リーゼントの読書〜わたしが最初に読んだ小説〜《週刊READING LIFE vol.127「すべらない文章」》
2021/05/10/公開
記事:古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
パチンコの玉の行方を追っている最中だった。
突然、肩をたたかれた。
振り向くと、中年の女性がいた。
「君は、中学生でしょ」と言われた。
わたしは黙って、女性に促されるままに、パチンコ屋を出た。
当時、中学3年のわたしは、よく学校をサボって、校区外にある駅前の盛り場をうろついていた。
とはいっても、わたしは不良と呼ばれるのには、かけ離れ、勉強でも、スポーツでも冴えない、中学生だった。
そんな自分が、警察に補導されれば、「何かが変わる!」と想っていたが、途中から、教師たちの苛烈な体罰を想像すると、情けないことに逃げ出したくなった。
その中年女性は、わたしを駅構内にある喫茶店に連れて行った。
どうも警官ではないらしい。
その喫茶店は、ピロシキを食べることができるので有名だった。
しかし、わたしは、その喫茶店に入るのは初めてだった。
店内に入ると、タバコの煙、コーヒーの香り、スポーツ新聞、有線の歌謡曲など、昭和の典型的な喫茶店だ。
平日の昼間、作業着、サラリーマン、私服がバランスよく混じっている。
中年女性に席に座るように、促される。
「アンタと同じのが、あそこにも居るよ」と言われた。
パチンコ屋では「君」といったのに、「アンタ」と言われて、たじろいでしまう。
それでも、女性が指さした席を見ると、学生服が見える。
わたしは、驚きのあまり「アッ」という声が出てしまった。
いわゆる「短ラン」というわざわざ上着を腰ぐらいまでに短くした学生服が、タバコの煙の向こうに見えた。
昭和の不良は、学生服をわざわざ変形させて着ていた。ちなみに、上着を太ももにまで長くした「長ラン」というのもあった。もちろん校則では禁止されており、当時のわたしたちは、教師に見つからないように着ること、そしてたとえ見つかって、取り上げられ、ボコボコに殴られようとも、再び着ることが英雄とみなされていた。
しかしわたしが驚いたのは、短ランではない。
短ランの学生服の彼が、リーゼントだったからだ。
リーゼント、それは金髪、角刈りとあわせて、当時の不良の髪型のひとつだ。
しかし、リーゼントは令和の時代には、ほとんど見なくなった。
どんな髪型かというと、
まずは、握り寿司を想像して欲しい。
例えばマグロの握り。
よくマグロが長すぎて、シャリに垂れ下がっているのがあるとおもう。
リーゼントとは、あのマグロ(髪)が、垂れずに真っ直ぐになっているものだ。
彼のリーゼントは、おでこから15センチはあったと思う。
さらにわかりやすくいうと、今でいうスマホぐらいの長さだ。
しかも、ばっちり固まったその髪の上には、タバコの箱ぐらい置いても、折れないで耐えられそうだ。
女性は、何やらパンフレットをカバンから取り出した。
女性の目的は、宗教の勧誘だったのだ。
しかし、わたしが全く興味がない様子を見ると、あっさり諦めて、そのパンフを自分のカバンに投げ込んだ。
本当は、わたしは、リーゼントに圧倒されて、彼女の話を聞くどころではなかったのだ。
出されたミックスフルーツジュースを前に他愛のない話をした。
彼女はリーゼントの母親で、変形した学生服を売る衣料店を営んでいるとのこと。
「アレも、高校に行っても、悪さばかりして」とため息をついた。
最後に彼女は、
「アンタ、学校に行きや」というと、リーゼントのそばで何かを言って、出て行ってしまった。
先ほどまで、短ランや長ランの学生服姿の高校生が4、5人いたのだが、いつの間にか彼はひとりになっていた。
彼は、何かを読んでいる。
教科書より、二回りほど小さいその本は、自分が今まで見向きもしなかった小説というものに違いない。
漫画か、スポーツ新聞しか読んだことがないわたしは、彼の姿を見て、ため息が出てしまった。
そんな彼が、席を立ち、わたしの方にやってきた。
その顔は、色白で、端正な顔つきだが、凄みがある目だ。
「アンちゃん、金出せや」
カツアゲだ、いわゆる恐喝だ。
わたしは、ポケットから小銭、多分500円ぐらいを出した。
「これだけしか、ありません」
その途端、
彼は大笑いした。
「ウソや、ウソや」
「お前は、何中や(どこの中学か)?」
わたしは「〇〇中です」と答える。
彼は「Sは威張っとるか」と聞く。
Sとは、わたしの通っている中学の生徒指導を担当している教師のことだ。
生徒からは拷問部屋と呼ばれている理科実験室に、問題を起こした生徒を連れ込んで、ボコボコにすることで有名だ。黒いサングラスをかけて、生徒をいつも威圧している。
Sにはよく殴られるとわたしが話すと、
「あいつはアホや。アホやから手や足が出るんや」と吐き捨てるようにいった。
リーゼントは、近くの工業高校の生徒だという。
変形した学生服を着る不良は多く、要領の良い奴は、服装検査の日には普通の学生服を着て、ごまかす。
しかし、リーゼントは隠せない。
だから、彼を不良と呼ぶには、形容しきれない何かを、まだ中学生の僕でも感じた。
彼の手には、本が握られている。
「車輪の下に」と見えた。
のちに、わたしが初めて読むことになった小説だ。
「車輪の下」は、ヘルマン・ヘッセが1905年に発表した小説だ。ハンスという少年が、当時としてはエリートが進む神学校に入学しながらも、周囲の重圧に馴染めずに、退学し、故郷に帰ったが、酒を飲んで、川に落ちて、死んでしまう、というストーリーだ。
大人たちの描いた理想の子ども像、それに押しつぶされてしまう子どもたちという比喩を込めて「車輪の下に」という題をつけたと考えられる。
ある研究者によると、「車輪の下に」はドイツより、日本で売れたそうであり、日本人にとっては、感情を移入させやすいのは、日本でよくある若者の受験の挫折を反映しやすかったのではないかと述べている。
リーゼントはわたしを見て、
「アンちゃん、本読まなあかんで」
続けて
「そうじゃないと、Sやうちの母ちゃんのようなバカになるで」と言う。
その時の眼は、とても凄みがあった。
「Sはアホやから、暴力に訴えるんや。でも、俺らもアホやから、せいぜい服や髪型で反抗するしかできんのや。よう考えてみ、服や髪なんて大人になって、金があれば好きにできるやろ」
「ワシはなぁ、今16歳やけど、高校出るまでに、本読みまくって、あいつらに言い返してやるんや。でも、あと2年間しかない、あと何冊読めるかと思うと、焦るで、ほんま」
自分より2歳ほど上なのに、「あと2年間」とか「焦る」と言うのが、驚きだった。わたしは、退屈な時間がずっと続くと思っていたし、それは、とても眠たい、退屈な時間だと思っていたから。
「大人になって本を読むようになると、ロクな本しか読まん、例えばうちの母ちゃんや。宗教とか、ご利益のあるような本しか読みよらん」
「あんちゃんは、なんか本読むか?」と聞いてきた。
わたしは、「赤川次郎、星新一とか」と、よく漫画を立ち読みにいく古本屋の前に、まとめ売りされている本の名前をかろうじて答えた。
実は、そんな小説さえ、読んだことがないのだ。
「はぁ?」とリーゼンは答えた。
「もっと、訳がわからん本を読めや!」と続けた。
“訳がわからん”から、本を読むのが嫌になったわたしにとっては、納得がいかない言葉だ。
「どんな本を読めばいいんですか?」と聞いたら、
これでも読んどけ、といって差し出したのが「車輪の下に」だった。
「貸してください」といったが、
「アホ、本は買って読めや。図書館で借りたら、あかんぞ」といった。
その後も、彼の話は続いた。
しかし、聞いたこともない作者と、聞いたこともない小説の名前を言われて、チンプンカンプンだったが、少なくとも、彼がいうように“手や足を出したりする奴はアホ”というのはよくわかった。
だから、わたしは体罰教師に対抗するために読書を始めようと思った。
学校の図書室から借り出した「車輪の下」は、手垢がついていて、薄汚れていて、カバーうらの貸出カードには10年以上前の貸し出し日付が記載されていた。
30人くらいの日付があった。
つい最近は1年前だ。
中学3年にして、初めて入る図書室。
カビ臭い。
だが、居心地は良かった。
主人公のハンスは、自分とほぼ同じくらいの年齢だろうか?
彼が親友であるハイルナーとキスをするという衝撃の箇所のところで、
閉館のお知らせ放送が入った。
もう5時だ。
閉室の時間だ。
図書委員会のクラスメイトの可愛いと評判の女の子が「何読んでいるの?」と聞いてきたが、“同性のキス”のシーンにうろたえていた自分は、そのページを見られるのが怖くて、
「うるさいんじゃ!」という自分でも情けないぐらいな言い方でしか、返事ができなかった。
小説には、どうやらすごいことが書かれていて、自分にはうかがえしれないところを見ることができるということがわかった。
その日、わたしは、人生で初めて図書カードを作り、初めて本を借りた。
家に帰り、布団にもぐって、懐中電灯を持ち込んで、本を読み続けた。
どうして、そんな読み方をしたのか、わからないが、親に本を読んでいるのを悟られないようにしたかったのだと思う。
もう一度、最初のページから読み続けた。
遠くで阪神巨人戦のテレビ放送が聞こえている。
そんな夜だった。
次の日も、放課後に図書室に入って、本を読んだ。
その日は、神学校を退学したハンスが、18歳ぐらいの少女エンマとキスをするシーンが出てきた。
自分は、カウンターにいるクラスメイトの可愛い図書委員に見つかるのが怖くて、おどおどしながら読んでいた。
でも、今だから思うのだが、クラスメイトの可愛い図書委員、リスのような目をした彼女のことを、僕は好きだったと思う。
あの時の自分には、よくわからない感情だったから。
ハンスがエンマのことで、何やら不思議な気持ちになっているのが、わかるような、わからないような、そんな気持ちだった。
エンマのことが、リスの彼女と重なり、臨場感がある、映画を見ているような読書だった。
だから、彼女を見るのが、恥ずかしかった。
下校時、彼女の靴箱がわたしの裏側にあるので、顔を合わせてしまい、うろたえてしまった。
そして、夏休みに入ったのだが、読書感想文を書くという宿題が出た。
なんと、その課題図書に、「車輪の下に」が入っていたのだ。
「車輪の下に」をなんとも言えない気分で読んだわたしは、なんだか騙された気分になった。
なぜなら、以下の筋が改めて気になったからだ。
“人間は一人一人なんと違うことだろう。そして育つ環境や境遇もなんと様々なことだろう!政府は自らが保護する学生たちのそうした違いを公平かつ徹底的に一種の精神的なユニフォームやお仕着せによって、平均化してしまうのである”
自分は妄想した。
この本を選んだ教師たちは、全てを知っているのだ。
ハンスとエンマのキスシーンさえも。
だから、彼らに、騙された、そして、何かを盗まれたように感じた。
その後1回だけ、リーゼントに会いにあの喫茶店に行って、本の感想を話した。
内容は、覚えていない。
それから8年後、あのリーゼントをあの駅で見かけた。
あの凄みのある眼は同じだった。
しかし、リーゼントではなかった。
あの時はおでこから前進していた毛が、今では後退していた。
4、5歳ぐらいの坊主頭の男の子の手をつなぎ、奥さんらしき人と、楽しそうにたこ焼き屋に並んでいたのだ。
わたしは、話しかけなかった。
ハンスは、酒に酔って、川に落ちて死んだ。
しかし、今、わたしは思う。
ハンスは、あのまま川に流されて、別の場所にたどりつき、生き続けたのではないかと。
リーゼントと最初に会ったあのピロシキを出す喫茶店は、先月、場所を移転した。
□ライターズプロフィール
古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
タイ東北部ウドンタニ県在住。
同志社大学法学部卒業後、出版企画に勤務。1999年から、タイで暮らす。タイのコンケン大学看護学部在学中に、タイ人の在宅での看取りを経験する。その経験から、トヨタ財団から助成を受けて「こころ豊かな「死」を迎える看取りの場づくり–日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県ウボンラット郡の介護実践の学び合い」を行う。義母そして両親をメコン河に散骨する。青年海外協力隊(ベネズエラ)とNGO(ラオス)で、保健衛生や職業訓練教育に携わる。現在は、ある地域で狩猟の修行をしている。
著書に『東南アジアにおけるケアの潜在能力』京都大学学術出版会。
http://isanikikata.com 逝き方から生き方を創る東北タイの旅。
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