ドロドロした嫉妬を感じて気付いたこと《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》
2021/04/12/公開
記事:kiyo(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「おはようございまぁす」
彼女はいつも、定刻を少し遅れても堂々と出勤してくる。それなのに誰も怒ることなく、むしろ彼女が現れると、特に男性陣は口元をふっとほころばせる。
そんな様子を見ては、ムッとした感情を抱くのが朝の日課だった。
タレントの優香みたいなその彼女は、1年の任期付きのアルバイトだ。
私が以前勤めていた職場は男性が9割を占め、昭和気質の残る男性優位の職場だった。だから女性の存在はどうしても目立つ。ましてや若い女性は存在だけで華になる、そんな職場だった。
男性の多い職場だからこそ、彼女の「女性らしさ」は際立っていた。彼女が通り過ぎると、明らかに男性陣目つきが変わるのだ。
採用直後は控えめだった彼女の化粧は、明らかに日に日に派手になり、服装も女性らしい体つきを強調するようになった。仕事上、歩く機会は誰よりも多いはずにもかかわらず、必ずカツカツと音が響くハイヒールを履いている。また髪が長く、一日に何度もヘアスタイルを変えていた。
そして声は大きくてはっきりしているから、彼女がそこにいるとすぐわかる。
どこにでもある女の嫉妬に過ぎないかもしれないが、その頃は私もまだ若かっただけに、そんな様子を感知しては、無性にイライラしていた。
そう、女特有の敏感な察知力のようなものが働き、無意識のうちに彼女のことを気にしてしまうのだ。
私が感じていたイライラは、何も彼女の外見だけではない。
彼女はいつも笑顔で、積極的に周りに話しかけていた。かわいくてセクシーな若い女性に話しかけられてうれしくない人はいないだろう、同年代の同性を除いては。
彼女が私の近くに来ると心がざわつくので、しばらく席を離れてみるのだけれど、戻ってもまだ彼女がそこにいて、会話がさらに盛り上がっていた、そんなことは日常茶飯事だった。
しかし彼女の行動力やコミュニケーション力など、私にはないもの、もしくは私が怠っていたことに対して躊躇することなく取り組んでいる様子、そして彼女が起こした行動に対し、周囲もポジティブに変わっていく様子にも、苛立ちを覚えていたのだ。
彼女の行動は、私からすれば次第に「エスカレート」し、いつしか彼女は職場のアイドルのような存在になっていた。その頃になると、彼女が現れると、今度は男性陣が率先して笑顔で彼女に話しかけるようになっていた。仕事中も雑談することをためらわず、いつも誰かしらと廊下や階段で会話をしていたものだ。
一体、勤務先を何だと思っているのだろう。
アルバイトのくせに、なぜ目立つような行動をとるのだろう。
彼女も彼女だが、男性陣も男性陣だ。
そんなことをずっと感じては、彼女がいなくなる限り終わることのない、イライラの感情に苛まれていた。
彼女がいるだけで自分の心が黒くなっていくのが、自分でも見て取れた。
イライラのピークは、バレンタインデーのときだった。
これまでは、職場では少数派の女性陣がお金を出しあってスーパーで安く買える個装のチョコレートまとめ買いし、色気皆無の業務用のふせんに一言「ご自由にどうぞ」書いたメモと一緒に給湯室に置いておいた。もちろん贈り手ともらい手の間のコミュニケーションはさっぱりとしたもので、コミュニケーションと言えばせいぜい数人の話し上手な男性から「いただきます」と言われる程度のものだった。
しかし彼女はもうひとつの行動をとった。職場は総勢80名近くの社員がいる大所帯だが、手作りのチョコレートを男女全員に手渡しで配り歩いたのだ。それも、手書きのメッセージを添えて。
彼女がひとりひとりと短からぬコミュニケーションをとり、場が盛り上がり、そして周囲の男性陣も席を立つことなく、彼女が来るのを待っている様子を見るのが辛かった。そしてそんな彼女は私の元にも同じ態度でやってきたのだが、私は彼女と目を合わせることもなく、おそらく口角はダダ下がりの状態で「ありがとうございます」としか言わなかった、いや、言えなかった。
今思えばよくわかるのだが、私が感じていたその「イライラ」は、まさに「嫉妬」だったのだ。
自分にはできない、いや、やろうともしなかったことを躊躇せず、そして億劫がらずに行動を起こしていた彼女のことを。そして、与えられた以上の仕事を果たしていた姿を。
そう、彼女はアルバイトではあったが、与えられた業務の他にも自分から率先して社員の仕事をしていた。これまでアルバイトの職員には貸与されていなかったパソコンを、社員が不在にしている間だけ借りて、資料を作成したり、もしくは既存の資料に手を加えたりしていた。
そんな彼女の周りには、いつも誰かしら人が集まっていた。
そんな彼女の1年の任期が満了を迎えようとしていた直前、任期がもう1年延長することになった。
その話を聞いた時、私は憂鬱な気持ちでいっぱいになった。
当時の手帳を開いてみると、彼女についてのメモがたくさん残っている。そこには他人にはお見せできない類の言葉が並んでいる。当時、きっと感情を紙に書きだすことで、心を落ち着かせていたのだろう。
恥ずかしい話だが、その頃はいろんなジャンルの本を読み漁るようになった。ビジネス本を読んでは、彼女の行動や言動を、当時勉強していたビジネスのフレームワークにあてはめて図式化した。単に「イライラ」を感じるだけでなく、どうすれば勝てるのかを考えるようになっていった。
ビジネス本やファッション雑誌を眺めた結果、私は私の立ち位置を活かしていこうと心に決めた。
私も単に彼女を眺めてはイライラするだけでなく、自分を磨こう。そして私も自分の業務を精いっぱい頑張って、「できる女」を目指した。
彼女みたいに媚を売ることはできないけれど、自分の机に座って遠くから彼女のことを見ているだけでなく、もっと動いて、仕事という別の方法で周りをどんどん巻き込んでいこう。私も活躍している姿を彼女に見せつけてやる。そんな気概で仕事に取り組むようになった。私が行っていたことは、「仕事を頑張る」といえば聞こえは良いかもしれないが、「マウンティング」とも言えるかもしれない。
これも恥ずかしい話だが、それからの私の変わりぶりも凄まじいものだった。
一度彼女をライバルに定めたら、あとは勝つための行動あるのみだ。仕事は、いつも自分で何とか解決しようと思っていたのだけど、発想を切り替え、同僚達を積極的に巻き込むことにした。また、同僚が困っていたら率先して相談に乗ったり、一緒に問題解決にあたるようにした。
そう、周りの私に対する認知度を上げ、存在感を高め、認めてもらうために躍起になった。
笑われてしまうかもしれないが、彼女が視界にいるときは、もう席にいるのをやめて、手を動かしたり、誰かしらに話しかけるようになった。
正直に言うと、特に人間関係で判断に迷うときや、困ったときは心のどこかで「彼女だったらどうするか」を考えていた。言ってみれば、彼女はライバルでもあるが、同時にベンチマークのような存在になっていた。
私は彼女と同じ立ち位置にいるわけでもなく、本当は妄想の世界の話だけど、この発想は男性社会の中で働くための武器になった。「彼女だったらどうするか」の答えは、たいていの場合、「笑顔で相手を立てる」ことが共通していた。
「彼女に勝つため」に頑張ってきた副産物として仕事でも評価されるようになったのは、おそらくこの少しあとからだ。人事評価では連続で高い評価がつくようになったのだ。
それから彼女のうわさを聞く機会が増えた。
以前は遠方の観光地の旅館で仲居として働いていたこと。
結婚していて、小さな子供がいること。
今は旦那の両親と同居していること。
旦那の稼ぎが少なく、生活に困っていること。
アルバイトとして働いているが、不満を持っていること。
本当は定職に就きたく、勉強していること。
彼女の意外性には驚いた。なぜなら彼女は暇つぶしにアルバイトをしていて、また(恥ずかしい話だが)アルバイトという正社員の私より低い地位にいるにもかかわらず、まるで職場をアイドルとして輝くための舞台のように利用している、そしてその舞台を存分に楽しんでいるものと勘ぐっていたから。
これも妄想の反中だが、彼女が日々行っていたコミュニケーションは、私から見たら遊んでいるようにしか思えなかったが、仲居としての彼女の経験からは、それはサービスであり、当たり前だったのかもしれない。
むしろ地位の高低の意識や、人を簡単に誤解してしまう私自身の性格の曲がりようや、その危険性を痛感した瞬間でもあった。
しかしその後も彼女の存在感、ライバルの意識は消えることはなかった。
最後まで彼女と話す機会はほとんどなく、仲良くなることももちろんなかった。
その後、井の中の蛙の話ではあるが、職場の中では花形と言われている部署で働くことが決まった。
そのとき、彼女も自分ごとのようにうれしそうな様子で、私に話しかけてきた。
これまで仕事を頑張ってこれたこと、高い評価を得られたことは、実は彼女の存在感のおかげによるところが大きい。
私はやはり「ありがとうございます」としか言えなかったけれど、あの時の笑顔は、私の人生訓として、忘れることはないだろう。
□ライターズプロフィール
Kiyo(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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