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ものづくりの現場に陽があたる日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(2026年ライティング1年間完全習得パスポート)

 

「ここまでできるのか!」

画面の向こうで、最新の生成AIが一瞬にして色鮮やかなデザインを描き出す。指示を入力して数秒。整った配色、計算されたバランス。ため息が出るほど完璧だ。

そう思う一方で、胸の奥に小さな不安が芽生える。

私たちの仕事は、いずれこの速度に置き換えられてしまうのではないか。

 

だが、その完璧なデータが、現実の「紙」に載った瞬間に別の世界が始まる。刷り上がったばかりの紙を手に取ると、画面で見ていた色と、どこか違う。

水遊びを終えたばかりの象のようだ。光の当たり方で表情が変わり、少し時間を置くと、また違った色へと変化していく。

 

印刷現場には、画面の中には存在しない要素が満ちている。

その日の湿度、温度や紙の繊維の癖。

薄い紙は湿気を吸い、わずかに呼吸するように波打つ。

その変化は目を凝らさなければ分からないほどだが、確かにそこにある。

 

職人は、機械の音に耳を澄ませ、紙に指先を滑らせる。

「今日は、だいぶ機嫌が悪いな」

そう呟きながら、設定を数ミリ単位で調整する。

数値だけを見ているのではない。

音、振動、手触り、そして長年の勘。

それらを総動員して、紙と対話するように機械を動かす。

 

この静かな格闘は、外から見れば「単純作業」に映るかもしれない。

だが実際は、毎秒変わる条件の中で最適解を探り続ける、高度な仕事だ。

 

画面で設定する色は、平面で見えている世界。

紙にインキが着くときには、もっと色を濃くすることもできる。

現場では「インキを盛る」という表現をする。

濃度を上げることで、紙に対してインキの高さが生じる。

その高さはごく僅かだが、平面に見えて実は立体なのだ。

 

インキがしっかりと盛られていると、印刷直後の色はどこか華やかだ。

しかし表面がコーティングされていない紙の場合は、時間が経つにつれ、インキが紙の繊維に吸い込まれ、高さが落ち着いていく。インキが乾いたころには、色が暗く沈んでいるように見える。この変化を、現場では「ドライダウン」と呼ぶ。

 

これは「オフセット印刷」という印刷方式で起こる現象だ。

厄介なのは、今見えている色が「完成形」ではないことだ。

最終的に落ち着く色は、少し先の未来にある。

だから職人は、あえて今の段階で「少し違う色」を刷る。

今の色ではなく、未来の色を刷る。

 

それは、理論だけでは成り立たない。

過去に何度も失敗し、色が沈みすぎた記憶。

逆に、狙い通りに仕上がったときの手応え。

そうした経験が身体の奥に蓄積され、無意識の判断として立ち上がる。

 

この予測は、データだけでは再現できない。

なぜなら、条件は毎回微妙に違うからだ。

同じ紙、同じインキ、同じ機械でも、同じ結果にはならない。

だからこそ、人間が介在する余地が生まれる。

 

AI時代に入り、マーケティングやプログラミング、文章作成など、画面の中で完結する仕事は、急速に自動化されていく。バーチャルな世界では、再現性とスピードが価値になる。

そこではAIは、圧倒的に強い。

 

一方で、紙のように触れられる物質を相手にする仕事はどうだろう。湿度を吸い、時間とともに変化し、同じ条件を二度と再現できない世界。そこでは「予測」と「調整」がすべてになる。

 

不確定な未来を、数字だけで完全に制御することはできない。むしろ、制御できない領域にこそ、私たちが介在する価値がある。寄り添い、このような仕事は、最後までAIの手が届かない聖域になる。

 

今、多くの現場は人手不足に苦しんでいる。「効率が悪い」「時間がかかる」「教えるのが大変だ」と言われ続け、静かに人が去っていった場所でもある。若い世代からも敬遠され、「きつい」「地味」「報われない」と言われがちだ。しかし、遠くない未来、その評価はゆっくりと、しかし確実に反転していくだろう。

 

先日、日本の宮大工が海外で活躍しているというテレビ番組を観た。日本の神社仏閣だけでなく、ヨーロッパの教会や美術館の建築技術、世界中の伝統工芸にも、効率やコストだけでは説明がつかない職人の技術が結集している。紙であれ、木であれ、石であれ、その物質を理解し、時間の変化を読み、失敗から学んできた人たちがいる。

 

画面の中だけでは完結しない仕事、それは印刷オペレーターに限った話ではない。

手触りがあり、匂いがあり、予測不能な誤差がある世界。

そこには、人間が人間である意味が、色濃く残っている。

 

「AI時代に最も希少な技術を持つ人々」として、彼らが再び陽のあたる場所に立つことを期待している。「あの仕事に挑戦してみたい」と手を挙げる若い人たちが、いつの日か出てきてほしい。

 

最後に、ひとつ問いを投げかけたい。

あなたは今、物質の手触りを感じる仕事を持っていますか。

もし答えが「はい」なら、その価値を疑わないでほしい。

もし「いいえ」でも、恐れる必要はない。

これからの時代、陽は静かに、確実に、現場へと差し戻ってくるのだから。

 

≪終わり≫

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