大好き、大嫌い、死んでくれたらいいのに週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》
2021/04/12/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
4月3日。
ふとカレンダーを見て、今日があの日だということを思い出した。
今から9年前、2012年4月3日、夫は家を出て行った。
正確に言うと、出て行ってもらったのだ。
会社の6期後輩だった夫とは社内恋愛の末、結婚した。
大阪の中堅商社で9年働いていた私は、社会の厳しさとともに、人間模様の酸いも甘いも知ることとなっていた。
そんな人間関係に疲れていた頃、ずっとスポーツ一筋だった夫と知り合うこととなった。
私の所属していた部署に配属されてきたのだ。
最初は、先輩として仕事を教える立場だったのだが、新入社員というだけではないフレッシュ感が清々しい印象の男性だった。
その反面、こんな商社という場でこの人はやってゆけるのだろうかと心配するくらいだった。
当時の夫は、純粋で、ウソのつけないような人間に見えたからだ。
夫も私自身に、自分にないものを持った相手として大切な存在となっていったようだ。
二人は次第に惹かれあっていった。
恋愛期間はとても楽しかった。
20歳頃の恋愛を最後に、誰とも付き合うこともなく、ただ毎日仕事をするだけで過ぎて行った数年間だった。
そんな私に、久しぶりにできた彼だった。
年下の男性というのは、行動力もあり、それまで私が見たことがないような世界を次々と経験させてくれたのだ。
4歳の年の差は、ときにアニメや音楽ではジェネレーションギャップもあったのだが、それもまた楽しかった。
これまでの恋愛にはなかった新鮮さが魅力で、やがて結婚を意識するようになっていった。
2年半の交際期間を経て、私たちは結婚した。
新婚生活は台湾の地でスタートすることとなった。
海外赴任というのは、当時とても待遇が良かったのだ。
赴任地での家賃、光熱費、医療費までも会社持ちだった。
さらにお給料は赴任手当があり、入社4年目としてはとても恵まれていた。
そのうえ、台湾は当時物価も安く、しかも、台北からバスで1時間半離れた街に住んでいたので、生活費はさほどかからなかった。
ということで、たまったお金は週に一度のお休みに、台北へ出かけてブランド品の買い物やホテルでの食事などに使っていた。
それが、海外生活でのストレス解消にもなっていたのだ。
今思うと、優雅で生活感がない時間でもあった。
台湾での赴任は1年半という短い期間で帰国となり、その後、しばらくすると娘を授かった。私たち夫婦の関係がおかしくなっていったのは、娘が生まれてからのことだった。
夫に他に女性がいることがわかったのは、娘が4歳になった頃だった。
それまでにも、うすうすおかしいとは思っていたが、子育てに忙しく見て見ぬフリをしていたのだ。
それが事実のこととわかった時、夫にそのことについての説明を求めると、荷物をまとめて出て行ったのだ。
その後、実家に身を寄せている間に交通事故をおこし、数か月の入院生活の後、結局夫はまた家に戻ってきた。
心を入れ替えたものだと思ったのだが、それは甘かった。
その後も相変わらず次から次へと女を作り、遊んでいた夫。
私には、もうこの夫との将来は長くないとの思いが頭をよぎってから、証拠集めをするようになった。
当時の携帯電話は、暗証番号は何度失敗しても大丈夫だったので、0000~9999までを、夫が入浴中に操作して解除し、携帯電話の中身をチェックした。
たいていは、その時付き合っている女の生年月日だ。
私には、書かないような丁寧な文章、ヘドが出そうな愛情表現、絵文字を駆使した内容に最初は怒りも覚えたが、その後慣れてゆくと嘲笑しながらの作業となっていった。
証拠となるような文面、写真は自分の携帯へ転送し、その形跡を消去。
そんなことを12年ほど続けていた。
その中で、次々と現れる女たち。
内容を読んでいて、腹が煮えくりかえるような思いをした相手には、とうとう電話もかけたことがあった。
今思うと、何がしたかったんだろう。
慰謝料を請求したかったのだろうか。
もう、詳しい話の内容は覚えていないのだが、不倫相手の奥さんから直接電話がかかってきたら、女の態度には二通りのパターンがあった。
一つは、冷静な態度でただ謝る女。
相手をなだめて、なんとか突飛な行動をされないように防御していたのだろう。
法外な慰謝料を請求されたり、脅迫されたりするとでも思ったのだろう。
そして、事なきを得て電話を切ると、相手は電話番号を変えるのだ。
もう一つは、こちらにしゃべらせないくらい、まくしたてるようにしゃべる女。
夫が奥さん(私)のことを、こんなふうに言っていた、あんなふうに言っていた、という内容だ。
つまり、あなたの夫はあなたのことをこんなに嫌って、悪口言っていましたよ、と言いたいのだ。
だから、そんな奥さんなんだから、夫が遊ぶのも無理ないわ、ということを言いたかったのだろう。
いずれにせよ、大きなお世話だし、お前には関係ないだろう、と言ってやりたかったのだが、なんだか途中で心拍数があがってきたことだけは覚えている。
人生の中で、一番面白くなく、一番無駄で、一番意味のない行動だったと振り返る。
そんな感情も、だんだんと軽薄になってゆくのを感じた。
恋愛結婚をした当初、夫に対しては愛情がいっぱいあった。
そのうち、愛というのはすぐに剥がれ落ちてゆき、情だけが残った。
娘の父親でもあるし、一度は好きになった相手だったからだ。
それから行きついたのは、無関心という境地だ。
きっと、道端で苦しんで倒れていても、何も感じないだろうな、ということだ。
ところが、この夫の女性関係が私にもたらした大きなことが一つあった。
それは、私自身、女性としてより意識して生きてゆこうということだった。
娘が生まれてからは、髪型やお化粧、洋服などのおしゃれへの関心が薄れていた。
ところが、夫が他の女と遊ぶようになってから、私自身、負けたくないと思うようになったのだ。
それは、夫にもう一度自分を見て欲しいとか、相手の女よりも綺麗になってやる、ということではさらさらなかった。
私自身、輝いて、女性としての人生をもう一度愉しんでやろうというものだった。
でも、そうなることで今度は私が他の男性との恋愛を希望していることでもなかった。
あくまでも自己満足であり、見知らぬ人からも、「あの人、素敵だね」と思われたかったのだと思う。
夫に不倫されて、かわいそうな奥さんと思われたくなかった、私の健気な抵抗の思いだったのかもしれない。
まるで女優のように、幸せな奥さんを演じ続けようと思ったのかもしれない。
夫に振り向いてもらえないならば、他の誰かにでも認めてもらいたいと思うように気持ちがすり替わっていったのかもしれない。
37歳のとき、私はピアスを開けた。
当時は珍しかった、ネイルサロンにも通った。
エステにも行き、アートメイクやまつ毛パーマなど、女性としての身だしなみに意識をするようになった。
女性を意識して生きることは、私が夫の不倫問題を忘れる唯一の砦だったように思う。
それから、私たちは離婚することとなった。
あの、不倫の事実が発覚してから、干支が一回りした年だった。
毎日のように「死んでくれたらいいのに」と思うようになっていったとき、もうここが潮時だと感じたのだ。
そのために、今で言うところの離活というものを水面下で進めていた。
慰謝料、養育費、年金、その他の条件や公正証書のことなどは、2冊の本を読んで勉強して決め、その内容を弁護士に相談してから行動を起こした。
喫茶店に夫を呼び出し、私の記載が済んだ離婚届けを差し出した。
自分のしたことをよくわかっていたし、もう夫婦の関係は破綻していたので、思っていた以上にすんなりと受け入れられ、ほぼ90%こちらの思い通りの離婚となった。
そして、夫が実家へと引っ越すこととなったのが、2012年4月3日。
あの日は、これまで経験したことのないような春の嵐の日で、引っ越し業者さんは大変そうだった。
「奥さん、すみません、段ボール箱が濡れちゃって」
引っ越し業者さんには、夫が単身赴任でもすると思われていたのだろう。
「い~え、全然かまいませんよ」
ずぶ濡れになってゆく段ボール箱を見ながら、心の中で「ざまあみろ」と叫んでいた。
外は大雨だったけれど、私の心の中には青空が広がってゆくのを感じた。
あれから9年。
今では、私の中には、元夫に対する怒りも、嫉妬もなく、だれかに認めてもらいたいと思う気持ちもなくなった。
だって、私は私、今の自分を大切にして、楽しく人生を歩んでいるから。
2021年、4月3日の今日は、空も心も晴天そのものだった。
□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。
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