「ここぞ」のごはん~豆乳うどんの日~
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: ムー子(ライティング・ゼミ25年11月開講コース)
「資料の修正をしてくれへん?」
「……やっぱ戻して」
「あー、なんか違うわあ、やっぱり変えて」
担当をしていない上司の資料修正を頼まれた。
普段やり取りが少ないからこそ、話し合いを重ねて改善するポイントを探したかった。
しかし話し合いは進まず「よくわかんないからとりあえずやって」と言われ、資料を修正しては「なんか違う」と返却されることを何回か繰り返していた。
おまけに自分の仕事も山積みである。
仕事になかなか取り掛かれず、いたずらに時間だけが過ぎていき、焦っていた。
そして、他の部署から手伝ってほしいと仕事が次々と追加され、とうとう自分の心の体力が尽きてしまった。
もう知らん! やってられるか!
その時決意した。
絶対に今日の昼ごはんは食べたいものを食べるぞ、と。
美味しいごはんを食べて元気を出す。
私は食べるのが好きだ。
仕事がある日は自分で作ったお弁当、作るのがキツイ日は軽めのコンビニ弁当。
外でランチを食べるときは、自分へのご褒美や、元気が出ない日等、「ここぞ」というときだと決めていた。
その日は作る時間がなかったのでお弁当は持って来ていない。
今日はもう「ここぞ」の日だ。
時計を見ると、昼休憩が始まるまであと数分だった。
男性陣は昼休憩のために出ていく準備をしている。
午前中ですでに疲れていた私は、話す気力がもう残っていなかった。
誰とも会わないように、自分の存在を消し、忍者のごとく裏口からこっそり出る。
季節は冬。寒くて温かいものが食べたい。
なにせ、身体だけではなく、心が荒んで凍結寸前だ。
重症なので、食べ終わってから栄養ドリンクを買いに行くことにした。
店はもう決めていた。
会社から徒歩2分のところにある、うどん屋である。
ここは人気店なのだが、その理由は味の美味しさ、そして安さだ。
今1,000円台のランチが多い中、ここは単品ならほとんど600円~700円、ご飯もしくは自家製おでん付きセットで800円いくかいかないかの値段設定である。
なお、麺大盛を頼むと量はすごく増えるのに+50円で済む。
お得すぎやしないか。
ただ、難点が一つある。
席数が少ないのですぐに満員になってしまうことだ。
混雑時、一人客はテーブル席で相席をお願いされることもある。
席が埋まってしまう前に早く行かなければと、寒さでもつれる足を懸命に動かし店へ急ぐ。
「今月のうどん 豆乳うどん」
到着し、戸に貼られている張り紙を見た。
太めの毛筆でサラサラと丁寧に綺麗な文字で書かれている。
ここには、月替わりのうどんがある。
旬の野菜や魚が豪華に使われており、他のメニューよりは少し高い。
いつもは「にしんうどん」とか「牡蠣のあんかけうどん」とか書いているのだが、
この日はシンプルな表記だった。
具材は分からないが、豆乳好きの私はもう絶対これにすると、意気込みながら店に入った。
店に入ると「いらっしゃいませ」とカウンターに案内された。
すでに大勢の客が入っている。皆まだかまだかと、自分の頼んだものが来るのを待っていた。
「豆乳うどん、大盛でお願いします」
元気を出すために、大盛を選んだ。
嫌でも昼から仕事を再開しなければならないのだから、力をつけないといけない。
「はい、豆乳大盛ねえ……ごめんねえ、今日混んでるからお待たせすると思うけど、すんませんなあ」
紙に注文を書くと、店員の女性はオーダーを通すため、すぐに厨房に戻った。
次に、出来上がったうどんセットを頼んだ人のもとへ運びに行く。
ここは調理を担当している男性店主と、ホールを担当している女性の2人で切り盛りされている。
バイトはおらず、バタバタしていつも大変そうだが、接客を見事にこなしている二人をすごいな、と心底思う。
私にその余裕をくれないだろうかと思いながら、うどんを楽しみに待つ。
「お待たせしましたぁ」
お待ちかねの豆乳うどんだ。
大きい濃い青色のどんぶりに、白い豆乳の出汁がなみなみと入っている。
麵大盛のため、見た目のボリュームがすごい。
出汁をレンゲですくい、飲んでみる。
最初食べた時は豆乳のクリーミーなコクが出てくる。
その後にいつものうどん出汁の旨味が広がる。
そして、意外だったのが生姜の存在だ。これが食欲を後押しする。
次に、太めの、すこしコシのあるうどんを口に運ぶ。
お腹が空いているから勢いが止まらない。
鶏肉と白菜、しめじが出てくるたびに、嬉しい。
それらの旨味も一緒に溶けた出汁を時々飲む。
食べ続けていると、身体は温まるが頭は冷静になっていくようだった。
「さっきの資料の作り方、こうしたほうがいいかも」と仕事の対処方法がふと舞い降りてきた。頭の中を整理しながらも、食べるために口を動かす。
これだ、私が今食べたかったものは。
今日これを選んだ自分は最高。
さっきまでの仕事のイライラをすっかり忘れ、自画自賛モードに突入した。
朝は「今日は最悪、はいもう終わり」と超ネガティブだった私と既にさよならが出来ている。
食べているだけでこんなに気持ちって変わるものなのか。
これは自分が単純な人間だからなのだろうか。
いや、どちらにしても、このうどんがすごい。
名残惜しかったが、最後の一口を食べ終えてしまった。
気持ちが持ち直したことに対する感謝の気持ちをどうしても伝えたくなった。
お会計の時に「めっちゃおいしかったです」と女性の店員さんに声を掛けた。
きょとんとしていたが、次の瞬間満面の笑みで「いつもありがとう、また来てね」と、忙しいのにもかかわらず、わざわざ店の外まで見送ってくれた。
食べ終わってもずっと続くぽかぽかを感じながら、私はコンビニのほうへ歩き出した。
栄養ドリンクを買いに行って、昼に備えるためだ。
何歩か進んだが、ピタッと立ち止まった。
……いや、今日はなしで行けるかも。
食べて元気が出たと実感があるのに、栄養ドリンク追加すると勿体ないような気がする。
具材たっぷりの豆乳うどんのパワーをせっかくもらったのだ。
会社に戻ろうと引き返した。
誰だって嫌な思いをするときはある。
踏んだり蹴ったりで上手くいかない日、自分だけ損な役回りをするとき、自分が出来なさ過ぎて不甲斐なさを自覚する時、色々あるだろう。
そういう時こそ自分の気持ちを落ち着かせたい。
自分なりの楽しみを作って、自分を大事にするためにやること。
辛くてしんどい時は、とりあえず美味しいものを食べて踏ん張る。
食べたらなんとか持ち直せるから、大丈夫。
私にとってはそんな気合いの儀式。
それが「ここぞ」の食事だ。
さて、昼から頑張りますか。
角を曲がり、誰も見ていないのを確認して、2歩スキップする。
上手く仕事をこなせますようにと願いをかけながらビルに戻った。







