赤い大地が教えてくれたこと《週刊READING LIFE vol.129「人生で一番『生きててよかった』と思った瞬間」》
2021/05/24/公開
高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「消えてしまいたい」
毎日そう思っていた。
人前では、普通以上に明るく元気にテンション高く振舞っていた。
しかし、1人になると、喜怒哀楽の感情がなくなり、表情が失われる。
テレビがついていても、ぼんやりと眺めているだけ。
そんな生活が何年も続き、生きている意味が分からなくなっていた。
私は、大学を卒業して、地元企業に就職した。
初めての仕事は、慣れるまで大変だったが、新しい仕事を覚えることが楽しく、精力的に仕事に取り組んでいた。同年代の同僚たちとも仲良くなり、休日も買い物や食事に行ったり、旅行に行ったりして、充実した日々を過ごしていた。
若い女子の多い職場だったので、合コンの誘いも多く、いろんな企業の男性陣との出会いも多かった。その中で、お付き合いを始める人たちもいた。
私も何度目かの合コンで、1人の男性と出会った。
背の高い人だった。
私は、自分の背が高いことにコンプレックスを感じていた。
170センチという身長は、現在ではそう珍しくないのかもしれないが、昔は、結構大きい部類とされていた。
学校で並ぶといつも一番後ろだし、体育祭でフォークダンス的なものをするときには、いつも男役に回っていた。
学園祭でも、いつも男役で、学ランのような衣装を身につける。
スカートなんてはいたことがない。
「あと5センチ身長がほしーい」という、可愛いらしい服を身にまとった女子を横目で見ながら、「本当は自分のこと、かわいいと思っているんだろう」と捻くれて考えていた。
小さくてかわいい女性が羨ましかった。
身体測定の時には、身長を少しでも小さく記録してほしくて、少し猫背ぎみに身長を計ろうしたが、先生に見つかり、姿勢を正すように注意されていた。
そんな学生時代を過ごしたためか、私の男性の好みは「背の高い人」となった。
性格など、どうでもよかった。
顔にもこだわりはなかった。
とにかく、身長にはこだわっていた。
それは、私の家族にも浸透していたようで、ある日、お見合いの話が来た時に、祖母が真っ先に「その相手の方の身長は?」と先方に確認していたことがあった。
そんな私のコンプレックスを払拭する男性と、合コンで出会うことになった。
私は背の高い彼が気にいり、何となく意気投合し、付き合うこととなった。
そして、3年の交際を経て、結婚した。
付き合っている間には、「この人無理かも」ということが多々あったが、付き合いは続いた。
「この人と別れて、これから新たな恋愛なんて面倒だ」
25歳にして、そんなことを考えていた。
結婚すれば、堅苦しい実家から出られることも利点のように感じ、結婚してみたいという気持ちが先行していた。
結婚半年くらい経った頃から、衝突が多くなった。
お互いに自分の意見を通そうとする、冗談で言ったことが冗談だと通じずに激高するということが頻繁にあった。
衝突は付き合っているときからよくあったことだが、一緒に暮らしていると逃げ場がない。
だんだんと、一緒にいることが苦しくなっていった。
「仕事なんて、さっさと辞めて、お前は俺の親の下の世話をしていればいい」
あるとき彼が言った、この言葉が胸に突き刺さり、その棘が外せなくなった。
その棘が、私の心の何かを壊したような気がした。
「この人とは、一緒に暮らしていけない」
身長だけで、結婚相手を選んだことを後悔した。
そんな時、彼に転勤の話があった。転勤地は通えるところではない。
仕事を辞めて一緒に来てほしいという彼に対して、私は迷わず、自分の仕事を優先させた。
そして、彼の単身赴任生活が始まり、私は仕事を継続していく。
平日は、バリバリと仕事をこなした。
業後には、同僚と飲みに行くことも多くなった。
実家の監視もなく、深夜に帰宅しても誰にも怒られない。
1人暮らしの生活は快適であった。
だからこそ、彼が帰ってくる週末との落差を感じずにはいられなかった。
その苦痛が、日に日に増していった。
このまま一生、彼と生きる自分は想像できなかった。
結婚しなければよかったと思っていた。
それでも、離婚しようとは考えなかった。
世間体、親にかける迷惑、人生の敗北者・・・・・・離婚すれば、いろんな問題が起こるだろう。
週末さえ我慢していれば・・・・・・そう思い、深く考えることにフタをした。
そんな生活が5年ほど続いた。
その間、段々と精神的に追い込まれていく。
仕事中は元気に明るく振舞えるのに、家に戻るとうつ状態のようになっていた。
2階の窓から下を見下ろし、「ここから飛び降りても死ねないのかな」と考えるようになっていた。
手首を見ながら、「ここを切ったら楽になれるのかな」とも考えた。
彼が帰ってきた日は、話かけられることが怖くて、資格取得をするという体で、別室にこもって、寝ずに勉強し続けた。
そんな状況を知らない実家からは、孫の顔が見たいと催促される。
別れは確実に予感していた。だから彼の子を産む自分は想像できなかった。
実家の親や祖母との衝突も多くなっていった。
「だれも私の気持ちはわかってくれない・・・・・・」
この世から、消えてしまいたかった。
私が勤務する会社では、1年に一度、連続して9日間ほど休みが取れる制度があった。
その制度を利用して、海外旅行をする人も多い。
昼休みには、今年はどこに旅行に行くのか、というのが話題になることも多かった。
ある日、後輩が「ケニアに行ってみたい」と言い出した。
会社では、とびきり明るく振舞っていた私は「私も行きたい!」と言って話を盛り上げた。
動物が好きな私は、野生動物がたくさんいるケニアへの憧れを持っていたこともあった。
そして、話がトントン拍子に進み、私と後輩2人でケニアに行くことになった。
ケニア旅行は、まだ一般的ではなかった。
ナイロビで爆弾テロがあったばかりであり、危険な地域と思われていた。
両親にアフリカ行きの話をすると、案の定、反対された。
でも、私は、行くと決めていた。
危険な地域だからこそ、行きたいと思っていたのかもしれない。
何かあって帰ってこられなくても、そこで消えることができれば、それはそれで本望だと思っていたのだ。
まずは、当時住んでいた関西地域から、東京まで深夜バスで移動、成田空港からアリタリア航空にて、ローマ経由で、3日かけて、ケニア共和国の首都ナイロビにあるジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着した。
日本語の話せる現地ガイドさんに迎えに来てもらい、ジープに乗り込む。
運転手さんとはスワヒリ語で、「ジャンボ(こんにちは)」と挨拶を交わした。
ここから最初の目的地であるアンボセリ国立公園へ向かう。
アンボセリ国立公園は、アフリカ最高峰のキリマンジャロ山の麓に広がる国立公園であり、文豪ヘミングウェイがハンティングに訪れ、「キリマンジャロの雪」を執筆した場所としても有名である。
キリマンジャロ山の登山口はタンザニア側にあるが、ケニア側からの眺めが美しいと言われている。
乾季は水場に動物が集まるため、動物がたくさん集まってくる。
私にとっては、最果ての地のような感覚だった。
空港からアンボセリ国立公園まで、車で5時間かかる。
車は、かなり古びた四輪駆動車で、後部座席のクッションはボロボロ、板の上に座っているような感覚だった。
最初は町中を走っていたので、特に問題なかったのだが、1時間ほど経った頃、舗装していない道路に突入した。時々アスファルトの道が出現するものの、その道は、穴ぼこだらけである。穴は、おおよそ直径30センチくらい、深さ10センチ以上はあったと思う。
もし私がこの悪路を運転するならば、パンク防止のために、穴を避けて運転するだろう。
しかし、運転手さんは、穴を避けて走ろうとはしない。そのまま突入する。
避けられるような数でもないからだろうが、穴にタイヤが入るたび、車体が上下に1メートルくらいバウンドする。
前に進んでいるのだか、飛んでいるのだか分からないような状態だった。
そんな悪路を躊躇なく、結構なスピードで飛ばしていく。
どこかにつかまっていなければ、吹き飛ばされそうである。
あまりの揺れに会話も、ろくにできない。
はじめは、身体が飛んでいかないように、必死で耐えているだけだった。
しかし、だんだんと慣れてくるものだ。
大きな揺れに身体が対応していった。
それを証明するかのように、後輩は、居眠りをしだした。
こんな状況でも眠れるのである。
私は、大きく揺られながら、ずっと、窓の外を見ていた。
はじめは、道沿いに店などがあり、それを眺めていたのだが、次第に建物が見当たらなくなっていった。
ただただ、赤の大地が広がっていた。
赤い大地の地平線が永遠と続く光景だ。
自分たちの横にも前にも後ろにも、濃い赤の大地と穴ぼご道しか存在しない。
あまりにも大きなアフリカの大地に圧倒されていた。
「地球ってこんなに大きいんだ」
「その中の自分は、なんてちっぽけな存在なんだろう」
そして、赤い大地に話かけられているような気がした。
この何もない大地でさえ、人は生きていくことができる。
生きるために必要なものなど、そんなにないのかもしれない。
身体さえあれば、何とでもなるものなのだ。
運転手さん、ガイドさん、休憩に立ち寄った店の人たち。
ケニアの人たちは、この大自然のなか、生を全うするために、ただ、シンプルに生きているように思えた。
私がいま、持っているものを全て失ったとしても、大したことないのだろう。
全部を失っても、何もなくても、きっと生きていける。
悩んでいることなんて、ちっぽけなことに違いない。
この時、私は、赤い大地の中心で、死にたいと思っていた自分を悔いていた。
この光景を目の当たりにして、生きていてよかったと思えた瞬間でもあった。
アンボセリ国立公園内のロッジに到着した頃は、すでに日が暮れていた。
その日のうちに、夕暮れのサファリツアーを楽しんだ。
小象を連れた象の群れ、チーター兄弟、木のうえで寛ぐヒョウ、シマウマの大群、生きていなければ見ることのできない光景だった。
翌日の夕方には、マサイマラ国立保護区に移動した。
マサイマラ国立保護区は、野生動物の生息数がケニア第1位のエリアである。
大阪府と同じくらいの大きさの大草原が広がっており、ライオン等の肉食動物のハンティングを見るには最適の国立公園と言われている。
5月頃は、100万頭ともいわれるヌーの大群が押し寄せることで有名な場所だ。
ここでも、サファリツアーとともに、気球に乗って雄大が大地を眺めた。
もともと高所恐怖症である私は、本当のところ、気球は避けたいと思っていた。
しかし、死ぬ気になれば、なんでもできるものである。
エイッと勇気を出して乗り込んだ気球。
空からのサファリツアーは、広大な大地を眺めるには最高のシチュエーションだった。
いつ死んでもいいと思っていたからこその、気球への挑戦だったが、挑戦しないとみられない景色があることを実感した。
最後に、マサイ族の村を訪問するなどして、ケニアの旅を終了し、3日かけて自宅に戻った。
旅の疲れはあったものの、何かを吹っ切れた感覚があった。
2カ月後、私は、彼に別れを切り出した。
私が私を生きるために、私は離婚する道を選んだ。
私の申し出は、彼にとって想像すらしていなかったことのようだった。
離婚の理由が見つからないと、激高された。
一応、理由は説明した。
しかし、何を説明しても理解してもらえない。
言葉が通じない。
使っている言語が違う、という感覚に近かった。
だからこそ、うまく行かなかったのだろう。
彼は、私の両親に助けを求めた。
あなたたちの娘が、とんでもないことを言い出しているので、何とか説得してくれということのようだった。
案の定、両親はやり直せ! 考え直せ! というばかりであった。
私は、本心を言った。
「1人になれないのなら、生きていたくない」
私の言葉は、強烈に両親の胸に刺さったようだった。
それからというもの、向こうの両親やら、親戚やら、いろんな人が出てきて、大騒ぎとなった。
私がいないところで、話が進んでいるようだった。
結果的には「あんな女とは別れた方がいい」という結論に達したようだ。
あんな女と言われても、別れることができるのであれば、上等だと思った。
彼だけは最後まで納得がいかなかったようだが、裁判に突入することもなく、協議離婚ということで収まった。
結果的に、私が離婚という言葉を口にしてから、1か月後には離婚届を提出し、私は新たなアパートを見つけ、引っ越しをしていた。
新しいアパートに引っ越すまで、私は原因不明の高熱に襲われていた。
病院に行ったが異常はない。
大きなストレスがかかると、人間の身体は自身を守るために、熱を発するのだと知った。
結婚期間は8年に及んだ。
そのうち7年半は、別れを予感していた。
もっと早く行動していればよかった。
そんな後悔もあったが、それより、自分の人生を生きるために、8年目にして行動できた自分を褒めたいと思った。
あの時、ケニアに行ってよかった。
あの赤い大地に会うことができなければ、私は世間体や、いざござを避けて、今でも消えてしまいたいと思いながら、生き続けていたのかもしれない。
あれから、環境が変わり、仕事が変わり、生き方も変わった。
アフリカの大地に出会ったことで、私の人生は180度変わった。
生きることに疲れたら、大自然の中に身を置いてみると良いかもしれない。
□ライターズプロフィール
高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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