神様に悪態をつくと罰が当たると思っている私が、ちょっとだけ本音を訴えてみた件《週刊READING LIFE vol.115「溜飲が下がる」》
2021/02/15/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私は、無性に腹が立っていた。
これは怒りなのか、哀しみなのか? どちらとも言えない感情が、体の中を暴れまわって自分でコントロールできないのだ。
薄暗く、いつもより寒い日だった。冷え冷えとした車の中にいるというのに、頭がズキズキするほど熱く波打っているのが分かった。
何だか泣き出したくなってくるのは何故だろう?
モヤモヤとしたものが積もり積もって、見る見るうちに風船のごとくパンパンに膨らんでいく。
ズキン、ズキン。
風船がこれ以上膨らむことはできないと警報を発しているのに、見えない何かが止まることなく吹き込まれて血管を圧迫していく。
落ち着こう。落ち着かねば。
肩を落として、深呼吸する。
そういえば、妹からラインが来ていた。きっと妹は私のことを心配しているはずだ。バッグからオフにしていたスマホを取り出して、着信履歴からリダイヤルする。
「お姉ちゃん、大丈夫だったの?」
心配そうな声で電話に出た妹のそばで、幼い姪っ子が誰からの電話かと尋ねている声がする。
「とりあえず、ガンじゃなかったよ」
精一杯平静を装いながら、答えた。
「良かったー。それで……」
妹が話しだそうとすると、姪っ子がまだ妹にいろいろと尋ねているようで、なかなか話が進まない。
しばらく妹と姪っ子のやり取りを待ってみたが、電話の向こうの、のんびりとした2人の会話は終わりそうにない。
「お姉ちゃんばかり、どうしてこんな目に遭うんだろう?」
以前そう言って同情してくれた妹に、自分の重たい気持ちを少し和らげてもらうことを期待していたからか、いつもだったら可愛いはずの姪っ子の声が、やけに頭に響いた。
私は、風船が再び膨らみ始めたのを感じ、早々に話を切り上げて電話を切った。
この日に病院で受けた検査は、卵巣の状態を確認するものだった。
卵巣に異常が見つかったのは偶然だった。先日乳ガンが発覚したときに受けた検査画像に、大きく腫れあがった卵巣が写っていたのだ。
医師によると、詳しい検査をしてみなければ、良性か悪性の腫瘍か分からないということだった。
乳ガンに続いて、卵巣もガンかもしれない。
乳ガンが見つかって、そちらは来月に手術をすることが決定している。もし、卵巣もガンであれば同時に手術をしなければならないかもしれない。
そうなれば、遠方で実施される娘の大学受験に付き添う予定だったのに、その日までに退院ができないかもしれない。
目まぐるしく思いもよらない事が起こり、私の不安は尽きなかった。
乳ガンのことをやっと受け入れて、手術にも前向きになっていたというのに。
このことを夫から知らされた娘は、私がいない所で号泣したと後で聞かされた。どうして、あれこれ同じタイミングで重なるのだろう?
いろいろなことが頭を巡り、今日の検査まで頭がショートしたままだった私は、落ち着かない日々を過ごしていた。
検査の結果、卵巣ガンではなかった。
それでも腫瘍が大きくなりすぎているために、乳ガンの手術後に受ける放射線治療が終わったら、卵巣の手術は必要だという。
最悪の結果でなかったことにホッとした反面、やっぱりまた手術をしなければならないのかと複雑な気持ちに包まれた。
結果を聞いた後、どっと疲れが押し寄せた。ただでさえ、大学共通テストが終わって以来、娘の進路について夜遅くまで話し合う日々が続いて寝不足だった。
何だか、体が重い。足を引きずるように、車を停めていた駐車場に向かう。
ひとまずガンでなかったことを喜ぶべきなのだろうが、張りつめた糸が切れると、今度は言いようのないやるせなさが頭をもたげてきた。
一体、次から次へと私に起こる試練をどう思ったらよいのだろう?
2年前には難病が発覚して大きな手術をしたし、車の前面が潰れるような交通事故も体験した。
これまで病気で受けた手術も、1度や2度ではない。
妹の言葉を借りれば、「お姉ちゃんにばかり、災難がやってくる」状態のようだ。
集中砲火のように、次々と困難が私に襲い掛かってくるのはどうしてなのだろう?
まさか、私は試されているのだろうか?
神様は、その人が抱えきれない試練は与えないというから、まだまだいけると思われているのだろうか? それにしてもあんまりじゃないの?
誰を恨みようもないから、いるかどうかも分からない神様に向かって愚痴を言う。
前世で悪事を働いたから、現世で償いをしなければならないとか?
今からもっと試練を与える予定があって、心の筋肉増強のために小手調べをされているとか?
普段からできるだけ前向きに考えようと努め、神様が見ているかもしれないと思って、大それたことができない小市民の私なのに。
まるで、高所恐怖症なのに無理やりジェットコースターに乗せられ、いつ奈落の底に落ちるのかカウントダウンに怯えている人のようだ。
考えてもどうしようもないけれど、我が身の不運が恨めしい。
何で? どうして? 何か悪いことをしたのだろうか?
グルグルと結論の見えない思考の中で、さらに私の風船は膨張を続け、抜け道を見つけられない重苦しいガスは充満しきっていた。
これは、何とか目先を変えるしかない。
妹との電話を切った後、ズキズキする頭をハンドルに持たせかける。
今から家に帰るのに、こんな気持ちを引きずっていては駄目だ。
大学受験で大変な時期の真っただ中にいる娘に、家の中で暗い顔を見せたくはない。
ため息をついて車を始動させ、病院駐車場の出口で料金を支払う。いつもならこの先の交差点を右に曲がれば、家への帰路だ。
交差点で、信号待ちになった。
もうすぐ信号が青に変わろうとするとき、私はウインカーを左に上げた。
左に上げたウインカーの先は、郊外のショッピングセンターだった。
大好きなウィンドウショッピングでもすれば、少しは気が紛れるのではないかと思ったのだけれど、今のご時世、そうのんびりと長時間滞在するわけにもいかないことを思い出した。
ショッピングセンターの駐車場に車を停めて、しばし考え込み、2週間後に迫った入院準備の品物を買うことにした。ウィンドウショッピングとは違うけれど、買い物で少しは気分が上がるかもしれない。どちらにせよ、ここ何日かの間に購入しておかなければならないものがあるのだから。
入院期間中は、コロナの影響で面会ができない。共用の洗濯機はあるが、今の情勢では使用を遠慮する人ばかりだという。着替えを多く準備しておかなければ。入院日数に合わせて、真剣に品定めを始めた。
あれ? 何か良い感じじゃない?
しばらくして、ふと気がついたことがあった。
それは、買い物をしていた店に流れているBGMだった。女性ボーカリストの心地良い、いい意味で力を抜いた歌声が、ボサノバ調の音楽に乗って、優しくおだやかに私の心に流れ込んできた。
……癒されるな。今度、この曲を調べて聴いてみよう。そんな風に思わせてくれる曲だった。
思いもよらず心のかさぶたに絆創膏を貼ってもらったように、ヒリヒリしていたところが少し治まったような気がした。
必要な物を買い終えた後、ちょっと気分が良くなって、晩御飯の買い物をしようと食品売り場へと向かっていたところで、フッと私の鼻をくすぐる香りがした。
振り返ると、コーヒーショップがあった。そういえば、検査を受けるために朝食を食べていなかった。昼食もまだだったから、その香りで急激にお腹の虫が騒ぎ出した。
そのお店のショーケースには、私が好きなフレンチトーストがあった。しかもメープルシロップがたっぷりとかかっているようだ。
即決した私は、その店に入ってコーヒーと共に注文した。
甘いものはやっぱり欠かせないよね。そう思いながら、フレンチトーストとコーヒーが来るまでの間、自然と私の心は緩んでいた。
「お待たせしました」
そう言って店員さんが運んできたフレンチトーストとコーヒーを見た瞬間、私はすっかり笑顔になった。
コーヒーの香ばしい香りと、フレンチトーストの甘い香り。幸福感が増す、ベストマッチの組み合わせだ。
あー何だか、私、簡単な人だ。
さっきまで不幸を一身に背負っていた人が、嘘のようにご機嫌になっている。
お腹が空いていたから、余計に悲観的になっていたのかもしれない。
フレンチトーストを一口頬張ると、頑なだった心が解けるような気がした。
ペロリと平らげ、満たされた気持ちをコーヒーで流し込んでいると、ラインの着信音がした。
娘からだった。
いつもの駅に到着する時間を知らせてきたのだ。すでに乗車した後らしい。日頃このラインを見て、学校帰りの娘を最寄りの駅まで迎えに行くのが私のルーティンである。
ところが、このショッピングセンターからその駅までは、車で30分以上かかる。
娘は、駅から車で7分の我が家から迎えに来ると思っているだろうから、どう考えても間に合いそうにない。
ラインでそのことを返信すると、すぐにまた返事が返ってきた。
「慌てなくてゆっくりでいいよ。お母さんが来るまで、のんびり駅で待っているから」
きっと、私が朝から検査で緊張していたのを知っていたのだろう。私のことを慮っての温かい文面にじんわりとする。
もう大丈夫だ。笑顔で帰宅することができる。また手術は必要だけれど、ガンでなくて良かったと暗くならずに言えそうだ。
ショッピングセンターを後にして駅に向かっていると、天気が回復し、雲間から光が射してきた。
随分気が楽になった私は、明るくなった遠くの空に向かい、やや大きめの声で訴えかけた。
窓は閉めているし、自分の車の中だもの。遠慮することはない。
「神様のバカー! もう試練は十分です。そろそろいい加減にしてもらっていいですかー?」
ふーっ。言ってやった。
ちょっとはスッキリした、はずだった。
溜飲を下げたつもりが、言った後なぜか不安になった。
だって、「バカ」なんて言ってしまった。いつもすんでのところで助けてくれる神様に。
そうなのだ。
神様は私に試練を課すけれども、どういう訳か奈落の底へ叩き落したりはしないのだ。
大学生の時、真夜中に一人で帰宅中に暴漢に襲われそうになったときも、信じがたいミラクルを起こして助けてくれた。
過去に受けた手術も、器官の全摘出を免れ機能を回復することができた。
難病と診断され、疲れやすくできないことは増えたが、それでも今のところ普通に生活できている。
交通事故のときは、車のダメージからすれば驚くほどに私は無傷で済んだ。乗っていた車がはじき出された先が、収穫直前の麦畑だったためクッションの役目を果たしてくれたのだ。もし道に塀などが建っていたなら、即死だったかもしれない。
乳ガンは見つかったけれど、早期に発見できたから、手術して治療すれば生存率は問題ないと言われた。
今回の卵巣だって、ガンだと思っていたらそうではなかった。今後のリスクを考えて手術すれば心配することはないのだ。
いつも決定的なダメージを与えるわけではない神様の意図は分かるはずもないけれど、生きている限りまた何かしらの試練は来るのだろう。
私が乗っているのは、一気に下までストンと落ちるジェットコースターではないようだ。きっと小刻みにアップダウンを繰り返し、スリルと安堵をないまぜにしながら進まざるを得ないのかもしれない。
そんな中、危機一髪で助けてくれる神様は、私にとって絶体絶命の場面に駆け付けてくれる騎士のような存在なのだ。
それなのに、バカ呼ばわりしてごめんなさい。
お願いだから、罰は当てないでください。
やっぱりどこか神様を信じている私は、心からの悪態をつくことができないでいるのだ。
□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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