祭り(READING LIFE)

人間、宇多田ヒカル。《READING LIFE不定期連載「祭り」》


記事:中川 文香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 ステージは“ブラッドオレンジ”という感じのグラデーションライトで彩られていた。
 だんだんと、人が集まってくる。
 熱気が増えてくる。
 ちらりほらりと、ステージの上を行き来する人影が見える。
 でもまだ、そんなにどきどきはしていない。

 

 「間もなく、開演いたします」のアナウンス。
 会場が、しん、とする。
 機材スタッフが立ち上がる。
 ステージの人影が動く。
 楽器の前に座る。
 照明が落ちる。
 何千何万人という人が同じ方向を向いている。
 何千何万人かける二つずつの目が、同じ場所を見ている。

 

 「わーっ」という歓声と共に、その人がステージに現れる。
 宇多田ヒカル。
 約12年ぶりのライブツアー。

 

 ステージの彼女をひと目見た瞬間、
 「うわぁ、本当に宇多田ヒカルがいる」
 そんな気持ちで埋め尽くされた。
 中学生の時に初めて曲を聴いて、なんだか理由なんて分からないけれどずっと好きで、テレビやCDを通してその姿を見て、歌を聴いてきた人。
 その人が、今、目の前にいる。
 テレビを通して見ていた姿が今私の目の前で動いていて、
 CDを通して聴いていた声が今私の耳に直接入ってくる。

 

 「あぁ、宇多田ヒカルって、本当に今ここで生きている人なんだなぁ」

 

 というばかみたいな感想しか出てこなかった。
 今目の前で歌っていて、
 息をして、
 水を飲んで、
 笑っている。
 ものすごく興奮しているわけでもないし、
 ものすごくテンションが上っているわけでもない。
 静かな興奮というか、じわじわーっとからだにひろがる実感のようなものを持って、ただただ歌っているひとりの女性を観ていた。
 気付くと、両足で踏ん張って立っていた。
 足によくわからない力が入る。

 

 「なんか、今回チケットのとり方とか複雑で大変だったですよね。ここにいる人たちはそんなめんどくさいプロセスを踏んで来てくれたんですよね。ありがとう」
 「今回のライブはスマホでの撮影はOKとしてるんだけれど、あんまり高く上げすぎると後ろのお客さんが見えなくなっちゃったりするから、そこは気をつけてくださいね」
 そんな風に、見ている人たちのことをごく控えめな、遠慮がちな感じで気遣う言葉をかける彼女は、本当にすごいアーティストなのだけれど、たくさんCDを売って、日本中、世界中にその声を届けている人なのだけれど。
 でも、今を生きる普通の女性なのだなぁ、という感じがした。
 なんだか圧倒的に、ごくふつうのおんなのひと、という感じがした。
 ステージの上に立っていたのは、毎日ごはんを食べて、仕事をして、雑談をして笑って、そんな風に日々を過ごしている、一人の“人間”だった。
 “人間活動”を宣言して約6年間の活動休止後、帰ってきた彼女からは、すごく“生きている”という感じが伝わってきた。
 まぁ、活動休止以前はライブに行って本人を目の前にしたことは無かったのだけれども。

 

 宇多田ヒカルの歌詞には、日常に登場するなんでもない物事がさりげなく出てくる。
 「日清カップヌードル」とか「秋のドラマ」とか、彼女が普段過ごしている中でも出てくるのかは分からないけれど、駅の中のミスタードーナツでノートを広げて勉強している女の子や、お弁当屋さんでお昼ごはんを選んでいるサラリーマンの日常に普通に登場するものたち。
 そんなことがあちこちに、さりげなく散りばめられているから、歌がするりと入り込んでくるのかもしれない。
 みんな誰しも、毎日毎日特別な日ばかりを重ねて生きているわけではない。
 特別でない普通の日も、ただ未来に向かって生きている。
 それは私たちも、例えば宇多田ヒカルも同じなんですよ、というのを歌を通して伝えてくれているような、そんな感じがする。

 

 ライブというのは、一種のまつりのようなものだ。

 

 たくさんの人が集まって、同じ瞬間を共有する。
 みんなが同じ目的で同じ方向を見ている。
 演者と観客、みんなでひとつの場を作り上げる。
 同じ空間にいる人たちで、同じ温度を共有する。
 熱は伝播して、会場の温度が上がる。
 今、ここに私がいて、ステージの上で宇多田ヒカルが歌っている。
 どちらも、今この瞬間生きているから、この時間を分け合っている。
 それぞれの時間を持って、今この同じ会場の空気を吸い込んでいる。
 今この時この瞬間にある現実で、昨日でも明日でもない、今、起こっている。

 

 自分の体から出てくる“声”というものだけで、誰かを感動させたり喜ばせたりするって、考えてみると歌手ってものすごい職業だ。
 その人でしか務まらない、唯一無二の存在。
 喉から出てきたものが音となって、それが聴いている人の耳に届く。
 時を超えて、たくさんの人に届けられる。
 たくさんの人の、それぞれの人生のとあるシーンの中で、その曲が残る。
 思い出と一緒に、頭の中にしまわれる。
 曲を聴くと、そのときのことを思い出す。
 自分が歌った歌が、誰かの人生の一部になる。
 そんなのって、すごくすてきだなぁ、と思う。

 

 たくさんの人にたくさんの歌を届け続けてきた宇多田ヒカル。
 “人間活動”宣言をして休んでいた間、彼女はいわゆる「ごく普通の日常」を送ることが出来たのだろうか。
 そしてたくさんの人の前に帰ってきた今、どんな日常を送っているのだろうか。

 

 ライブで見えてきたのは、
 “シンガーソングライター、宇多田ヒカル”である前に、ステージに立つ前に緊張したり、心無い言葉に小さく傷ついたりするひとりの女性で、人間である彼女の姿だった。

 

 

❏ライタープロフィール
中川 文香(Ayaka NAKAGAWA)

鹿児島県生まれ。大学進学で宮崎県、就職にて福岡県に住む。
システムエンジニアとして働く間に九州各県を仕事でまわる。
2017年Uターン。
現在は事務職として働きながら文章を書いている。

Uターン後、
地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、
地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、
まちづくりに興味を持つようになる。

NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPプラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。

興味のある分野は
まちづくり・心理学。

http://tenro-in.com/zemi/62637


2018-12-10 | Posted in 祭り(READING LIFE)

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