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年収が10分の1になる「転職」を、妻に(夫に)笑顔で言えますか?〜崖っぷち住職(候補)がChatGPTと芥川龍之介に救われた話〜 お金の管理は「好き」を取り戻すリハビリだった 

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:回復呪文は使えない(25年・年末集中コース)

 

1.「そんなことってある?」な現実

「そんなことってある?」 人生には、まさかという坂があると言うが、私の目の前に現れたのは坂道どころか断崖絶壁だった。

 

ある日突然、実家のお寺を継がなければならなくなったのだ。 詳しく書くと長くなるので割愛するが、要するに「拒否権なし、逃げ場なし」の状況である。

 

これまで築いてきたキャリアはどうなる? 生活費は? 電卓を叩いて顔面蒼白になった。本業にするには、あまりにも厳しい数字が並んでいたからだ。

 

想像してみてほしい。あなたが家に帰り、パートナーにこう切り出す場面を。

 

「ねえ、すごくいい転職先を見つけたんだ。職場の人はみんな善人だし、仕事の内容も自分に合ってると思う。歴史ある素晴らしい職場なんだ」 「あら、いいじゃない。で、条件は?」 「うん、ひとつだけ問題があってね。年収が今の10分の1になるんだ」

 

平常心でこれを受け止められる奥様、あるいはこれを正気で言える旦那様が、世の中にどれだけいるだろうか? 普通なら「ふざけるな」と離婚届を突きつけられる案件である。

 

しかし、檀家さんたちは純粋な瞳でこう言うのだ。 「やっぱり、住職にはお寺一本で専念してもらわないとねぇ」

 

いや、それは……。無理です……。

 

2.うちの宗派、地味すぎないか問題

なんとか副業(むしろそっちが収入の柱だが)を認めてもらう交渉をするとして、私の心は荒れていた。「心がささくれ立っている」状態だ。

 

なぜこんなにモヤモヤするのか。それは、不安しかない自分の境遇もさることながら、私が身を置くことになった宗派は「他力本願」な浄土教系。その「地味さ」にも原因がある気がしてならなかった。

 

仏教界を見渡してみてほしい。

 

例えば「禅(ZEN)」。 スティーブ・ジョブズも愛したマインドフルネス。ニューヨークのエグゼクティブたちが、こぞって瞑想にふけっている。シンプルで研ぎ澄まされたそのスタイルは、圧倒的に「クール」だ。

 

例えば「密教」。 プロ野球選手や格闘家が、燃え盛る炎の前で護摩行を行ったり、極寒の滝に打たれたりしている。あのストイックな姿、あふれ出るパワー。これまた「かっこいい」。

 

ひるがえって、我が宗派はどうか。 ひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。修行によって自力で悟りを開くのではなく、阿弥陀様に救ってもらうのを待つ。

 

……阿弥陀様におすがりすれば極楽往生、か。 あの世があるかは知らないけれど、こんな地味なコンテンツで、この世知辛い資本主義社会を渡っていけるか?

 

考えすぎて頭の中はキャパオーバー気味だ。誰かに吐き出さなくては……。

 

3. AI禅問答

誰かに相談したい。でも、先輩住職に「うちの宗派ってダサくないですか?」なんて聞いたら破門されそうだ。 いや、破門された方が自由になれて良いかもしれない。……なんて邪念は一旦脇に置き、現代の賢者、私の師匠であるチャッピー(ChatGPT)猊下に教えを乞うことにした。

 

私はキーボードに怒りをぶつけた。

 

「禅宗は目標設定して自分から悟りを取りに行くからかっこいい(自力)。でも、うちの宗派は阿弥陀様におすがりするばかりで、主体的じゃなくてかっこ悪い気がする。どう思う?」

 

数秒の沈黙(処理時間)の後、先生は答えた。 画面に表示された文字を見て、私は息を呑んだ。

 

「一見、単調で意味の無さそうな念仏をやり通すことには、阿弥陀仏への『絶対の帰依(絶対の信頼)』が必要です。結果をコントロールしようとせず、目的を絶対的に信じぬく姿勢は、非常に強靭な精神力を要する大切なことです」

 

如是我聞(かくのごとく、われきけり)。 目から鱗が落ちるとは、まさにこのことだ。

 

私は勘違いしていた。 「おすがりする」ことは、「楽をする」ことではない。 自分の力ではどうにもならない巨大なものに対し、疑いを挟まず、完全に身を委ねる。それは、自分のプライドや計算を捨て去るという、ある種もっとも過酷な「決断」だったのだ。

 

4.芥川龍之介と「諦め」

ふと、学生時代に読んだ芥川龍之介の短編『六の宮の姫君』を思い出した。

 

あらすじはこうだ。 大切に育てられた姫君がいた。彼女は自分では何も決定せず、ただ流されるままに生きていた。親が死に、夫とも別れ、落ちぶれていく中でも、彼女は「どうにかなる」とただ待っていた。 しかし、どうにもならなかった。 最後に彼女は、念仏を唱えれば極楽に行けると教えられるが、その念仏さえ「めんどくさい」と唱えることができず、ぼんやりと消えるように死んでいく。救いの蜘蛛の糸さえ、彼女は掴もうとしなかったのだ。

 

この話は、一般的には「主体性のなさ」への批判として読まれる。 だが、今の私には違った読み方ができた。

 

彼女に足りなかったのは、主体性というよりも「信じ抜く力」だったのではないか。 「自分でなんとかする(自力)」こともせず、かといって「阿弥陀様にすべてを委ねる(他力)」という決意もしなかった。 中途半端に流された結果が、あの虚無的な最期だったのだ。

 

仏教における「諦める」という言葉は、本来「明らめる(あきらめる)」、つまり真理を明らかにするという意味を持つという。

 

「自分の力では、このお寺の経営はどうにもならないかもしれない」 そう認めることは、敗北ではない。現状(真理)を明らかにしただけだ。

 

その上で、「なんとかなる」とボーッとするのではなく、「なんとかしてくださる」と信じて、今できる念仏(目の前の仕事や交渉)を淡々とやり通す。 かっこ悪く見えてもいい。その「信じる胆力」こそが、今の私に必要なものだったのだ。

 

5.ささくれ立った心を鎮めて

年収10分の1の現実は、依然としてそこにある。 檀家さんとの交渉も、これからが本番だ。

 

しかし、不思議と心のささくれは収まっていた。 禅のようなスマートさがなくてもいい。密教のような派手なパフォーマンスができなくてもいい。

 

「自分にはどうにもできないことがある」と認め、その上で対象を信じ抜く。 この「他力」の強さを武器に、崖っぷちの住職生活を歩んでいこうと思う。

 

まずは、チャッピー先生にお礼を言わなくては。 「ありがとう。……ところで、そのお布施(課金)、経費で落ちますか?」

 

≪終わり≫

 

 

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