娘と私の、癒しの時間《週刊READING LIFE Vol.231 癒しの時間》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/9/11/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「ねえねえ、今日の記事のお題が『癒しの時間』なんだけど、この話、記事にしていい?」
「いいよ! 書き終わったら読ませてね!」
「おけー! じゃあねねちゃんが読者第一号だね!」
「やったー!」
話を聞いてたら悩んでたのがバカらしくなっちゃったよと笑う娘の今の顔を見たら、一時間前まで泣きべそをかいてたなんて言っても誰も信じないだろう。気持ちの切り替えの早いのは娘のいいところの一つでもある。が、今回はうっかり悪い方に切り替わってしまったらしく、隣の部屋から鼻をすする音がしたので覗いてみたら、ベッドに顔を伏せてさめざめと泣いていた。どうした一体何があった!?
「アドバイスとかいらないから。聞いてくれるだけでいいから」
と前置きして、今年高校生になった娘は、消え入りそうな声で話し始めた。
「……この間、学校の廊下で偶然、友達が『ねねちゃんって、いちいち反応デカくてウザいよね』『だよねー』って言ってるのを聞いちゃったの……」
あああ! そうか、そりゃ落ち込むよなあ。その気持ち、よく分かるぞ。
「今まで普通に接してた人だったから、陰でそんなこと言われてたのがショックで……それに、廊下だったから他の人も聞いてたはずで……で、その人たちも心の中で『だよねー』って思ってたのかな、なんて考えたら疑心暗鬼になっちゃって、今までどおりに人と接するのも辛くて……」
周囲の沈黙を消極的な同意と受け取ってしまった長女の気持ちもよく分かる。だが娘よ、こんなとき人は同意も否定もせずにただ「流す」「聞こえなかったことにする」というテクニックを使って、自分に火の粉が降りかかるのを防いだりするんだよ。それに、悪口の内容なんていちいち真に受けなくていいんだ。
「気にしないようにしようと思ってもやっぱり気になっちゃうの。私みんなにウザがられてるのかなって……」
話を聞きながら、数年前に娘に起きたいじめ事件と、それに付随して起きたママ友事件を思い出していた。あのときに相手の子やその親との間で起きたことを長女には詳しく話していなかったが、これはいい例になるかもしれない。少なくとも、言われた悪口の内容を真に受ける必要はないということに腹落ちするかもしれない。
実はお母さんも数年前に同じ目に遭ったんだよ、これはアドバイスじゃなくて実際に起きた話だからと言い訳しながら、小学2年生のときに5年生のS君からいじめられてたのを覚えているかと尋ねた。
「うん。覚えてる。5年生が2年生をいじめるなんて超卑怯だよね」
娘が当時のことを思い出し、眉をひそめた。
「あのとき実は、うちのお父さんがS君に『どうしてねねをいじめるんだ。そんなこと止めろ』と直接注意したんだよ」
「え! 知らなかった!」
「あのときは話せなかったの。だってS君は謝るどころか『ねねは世界中の人から嫌われているから、いじめていいんだよ』って開き直ったんだもん。お父さんも『まさかあんな答えが返って来るとは思わなかった。ねねにはとても話せない』ってびっくりしてた。でも今のねねだったらS君の話したことがどれだけ的外れか、分かるでしょう」
「うん、分かる。はあ? 何バカなこと言ってんの? そんな屁理屈が通用すると思ってんのお前って思った」
「だよね。で最終的に、学校からS君の家に連絡が入っていじめが親にばれて、S君のお母さんが一応私に謝罪の電話をかけてきたんだけどね。『Sがねねちゃんをいじめたのは、ねねちゃんが前の子の椅子を蹴っていたのを注意しても止めなかったからです。うちのSは正義感が強いので』と言っていたよ」
「はあ? その理由に筋が通ってるって思ってるの? 大人のくせに」
「そしてそのせいで逆恨みされたみたいで、あのあとであることないことどころか、ないことないこと言いふらされちゃってねえ」
「えええ! そんなことがあったの……お母さん、どうしたの?」
「どうもしなかった。だってあの人の話をまともに信じる人なんていないと分かってたから。いつも誰かをターゲットにして鬱憤晴らしをしているってママ友の間でも有名だったからね。みんな分かってるんだよ。表面的にはへーとか言って聞いているふりをしながら、右から左に聞き流しているの。深く関わると同類だと思われるし、かといって諭したり反論したりすると逆恨みされるからね」
「お母さんは諭しちゃったの?」
「『幸せな人は人をいじめないと思います。S君がねねをいじめたのはS君自身にもなにか辛いことがあるからかもしれません。S君の話を聞いてあげてください』ってうっかり正論を吐いたのが余計だったかもね。正論はときに、言われた人の逃げ道をふさいだり言い訳の余地をつぶしたりもするからね。だけど悪口を言いふらされてからも、私の周囲の人は去らなかったよ。仲良しの友達はずっと仲良しのままだし、そのほかの人たちの態度も変わらなかったよ」
世界中の人から嫌われるなんてありえないのと同様、世界中の人から好かれることもありえない。だから、誰かに嫌われたりウザがられたりするのは、嬉しくはないかもしれないが当たり前のことだ。つい忘れがちになるが、あなたにだって嫌いな人はいるだろう? そもそも人をコントロールすることなんてできないし、相性だって合う合わないがあるのだから、「私のことを嫌わないで!」と誰かに強いる権利もない。自分にとっての好悪を決めるのは自分以外にいない。付き合う人を選ぶのも、自分にしかできない。
「あとさ、その子たちってねねの人生劇場の中で重要登場人物だったりする? それとも脇役?」
「そんなに重要ではない」
「つまり脇役だよね。人はみんな自分の人生の主人公だけど、ねねの人生の中では脇役になる人もいる。そしてそれはお互い様だ。だったら脇役にふさわしい距離感でいればいいんじゃないか」
すでにこの時点で、「いらない」と言われたアドバイスになっているが、娘と私の対話になっているなら止める必要はないだろう。
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「……そうだよね。今までもそんなに深くは関わってこなかった人たちなんだけど、『私はウザくないです』って無理に分かってもらう必要はないんだよね。私、その人たちに気に入られるように生きなきゃいけないわけじゃないもん」
そうだそうだ。それに、嫌いな人や嫌なできごとで頭の中を占めているのは時間とエネルギーをドブに捨てているようなものだ。時は金なりという先人の言葉は伊達ではない。あなたたちはまだ若いからこの先の人生が無限に広がっているように思えるかもしれないが、私らくらいの年齢になったら終着駅が見えてくる。時間は有限である。これが自覚できたら、自分の気分が悪くなることに時間を突っ込むのが切実にもったいなくなる。残りどれだけ生きるか分からないが、できる限り機嫌よく過ごしたいじゃないか。
「これはアドラー心理学などで言われていることだけど、今の自分の気分は自分で決めているんだよ。『ウザい』と言われたのは今じゃないでしょ? つまり、過去に起きたさまざまなできごとの記憶の中から、ねねがわざわざそのできごとを引っ張り出して浸っているだけなんだよね。そりゃ、辛いことを思い出すことは誰にでもあるから、それをするなとは言わない。だけどそうなっちゃったときには『まーた私の頭が記憶の引き出しからよりによって嫌な思い出を引っ張り出しちゃったんだな』と気付いてよ。そしたら『自分を嫌な気分にしたのは自分』って我に帰れるから」
「なるほど」
「私だって腹の立つことを思い出してウキーってなったりすることもあるんだけど、そのたびにこう考えるんだよ。私の仕事は翻訳でしょ。S君のお母さんのことを思い出してムカつく暇があったら、その分仕事をするとお金になるわけ。5分ムカつくくらいなら、5分仕事をする方が断然よくない? その間に仮に100文字訳せたとしたら、単価が1文字5円だったら5分で500円なんだよ! 一人で感情に振り回されてプリプリしてるの、バカじゃない? そう考えて仕事したら、これがはかどるんだよ~!」
「お、おう……」
誰かに何かを伝えるためには相手に一番伝わる言葉をチョイスせねばならないのに、あまりにも金、金言いすぎて娘にドン引きされてしまったようである。
「……えーと、だからねねの場合は、嫌なことを思い出しちゃったら自分の好きなことをすればいいよね。好きな漫画や小説を読んだり、好きな音楽を聴いたり、推し活したり動画を見たり歌を歌ったり。自分の時間の使い方を決めるのは自分だよ。過去にあなたに嫌なことをした人や思い出のせいで今嫌な思いをしているわけじゃないよ。自分で選べるんだよ」
「そっか。私のことを嫌いな人がいたとしても、お母さんやお父さんや兄妹みたいに、私のことが大好きで、私を大事に思ってくれる人だってたくさんいるもんね。その人たちのことを考えたり、好きなことに没頭していたりする方が、私は楽しいし幸せだ!」
娘はそう言うと照れくさそうに私の首にしがみつき、悩んでたのがバカみたいと笑った。
「ねえ私、今すごーくいい話しなかった?」
「したした! 今までにお母さんから聞いた話の中で、一番よかった!」
「マジか! 癒された?」
「癒されたー!」
「だったらこの話、記事にしてもいい?」
「いいよー!」
そんなわけで私は今、パソコンに向かっている。
そして私のうしろでは娘が鼻歌を歌いながら、今日の夕食のハンバーグを作っている。
仕事柄時間に追われることが多く、食事の支度や洗濯などを娘たちに丸投げすることも日常茶飯事の、世間一般的な尺度からしたらかなりポンコツな親ではあるが、こうしてたまに「癒し」の存在でいられるようではあるので、こんな自分でもよしとする。万人にとって完璧で好かれる人間を目指す必要はない。数は少なくてもいいから、大切な人の大切な存在でいられたら、それでいい。私も、娘も。
□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。
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