文系理系の枠で将来の可能性、狭めていないですか?《週刊 READING LIFE vol.21「文系VS理系!」》
岡筋耕平(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「文系ですか?理系ですか?」
その質問ほど答えにくい質問はない。
この国では、何かと文系出身か理系出身かを分けたがるところがあるように思う。
日本の教育制度では大学で文系が理系かどちらか2つに枝分かれするので、どちらかを選ぶのが普通みたいだ。
僕は大学を出ていない。故に文系か理系かの質問に答えることはできない。
自分が文系なのか理系なのかを問うことも今まででほとんとなかった。
正直言って、大学入試の試験監督のバイトをするまでそんな制度があって、試験も別々ということも知らなかった。
僕は高校を中退している。高校卒業資格は一応もっているのだけれど、高校卒業認定という試験に受かると高校卒業と同等の資格がもらえるという試験をパスしただけなので、大学受験をしたこともなければ、学部を選ぶということもしたことがない。
なぜ分ける必要があるのかも知らなかった。
大ざっぱの理解だけど文系は国語や社会が好きな人が行って、理系は数学とか理科が好きな人がいくのだろうなとは想像がつく。
自分が大学に行っていないので、大学生活の話は人からの話でしかわからない。
文系は普通に就職して、理系はプログラマーとか科学者とかになるみたいだ(多分)。
偏見かもしれないけいど、そもそも文系と理系という枠組みで人の経歴を分けること自体が何か違和感を感じる。
だから調べてみた。そしたら驚きの結果が!
就職面接の時に文系出身か理数系出身かが選考基準になるのは、なんと日本だけだった。
他国では文系だろうが理系だろうがそんなこと関係ないのだ。
それよりももっと学業の成績を重視したり、違うところで評価する。
これを見て思ったけどその方が合理的なのではないだろうか?
この2つの分類に僕はいつも違和感を感じていた。例えば新入社員の歓迎飲み会で上司が
「俺は理系出身だからさ〜」とか「私文系出身なので」のような自分の田舎を紹介するみたいにみんな自分の学部を紹介する。
高卒の自分からしたらそれがどうかしたのだろうか、ぐらいにしか思えない。
ついこの間「私は理系出身だから文章がかけないんです」みたいな人も現れた。
いやいや、文系出身でも文章書けない人いるし理系でも文豪はいますよ、と内心思っていた。
どこか自分が文系だからとか理系だからとかで、自分を一つの枠の中に閉じ込めてそれで安心しているのではないだろうか。自分は文系だから計算問題は苦手で仕方がないとか、自分は理系だから文章下手でもいい、とか。結構言い訳に利用しやすくて、かつ説得力のある分類でもある。
逆に自分は理系だからプログラミングが出来る! と自己暗示をかけて実際にプログラマーになれたりもするだろう。 文系を出たから企画書や文章は任せてほしい! みたいに仕事に良い影響もあるとも思う。でもそれはあくまで自己暗示で文系出身でも優秀なシステムエンジニアになった人を何人も知っているし理系出身の小説家も知っている。
かの有名な人気小説家、「東野圭吾」さんは大阪府立大学工学部出身のバリバリの理系だったりする。
スペース
なぜ、日本人だけが、文系理系の分類にやたらと拘るのだろうか?
血液型占いなど「日本人の性格は4種類だけなの?」みたいな小さな枠組みの分類がやたらと好きな国民性の影響もあるのだろう。
なんでも分類したほうが話も早い。A型は几帳面、B型は自由奔放、O型はマイペース、AB型はAとBの性格が混じっている。僕はB型だけどよく知る友人からはA型っぽいとよく言われるし、血液型占いも実は全部の性格に当てはまるようになっていて、人の性格を知る時に「あ〜、あの人は◯型だからね」とか「◯型はなになに」「◯型っぽい」みたいに手っ取り早く型にはめやすいと思う。
文系理系もこれと同じ。真面目に文系理系を極めた人には申し訳なく思うが、就活の時に人事が判断する採用基準になるだけで、その後の人生にはほとんど影響がないだろう。
文系だからこれが得意、理系だからこれはできる、だけどこれはできない。などでその後の人生の選択肢を狭めてしまうのはあまりにも勿体ないように思う。
たまたま、高校在学中に国語系が得意だったか数学系が得意だったかでその後の人生の選択肢が決まってしまうなんて、つまらないではないか。
日本以外の国では、文系理系の分類なんて行わない。行う必要がないからだ。勉強はやろうと思ったその時から何歳からでも始めることができるし、その分野を極めることだって出来る。ある程度年齢と取って肉体的に衰えてきてからある競技でオリンピック選手を目指すみたいな挑戦は無理があるかもしれない。
でも文系か理系で分類されているような分野は何歳からでも挑戦できるし身につけることが出来る。
僕は大学を出ていないし、高校教育も普通に受けていないので、文系か理系かで自分の出来る分野を区切ったことがない。
やろうと思えばやるし、やりたくなかったらやらない。
あえて大きなくくりの中で言えば僕は今、WEBライターをやっているので文系というくくりになるだろう。だけど、これまで経理職もやったし、パソコン関係の仕事にもついてきた。簿記や会計には数字は付き物だし、パソコン関係の仕事は数学的解釈も必要だった。
僕がもし、自分を「自分は文系だから」「理系だから」で自分自身に枠付けをしていたら、今の仕事には間違いなく就いていない。
僕の仕事を選ぶ基準は「やりたい」と思うかどうかだった。
僕はこの先、文系か理系かでの分類を撤廃してしまえば良いのではと思っている。
このままではそうしないと、どんどん先進諸国に追い抜かれ、他国から優秀な人材が育ち、日本人の仕事が少なくなってしまうのではないだろうか。
文系か理系かで人を採用して教育することになると、どうしてもその分類に拘ることになる。
そうすると、せっかく優秀な芽が育たなかったり埋もれてしまうこともあるのではないだろうか。分類を撤廃することで色々な可能性が広がり、意外な才能に気がつき、世界で活躍できる人材が羽立ちちやすい環境になるかもしれない。
大学卒業するくらいの年齢はまだまだ可能性に満ち溢れ、新しいことをこの先いくらでも吸収して自分の糧にしていける。その時点で文系か理系かを決めなくても良いと思う。
人生振り返った時に、「私は語学が得意だったな」とか「数学を扱う分野で結果を残せた」くらいがちょうどいい。
僕は、人を文系か理系かで分けるのは、血液型占い程度のものだと思う。
2つの枠の中で選択肢を選びながら生きていくよりも、もっと自由に選んで行った方が人生楽しいし充実して。結果的に結果にも繋がってくるのではないだろうか。
文系だから、理系だからということで立ち止まっている人に僕はこう伝えたい。
「文系理系関係なく、やりたい仕事や、やりたい分野に挑戦していこう!」
きっと新たな可能性が見えてくるはず。
❏ライタープロフィール
岡筋耕平
兵庫県出身 高校中退〜高校卒業程度認定取得
WEBライターをやっています。 【想いを言葉に】をモットーに1人でも多くの人にメッセージを伝え、それにより何かのためになれば幸いです。楽器演奏(ギター、ベース)、読書、筋トレ、マラソンが趣味です。空手(茶帯) AFP ビジネス法務エキスパート
ライティングの技術を向上させて、世の中を良くする情報発信をするために奮闘中。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
http://tenro-in.com/zemi/70172