メディアグランプリ

 【連載第53回】《“治す側”から“治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』「自主トレは、処方箋ではなく、湯加減である」―どんなに体に良いお湯でも、熱すぎれば誰も長く浸かれない。作業療法士の私が、ストレッチポールを一週間でやめた理由―


記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)

 

 

※筆者自身の経験をもとに、当時の記憶を再構成して書いています。症状・治療・回復の経過には個人差があります。

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連載の第2回で、私は自分で考えたストレッチを毎日続け、三週間ほどたった朝に右腕がほんの数センチ高く上がった話を書きました。実はその前に、もう一つの自主トレーニングがありました。胸郭出口症候群で仕事に戻ったころ、上司に勧められたストレッチポールです。私はそれを、一週間でやめました。患者さんには「続けることが大切ですよ」と伝えてきた作業療法士が、なぜ自分の自主トレを続けられなかったのか。これは、続かなかった一週間と、続いた三週間を分けたものをめぐる、私自身の話です。

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仕事に戻った最初の日のことは、今でもよく覚えています。

患者さんのリハビリを一つ終えるたびに、いつもの二倍、三倍の疲れがのしかかってきました。それでも、次の患者さんの時間はやってきます。

いちばんこたえたのは、記録でした。リハビリの内容を電子カルテに書こうとすると、胸のあたりの筋肉がひどく痛み、文章がまったく進まないのです。いつもならすぐに書き終わるはずの記録に、その日は驚くほど時間がかかりました。

以前の自分を百とすると、その日に出せたのは三十くらいだったと思います。三十しか出せない自分が、ここで働く意味はあるのだろうか。その日の私は、仕事をする意味さえ分からなくなるほど追い詰められていました。

そんな私の様子を見ていた職場の人が、声をかけてくれました。

「無理のしすぎだよ。体が資本なんだから」

私には、自分を追い込みすぎるところがあります。その言葉にうなずきながらも、頭の中は、どうすれば早く元の百に戻れるのかということでいっぱいでした。

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ちょうどそのころ、私は上司からストレッチポールを勧められました。

ストレッチポールは、長い円柱の形をした道具です。背骨に沿うように仰向けで乗ると、体の重みで胸が開き、肩まわりの緊張がゆるみやすくなると言われています。固くなった胸や肩の筋肉を考えれば、理にかなった勧めです。

「まずは、ストレッチポールのところからやってみたら」

上司が口頭で伝えてくれたのは、それくらいでした。どんな運動を、どの順番で、何回やるのか。具体的なやり方までは聞いていません。上司なりに、私の体を気にかけてくれていたのだと思います。

病院のリハビリ室には、ストレッチポールが置いてありました。私は昼休みになるとリハビリ室のベッドを借りて、その上に仰向けになりました。

ところが、その姿勢がとてもきつかったのです。乗った瞬間から、胸が引っ張られるような感覚があり、固くなった筋肉が無理やり引き伸ばされていくようでした。しかも、乗ったあとにどう動けばいいのかが分かりません。ただ乗って、胸の痛みに耐えて、昼休みが終わる前に降りる。その繰り返しでした。

一日、また一日と続けるうちに、しんどさは減るどころか、別のものまで増えていきました。後ろめたさです。せっかく勧めてもらったのに、うまくできない。作業療法士なのに、自分の自主トレ一つこなせない。そう思うほど気持ちは重くなり、一週間ほどたったころ、私はストレッチポールに乗らなくなりました。

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そのあと私は、自分の体に合わせて、ストレッチを考え直すことにしました。

まず決めたのは、寝てやらないことです。仰向けになると、固くなった筋肉が押されて、強くマッサージされているように痛む。それなら、座ったままできる簡単なストレッチから始めればいい。首を左右に回し、肩をゆっくり上下させる。目的は、固くなった筋肉をほぐすことだけにしました。道具に体を預けるのではなく、自分でほぐせる範囲で、痛くないところまで動かすのです。

こちらは、続きました。第2回で書いたとおり、三週間ほどたった朝、右腕がいつもより数センチ高く上がり、私は泣きました。

ストレッチポールが悪かったわけではありません。体の状態によっては、とても役に立つ道具です。違っていたのは、それがそのときの私の体と心に合っていたかどうかでした。

体は、仰向けで胸を開くことにまだ耐えられないほど固くなっていました。心は、三十しか出せない自分を責め、仕事の意味さえ見失いかけていました。その状態で、痛くて、やり方も分からない運動を毎日こなそうとすれば、自主トレは回復の時間ではなく、できない自分を確かめる時間になってしまいます。

仕事に戻った日に言われた「無理のしすぎだよ」は、そのまま自主トレにも当てはまっていました。早く百に戻りたい一心で、私は休むための時間にまで、無理を持ち込んでいたのです。

座ってできるストレッチは、小さくて地味な運動です。けれど、自分で選び、痛くない範囲で終えられるから、毎日「今日もできた」で終わることができました。自分の体に合ったものを自分で考えてやったほうが、結果的に続けられたのです。

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この経験をしてから、私は患者さんに自主トレを渡す前に、見るものが増えました。

以前は、体の状態だけを見て自主トレを決めていました。どの筋肉が固いか、どの動きが足りないか。それは今も大切です。けれど今は、その人が病気をどのくらい受け止められているのか、気持ちが今どの段階にあるのかも見るようにしています。そもそも今、自主トレに向き合える心の状態なのか。そこを確かめないまま運動だけを渡すと、かつての私のように、自主トレが「できない自分」を突きつける宿題になりかねないからです。

前回、私は訪問先の女性に渡した体操が、家では「宿題」になっていた話を書きました。渡す側として気づいたそのことを、私はずっと前に、渡される側として経験していたのです。

自主トレが続かないとき、周りも本人も、つい意志の弱さを疑います。けれど、続かないのは意志が弱いからではなく、その自主トレが、今のその人の体や心に合っていないからかもしれません。

自主トレは、処方箋というより、湯加減に似ています。どんなに体に良いお湯でも、熱すぎれば誰も長く浸かっていられません。そして、ちょうどいい温度は、湯船に入る本人にしか分かりません。あのころの私にとって、ストレッチポールは熱すぎるお湯でした。座ってできるストレッチは、ぬるくても、毎日浸かっていられるお湯だったのです。

「心と身体の再起動スイッチ」というこの連載の名前のとおり、心と体は表裏一体です。体だけを見て決めた自主トレは、どれほど理にかなっていても、心が受け取れなければ続きません。体を見るのと同じように、心も見る。それが、治される側を経験した私が、治す側に持ち帰ったいちばん大きなものでした。

【今週の再起動実験】続かなかった理由を、「意志が弱いから」以外で探してみる

続けようと決めたのに、途中でやめてしまったことを一つ思い出してください。運動、勉強、早起き、日記、何でもかまいません。そして、やめた理由を「意志が弱いから」以外で書き出してみます。痛かった。時間が合わなかった。やり方が分からなかった。気持ちに余裕がなかった。理由が見つかったら、それを避けられる大きさまで小さくして、もう一度だけやってみてください。寝てやるのがつらいなら座って、三十分がきついなら三分で。

誰かに何かを勧める立場にいる人は、やり方を伝える前に、「今、それをやれそうですか」と一度だけ聞いてみてください。

体の不調があってストレッチや運動をする場合は、痛みやしびれが強くなるときは中止し、医師やリハビリ職に相談してください。

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今、自主トレを渡すとき、私は一度だけ手を止めます。この運動は、この人の体に合っているか。そして、この人の心は、今これを受け取れるだろうか。

あの昼休み、ストレッチポールから降りた私は、自分を続けられない療法士だと思っていました。けれど本当は、続けられなかったのではなく、まだ合っていなかっただけなのだと思います。

再起動スイッチは、正しい運動の中だけにあるのではありません。今の自分が浸かっていられる湯加減の中に、あります。

あなたが最近やめてしまったことは、本当に、あなたの意志が弱かったからでしょうか。

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❏ライタープロフィール

内山遼太(READING LIFE公認ライター)

千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。

作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。

終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。

現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。

2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から“治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。

天狼院メディアグランプリ75th Seasonにて総合優勝。

 

 

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