虫が苦手な私が、家で虫と共存していた話《週刊READING LIFE vol.8「○○な私が(僕が)、○○してみた!」》
記事:伊藤千織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「げ、出た……」
それは、いつも突然そこにいた。壁や床に何か黒いのがいるな、と思い近づくと、たいていそれだった。
去年の8月の終わりまで約2年半、私は埼玉県で一人暮らしをしていた。街には巨大なショッピングモールがあり、その周りにはマンションが次々に建設される新しい街だった。
私が暮らしていた3階建てのアパートも、新築でとてもきれいだった。家の周りは土ばかりでまだ開拓途中、といった感じだったが、とてものどかで、少し歩けばほしいものが何でも手に入る環境にとても満足していた。
暮らしはじめてから割とすぐだった。仕事から帰宅し、夕飯の準備をしていた時だった。テーブルの上に食事を置こうとキッチンからリビングの方へ向くと、カーペットの上に何か黒いものが落ちているのに気が付いた。
なんだろう、何かの部品かな。そう思い近づいてみると、それは突然動き出した。呼吸が止まりそうになった。あまりに驚いて危うく料理を手から放しそうになった。慌てて料理をテーブルに置き、ゆっくり、恐る恐るその動くものの方へ近づいてみた。
親指ほどの大きさの黒光りする背中に、立派な長い6本足。虫であることは理解したが、それが何の虫かわからなかった。しかし、なんとなく嫌な予感がした。もしかしてこれは、例のあの虫ではないか。
どんな虫かその場で調べる余裕はなく、黒光りする虫とその場でにらみ合いを続けた。どうしよう、怖い。家には殺虫剤がない。雑誌などのかたいものでたたいて殺すか、家の外に追い払うかどちらかの方法を取るしかない。しかし、殺してしまったらその後処理をしなければならない。私は後者を選んだ。雑誌で虫の後ろを追いかけまわし、玄関の方向へ誘導した。そしてうまく外へ逃がすことに成功した。
ふう……。
たったの5分間だったが、この一件でひどく疲れてしまった。この日1日仕事をしたことなどすっかり忘れるほど疲弊した。当然、料理は冷めてしまっていた。
ご飯を食べ終えると、私はさっきの虫が何だったのか気になりインターネットで「黒光り 昆虫」で検索してみた。
すると私の予想していた例の害虫ばかりヒットしたが、なんだか違うような気がした。画像をスクロールしていくと、さきほどの虫と全く同じ見た目の画像を見つけた。
コオロギだった。確かに家の周りでコオロギの鳴き声がするのをよく耳にしていた。しかし、普段生活していてコオロギを見かける機会などなかったため、それがコオロギだとは全然わからなかった。これは見たことない人なら私みたいにあの害虫と勘違いしてしまう人もいるだろう。とにかく、あの虫ではなくて少し安心した。
私は虫が好きではない。よって、あまり虫に触れる生活をしてこなかった。小さい頃はアリやダンゴムシなどをいじって遊んでいたが、今はもう自然の中にいるような虫には出会う機会がない。
実家でもこれまで一人暮らしをしてきた家でも、ハエやセミなどの虫はよく見かけた。しかし、私は逃げるだけで処理などしなくても自然といなくなった。がっつりと虫と向き合ったのは、これがはじめてだった。
あの一件があった後も、コオロギは幾度となく家に迷い込んできた。その度に私は慣れず、いつもびくびくしながら玄関まで追いやる作業を続けた。しかし繰り越していくと、だんだんとその作業にも慣れていき、コオロギに出くわすと感情を出さずに効率よく機械的に動けるようになった。
虫だって、来たくてここに来たんじゃない。間違えてしまっただけだ。人間の都合で虫たちの住処に家を建てて占領して、たまたま人間に生まれただけで弱いものをないがしろにするのはよくない。虫にだって命はある。
私は心に余裕ができたからかわからないが、虫の立場になって考えるようになっていた。
私の暮らしていた家は、キャンプ場のコテージのような家だった。コオロギだけでなく、ゲジゲジのような足が無数にある虫がカーペットを這っていたり、たこ焼きくらいの大きさの蜘蛛が天井から降りてきたり、ベランダにハチの巣ができたりと、本当に自然豊かな家だった。私はしばらくの間、出くわすたびに外へ逃がしたり、場合によっては殺処分したりしていたが、きりがないので放置することに決めた。
別に攻撃してこないし、彼らは彼らなりにこの家を選んだだけでルームシェアみたいなものだ。心に言い聞かせ、もう彼らとは共存して生きていくことにしようと、無駄に関心を向けることはしなくなった。
そんな生活を続けてきた自然の家から、私は会社の都合で勤務地が変わり、1年前に都内へ引っ越した。住んでいた家からも頑張れば通える距離だったが、会社の近くに家を借りてもいいと会社から許可が下りたため、迷わず都内の賃貸を探した。できるだけ高層階で、できるだけ公園から離れている家を選んだ。
結局、虫への耐性はついていたが、好きにはなれなかった。高層階なら虫はあまり出ないし、公園から離れていればなおさら出くわす機会も減るだろう。そう思い選んだ家は8階建てのマンションの7階で、公園までは500mほど離れていた。そのマンションは築10年で、すでに周りにも同じようなマンションが建っている住宅街だった。
住んでみると、どんなに部屋の掃除をさぼっていても、虫は全く現れなかった。セミの鳴き声はしたが、ハエもセミも一切出ない。あまりに快適で、不安になるほどだった。
虫と共存できない環境なんて、あるのだな。
私は少しだけ寂しくなった。あれだけ苦手で、あれだけ騒ぎながらも最終的には虫を受け入れられるまでになったのに、自ら虫と距離を置いてしまった。もし次に部屋の中で虫を見かけたら、きっと私はまたぎこちなく対応するのだろう。場合によっては殺害してしまうのだろう。
今の住んでいる街は、人の住み慣れた街だ。人のためにできた街だ。それでも、私はあの頃の気持ちを忘れないようにしたい。虫だけではなく地球上のすべての生き物に対して、人間の都合ではなく同じ立ち位置で考えるよう意識していきたい。そして次に虫に出くわしたら、そっと受け入れてあげよう。
将来地球が異常気象により作物が取れなくなったら、人間が頼らなければならないのは虫だといわれている。未来は、様々な生き物と共存しなければならない世界が来るはずだ。それに備えて今、何ができるのか考えていきたい。
❏ライタープロフィール
伊藤 千織
1989年東京都生まれ。
都内でOLとして働く傍ら、天狼院書店でライターズ倶楽部に在籍中。小学生の頃から新聞や雑誌の編集者になるという夢を持っていたが、就職氷河期により挫折。それでもプロとして文章を書くことへの夢を諦められず、2018年4月より天狼院書店のライティングゼミに通い始める。
趣味は旅行、バブルサッカー。様々なイベントに参加し、企画もするなどアクティブに活動中。http://tenro-in.com/zemi/62637
2018-11-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.8
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