語学ができても、文学はできない《週刊READING LIFE Vol.190 自分だけの本の読み方》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/10/24/公開
記事:fraco(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
10月を迎え、ようやく暑さから解放されたかと思いきや、朝晩はうんと冷え込む季節になった。
普段は職場にこもりきりだから気づかなかったのだけど、今はもう、17時を過ぎると日が暮れる。夜の長い、よい季節だ。ふとした瞬間に冬の訪れと一緒に感じる妙なもの悲しさも、また好きだ。
そしてこの時期になると、ある女性のことを思い出す。
フランス語仲間で、ここではレイコさんと呼ぼうか。
彼女は私よりも3まわりくらい年上だけど、なぜか気が合う女性だ。
大の読書家で、教養があり、いつだって話は絶えない。
それなのに気取った感じは一切なく、電話はどんな時も「ボンジュール!」から始まるチャーミングな人だ。
私はそんなレイコさんが大好きだ。
そんな彼女と先日、かなり久しぶりに会うことになった。
仕事やコロナでしばらく会えなかったけど、彼女に会えると思うととてもうれしくなった。
彼女と会うと、いつも心がわくわくする。精神が解放されるような感覚になる。
今回もきっと、素敵な話を聞かせてくれるだろう。そんな期待が胸を躍らせた。
「久しぶりにプレヴェールの詩をうたいたい気分だわ」
そう言って、彼女は続けて歌い出した。
Oh ! Je voudrais tant que tu te souviennes
Des jours heureux où nous étions amis.
En ce temps-là la vie était plus belle,
彼女がお気に入りのフランスの詩人、ジャック・プレヴェールの「枯葉」の出だしの部分だ。
歌手のイヴ・モンタンが詩にメロディを乗せた歌は日本人にもおなじみだろう。
「私の本を閉じる前に、彼の詩集をもう一度、読み返しましょう」
彼女が歌うこのメロディを10年くらい前にも一度耳にしたことを、ふと思い出した。
ちょっと悲しい気持ちも一緒に。
「わー、レイコさん、すごいですね。フランスの詩を暗唱しているんですか」
そう聞いた途端、なんだか自分が恥ずかしくなった。
感じたことをそのまま口に出してしまう癖が、また出てしまった。
そう、これまでもうすうす感じてはいたけれど、彼女と会話を交わしていると、選ぶ言葉の質量や、言葉がもつ重みの違いを感じずにはいられなくなるのだ。
私はうれしい時も、悲しい時も、怒りを感じる時だって、「わー」とか「すごい」としか表現できない。
それに対し、彼女は具体的な言葉を選んで、彼女が抱く思いや考えを的確に、分かりやすく表現することができる。
これはきっと教養に差があること、物事の感じ方の違いが大いに異なることの証拠だろう。
私たちには物事の見方に微妙なズレがあり、彼女とは以前、フランス語の向き合い方についてちょっとした言い合いになったことがある。
私はフランス語を語学とみなし、出来・不出来を気にしがちだったのだけど、彼女はフランス文学をより深く知るためにフランス語を学んでいた。
だからもちろん、フランス語のアプローチの仕方もまるで違っていた。
私はミーハーで、フランス語ができたらかっこいいと思い、そのためだけに勉強していた。
フランス語を学ぶことが目的となっていたようなものだ。
当時、フランス語に関する資格検定に合格することが上達の道だと考えていたから、単語集や検定問題集、文法の参考書ばかり読んでいた。
フランスの詩に出てくるフランス語は試験にはまず出てこないから・・・・・・という理由で、文学作品にはほとんど触れてこなかった。
レイコさんの場合は逆だった。
フランス語はあくまで目的にすぎない。
旅先のパリの古本屋で買った、すっかり色あせた古い本を読み、フランス語の美しさを感じるのが好きだという。
日本の資格検定類はつまらないし、暗記が必要な試験に合格したところでフランス語ができるとは思えないという。
フランスが好きという点では意見が一致していたが、私たちは語学に対する考え方が全く違っていた。
でも、レイコさんの考えや生き方に憧れのようなものを抱いていたから、ミーハーな私は少しずつフランスの文学作品にも手に取るようになった。
私もレイコさんの「旅先で選んだ本」のエピソードを真似しようと思い、ある年の秋にフランスへ旅行に行った時、学生街にある本屋を巡ったことがある。
しかし本がたくさんありすぎて、何を買えばよいのかわからない。
フランスの文庫本は日本のものとは異なり、1冊の分量が多いうえに、1ページあたりの文字量もかなりある。
そして挿入絵が極端に少ない。
本屋では結局、パリのミシュランガイドブックと、フランソワーズ・サガンというフランスの女性作家の自伝を買った。
サガンの小説は日本語で読んだことがあり、その自伝は文字が少なくて読みやすそうだったからだ。
帰国後、レイコさんに会い、フランスで買った本について報告をしたら、サガンの本はあまり中身がない、と彼女は言い放った。
中身のないサガンの本を買った私自身の薄っぺらさを指摘された気がして、ショックだった。
試験で判別されるフランス語の語学レベルでいえば、私の方が高いはずだ。
しかしフランス語で書かれた作品は1文目からちんぷんかんぷんで、何度読み直してもなかなか慣れない。
パリで買ったサガンの自伝。
レイコさんは「中身がない」と言ったけれど、せっかく買ったのだからひと通り読んでみようと決心し、辞書を引きながら読み進めていった。
でも、1文に書かれている言葉の意味や文法の構造は何とか理解できても、1冊はおろか、1章が何を言わんとしていたのか、全然理解できなかった。
サガンの自伝を読み終えた後もあきらめず、今度は小説に手を取った。
選んだのはサン=テグジュペリの「星の王子様」だ。
フランス語版はAmazonで買った。本の厚さはとても薄く、日本語訳もたくさんある。
その後、またフランスへ旅行に行った時に偶然星の王子様のオーディオブックを発見したので、買って帰った。
何度も何度も読んでは耳にしたのだけど、それでもやっぱり、心に響かない。
車の運転中にこのオーディオを聞くと、睡魔に襲われる程である。
世界中で愛されるベストセラーなのに、その良さがわからない。
日本語で読んでも伝わらない。フランス語では、なおさらだ。
これはきっと、私の中に決定的な何かが欠けているのではないだろうか‥・・・?
自分自身に不信を抱いた。
その後もフランス語の学習は継続した。
コロナ禍になるまでは何度もフランスへ旅に出たが、レイコさんと会う回数は自然に減っていった。
先日、親戚の叔母が亡くなり、彼女の自宅を訪問した。
用事があって入った倉庫には、彼女が遺した文学全集がずらりと並んでいた。
これは昭和40年代に角川書店から発行されたもので、フランスの小説や詩がたくさん収められている。もちろん、日本語の翻訳版だ。
旦那さんに面白そう、と話したら、私に引き継いでくれることになった。
読んだことのない作品だったが、詩のひとつを手に取ってみた。
フランスの詩人・ボードレールの作品だ。
どういうことだろう、すらすら読めるわけではないのだけれど、時々、この詩人の女性に対する愛情の深さとか、別れへの悲しみがすっと伝わる気がした。
「心が動く」とも言おうか。
詩人の気持ちがわかるという感覚を、初めて味わった。
涙が流れていた。
詩を読み進めていた時にふと、レイコさんのことが頭に浮かんだ。
そういえば彼女、元気かな。
すぐに彼女に電話し、久しぶりに彼女に会うことになった。
久しぶりに見た彼女の姿は、変わり果てていた。
頭にウィッグをかぶり、肌は真っ白だった。
「恥ずかしながら最近、少しだけフランスの詩が面白いと思えるようになりました。昔は全然、理解できなかったのに! レイコさんに少しは近づけたかなのかなと思って、伝えに来てしまいました」
彼女はふふふと笑いながら言った。
「私だってはじめは何が何だか、ちんぷんかんぷんだったわよ。智代さんはきっと、人生の経験値が上がったのね」
なんだレイコさん。レイコさんも、はじめはわからなかったの?
そんなの聞いてないけど、まぁ、そんなものなのか。
本というのは、私たちの人生に寄り添ってくれる友達のような存在なのかもしれない。
人生のあるした瞬間に、私たちに刺激や、考えのヒントをもたらしてくれたり、その人の人生の一面を思い出させてくれる、友達のような存在だ。
人生に深みが増していくほどに、その本の語りがけが理解できる、そんな気がする。
レイコさんは、迫りくる「死」と真剣に向き合っていた。
ようやく、死との向き合い方に納得いく言葉が見つかった、と目を潤ませて話してくれた。
「死ぬということは、お気に入りの本を閉じるようなものなの。」
そして別れ際、その日会った時に話した言葉を繰り返した。
「そうそう、私の本を閉じる前に、プレヴェールの詩集をもう一度、読み返しましょう」
□ライターズプロフィール
Fraco(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ライターと翻訳家を目指し、日々文章の修行中。
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