手のひらいっぱいのトマトに込められた愛を、やっと受け取れる準備ができた《週刊READING LIFE Vol.179 「大好き」の伝え方》
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2022/08/01/公開
記事:種村聡子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
今年も、あの夏が来た。
うれしいけれど戸惑ってしまう、温かいけれども心苦しい、夏がやってきた。
わたしは自宅のキッチンで、夏の到来をしみじみと実感する。てんこ盛りの夏野菜を前に、格闘しているときだ。
夫の両親は自宅の敷地内で家庭菜園をしている。
小さくはないけれど、特別大きくはない庭で季節ごとの野菜を育てている。縁側から庭の畑を眺めると、圧巻である。きれいに整えられた土には、生き生きとした野菜たちが空に向かって、のびのびと植えられている。虫や鳥たちの被害から守るための網のうえからでも、その野菜たちがどれだけ手間と暇をかけられているかが、みてとれるほどだ。
春のはじめに苗を植えてから、夏に収穫するまでの数ヶ月、義父母が手塩にかけて育てた野菜たち。もぎたての野菜たちは、つやつや、ぷりぷりで、ひとつ手に取り鼻先に近づけると、お日様の匂いさえしてくるようだ。そんなの、美味しいに決まっている。
義父母は、早朝収穫した野菜たちを、籠いっぱいに詰めてその日の朝にわが家へ届けてくれることもある。片道1時間かかる距離にもかかわらず。
その野菜たちを下処理すること、一時間。大量のトマトは湯むきし、一番大きなシール容器がいっぱいになる。胡瓜は浅漬けに、ピーマンは調理しやすいように種を取り、なすは湯引きして皮をむいておく。取れたての野菜たちは、みずみずしくて扱いやすいから、ストレスなく処理を進めることができる。
でも、わたしは、あふれるほど野菜が詰められた籠を受け取り、呆然とした気持ちになる。籠いっぱいの野菜を抱えて、途方に暮れる。野菜の向こう側にある、義父母の思いを想像すると、どうしようもなく胸が苦しくなるのだ。なぜだろう、野菜はいつもとても美味しいのに。
義父母が育てている夏野菜は、トマト、なす、キュウリ、ピーマンとほぼ毎年決まっている。そのなかでも今年は特にトマトが絶品だった。「トマトがとても美味しかった」と義父母に伝えると、とても心外そうに言うのだ。
「でも、今年のトマトは小振りだし、ほんの少しの量しか採れないのよ」
それが残念なのだと言う。
確かに、今年のトマトは小さめだった。小さいけれど、身がギュッと詰まっていて、味が濃くて、わたしは好きだ。ほんの少し、と義父母は言うけれど、そんなことはない。夫、わたし、息子の3人家族には十分すぎるほどの量なのだ。
そういえば、いつもそうだ。毎年、義父母は小振りで少量しか収穫できないと不満げだった。味がよいとかではなく、義父母の判断基準は大きさや量だった。
義父母は丹精込めて野菜を作る。手間と暇をおしげもなくかける。その、野菜にかけられた時間と愛情がかたちとなったものが、収穫された野菜たち。その、がんばった、という達成感や充実感を、野菜の収穫量で目に見える形で計っているのではないか。だから、野菜の収穫量は、美味しい野菜を家族に食べさせたい、という義父母の愛情表現のバロメーターなのではないか。
そして、思い出したのだ。たくさんの量が、愛情表現のあらわれなのだ、と感じたことが、以前にもあった。
わたしには15歳ほど年齢の離れた従兄弟がいる。わたしの母は、自分の妹の子どもである甥っ子を、生まれたときからとても可愛がっていて、その妹が忙しいときには小さな甥っ子を預かってはお世話をしていた。そして、わたしも、母と一緒にそのちいさな従兄弟のお世話をすることがあった。
小さな従兄弟は可愛かった。
ぷりぷりっとしたお尻を振りながらハイハイをして、縦横無尽に家中を駆けまわる。大好きなプリンを手に感極まって、バンザイをしたままバランスを崩し、子ども椅子ごとひっくり返ってプリンをぶちまけても、本人はケロッとしていたり。ひとりではお昼寝ができなくて、隣で添い寝をしてあげたら、わたしのからだによじ登って、おなかの上でやっと眠りについたり。
小さな従兄弟はぬいぐるみも好きだった。わが家にはぬいぐるみがたくさんあったので、ちびっ子ハンターである彼が、ぬいぐるみたちを見逃すはずがなかった。別部屋にあるぬいぐるみたちをひとつずつ運び、居間に並べて、ご満悦。大きいものや小さいもの、家中にあるぬいぐるみが並んだ様子は、なかなかに壮観だった。
すると、彼は不思議な行動を始めた。並べられたぬいぐるみたちを、ひとつずつ、わたしに手渡し始めた。「はい、どうぞ」「はい、どうぞ」と言わんばかりに、ひとつずつ。そして、たくさん並べられたぬいぐるみがなくなるまで続いた。わたしは、「ありがとう」「ありがとう」とすべてを受け取りながら、あたまの中では考えていた。
小さな子どもって、おもしろいなあ、このぬいぐるみ、わたしのものなんだけど、従兄弟くんはまるで自分のものみたいに思っているのかな、まるでわたしにプレゼントしてくれているみたいだなあ。
自分自身も子どもだったので、赤ちゃんの生態がわからず、とても不思議に思ったものだった。その後、わたしは学校で教育心理学を学ぶ機会があり、このちいさな従兄弟の行動が、とても意味のあることだと知ることになった。
生まれたばかりのあかちゃんは、自分自身の存在しか認識しないそうだ。それが、母親や父親、保護するひととの関わりのなかで、少しずつ、他者との関係を構築していく。そのときキーポイントとなるが、「プレゼント」という行為だという。
ちいさな子どもと接しているとき、その小さな子から持ち物を「はい、どうぞ」と手渡された経験はないだろうか? そんな時、「いやいやいや、これ、君のおもちゃだから、おばちゃん、いらないよ」、などとは言わずに、「ありがとう」とにっこり笑って、一旦受け取るそぶりをして、そっと返した経験はないだろうか?
この、「どうぞ」とプレゼントできる行為は、他者を認識し、相手との関係を築こう、という意識があって、やっとできるものなのだ。
だから、小さな子どもが「はい、どうぞ」となにかを手渡してくれたら、それは、「あなたのことを認識しました! あなたとの関係を構築したい! あなたのことが、好きです!」という意味になるのだ。それは、純粋で、まっすぐで、なによりも尊いものだ。
あのとき、小さな従兄弟がしていたこと。たくさんのぬいぐるみを、わたしに手渡していったこと。そのぬいぐるみが、彼自身の持ち物ではない、ということは、まったく問題がなかった。彼が手にしたものを他人であるわたしに手渡すこと、それ自体が意味のあることだった、重要だったのだ。
だから、あのとき小さな従兄弟がわたしにたくさんのぬいぐるみを、せっせと手渡してくれたのは、他者であるわたしを認め、関係を築こうと試みた証なのだ。そのプレゼントが誰の所有物かは、関係ない。彼自身が手に取ったものを、相手に与えること、それ自体の行為が重要なのだ。
なぜって、ちいさな人にとっては、自分が手にしたものはそのまま自分のものなのだ。わたしのもとに集まったぬいぐるみたちは、ちいさな従兄弟にわたしの存在を認められた、大好きだよ、の意思表示を具現化したものに他ならない。ちいさな従兄弟は、わたしのもとに散乱しているぬいぐるみを見て、満足そうにしていた。手渡されたぬいぐるみのひとつひとつが、彼の思いの表れなのだとしたら、その量こそが気持ちの量なのだ。
彼の気持ちを読むことはできないけれど、「ぼくはおねえちゃんのことが、好きだよ」というメッセージはぬいぐるみが伝えてくれる。そのぬいぐるみの山は、「たくさん、たくさん、お姉ちゃんのことが好きだよ」という意味になる。ちいさな従兄弟はぬいぐるみの山を見て、自分の思いを確認し、わたしが受け取ったことで、その思いが伝わったと感じたのではないか。
プレゼントは気持ちを表すもの。プレゼントを渡すことは、相手に気持ちを伝えること。大好きだよ、の気持ちをまっすぐに伝えるもの。プレゼントは自分と相手をつなぐ、橋渡しの役割を果たすのだ。
プレゼントは気持ちのあれわれ、だなんて、わかりきったことだとは思う。でも、まだまだちいさな子どもであっても、大好き、の気持ちを伝える手段として「プレゼント」という形を取ることが、おもしろいと思った。誰かに教わるわけでもなく、素直な気持ちの発露としての行為。ちいさな従兄弟が渡してくれたぬいぐるみの山を思い出すと、とても尊くて、いまでも胸が熱くなるのだ。
そう、同じなのだ。ちいさな従兄弟のぬいぐるみたちと、義父母のたくさんの野菜たちは、形は違うけれど、「大好きだよ」の気持ちがたくさん込められた、思いがかたちになったものだったのだ。
義父母が作る野菜は、私たち家族にむけられた、愛情そのものだ。届けられる野菜の量は、そのまま愛情の量なのだ。だから、義父母は量にこだわるのではないだろうか。たくさん、たくさん、大好きだよ、という気持ちを自分たちが可視化することができるから。
義父母の愛情表現は、野菜だけではない。
実家へ遊びに行くと、義父母はたくさんのおみやげを持たせてくれる。何日も前から準備をして、用意してくれる。そのなかには、いくつものシール容器に詰められた、お惣菜もある。ご馳走になったごはんの残り、という体裁だけれど、じつは持って帰る前提で、その分を見越してたくさんのお惣菜を作ってくれている。すこしでも、嫁であるわたしの家事の負担が減らすことができたら、という義母の優しさのあらわれだ。不肖な嫁は、料理が苦手だということを、うすうす気づいていて、そっと助けてくれているのだ。毎年のお正月も同じだ。わたしはおせち料理をまともに作ったことがない。いつも、義母が準備してくれている。「いつも忙しくしているサトちゃんが、お正月くらいのんびりできるように」と、お正月料理のいくつかを、包んでくれる。持って帰ったあれこれを、お皿に並べるだけで立派なお正月料理が完成してしまう。わたしは、いい年をして、黒豆もたつくりも栗きんとんも、満足に作ったことがないのだ。
義父母が与えてくれるのは、愛情だけだ。
それなのに、なぜ、わたしは籠いっぱいの野菜を抱えて、立ち尽くしてしまうのだろうか。いや、ちがう、それだからこそ、抱えきれないほどの野菜を前に、その重量の向こう側にある、義父母のたくさんの愛情を思うと、胸がいっぱいになってしまうのだ。義父母がわたしたちに向ける愛情は、ストレートでダイレクトだ。「大好きだよ」の気持ち、そのままに、野菜にのせて伝わってくる。ありがたくて、感謝しかない。
では、わたしはどうなのだろうか?
義父母からのあふれるほどの愛情に対して、返すことはできているのだろうか?季節ごとの贈り物や、ちょっとした手土産などは普段から届けることはあっても、ほんとうに相手を想う「プレゼント」を渡せているのだろうか。それがわたしには出来ていないから、不安になって、わたしはいつも、野菜を抱えて立ち尽くしてしまうのだ。
でも、義父母は、そんなわたしの心配や不安ですらも、笑って軽く吹き飛ばしてしまう。
「美味しいって、食べてくれたら、それでいいのよ」
「喜んでくれたら、それだけで、こちらは嬉しいのよ」
「大好き」の気持ちを受け取るだけで、十分だと義父母は言う。お返しなんて、必要ないとさらに言う。いいの? ほんとうに、それでいいの?
「いいのよ、だって、家族だから」
ああ、そうか。わたしは、いつまで経っても「お嫁さん」の立場からしか見ていなかったけれど、義父母は、まるで我が子のように、わたしに接してくれていたのだ。親が子へ与える愛情、そのままに。実の両親から与えられる愛情と同じように、ただ、素直に受け取ることが出来なかったのは、わたしがまだまだ、家族になりきれていなかったためだった。
いまから10数年前、結婚が決まったときに夫から、義母は「どんなお嬢さんであっても、お嫁さんには、我が娘のように接する」と聞かされていた。すっかり忘れていたけれど、思い出した。だから、出来がよいとはとても言えないわたしにも、抱えきれない愛情を注いでくれるのだ。
変わらなくてはいけないのは、わたしだ。
与えられる愛情を、そのまま受け取ろう。
ありがとう、そして、わたしも大好きだよ、と伝えよう。
でも、そのまま伝えるのはやっぱり照れくさいから、こんなふうに言ってみようかな。
「おいしかった! また、おいしい野菜を食べたいな」
□ライターズプロフィール
種村聡子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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