恋するダハブで出逢った少女は、小悪魔? それとも天使?《週刊READING LIFE Vol.179 「大好き」の伝え方》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/08/01/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
感情の伝え方にコツはない。好感を伝えあうときは十人十色、同じ言葉も存在しない。
「大好き」と伝えられると、どれほど疲れていても、また自信を失っていても、急速に
体に温かい血液が流れ、自信を取り戻し心が満たされるのはまさに言葉の魔法だ。
けれど言葉だけの「大好き」は、食べ物のように消化されると、すぐに空腹感をおぼえてしまう。
無数の「大好き」の言葉をのみこんでも、本当の満足を得ることはない。
言葉は心を安定させてくれ、自己承認を満たしてくれるけれど、言葉に態度や心からの語りがなければ、「愛」と「信頼」をはぐくむ大きな動機にならないのではないかと思う。
私はかつて強烈な感情をぶつかった経験がある。
その経験は、感情を伝える手法を自分なりにふり返る大事なきっかけとなった。
今からさかのぼること22年前。2000年のミレニアムの年。
友人とエジプト経由でイスラエルのエルサレムを旅する途中、シナイ半島の紅海に面するリゾート地に立ち寄ったときのことだ。
通称、「恋するダハブ」は有名なダイビングスポットで欧米のフリー旅行者が集まる喧噪のリゾート地だった。
昼はダイビング。夜は海辺のエキゾチックなしゃれたバーで解放感のある男女が一夜限りの自由な恋を楽しんでいた。
もはやそんな経験は過去となった私と友人は、早々にリゾートという恋の舞台を降りて、ダハブから少し離れた郊外の小さな街へ宿を移した。
有名なブルーホールと呼ばれる深さ130mの海にあいた穴をダイビングした日は忘れない。
そこは青一色の世界につつまれ青以外は何もない世界だった。
太陽の光から遠ざかるにつれ青は藍色、濃紺へとどんどん暗い色へ変わり、水温は一気に冷たくなり死に向かうような感覚だった。
天地の方向が判らなくなるとパニック状態に陥るので、私たちのダイビングスキルでは危険と判断して早めにダイビングを切り上げ、ビーチでのんびり過ごすことにした。
しばらく休んでいると、学校を終えた少女たちがビーチに集まってきて、流ちょうな英語で、旅行者に飲み物や食事のリクエストを聞き始めた。
「何もいらない。ランチはさっき食べたし、欲しいものは何もない」と友人が返した。
「マダム、じゃあ、これなんかお土産にどう? 私たちが編んだんだ」
黒々とした長いまつげが特徴の利発そうな10歳くらいの少女が、ビニール袋から、色とりどりの糸を編み込んだブレスレットやアンクレットを取り出して、ビーチの砂地に並べてみせる。
「お土産もいらない。しばらくほっといてくれるかな」
あえて冷たい態度をとり寝返りをうつ。
世界のいたるところに観光客相手に働く子供たちがいた。彼らの稼ぎは生活費になればまだよい方で、働かない親の酒や博打に消えていくことが当時は多かった。
観光客が小銭を子供に与える限り、この社会の不平等や格差の悪循環をとめることはできない。地元の大人たちも子供が働くのも見て見ぬふりをしているのが実情だった。
「じゃあ、何かあれば声をかけて。手伝うから」
少女はあっさりと身を引いた。
少し昼寝をして、彼女たちの存在を忘れかけた頃、強いのどの渇きをおぼえた。
もってきたペットボトルの水はもうほとんど空だった。
あたりを見回すと、別の少女がいたので呼び寄せる。
「冷たい水を用意できる? 清潔なミネラルウォーターを売ってほしいの。ちゃんとキャップのしまった水だったら買うから」
彼女は走っていき、一番最初に話しかけてきた少女に何かを伝えた。
ビーチで御用聞きをしながら仕事を仕切っているのは、どうやらその少女らしい。
やがて最初の少女がた冷えたミネラルウォーターを二つもってきた。
私がその働きぶりに感心していることを伝えると、ファティマと名乗る少女は鼻をならして、ここで私ができないことはないと答えた。
だから困りごとがあればなんでもいって欲しいという。
観察していると彼女たちのチームワークのとれた働きぶりは見事だった。
ファティマ以外の少女が仕事をとってきて客と金額の交渉が難航すると、リーダーのファティマが客のもとへおもむいて交渉した。
ファティマが私のもとに来て、年下の少女にも何か仕事を与えてもらえないかと言う。
「何ができるの?」
友人がビジネス相手の大人にするようにファティマに接した。
一部の先進国の子供たちは飢えることなく学業や遊びに専念した生活を送っている。
しかし経済ニュースに名前すらあがらない多くの国の子供たちは成人しないうちに、働き手として家計を支えている事実に、海外生活の長い友人は、よく通じていた。
「マダムは綺麗な長い髪をしているから、この髪をさっきの糸で編みこんでみたらどうだろう。とてもクールに見えるよ」
ファティマが私の髪を愛おしそうに撫でながら提案する。
私がそれを受け入れると、彼女はさっそく二人の少女を呼んだ。
そしてプロのスタイリストのように私の髪をわけて、3色の色糸を使いながら器用に
髪に編み込む手順を見せて、年下の少女に仕事をゆずる。
髪を編む間、私を退屈させないようにファティマはあれこれ話しかけてきた。
どこからきたの?
日本という国はここから遠いの?
日本の子供はどんな仕事をしているの?
この街は好き?
そんな他愛ないことを話すうちに、ファティマとは気が合うと感じた。
ファティマが離れ、二人の少女が編み込みを終えると、約束した対価に加えてチップ代わりに日本から持ってきたアメを一つずつわたした
少女たちは礼を言って嬉しそうに走り去った。
波が高くなる前に最後に泳いでから浜辺に戻ると、ファティマがバスタオルを手に待ちかまえていた。
そして遠慮がちにボンボンはもうないのかと聞いてくる。
最初、ボンボンの意味が分からなかったが、アメのことだと理解した。
まだあると答えると、もう少し欲しいという。
他の娘たちにも分けて欲しいという。
国外にでると乾燥から喉を守る目的と、血糖値をあげたくなった時の非常食としてアメは常備していた。どうやら彼女たちはその精細な甘い味に夢中になったらしい。
しかも日本のアメは一つ一つ綺麗に個別包装されている。
「タダで欲しいわけじゃない。身の回りの世話をするから皆にも分けてあげたい」
決して無心しないファティマの心意気が気に入って、少女たちに身の回りの世話をしてもらうことにした。
需要と共有が見事に反転した瞬間だった。
日除けのパラソルの位置を変えたり、水を運んだり、指をほぐしたり、背中のマッサージに励んだりと少女たちは、他の客をそっちのけで、ボンボン欲しさに私たちに張りついた。
彼女たちにとって親にとり上げられる現金よりも、自分をひと時でも楽しませてくれる
甘い異国のボンボンの方が魅力的なのだ。
流れる汗をぬぐいながら笑顔で「マダム、ボンボン!!」と連呼する少女たちの姿は最初の出逢いとうって変わってふつうのどこにでもいる子供に見えた。
砂浜にいろんな味のアメを並べて、好きなものを選ばせた。アメを口に含み、ボンボン美味しい!と走り回るエジプトの少女たち。
それをファティマが遠くから見ながら微笑んでいた。
ファティマを呼んで最後に残ったアメを友人とファティマで分けるとアメはなくなった。
「さあ、これでボンボンもお金をなくなったから、取引きは終わり。さぁ、他のお客さんが逃げないうちにしっかり稼いできなさい」
私は、読みかけの雑誌に目を落とす。
「マダムはクライアントじゃないよ。もう私たちの友達だよ」
ファティマはそういって忙しそうに姿を消した。
どれくらい経ったのだろうか、気づくと夕日が海の彼方に沈みかけていた。
時計をもってこなかったので日没が遅いことをすっかり忘れていた。
宿のある街へ向かう最後のバスはもうでてしまったらしい。歩くとかなり遠くなり、どうしたものか悩んでいると、ファティマが村に戻るトラックに一緒に乗ればいいと誘った。その表情はさっきと一転して利発な商売人から無邪気な少女へと変っていた。
一緒に乗っていいの?と念をおすと、私たちは友達だからとファティマがいうので、迎えに来た農家のトラックの荷台に子供たちと乗り込んだ。
車が走ると同時に少女たちが歌を歌いだす。私たちもそのリズムに合わせて手拍子で参加する。
無邪気な笑い声が何度もあがる。
トラックはゴツゴツした石の多い道を砂埃をあげながらゆっくりと進む。
一人が途中の村で降りた。歌はつづき、今度は私たちが日本の童謡を教えると彼女たちはマネながら笑い転げた。
昼間会った彼女たちは幻だったのか。
目の前にいる少女たちは無邪気な天使そのものだ。
また一人車を降りて3人の少女が残ると、急に別れが名残惜しくなった。
せめてこの出逢いの記念に何かをあげたいと思った。私はとっさに彼女たちに好意を伝えだい気持ちに陥った。バッグのなかをかき回すと、持ち歩いていた子供向きの小さなおもちゃを見つけた。
当時、日本でお菓子を買うと子供向けの食玩がついていた。それを海外の子供にあげるとどの国の子も喜んだ。
私は最初、そばにいた一番年下の少女にそれを渡し、次にファティマに渡した。
それぞれが袋をあけると、年下の少女の包みから金色のアニメのキャラクターが姿を現した。ファティマはそれを見逃さなかった。
銀色の同じものを手に握りしめながら、彼女の瞳孔が一瞬ブルーホールのように真っ黒に広がり表情が読めなくなった。
「私も金色がいい。その金色をちょうだい!」
そういって小動物のように小さい子に踊りかかって、取り上げようとした。
それをとめようとするとファティマは私の腕に爪をたててひっかいた。
「私も金がいい。浜辺で一日中誰よりもマダムのお世話をして、大事な友達だと思っていたのに! なんでその子に金をあげるの?」
「これは本物の金じゃないのよ。偽物のおもちゃ! ファティマの銀色も同じものよ」
そう説明しても彼女の怒りはおさまらず、トラックの荷台のなかを暴れまわる。
運転手がとうとうトラックをとめて、私からファティマを無理やり引き離し、車から降ろしてしまった。
そして運転席へもどり車を発車させる。
呆然としながら、血のにじむ腕に手をあてて取り残されたファティマを見ていた。
車が走りだしても彼女は全速力で車を追いかけてくる。
「どうして私じゃないの。マダムの世話をしたのは私。なんで!」
天を仰いで大声で泣き叫び、その場で地団駄を踏むファティマ。
そしてそばの砂地をつかみ、トラックにむかって「あんななんか大嫌い」と叫びながら投げつけた。
陽の落ちたバラ色の空が、赤土をより褐色にして、彼女のたわんだ怒りを吸収していた。
言葉を失い呆然自失している私に、友人が言葉をかけた。
「ファティマはまゆみのことが、大好きやったんかも。だから裏切られたと思い込んだのかも」
そうかもしれない。
「大嫌い」は、「大好きだった」の裏返しの言葉。
私は心のどこかでそれに気づきながら、彼女に行動で示せなかったことを悔やんだ。
トラックを止め彼女に駆けより、ただ抱きしめてあげればよかったのに、それができなかった。
今でも時々、天に向かって全身で悲しを表す少女の姿を思い出すことがある。
心が痛む一方で、あれだけ素直に感情を全身であらわせる彼女を羨ましくさえ思う。
心の底に隠れた本当の感情。
例え好きな人でも人間の感情は生きている限り、つねに揺れ動いている。
好きの感情の濃度も日々、そして一瞬、一瞬で変わる。
本来、大好きとはそんな揺れさえも突き抜けた普遍的なところにあるといいのだが、人はなかなかそこまではいきつかない。
ではどうすればよいのだろう……。
それとわかる「大好き」を伝えるより、根気はいるが日々の言動で自然に「大好き」を伝えるしかない。
私は例えば相手が傷ついている時や悲しんでいる時にこそ「大好き」を伝えたい。
その人の心の声を聞き逃さないように、相手の体温を感じるほどそばに寄り添い、そして相手の言葉に静かに耳を傾ける。
相手の歩幅に合わせ、少しだけ自分が譲歩すること。またその人が美しいと感じるものに共感し、大切にしているものは大事にする。それが私の「大好き」の伝え方かもしれない。
そして今、この想いを成長したファティマに届けることができればと心より願ってやまない。
□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
大阪府生まれ。2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。ライターズ倶楽部は3期目。
昨年、自信が企画した案が通り、現在、全員年上の元上司を部下にして営業に奮闘する
管理職。 久しぶりの営業現場にワクワクする日々を送る。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。
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