第7回:幕末のスーパーヒーローが駆けた道を走る《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2022/10/31/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
実はトレイルランニングと旅は恐ろしく相性が良い。
歴史を振り返れば明治になるまで人の主な交通手段は「徒歩」だった。
もちろん馬など人力以外の方法もあったが、一般庶民がどこかに行こうと思えば歩いていくのが主な手段だったはずだ。
東京に住んでいる人なら、今でも日常的に東海道線や甲州街道などは使う言葉だと思うが、これらは全て江戸時代に入ってから整備された道で、今でこそ車で通ることが当たり前だが、昔はこの道を徒歩で往来していたのである。
また昔は今と違ってトンネルなどないから、山があればそれを乗り越えなければならなかったはずだ。つまり「街道」を進めば必ず山を越えなければいけないのである。
山を越えるということはつまりは「トレイル(不整備の道)」を通るということなので、昔の人たちは日常的に今でいう「登山」「ハイキング」「トレイルランニング」をしていたことになる。
実はトレイルランニングのレースではこういった古くからある「街道(山道)」の中を走るレースが少なくない。
例えば「熊野古道トレイルランニングレース」などは紀伊半島の中間に位置し三重県、奈良県、和歌山県、大阪府にまでつながる世界遺産にも登録されている道の一部をレース中に走ることができるのが醍醐味だ。
正直私はこのレースに出るまで熊野古道という道のことを殆ど知らなかったし、レースに参加するという目的がなかったらおそらく一生行くことはなかっただろう。
つまりトレイルランニングのレースに参加するということは「旅」をすることと殆ど同義なのである。
坂本竜馬が走った道
そんな中、私はあの歴史上のスーパースターが駆けた道を走るというレースに参加した。
それが「龍馬脱藩トレイルレース」である。
※本文中ではレースのことを指す場合は「龍馬」、歴史上の人物として表す場合は「竜馬」と表記する。
これはもちろんあの幕末の志士・坂本竜馬が日本を開国するために土佐から脱藩するために使った道だ。この記事を読んでいただいている皆さんの中にも司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や武田鉄矢さんが原作の漫画「お~い!竜馬」、そして福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を見た方はたくさんいるのではないだろうか。
私も大学生の時に初めて「竜馬がゆく」を読み、幕藩体制を倒し新しい日本を作るためだけに天が遣わした「竜の化身」のような竜馬の人生に触れ胸を熱くした一人である。
その竜馬が土佐藩を脱藩するときに走った道を走ることができるというのだから、竜馬好きなら走らないわけにはいかないということで「第7回 龍馬脱藩トレイルレース」に参加をしてきた。
竜馬に会いに行く
レースでは実際に竜馬が脱藩した道を逆走して高知市内に戻ってくるコースのため、そのまま竜馬が脱藩した道をなぞるわけではないのだが、それでも実際に竜馬が通った道を走ることができる。
私は、レース前日に高知龍馬空港に降り立ち、その足でまずは桂浜を見に行くことにした。
竜馬と言えば桂浜にある竜馬像が有名なので、それをどうしても見ておきたかったのだ。
桂浜は空港から車で20分ほどの距離である。思っていた以上に高知市の中心地からは遠く、当時竜馬たち下級藩士がここに集まるのは相当大変だっただろうと思った。
しかし、実際の桂浜を見た時にその雄大な景色には溜息がもれた。
そしてその桂浜を見下ろすように立っている竜馬像をついにこの目で見ることができた。
<桂浜に打ち付ける波>
<竜馬像>
<桂浜を見下ろすように立っている竜馬像>
竜馬はこの時代に「藩」ではなく「日本」という枠組みで物事を見ることができた数少ない人物の一人と言われているが、ここに立ってみてその意味を感じることができた。
私が桂浜に向かうときに感じた違和感は「どうしてこんな四国の片田舎から日本を変えようという思想が芽生えたのだろう」というモノだった。
しかし竜馬は青年時代に江戸で直に黒船を見て、その恐ろしさを身をもって体感した。そしてこの海を隔てた向こうから西欧列強がいままさに日本が侵略しようとしているそんなときに、この小さな藩のなかで「上士だ、下士だ」「勤皇だ」「尊王攘夷だ」と叫んだところで日本を守れるわけがない。
そんな小さなことに悩まされるくらいなら、脱藩してこの日本を変えなければいけないと思ったのは必然だったのではないか。そう感じることができた。
もちろん歴史的な背景は様々なので、史実がどうだったのかはわかりようがないが、桂浜に来て竜馬の想いの一端を感じることができた経験は脱藩ルートを走る自分にとって大いにモチベーションとなった。
龍馬脱藩トレイル当日
<やはり脱藩するには人々が寝静まっている真夜中スタート>
レースは10月23日(日)の朝4時スタートする。
レース会場には数十人の選手が集まっていた。コロナの影響からか例年以上に参加選手が少なかったが、会場は熱気に包まれていた。
これから70km、累積標高約3,000mのレースの開始だ。
レースは標高1400mにある姫鶴荘という宿舎前からのスタート。朝の4時で標高もそれなりにあるため、体感気温は一桁でとても寒かった。しかしそれでも関係者の方によると例年に比べたら随分と温かいらしい。
コースはスタート地点から基本的には下り基調のコース設定となっている。
スタートしてから2時間後には日が昇ってくるので、そうなれば気温も温かくなってくるだろうと思って、スタートの合図を待った。ところがこの気温に後半悩まされることになるとはこの時は想像もしていなかった。
スタートの合図とともに選手が一斉に飛び出した。
下り基調かと思いきや、最初の5キロは登りのロードが続き、濃い霧が立ち込めていたため数メートル前を走っている選手の姿すら見えなくなってしまった。
そこから下りのトレイルに入り気持ちよく走ることができたが、思った以上に走れるコース設定に後半のことを思うと力をセーブしたほうが良いと思い、腕時計の心拍計を見ながらペースを落とすことにした。
15kmほど進むと最初の難所の「不入山(いらずやま)」の登りに入った。
名前からして「入るべからざる山」なのだから、本当は入らないほうが身のためなのだろう。
実際スタート前のコース説明の時にも「不入山は登りも下りもかなり急で足場が悪いので気を付けて進んでください」と言ってた。
そして登り始めてすぐにここは普段人が殆ど入っていない登山道だということが分かった。
<トレイルには苔がびっしり生え、道らしいところがあまり分からなかった>
レース用に目印が付けられているものの、ちょっと気を抜くとすぐに見失ってしまい、注意深く見ていないと方向が分からなくなってしまいそうだった。
とはいえここも昔は人が使っていた登山道なのだろう。それが年月とともに人が通らなくなり、登山道が消えかかっているのである。そういった意味でも一年に一回こうしてレースのためにトレイルを整備しなおすことは重要なことなのかもしれないと思った。
不入山を登り始めて1時間ほどでようやく山頂付近に出ることができた。
ここは紅葉がわずかに始まっており、地面には落ち葉が敷き詰められフカフカのトレイルを楽しむことができた。
<山頂付近は紅葉が始まっていた>
<そうこうしているうちに山頂に到着>
<このころには日も登り始めており、やっと太陽の温かさを感じることができた>
不入山からの下りはテクニカルな急斜面でまだ薄暗いトレイルの中でこの道はキツイなと思いながら慎重に進んだ。そして降りきったところからは比較的長いロードに入った。
トレイルランニングと言ってもずっと山の中にいるわけではなく、次の山に向かう途中に長めのロードを走ることは意外と多い。この龍馬脱藩トレイルでは約半分くらいはロードで構成されているので、比較的トレイル比率が低いレースである。しかし、ロードが多いからと言って決して楽というわけではない。
むしろロードが多い分、しっかり走らなければならず、そのぶん体力も筋力も使うことになるので、あまり調子に乗らず自分のペースで走ることが大事なのだ。
ところがロードを走っている途中でレース関係者の方が沿道から「いま9位ですよ」と声を掛けてくれた。
実は今回のレースでは内心目標として「9時間切り」「(あわよくば)5位以内」という目標を立てていた。
「この中盤で一桁台なら5位以内もあるかも」
そう思ったとたん、ロードを走るペースが上がった。
頭の中では「まだ半分も残っているのだから、ここで足を使ってはダメだ」と思うものの、前を走る選手が見えると、どうしても追ってしまい、自然とペースが上がってしまった。
これが脱藩の苦しさ
レース開始から6時間が経った10時ごろから気温が上がり始めた。
この日の最高気温は27度となっていて、10月下旬にしては比較的高い気温であったが、高知の暑さは関東よりも日差しが強いことを加味しておかなければいけなかった。
ロードでは日差しを遮る木が少ないため、直射日光を浴びる時間が思った以上に長くなった。
加えてこの日は雲一つない晴天で、日差しがいつも以上に強く、汗を大量にかいていた。またこのレースは距離に対してエイドの数が少なく、途中で水分が足りなくなるというアクシデントに見舞われた。
前半は寒かったのでさほど水分を必要としなかったのでエイドでの補給もそこまで意識していなかったのも災いした。
またロードで前を追ってしまい、予想以上に足の筋肉を使っていたため、残り20kmを残して足が攣り始めた。
しかし実はここからが本当の龍馬脱藩の道なのだ。本当ならここから気持ちよく前を追っていく計算だったのだが、この時にはいかに足が攣るのを避けられるかしか考えることができなくなっていた。
<ところどころに「坂本龍馬脱藩の道」という看板が現れた>
ようやくたどり着いた最後のエイドでコーラをもらい、水分補給を行った。
しかし、この時には暑さで胃もやられていたため、水分以外の補給を取ることができなくなっていた。
エイドのすぐ横にあった水道で頭から水をかぶり少しでも身体を冷やそうとするも、どうにも頭がふらつく。
この時点で残り10キロ。9時間まではあと1時間半。山を一つ越えて下りを走れればまだ9時間を切ることはできると思った。
最後の難関「朽木峠」
気持ちを奮い立たせてエイドを後にして最後の山に入った。
そしてこの山こそがこのレース中で唯一竜馬が本当に脱藩したときに通った道を走ることができるのである。
<見事な竹藪>
トレイルに入ると、いかにも脱藩する人が通りそうな道が広がっており「ここを竜馬も通ったのか」という想像が広がった。しかし、暑さと胃腸トラブルと足の痙攣で全くスピードが上がらず、トレイルに入ってから数人の後続ランナーたちに抜かれてしまった。
トレイルの途中で川があり、ちょうど一人分が浸かれるくらいの場所があったので、背負っていたザックを下ろして頭から水の中に突っ込んだ。真夏に川に入ることはあっても、まさか10月下旬に川にドボンするはめになるとは思ってもみなかった。
自分が川で浸かっていると目の前をまた一人のランナーが追い越していった。
「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれたが「……はい」とか細い声で返すのがやっとだった。
それから山頂まで湧き水があるたびに全身に水をかけては身体を冷やし続けた。
おかげで汗だくだったからだがスッキリ綺麗になった。
そして「朽木峠」という関所まで来た時に、なんと目の前に竜馬が現れた。
幻かと思うも確かに目の前に竜馬がいる!!
<ついに幻覚が>
実は朽木峠の関所で竜馬が待っていてくれるというのがこのレースの目玉企画なのである。
竜馬から関所の通行手形をもらい「脱藩おめでとう」と声を掛けてもらった。
「いや、脱藩したのはあなただろ」と心の中で突っ込んだが、ようやく山頂まで来ることができ、あと少し行けば下りに入り、ゴールできると思うと少し力が湧いてきた。
<ややお年をめされた竜馬さんだった(笑)>
最後の下りはロードとトレイルのミックスでエネルギーが完全に切れてしまった自分にはとても辛く、もう歩いているのか走っているのか分からない状態で何とかゴールの「吾桑小学校」に飛び込んだ。
タイムは目標の9時間にとは遠く及ばず10時間11分。順位も後半に抜かれまくり13位でゴールした。正直命からがらといった感じだ。
しかしおそらく竜馬も脱藩は命がけだったことを思うと、本当の意味で脱藩の厳しさを味わうことができたのかもしれない。
しかし、レース開始前も、レース中も、レース後も多くの地元ランナーさんたちが声を掛けてくれて、知っている人が全くいないレースだったにも関わらず、本当に居心地の良さを感じることができた。
レース前後の観光も含めて、このレースは何度も参加したくなる魅力があると感じた。
「また竜馬に会いにこよう」
そう思いながら、私は土佐を後にした。
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
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