ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第16回:Road To 「TOR DES GÉANTS」⑦ ~旅の終わり~《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2023/11/13/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
私はトルデジアンに参加する前からレースを完走した後のことを考えていた。
絶対に避けたかったことは「燃え尽きてしまう」ことだ。
ランナーの中には目標としていた大会に完走した後、燃え尽きてしまいレースからも走ることからも離れてしまう人が少なくない。私はこのトレイルランニングという競技が好きだし、自分がどこまで成長できるかにも興味があるので、トルデジアンを完走した後に燃え尽きてしまうことだけは絶対に避けたかった。
 
そこで私はレース前に「130時間切り」という目標を立てた。
130時間を切ると翌年以降にトルデジアンの一つ上のカテゴリーである「TOR DES GLACIERS(トル・デ・グラシエ)」という450kmの出場資格を得ることができるのである。私はさらに自分を成長させるためトルデグラシエへに出ることを目標に決めた。
 
 

第6ステージ


第5ライフベースの「Valtournenche(ヴァルトゥルナンシュ)」を出る時に96時間が経過していた。
残りは98km、累積標高は8,532m。かなりキツイ100kmのウルトラトレイルレースとほぼ同じだが、これを34時間で進むことができれば130時間を切ることができる。ここまでの疲労を考えればかなり厳しい状況には違いないがここは勝負をしようと決め第6ステージに入った。
 

 
ヴァルトゥナンシュから第6ライフベースの「Ollomont(オロモン)」までは48.1km、獲得標高は4,627mである。事前にこの区間は17時間はかかるだろうと予想していた。
最後の第7セクションは15時間は必要と考えていたので合わせると32時間かかる計算である。そうするとオロモンでは2時間しか休憩を取ることができない。仮眠はおそらく1時間も取れないだろう。そう考えるとできるだけ早くこの区間を走るしかないと思った。
 
この第6セクションの成否の鍵は「Col de Vessonaz」から「Oyace(オヤセ)」というエイドまでの9.5km、1,600mダウン、そして次の「Col Brison」からオロモンまで6.2km、1,300mダウンの2つの下りをどう攻略するかにかかっていた。二つ合わせると約3,000mの下り坂である。
飛ばし過ぎれば確実に足が終わってしまうこの2つの下りをどれだけダメージ少なく、かつスピードをそれほど落とさずに走るかが試されていた。
 
 

地獄の下り坂


長距離レースの後半で恐ろしいのは登りよりも下りだ。
登りはエネルギー補給さえ間違わなければそれほどタイムを落とすことなく進むことができるが下りはそうはいかない。足へのダメージは平坦なところを走るのに比べて2倍とも3倍とも言われるほど衝撃がかかるので、飛ばしてしまうと一瞬にして前もも、ふくらはぎの下部からアキレス腱、そして足の裏に大きなダメージを負うことになる。そうなるともう走ることはおろか歩くことさえままならなくなってしまう(人によっては前向きに進むことができなくなり、後ろ向きでしか降りることができなくなることもあるほどだ)
そうなってはもうタイムどころの話しではなく、完走できるかどうかの瀬戸際になってしまう。
 
「Col de Vessonaz」までは最初にガツンと登ってしまえばあとは比較的緩やかな稜線上を進めばいい(とはいえ獲得標高は3,000mもあるのだが…)
これまでのキツイ登りを考えればもう慣れたものだ。
 

【途中には何かを暗示するように十字架が】

 

【この十字架が旅の安全を祈ってくれているのか】

 
ヴァルトゥルナンシュを出てからいくつものピークを越え9時間後、ようやく「Col de Vessonaz」に到着した。
ここまでは比較的順調にくることができたが、ここから問題のオヤセまでの長い下り坂だ。
とにかく足を使いすぎないように慎重に進むことにした。
 

【Vessonazの山頂に到着】

 
10kmの下りであれば通常であればよほどの急斜面や足場が悪いところでなければ1時間半から長くても2時間と言ったところだろうか。ところがここからの下りは想像以上に長かった。どれだけ進んでもエイドが出てくる気配がなかった。しかもこの下りに入ってから前後に他の選手がいなくなってしまい完全に一人で進まなければならず心細さが増していった。
 
下っている最中の私の心の変化が友人とのメッセージのやり取りに残っていたのでご覧いただきたい。
 

 
「Col de Vessonaz」を越えて1時間ほど走ったときには、もうすぐオヤセに着くのではないかと思って友人に「もうすぐ着くよ(笑)」的な感じでメッセージを送っていた。ところがさらに進んでも到着しないことにイラ立ち、さらに人が誰もいなくなり道がよくわからなくて不安になりとにかく誰かとコミュニケーションを取りたくなり、もう涙目である。
 
ちなみにこのメッセンジャーグループには一緒に走っている仲間やサポートをしてくれている人を含めて6〜7人が入っているのだが、自分がメッセージを送っても誰も返事を返してくれないことで、実はさらにイライラが募っていた。流石にそのイラつきをそのまま送ることはしなかったが、実はその裏では「何で誰も返事してくれないんだよ(怒)」とかなり悪態をついていたのはココだけの話しである。
 
普通に考えれば、他の走っている選手が返事できるわけないし、サポートしてくれている人もこんな細かな道がわかるわけもないので返事ができなくて当然なのだが、それぐらい情緒不安定になっていたのである。
結局オヤセまで2時間半かかって到着した。
 

【やっと着いたよオヤセ。なげ〜よ。。。】

 

【他の選手もボロボロ】

 

【中には救急車で運ばれていく選手も】

 
とにかくこの下りは本当に長かった。噂では現地の人はこの下りを「キリスト教殺しの坂」と呼んでいるらしい。だから十字架があんなにあったのか??
 
しかし私にはこの坂のことを振り返っている時間などなかった。130時間を切るためには少しでも早くこのセクションを終わらせなければならない。かなり疲労を感じていたが、休憩もそこそこにして先に進んだ。
そこから「Col Brison」まで1,300mアップ、そして第6ライフベースの「Ollomont(オロモン)」までの1,300mダウンも必死で走った。途中で雨も降りだし体が冷え「オロモン」に着いた時には正直疲労困憊になっていた。
 
結局ヴァルトゥルナンシュからオロモンまでは16時間40分かかった。かなり頑張ったのだが、当初予想の17時間から20分しか巻くことができなかった。残りは17時間20分。本当なら休憩もそこそに出発したかったが、あまりにも疲れたのでオロモンでは2時間20分目一杯使って休憩することにした。
 
 

第7セクション


私は仮眠室に行くとシャワーも浴びず着替えを済ませ早々に眠りに着いた。とにかく寝て体力を回復させなければ最終セクションを走り切ることができない。わずかでもいいから体力を回復させるためには寝るしかなかった。
 
1時間半後に携帯のタイマーがなり目を覚ますと、今までにない疲労感がどっと出てくるのを感じた。これまでは仮眠したら、その瞬間は目が覚めて次のセクションに向かうだけのメンタルと体力が回復するのを感じたのだが、オロモンではそれが全くなかった。むしろ体がまだ寝ていたいと走ることに対して強い拒否反応を示していることがよくわかった。そして恐れていたことが起こった。右足に強い痛みがで始めたのだ。
 
やはり「Col de Vessonaz」から先の下りのダメージは相当なものだった。これまでのセクションとは全く違い、足の痛みと怠さで全く走れる気がしなかった。
 

【ベッドから起きるも走る気力が湧かなかった】

 
第7セクションはオロモンからゴールの「Courmayeur(クールマイユール)」までの50km、3,906mアップ、4,059mダウンとなっている。
 

 
「Col de Champillion」と「Col Malatra」の二つの大きな山を越えれば、あとはクールマイユールまで続くトレイルを走ればいい。しかし、それでもまだ50kmも残っているのだ。
 
私はこの足の痛みと疲労度から考えて、130時間切りを目指すのはかなり難しいと感じていた。
もしここで無理をすれば、もしかしたら最悪途中で走れなくなり、リタイヤの可能性すら出てくるのではないかと思った。だとすればそこまでのリスクは追わず、無理をせず最低限の目標である「完走」を目指すべきだと考えた。そして重い足をひきずるようにして、セクション7をスタートした。
 
 

お前は出し切ったのか?


オロモンを出ようと思ったが外は雨が強くなっていたので小降りになるのを待ち、結局エイドには3時間20分滞在した。そのため残り時間はオロモンを出た時点で14時間を切っていた。
当初セクション7は15時間かかると考えていたので、この時点でおそらく131〜132時間ぐらいがゴール時間だろうと考えた。
 

【雨が上がり朝靄が立ち込める中、最終セクションをスタート】

 
最初の「Col de Champillion」に向かう途中、牛の大群に囲まれ行く手を阻まれるというアクシデントはあったが、最終セクションを走っているという満足感があり、残りわずかとなったトルデジアンの旅を噛み締めるように先を進んだ。
 

【目の前に大きな牛が立ちはだかる。角が結構怖い】

 

【50頭近い牛の大群が上から降りてきて立ち往生】

 
「Col de Champillion」までは美しい牧草地帯が続き、この景色を見るのもこれで終わりかと思うと何か寂しい気持ちになった。途中可愛い山小屋エイドに立ち寄った。そういえば今回仮眠は全てライフベースで済ませたが、実はトルデジアンは途中の山小屋でも寝ることができるので、次にまた130時間切りを目指して出るときには山小屋を活用しようと思いながら先を進んだ。
 

【Refugio Champillonという可愛い山小屋】

 

【中も雰囲気があってとても居心地が良い】

 

【ワンコも応援してくれていた】

 
「Col de Champillion」までは順調に進んだ。足の痛みはあったが走れないほどではなく、このペースであれば問題なくゴールはできそうだと安堵した。
 
「トルデジアンを完走することができる」
 
その思いがゴールに近づくにつれて大きくなり、「最後は楽しもう」と景色を記憶に留めるようにじっくり進んで行った。
 

 

【最後から2つ目のコル。あと一つ越えたら終わり】

 
ところが「Col de Champillion」を過ぎて林道を走っていると、後ろからスゴい勢いで走ってくるランナーがいた。
 
日本人ランナーのウチダさんだ。
ウチダさんは第1セクションで一緒だったが、その後に体調を崩して私の後ろを走っていた。
オロモンでは私が出発するときにこれからエイドで休もうとされていたので、おそらく2時間は差があったはずだった。ところが私がオロモンから7時間進む間にその差を一気に縮めて追いついたのである。
 
そしてウチダさんは「130時間まであと30kmで7時間残ってるから俺行ってみるわ」と言って、私を颯爽と追い越していった。
私はウチダさんが走っていく後ろ姿を見た瞬間に
 
「このまま見送ってしまっていいのか?」
「俺は本当に出し切ったのか?」
「俺は本当に勝負したと言えるのか?」
 
という考えが突如頭に浮かんできた。
そして
 
「いや、まだ俺は全力を出し切っていないだろ!!」
「足の痛みがなんだ、最後まで勝負しろ!!」
 
そう思った瞬間に私は小さくなっていくウチダさんの背を追い始めた。
 
 

ゴールタイム


私はそこから無我夢中で走った。
この先にはトルデジアンの最後の難所である「Col Malatra(マラトラ峠)」が待っていた。マラトラ峠までは13kmで1,600mアップの厳しい上りが続く。私は持てる力の全てを出し切って、マラトラ峠を目指した。
 
ウチダさんの背中は全く見えない。しかし、絶対にウチダさんは勝負を諦めないはずだと、見えないウチダさんの背中を追って全力で走った。
 
マラトラ峠はトルデジアンでは有名な場所で本来ならここで記念撮影に時間を取りたいところだが、それよりもゴールに向かう方が今の自分には重要であった。
 

【霧のマラトラ峠】

 
そしてついにマラトラ峠を超えた。
ここからゴールのクールマイユールまでは18kmで2,250mの下りが続く。
残り時間は3時間20分。
 
もう130時間切りは無理だと諦めていたところから、もう一度130時間切りが狙えるところまで盛り返すことができ私は嬉しさが込み上げてきた。
 
「このままいけば130時間が切れる」
 
しかし、トルデジアンはそんなに甘いレースではなかった。
マラトラ峠を過ぎて下りに入った瞬間に忘れていた右足の痛みが戻ってきた。130時間を切れるという喜びと、右足の痛みでうまく走れないもどかしさを感じながら前に進み続けた。しかしここからの下りが長かった。
 
どれだけ走ってもクールマイユールが見えてこない。
「もう最後の下りに入っても良いだろう」と思うのだが永遠と長いトレイルが続いた。
 
そしてついに最終エイドである「Saxe」に着いたときには、残り時間は35分となっていた。
ここからゴールまでは4.6kmで850m下らなくてはならない。
エイドスタッフからはゴールまで1時間かかると言われた。
 
「これだけ走ってきたのに、間に合わないのか?」
「ここまできて130時間切れないのは絶対に嫌だ!!」
 
私は最後の力を振り絞って、クールマイユールまでの下りを全力で駆け降りた。
時間はどんどんなくなっていく。
途中で何人もの選手を追い越した。
追い越された選手もこの下りをものすごい勢いで走っている日本人を奇異な目で見ていた。
 
最後に時計を見たときには残り5分となっていた。
 
「息が続かない、苦しい」
 
それでも速度を緩めることはできない。
そこからは時計を見る余裕もなく、ゴールに向かってひたすら走った。
 
クールマイユールの街に入ったときに、仲間のマツイ夫妻が待っていてくれてゴールまで導いてくれた。
普通ならビクトリーロードであるはずの街中を全力で走った。
 
ゴールゲートが見えた。
観客の姿が目に入る。
歓声は私の耳にはまったく入ってこない。
そして全速力のままゴールゲートに到着した。
係員が私のタイムを計測するため手首のセンサーに計測器をあてた。
計測器には「130時間・・・」という文字が映った。
その瞬間、私は自分が130時間を切れなかったことを知った。
 
「間に合わなかった」
 
全身から力が抜け落ちた。
 
「いやもっと手前で諦めずに走っていれば間に合ったはずだ」
「本当に130時間を切りたかったらもっと努力できたはずだ」
「自分は勝負を途中で投げ出した」
「自分はなんて弱い人間なんだ」
 
そんな思いが湧き出した。
そして自分の不甲斐なさに涙が溢れた。
 
「悔しい」
 
これが330km、130時間走ってゴールした瞬間の自分の率直な気持ちだった。
結局最終的なタイムは130時間8分だった。
 
泣いている自分のところにウチダさんが来て声をかけてくれた。
ウチダさんは自分よりも30分前にゴールし130時間切りを達成していた。
 
しかし、ウチダさんがあそこで自分に火をつけてくれなかったら、無難にレースを終わらせていたに違いない。あそこでもう一度勝負する気持ちになったからこそ、これだけ悔しいと思うことができたのだと思うと、ウチダさんには感謝せずにはいられなかった。
 
そして私は必ず130時間切りに再チャレンジするとこの瞬間に決意した。
 
トルデジアンは本当に「旅」だった。
当初旅が終わった時のことをアレコレ考えていたが、どうやらこの旅はそう簡単には終わらないらしい。
今私はこの旅が終わらないこと、そしてまたチャレンジすることを目標に練習できることに心から感謝している。
 
この続きをまた書くことを誓って、今回のトルデジアンの感想記を終わりにしたいと思う。
 

【ゴール後に泣き腫らした顔が情けない(笑)】

 

【自分の心に火をつけてくれたウチダさんと記念撮影】

 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。2023年イタリアで開催された330kmの超ロングトレイルレース「トルデジアン」に完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
天狼院メディアグランプリ 56st season 総合優勝

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