ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第15回:Road To 「TOR DES GÉANTS」⑥ ~覚悟~《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2023/10/23/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
第4セクションに入り、これまでの好天から一転して天気は急激に悪化していった。
ただでさえこの区間は距離54km、獲得標高5,932mとトルデジアン中で最も過酷と言われているため、苦戦することは必至であった。
 

 
とはいえ天気予報でも3日目からは荒れるという予報だったので、これは想定内と言えば間違いないが、しかし山の中ではどのくらい荒れるのかは正直その場に行ってみないとわからない。
過剰に恐れすぎて雨具や防寒着を増やしすぎてしまうと荷物が重くなり余計に体力を消耗するし、かといって少なすぎれば最悪低体温症になり動けなくなりレース続行不可能な状態になることもあるので、何をどれだけ持っていくかという判断は非常に重要なポイントとなる。
 
 

停滞


コーダ小屋までの道中、雨は降ったり止んだりを繰り返したが標高が上がるため気温はどんどん下がり、レインウェアを着ないと寒さをしのげない状態になった。
さらにコーダ小屋の手前で稜線に上がったところでさらに強い風が吹き始め、体感温度はさらに下がった。ここで防寒具を着込むかコーダ小屋まで一気に行ってしまうか判断に迷ったが、ここで止まって体を冷やすよりは、体が温まっているうちに小屋まで行った方がいいと判断し先を急いだ。結果的にはこの判断は運も引き寄せてくれた。
 

【トルデジアンでは有名なコーダ小屋】

 
やっとの思いでコーダ小屋に到着しテントに入ると雨と風が一段と強くなった。
そしてあっという間にテントを吹き飛ばすのではないかというほどの暴風雨となり、あと10分遅れていたらこの雨風をまともに受けていたと思うと、先を急いで小山で行く選択をしてよかったとホッとした。しかし雨はさらに強さを増して、とても出発できる状態ではなくなってしまった。
待っている間に温かいスープを飲んで体を冷やさないようにしたが、それでも雨がこの調子では先に進むことはできない。持っている防寒具を全て着込んで雨が少しでも弱まることを祈って待っていたが、持ってきた防寒着がちょうどよく寒さをしのげる量があり、運が味方してくれていると感じた。
(本当はそんなギリギリの選択にならないように多めに防寒具を持った方がいいのだが)
 
このときコーダ小屋にはメグミさんという日本人女性ランナーがいた。
彼女はすでにトルデジアンを3度も完走していて、このコースを知り尽くしている方だった。メグミさんと話しているとこの後のバルマ小屋までは非常にテクニカルで進みづらいとのことだった。コーダ小屋からバルマ小屋までは距離にしたらわずか8.5kmなのだが3時間はかかると言われた。なんと1時間に3kmも進めないというのだ。
雨が少し小ぶりになったので、私はメグミさんと一緒にコーダ小屋を出発したが、次のバルマ小屋までは厳しいアップダウンが続き、また足元がかなりぬかるんで走れる箇所がほとんどなかったため、結局バルマ小屋までは3時間半もかかってしまった。
 

【命からがらバルマ小屋に着いたという印象だった】

 

【バルマ山小屋はレース中最もオシャレな山小屋だった】

 

【店員さんの後ろを着いていくワンちゃん】

 
バルマ小屋に到着するとメグミさんは少し仮眠するとのことだったが、雨が止んでいたため私はこの間に少しでも先に進みたいと思い、ひと足さきに出発することにした。
しかしこの後もアップダウンが続き、次のエイドの「Lago Chiaro」では眠気と気持ち悪さでしばらく動けなくなり、「Vecchia」では再び雨が強くなり、小さな小屋の中で選手たちが身を寄せ合って嵐が過ぎ去るのを待つこととなった。
 

【Lago Chiaroで眠気と吐き気で動けなくなった】

 

【Vecchiaでは20人以上のランナーが寒さで震えていた】

 
第4ステージに入ってから雨、寒さ、眠気、テクニカルな路面と厳しい状況が重なり、結局第3ライフベースのドンナスから第4ライフベースの「Gressoney(グレッソネイ)」に到着するまでに23時間30分の時間を使うこととなった。
 
 

第5ステージ


グレッソネイに着いたのは75時間が経過した4日目の正午だった。
グレッソネイは204km地点にあり、残りは130kmとなった。ライフベースも既に5つ目。何をしなければいけないかはもう十分に心得ていて、軽く食事をした後にシャワーと着替えを手際良く済ませ、仮眠室に行って2時間休憩をとった。
 

【グレッソネイは大きな体育館】

 

【トルデジアンを3度完走しているメグミさんと一緒に到着】

 
長い第4ステージで心身ともに疲労していたので、仮眠室では一瞬にして眠りに落ちた。
ところが不思議とこれだけ疲れているにもかかわらず2時間後にはキッチリ目が覚め、肉体的にも精神的にも幾らか回復し、次のステージに進むことをまるで毎日学校に行く子供のように従順に受け入れている自分がいた。山を走って、ライフベースで休憩と準備を整え、また山の中に走りに行くというこの一連の作業に体が順応し始めていたのである。
 

 
第5ステージはグレッソネイから「Valtournenche(ヴァルトゥルナンシュ)」までの33.7km、獲得標高3,092mである。ここまでのコースプロフィールから見るとかなり短いし、イージーなセクションに見えるから本当に不思議である。
 
 

簡単なセクションなんて一つもない


確かにこのセクションは他に比べたら楽な区間だった。実際にセクション5は前のセクション4に23時間以上かかったことを思えば、時間にして11時間45分しかかかっていない。
しかし、この区間は本当に苦しいセクションとなった。
 
とにかく眠い。
 
「いや、だったらさっきのグレッソネイでもっと寝ればいいじゃん?」と思われるかもしれないが、理屈ではそうかもしれないが、その瞬間はそれで眠気が取れているのでそれ以上寝る必要はないというくらいには回復しているのである。
しかしコース上に戻り単調な登りが始まると意識レベルが低下するため眠気に襲われ、さらにエイドで補給を取ると血糖値が上がるので、それによってさらに眠気が強まるのである。
 

【Champolucは綺麗なエイドで温かいスープをもらった】

 

【トルナリン小屋に着いたのは深夜2時】

 

【補給しないわけにはいかない】

 

【強烈な眠気をカフェインで冷まそうとするも効果無し】

 
正直レース中で一番辛いのは眠気である。
体の痛みや疲労などはもちろん辛いのではあるが頭はしっかりしているので弱気な気持ちになるメンタルをコントロールすればなんとか処理することは可能である。ところが眠気はその意志の力を司る脳がシャットダウンしかかっているので、それによって体へ指令を送る電気信号が止まってしまい、自分の思うように動くことができなくなってしまうのである。
結局第5セクションは最初から最後まで11時間ずっと眠気と戦い続けることとなった。
どのセクションも色んな辛さがあるが、結局トルデジアンに簡単なセクションなど一つもないのである。
 

【一緒に進んでいた日本人ランナーも途中で動けなくなった】

 

【ヴァルトゥルナンシュには明け方6時に到着】

 
 

覚悟


私はヴァルトゥルナンシュのライフベースで初めてマッサージを受けた。
実は各ライフベースでは補給、仮眠、シャワーの他にマッサージと簡単な医療を受けることができた。ここまでは比較的足が動いていたのと、マッサージを希望するランナーが多いため、待ち時間などを考えると勿体無い気がして遠慮していた。
ところがヴァルトゥルナンシュではマッサージを待っている人が少なく、すぐに受けることができるとのことだったので、初めて施術してもらうことにした。
 

【プロのマッサージ師が施術してくれる】

 

【足裏のケアも行ってくれる】

 
15分ほどマッサージを受け、その後2時間の仮眠をとって第6ステージに向けて準備を進めた。
ここまで96時間が経っていた。ゴールまでは残り97km。目標としている130時間まで残り34時間となっていた。私の予測では第6セクションは17時間、第7セクションは15時間と計算していた。次のライフベースを2時間で出ることができれば、ピッタリ34時間でゴールできる計算である。
 
まだ十分に勝負できる時間だと思った。
マッサージを受けた足は仮眠した後、思った以上に動くようになっていた。また天気予報アプリで天候を見ると残り2日間はそこまで強い雨にはならないとなっていた。これならまだ走ることができる。
そう思った私は、残り2つのセクションで勝負しようと覚悟を決めたのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。

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