週刊READING LIFE vol,120

タンスの肥やしの扱い方《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》

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2021/03/22/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
実家に帰った日、母が嬉しそうに私に話しかけた。
「いいもの、買ったのよ」
母がこういう風に話しかけてきた時、たいていの場合は買ったことを認めてもらいたいという気持ちが見えている。
 
「何を買ったの?」
私も興味を持って聞き返す。
 
このところ、コロナの影響もありなかなか外出しない母が、どうしても買い物に行きたくなって、出かけたというのだ。
元来、母は出かけるのが好きな人である。好きなように出かけられず、ストレスも溜まっているのだろう。
 
自粛生活の中だが、健康のために体操教室は行くようにしていて、そこに行く時のバックを買ったというのだ。母にとってその体操教室での時間は、今、一番楽しい時間である。その楽しいところに行く時に持つバックは、気持ちが盛り上げてくれるアイテムなるはずなのだが、今のバックではどうも気持ちが盛り上がらない。
 
今まで使っていたバックは、近所の大型スーパーの衣料品コーナーで買ったもので、教室に通い出す際に、とりあえず必要で買ったものだった。気分を盛り上げる重要なアイテムとしては物足りない。だから、新しいのを買うことを決めて、駅ビルの小さなデパートに探しに行った。
 
奥の部屋から母が出してきたバックは、カラフルでとても素敵なものだった。私も心からそのバックを褒め、母の買い物の様子やバックの使い方に、話は盛り上がっていた。
小さなデパートなので、本当なのかどうかは怪しいが、そのお店は、フランスでデザインされたものを扱っているとかで、ちょっと洒落た感じのものが多いということだった。
 
「でもね……」
と母が、ちょっと沈んだ声で言う。
「実は、もう一つ買っちゃったのよ」
 
え? 何を?
どうも、同じお店で何かもう一つ買ったようだった。バックを買いに出かけたということは理解していたけれど、他にも欲しいものがあったのだろうか。
 
「いいかなって思って買ったけど、それを着ていてその柄を見ていると、頭が痛くなるの」
と母は言う。
 
頭が痛くなるとは大げさな話だと思いながら、その買ったものを見せてもらうことにした。
「パパには内緒よ」と言いながら出してきたものは、春に着るナイロンのパーカーだった。
着て見せてくれた母の姿を見ると、確かにいつもの母の感じではない。そして母が言うように、何ともその柄が、母にはちょっと違うのかな、と感じた。
 
「何で買っちゃったんだろう。いいと思ったんだけど……」
明らかに衝動買いである。きっとバックが気に入ったので気分が高揚し、その勢いで買ったのだろう。
「お似合いですよ」なんて言われると、人は何となくいい気分になって、買ってしまうものである。
 
「いいわ、タンスの肥やしにするから」
改めて、自分が着ている姿を見て、やっぱり着る気持ちが湧かなかったらしい。母は諦めるように言った。
 
「ねえ、ちょっと貸して。私が着てみる」
試しに私が着てみると、悪くない。私に方が明らかに似合っている。
母もリビングにある鏡越しに覗き込み、「あら、いいじゃない」と何だか嬉しそうだ。
 
「じゃあ、私がもらってもいい?」そう聞くと、「無駄にならなくてよかった」とちょっとすっきりした様子で、私にそのパーカーをくれた。
とりあえず、そのパーカーは母のタンスの肥やしになることは逃れたわけだ。
 
誰にだってこんな風に、衝動買いをして後悔をすることもあるだろう。それは、一旦、引き出しにしまわれて、実はそっと忘れ去られるものである。しかし、衣替えの季節になって引き出しの奥からそれが現れた時、また思い出して、買ってしまったことを後悔する。
 
今回、母はそのタンスの肥やしを見ることが二度とないので、再び後悔をすることはないだろう。人は、見れば思い出すが、見なければ思い出さないことも多い。
 
実は、母と私の関係において、このパターンは何度かある。
私の年齢が上がるにつれて、母がちょっと若い気持ちで買ったものが、私にとってはちょっと地味かな、くらいで済んでしまうこともあるのだ。
 
そのもらった服を着て実家に帰ると、母はすっかり忘れて
「それ、素敵なスカートね」なんて、言いだす始末だ。
母にとって一瞬の後悔はあったものの、私にあげてしまったとたん、そのものの存在からみんな、なかったことになってしまったのだろう。
 
「ところで、しゅこちゃんは、タンスの肥やしはないの?」と母に聞かれた。
「タンスの肥やしねぇ」と言いながら、自分のクロゼットや引き出しの中を思い出す。
「私、ケチだから、衝動買いはしないの」と言うと、母は笑った。
 
母は衝動買いをするたびに、「ちょっといいなって思ってもすぐ買わないようにする」と反省の言葉を口にする。
洋服の衝動買いにおいてタンスの肥やしは「後悔」そのものだ。そこにあり、それを見るたびに「なんでこんな着ないものを買ってしまったのだろう」と思う。「後悔」を引き出しにしまっている状態になる。
 
タンスの肥やしは無駄なものであることは間違いないが、「後悔」は無駄なものなのだろうか。
 
よく、「後悔は必要ない、反省が必要なんだ」ということを聞く。確かに、「後悔」だけをしても仕方がなくて、その次に同じことを繰り返さないように、「反省」することが大切だということはよくわかる。
「後悔」から「反省」へとつながっていくのであれば、それは一つの成長と捉えることができるだろう。
 
ある心理学者が言っていた。
人類が「後悔」を必要としているのは、進化の過程の中で、生存にとってより良くするため、失敗を学ぶためにあると。
後悔をすることで、失敗を心に刻み、そして二度とここの失敗を繰り返さないように、「反省」がより促されている。「反省」し、同じ過ちを繰り返さないようにすることで、人類は生き残ってきたというものだった。
だから、現代になって「後悔」と自覚していなくても、人間はいつでも「後悔」をする動物、「後悔」が必要な動物なのである。
 
「後悔」にはネガティブな感情がついてまわるものだから、それを意識しすぎるのもマイナスである。そんな観点から、現代では「後悔」を「なかったもの」にしたいのかもしれない。そして、「後悔」にフォーカスするのではなく、「反省」にフォーカスをしている。
 
タンスの肥やしという「後悔」は、現代において割と簡単に、なかったこととして解消することができるのかもしれない。
母は私にその「後悔」を渡してしまうことで、なかったものにしてしまった。欲しいと思い、使ってくれる人にあげてしまえば、「後悔」は人にプレゼントしたという「喜び」にかわってしまう。
今の世の中なら、他の方法でも簡単にその「後悔」を手放すことができる。例えば、メルカリのように一般の人同士が簡単に売り買いできれば、手放したい人と欲しい人はすぐにつながる。そうすれば、ものは目の前から消えてしまい、そして代わりにお金という「喜び」も手に入る。それで「後悔」の痛みを和らげることができる。
 
簡単に手放せることがわかっていても、なぜだか手離さないで、一旦タンスの肥やしになるものもある。私はそんな時、綺麗に畳んでしまっておく。
「後悔」だからと言って、乱暴に扱ったりはしない。
そうすると、不思議なことに、そんなタンスの肥やしがある時、「肥やし」じゃなくなる時もある。季節の変わり目、衣替えをしていて発見したそれが、急に輝いて見える時があるのである。
 
「あれ、これは今なら着ることができるかも」
そんな気持ちになって、鏡の前で合わせてみたら、なんだかいい感じである。
流行りすたりはあるものの、年齢が追いついたのか、気分が変わったのか、タンスの肥やしから格上げされて、その季節に活躍することもある。一度は直感的にいいと思ったものなのだから、やっぱり惹かれるものもあるのだろう。
 
丸まったシワの入ったタンスの肥やしには、そのチャンスはほとんどない。そんなくたびれた洋服を見れば、気が滅入るのは当たり前だ。そんなものに「いいかも」と思うはずもない。だから、私はその「後悔」も大事に扱うのである。
 
「後悔」を乱暴に扱うから、それを久しぶりに発見した時にはとても重たい気分になる。さも、そこにあることが当たり前かのように、綺麗に扱っていたら、そこにただちゃんとあるだけ、他のものとは変わらなくなってくる。そして、チャンスがやってくる。
「後悔」も扱い次第では、そのうち希望になるのかもしれない。

 

 

 

母に、「タンスの肥やしがないのか」と聞かれ、家に帰るとなんとなく気になって、クロゼットの中の引き出しを開けてみた。
母にはあんなことを言ったものの、本当に無駄なものは入っていないのだろうか。
 
引き出しを開けてみると、一番奥に一枚のニットジャケットが入っていた。
そこに、ちゃんと綺麗に畳んであった。
もう、何年も袖を通すことをしていないニットジャケット。それは十数年も前に購入したものだ。
衝動買いではなく、ある時期好んで着ていた。でも、もはやそれはサイズも雰囲気も今の自分とは合わない、着る機会のない、タンスの肥やしだった。
 
私はそのジャケット見るたびにある人のことを思い出す。
その人とは、あるバーで知り合った。友達と飲んでいた時に、声をかけられたのだ。アパレルの会社をやっていた人で、都内に幾つかのお店を持っていた。
 
その人と知り合って、初めて二人で食事をした後、私はそっと彼の持っているお店に行って、そのニットジャケットを買ったのだ。当時の私からすれば、少し高い買い物だったけれど、彼が作っているものを一つでいいから欲しかった。
 
彼に会う時にそのジャケットを着たことはなかったが、彼にはそのジャケットを購入したことを告白した。とても喜んでくれて、「僕もあれは気に入っているんだよ。いい買い物をしたね」と褒められたことを今でも覚えている。
 
その頃の私は、独立してからやっと人並みに仕事ができるようになった時期で、まだまだ世の中がわからないような、子供だった。だから、彼から受けとるものはとても多く、彼は間違いなく、私の仕事に対しての姿勢に影響を与えてくれた大切な人の一人だ。
 
ある時、業界の人が多く来ているバーで、成功し、はしゃいでいる人たちを見ながら彼が言った。
「みんな成功して毎晩こうやって飲んで、遊んでいるでしょ。でもね、こうやっている時も前に進むことを忘れちゃダメだよ。毎日、数ミリでもいいから前に進んでいかなくちゃ。そうしたら、立ち止まっている人と、振り返ったらどれだけの差がついていると思う?」
 
私は自分が努力をしている時、そしてくじけそうになった時、いつもこの言葉を思い出す。毎日数ミリなら、私だって前に進める……。
 
残念ながら、私はその彼とは別れることになる。最後に彼と電話で話した時、もう二度と会うことはないと思いながら、「うん、またね」としか言うことができなかった。
 
「後悔」というものは、「反省」へと変えていき手放すことができるものだけれど、手放せない「後悔」があるとしたら、それは今そばにいない人への「後悔」だと思う。反省しても、やり直すことはできない。ただ「後悔」が残っているだけだ。
 
あの時は、精一杯だと思っていた自分の言葉。最後にした会話を思い出すたびに、どうしてあの時、もっとちゃんと話さなかったのだろう、もっと最後に気持ちを伝えておけばよかった、と強く思う。
あのジャケットを手放すことができないのは、彼との思い出と「後悔」そのものだから。「後悔」は、今もそしてこれからも、引き出しの中に残る。
 
綺麗にたたまれたニットジャケットは、タンスの肥やしから変わることはないけれど、今は少しだけ、私に希望を与えてくれている。
 
もう二度と同じ「後悔」をしないために、今度、大切な人ともう会うことはないとわかった時は、必ず心からの「ありがとう」を伝えよう。
そう、心に決めている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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