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お寺の夏が、もうすぐやって来る——お盆に見つけた「おもふかい」時間《週刊READING LIFE Vol.362「もうすぐ夏が来る 」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

お寺の夏は、忙しい。

世間が海外旅行や帰省の話題で持ちきりになる頃、お寺の境内は独特の緊張感に包まれる。僕がこのお寺に住むようになってから、今年で二度目の夏。恥ずかしながら、それまでの僕にとってのお盆は、ただの連休に過ぎなかった。カレンダー通りに休みが取れるかどうかを気にし、混雑する交通機関のニュースを他人事のように眺める。そんな、世間一般の人々の視線しか持っていなかった。

しかし、お寺の内側から見るお盆の景色は、全くの別世界だった。夏の大型連休というイメージが強いお盆。本来の意味は、亡くなられたご先祖様が、あの世と呼ばれる世界からこちらの現世に帰ってくる期間のことだ。故人が生前を過ごした場所、主に自宅でお迎えして、再び戻っていくあの世での幸せを祈る機会となっている。一般的な習わしとしては、十三日の「盆入り」に迎え火を灯してご先祖様をお招きし、十六日の「盆明け」に送り火を焚いて、あの世という安らかな世界へと再びお見送りをする。この期間中は厳かな法要に身を置くことはもちろん、お墓の前で静かにお供え物を並べたり、土地に伝わる盆踊りで舞を奉納したりすることも、古くから受け継いできた日本の夏の風物詩だ。お盆は、町中の無数のご先祖様が一斉に里帰りをする、年に一度の大移動の季節なのだ。

 当然、その案内所であり、中継基地でもあるお寺が暇なわけがない。特に、僕が身を置いている高野山真言宗のお寺では、夏を最も忙しい季節たらしめている最大の理由がある。 お盆の時期に合わせて行われる「施餓鬼法要(せがきほうよう)」という、年間でも指折りの大きな行事だ。この行事の名前を初めて聞いたとき、僕は言葉の響きに少しおどろおどろしいものを感じた。簡単に言えば、自分のご先祖様だけでなく、この世界で行き倒れてしまった人や、誰からも思い出してもらえない孤独な魂をも含めて、すべてに温かい食事と祈りを捧げるための、壮大な「おもてなし」の場なのだという。「誰一人として取り残さない」というスローガンが世界中で知られるSDGsだが、施餓鬼法要はお寺が数百年かけて繋いできた優しい知恵の形ともいえる 。

だが、その美しい理念を支える舞台裏は、文字通りの肉体労働だ。行事の本番は一日だけだが、その準備は一週間以上前から静かに、切実に始まる。まずは、境内の大掃除だ。五月の新緑が終わり、六月の梅雨を吸い込んだお寺の草木は、驚くほどの生命力で生い茂っている。朝のまだ涼しい時間帯から、汗だくになって草をむしり、木々を整える。遮るものがなく煮えたぎった太陽が、頭上から照りつける。草木の陰からは、蚊の群れが容赦なく襲いかかってくる。長袖を突き抜けて刺してくる痛痒さと戦いながら、地面に這いつくばる。抜いても、抜いても、翌日の朝には何事もなかったかのように新しい雑草が芽を伸ばしている。植物たちの圧倒的な生命力を前に、自分の手の小ささに途方に暮れそうになる。 だが、ただ黙々と土に向き合い、指先を泥で黒く染めていく時間には、不思議な静けさがあった。自分の呼吸音と、蝉の声だけが交互に響く。目の前の雑草を一本抜くたびに、参道の輪郭が少しずつ、本来の清々しさを取り戻していく。僕は、頭の中の雑念が、身体を動かす苦労とともに削ぎ落とされていくような感覚を覚えた。

境内の草木を整え終えると、いよいよ本堂の床や柱の雑巾がけが始まる。靴を脱ぎ、裸足になって本堂へと上がる。ひんやりとした木肌の感触を足の裏に感じながら、前傾姿勢で床を拭っていく。磨き上げるのは、床や柱だけではない。密教のお寺である本堂の奥には、金色や真鍮に鈍く光る、名前もわからない無数の不思議な仏具たちが鎮座している。 それらを一つひとつ手作業で祭壇から取り出し、専用の布を使って丁寧に磨き上げる。金属の表面に触れると、指先から冷たい質感が伝わってくる。磨き粉の入った特有の薬品の匂いが、夏の重い空気の中にツンと広がった。何年もかけて蓄積された線香の煤や、目に見えない手の脂による曇り。それらを落とすために、指先に力を込めて、何度も同じ場所を布で磨き続ける。作業を続けているうちに、僕の指先や手のひらは、金属の削り粉と煤で真っ黒に染まっていく。だが、磨いているうちにやがて、仏具たちは本来の神聖で鈍い輝きを取り戻していく。曇りが消え去り、自分の顔が金属の表面にすっきりと鏡のように映り込む。その一瞬の達成感が嬉しくて、また次の仏具へと手を伸ばす。ピカピカに磨かれた空間と道具を整えること。それこそが、これからやってくる何百人ものお檀家さんとご先祖様をお迎えるための、最初の礼儀だからだ。

本番が近づくと、今度は本堂の内部が特別な仕様へと模様替えされる。普段とは違う大きな祭壇が組み立てられ、そこへ並べるためのお供え物の手配が始まる。山のような野菜や果物、お菓子。これらを一つひとつ、見栄えがよく、崩れないように丁寧に積み上げていく。真夏の暑さの中、生ものを扱う作業は時間との戦いだ。傷まないように気を配りながら、冷房と扇風機をフル稼働させて本堂を冷やす。

さらに、お檀家さんたちの手元に届く資料の準備が続く。特にお施餓鬼の法要では、亡くなった方の供養のために作られる木札、すなわち「塔婆(とうば)」の手配と確認が極めて重要になる。これは僕ではなく住職が、最も神経を使う大切なお仕事だ。お檀家さんから申し込まれた故人の戒名や名前、施主の名前。それらが木札の表面に一文字の狂いもなく墨書されているか。名前の書き間違いは絶対にあってはならない。夜遅くまで静まり返った本堂の明かりの下で、住職は真剣な眼差しで名簿と塔婆を一枚ずつ照らし合わせ、確認を繰り返す。その隣で資料を折る僕の作業にも、自然と心地よい緊張感が伝染してくる。住職の筆の進む音と、紙を折るカサカサという音だけが、夏の夜の静寂に溶けていった。

そして迎える、当日の朝。お寺の門が開くと同時に、お檀家さんたちが続々とやってくる。いつもは静寂に包まれているお寺が、この日ばかりは人の熱気と、にぎやかな話し声で満たされる。駐車場の手配、受付の案内、迅速な誘導。息をつく暇もないほどの慌ただしさが、一気に押し寄せてくる。僕の定位置は、本堂の入り口、すなわち玄関の前に決まっていた。何百人ものお檀家さんが一時に押し寄せるため、そのまま靴を脱いで上がってもらうと、広い玄関があっという間に靴であふれかえってしまう。誰の靴がどこにあるのか分からなくなり、帰りの混乱を引き起こす原因になる。だからこそ、僕には重要な役割が与えられていた。お一人ずつ、手元に用意したビニール袋を手渡していく。そして同時に、もう一方の手でよく冷えた冷たい飲み物を手渡していく。鎌倉の暑さが牙を剥く八月。お寺を訪れるご高齢のお檀家さんたちにとって、この真夏の酷暑は熱中症を引き起こす危険がある。

「冷たいお飲み物です。よろしかったらどうぞお持ちください」

一人ひとりの目を見つめながら、袋と飲み物を手渡していく。玄関の前に立つと、本当にさまざまな種類の靴が目の前を通り過ぎていく。履き古されたウォーキングシューズ、おめかしをして履いてこられた少し上等な革靴、小さな子供の可愛らしいスニーカー。それぞれの靴の持ち主には、それぞれの生活があり、それぞれの人生の歩みがある。スーツ姿で、汗を拭いながらやってくる若い世代。お互いの身体を支え合いながら、ゆっくりと階段を登ってくる老夫婦。玄関は、まさに無数の人生の物語が交差する、縮図のような場所に思えた。

「暑い中、よくお参りくださいました」

「冷たいお水をありがとうございます」

言葉を交わすたびに、お檀家さんたちは一瞬ほっとしたような表情を浮かべる。冷えたボトルを額に当てたりしながら、靴の入った袋を手に本堂へと上がっていく。足が不自由な方もいて、みんなで車いすを持ち上げる場面もあった。「高齢な方が多いけど、お寺をバリアフリーにするのは難しいだろうな」と思いながら、僕も手伝った。本堂から、お坊さんたちの太い読経の声が響き渡る。般若心経に何百人もの祈りが重なり、本堂の室温がさらに上がったように感じられた。法要が始まってから、どれぐらいの時間が経っただろうか。汗をぬぐいながら次々とやってくる人たちへ、僕は袋と飲み物を手渡し続ける。立ちっぱなしの足は棒のようになり、腰にも鈍い痛みが走り始めていた。だが、不思議と嫌な疲労感ではなかった。

やがて、本堂から出てくるお檀家さんたちの表情が、僕の目の前を通り過ぎていく。久しぶりに親族で集まり、近況を報告し合って笑い合う姿。亡くなった大切な人の面影や、持ち寄った古い写真を前にして、「あの時はこうだったね」と静かに語り合いながら、どこか穏やかな顔をしている姿。塔婆を受け取って、自分たちのお墓をていねいに掃除する姿。そんな光景を見た瞬間、足の痛みも、寝不足の眠気も、すっと消えていくような不思議な感覚があった。

ここで、僕の胸にひとつの確信が生まれた。この場所で行われているのは、単なる義務的な先祖供養の行事ではない。おもしろく、そして、どこまでも味わい深い。ゆっくりと静かに深まっていく滋味のような「おもふかい」時間が、そこには確かに流れていた。亡くなった家族や親族を思い出し、懐かしむだけの時間ではない。ご先祖様と再会し、自分のルーツを見つめ、これまでの人生の物語をもう一度「味わい直して」いるのだ。その大切な営みを支えるために、金色に輝く仏具を磨き、何百枚もの塔婆を確認する舞台裏の苦労があった。お寺が数百年かけて築いてきた「急がない場所」としての信頼が、ここに集まる人々に、日常を離れた安心と豊かな時間を提供しているのだ。僕は素人ながらに、この尊いひと時が深く腑に落ちた。

すべての法要が終わり、お檀家さんたちが穏やかな顔で家路に就く。にぎやかだった境内は、夕暮れの心地よい風とともに、再び元の静けさを取り戻していく。西の空が高く、ゆっくりと夜の藍色に染まっていく。片付けを始めようと、僕は再び靴を脱いで、ひんやりとした本堂へと上がる。身体はくたくたに疲れている。けれど、胸の奥には、淹れたてのお茶のような、じんわりとした温かさが残っていた。人生で初めての施餓鬼法要は、僕にとって見るもの全てが珍しく、ほとんど役に立っていなかっただろう。しかし、お檀家さんたちの「おもふかい」ひと時を、わずかながらお手伝いできた満足感に満たされていた。

この記事を読んでいるあなたへ、そっと問いかけさせてほしい。まもなくやって来る、夏の大型連休。もし一日だけでも、ほんの少しの静かな時間ができたなら、あなたの手のひらの中にあるスマホの画面を閉じて、自分の心を静けさで満たしてみてほしい。そして、すでに旅立っていったご先祖様や、あなたをここまで繋いでくれた大切な人たちに、ほんの少しだけ思いを馳せていく。それは、義務や道徳として誰かに強制されるものではない。あなた自身が、自分の命の背景にある豊かな物語に耳を傾け、これまでの人生をもう一度愛おしく「味わい直す」ための、この上なく贅沢で、おもふかい時間になるはずだから。

もうすぐ、夏がやって来る。夜になると街に鳴り響く太鼓の音。夜店に集まる子どもたちの楽しそうな声。色鮮やかなたくさんの浴衣が、盆踊りを盛り上げる。子どもの頃から変わらない、大好きな夏の風景だ。そして同じ頃、鎌倉のお寺に今年もたくさんのご先祖様が帰ってくるだろう。僕は裸足の足の裏で、あのおもふかい夕暮れの畳の温もりを感じている。この忙しくも、愛おしい季節の真ん中を、僕は自分の足でしっかりと歩こうとしている。

≪終わり≫

 

❒ライタープロフィール

川瀬健二(かわせけんじ)『READING LIFE編集部ライターズ倶楽部』

1898年創業の印刷会社にて4代目社長を12年間務め、現在は取締役会長。2027年新会社設立に向け、鎌倉の寺院に住みながら仏教哲学を勉強する日々。古くから伝わる生活の智恵、エシカルな暮らし、モノや想いの記憶を次世代へ繋ぐ事業を通じて、誰もがやさしく豊かに生きていける地域社会の実現を目指して奮闘している。また「サステナビリティ × 仏教哲学 × CSV(共通価値の創造)」をテーマに、企業の存在意義を再編集する独自のアプローチに取り組んでいる。

 

 

 

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