたしも彼女を「世界で一番嫌い」と思いかけた。
そうなっても、悪いとは思わない。そのくらいのことをされたと思う。
 
わたしは力不足だったのだろうし、配慮に欠ける部分もあったのかもしれない。
でも何度考え直しても、Kのやったことは、卑怯だ。
わたしに正面から向き合わなかった。
わたしを悪者にして弁解の余地を与えない状況を、裏で作り上げた。
そしてそれは、間違いなく意図的だった。
 
ただ。
何度も何度も考えて、思った。
 
あの出来事は、彼女自身も傷つけたんじゃないか。
結果的にであれ、彼女は自分自身を否定することになったんじゃないか。
あんなにキラキラと「誰もが安心して思ったことを話せる場所を作りたい」と言っていたのに、わたしのそれを封じた。わたしを例外として扱った。
それは、彼女が弱いからだ。
彼女が作りたかったのは、誰もが安心安全な場所ではなく、自分自身が安心安全な場所だったからだ。そんな自分の心を認めたくなくて、わたしを悪者にした。
Cちゃんが、自分になびかない人を許さずに、嘘を重ねたように。
本当のことはもうわからないけれど、わたしはそう確信している。
 
だからわたしは、彼女を嫌いにならないことにした。
それが、わたしが誇りを持ってできる、唯一のことだから。
たとえ今後、2度と会うことはなくても、それは守ると決めた。
一度でもわたしを認めてくれた彼女に、わたしができる唯一のこととして。
 
世界で一番わたしを嫌いな人を、わたしは嫌いにならない。
それは、彼女が世界で一番嫌いなわたしを、わたし自身が嫌いにならないための約束だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
のぎひのき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち・地方在住のロストジェネレーション。
小学校3年生の時、こどもの日のテレビ特番で「小説家になりたい」と宣言したが、小説家を目指すことなく大人になる。子どもたちが大きくなり、フリーランスの仕事の幅を広げるべく文章修行中。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2021-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol,111

関連記事