祭り(READING LIFE)

地下鉄の93歳《通年テーマ「祭り」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

洋子は戸惑っていた。
出産後もう8ヶ月たっていた。30代後半で中堅どこだった洋子は、産休で休むまえは会社で毎晩の残業。決して楽ではない業務量だった。でも今思えば子どもを育てることに比べればどれだけ楽だったろう。
 
はじめて子どもを産んで戸惑わない母親がいるだろうか。自分のお腹の中から出てきた、自分と別の生き物。その生き物はこちらの意図もお願いも通じない。
 
霞が関で働いている配偶者はもちろん理解があった。理解があるように見せていただけかもしれない。理解があるように見せることと、実際に動くことの間には距離がある。洋子にとって必要なのは「大変だね」という理解をしてくれる言葉よりも、夜中に泣き出した子どもをいっとき抱き上げてくれて、寝かせてくれることだったのに。
 
世のお母さんたちはこんな思いをしているのだろうか。妊婦はネットの検索行動が多いというニュースが流れていた。確かに、雑誌やネットで見ていた赤ちゃんのいる生活の想像は、今の自分の生活とあまりにもかけ離れていた。昼下がりの官舎。2LDKの部屋の中にぽつんと子どもとふたり。自分が社会のどこからも切り離された感覚。
 
大学で東京に出てきてからもう何年立つだろう。実家は高知だった。実家の母は気遣って電話をしてくれたり、わざわざダンボールに高知でしか買えない食料品を詰めて送ってくれたりした。もちろんネットでは友人たちとつながっていたし、時には電話もしていた。しかし、この切り離されている感はどうだろう。自分ひとり大きな海の中に、筏で遭難しているようだ。筏はいったいどこにたどり着くのだろう。
 
子どもが8ヶ月になったある日の昼下がり、洋子は出かけようと思った。どうしてもいかなくてはいけない用事ではなかった。ふと聞いたラジオで紹介されていた絵本。その絵本を手にとって見たかった。もちろんネットのアマゾンで注文することだって出来た。でも、もう限界だった。でも自分の殻のようになっているこの官舎から、この街から外に出てみたかった。
 
地下鉄にベビーカーを乗せるのは気が重いけれど、そろそろ8ヶ月を越えた子どもをずっと抱っこひもで抱えているのも、そろそろ30代後半になる洋子にはきついことだった。
 
最寄りの駅までは歩いて10分ほど。この駅の商店街までは数日に1回、買い物に来ている。問題はそこから先だ。働いているときは何気なく乗っていた地下鉄、そしてその向こうにある街。気軽に毎日のように行き来していたその街は、今は遥かに遠くに感じられていた。
 
地下鉄の駅につく。人並みが途切れたところを見計らって、子どもを乗せたままベビーカーを抱えて階段を降りる。これは途中でバランスを崩すのが怖い。スニーカーを履いていても、ときおりぐらつくのが自分でわかる。
 
改札を通ると今度はホームへ降りる。改札階からホームへはエレベータがあるのが本当に助かる。
エレベータの中で、ベビーカーを押しているお母さんと一緒になった。狭いエレベータの中は窮屈になったが、お互いにその窮屈さを厭う空気はなかった。言葉にこそならないけれど、それぞれに相手に対する、今子育てをしている仲間どうしの共感が空気になって流れていた。
 
でかけたのは昼下がりだった。最寄り駅からベビーカーを畳んで乗った列車は混み合っていた。ベビーカーを車両に乗せる時に、ホームから一旦息を置いて「せーの」で持ち上げる。車両がホームからすこし高い位置にあるのだ。乗せてからドア付近でもたついた。外回りの営業だろうか。それを見た横のサラリーマンが舌打ちをした。
迷惑なのだろう。その舌打ちの音をきいて身が小さくなる気持ちがした。なぜそんな舌打ちをされなければいけないのだろう。でもきっと子どもを産む前までは自分も迷惑そうな顔をした側だったのかもしれない、と思う。
座っている人、立っている人。ほとんどの人は聞こえているのか聞こえていないのか、スマホを片手にこちらを見る人もいない。
 
手すり棒の横に身を隠すような気持ちで立っているとふいに声がした。
 
「こちら空いたわよ、おかけなさい」
 
振り返ってみると、向かいの座席の端から手招きしている女性がいた。いくつぐらいだろうか。白髪をまとめ上げたアップのヘアスタイル。ジャケットにパンツルック。かなり高齢の女性だけれど、凛とした雰囲気のあるひとだった。
 
無言のまま軽くお辞儀をして近づくと、女性は軽く腰を浮かせて、洋子のために座席の端の席を開けてくれた。女性の隣の席に座った。抱っこ紐の中の子どもはうつらうつらと夢とうつつの間のようだ。
 
席に座ることができて、張り詰めていた気持ちが緩む。思わず知らず、深く息を吐いた。
 
「別に今日、出かけなくても良かったんだよね」
心の中で洋子はつぶやいた。
でも、毎日毎日、今日も出かけなくてもいい、明日も出かけなくても困らない。自分の世界がどんどん小さくなっていく。今日の外出はそれに抗う、小さなでも勇気がいる行動だった。
 
「男の子?」
 
かけられた声に洋子は我に帰った。隣の席の高齢の女性だった。
 
「あ、はい、一人目の男の子で」
 
「あら、そう。良いわね」
 
そういったあとにその女性はすこし声を小さくするようにしていった。
 
「うちもね、男の子が二人いたのよ」
 
その声で子どもが目を覚ました。物珍しそうに抱っこ紐のなかからあたりを見渡している。
 
「でもね、ひとりはね、もうちょっとまえに亡くなったのよ」
 
すこし遠くを見る目をしてその女性は言った。気をとりなおすようにして、女性は洋子を見た。
 
「男の子はいいわよ」
 
ざっくばらんな言葉かけに、洋子は心が解ける思いがした。人は本音で話してくれる人は肌でわかるのだ。
 
「私は女3姉妹なので、男の子ってよくわからないんです」
 
思わず洋子の本音が漏れた。
これは事実だった。女の子、男の子を差別しようとは思わないけれど、実際によくわからないのだった。もっとも、女の子、男の子というよりも、目の前の生き物がわからないのが正直なところだった。
 
「男の子はね」
 
女性の目はすこしいたずらっぽい光をたたえていった。
 
「いくつになっても、ぎゅーって抱っこしてあげていれば大丈夫よ」
 
「え? いくつになっても、ですか?」
 
「そう、10歳でも20歳でも、ずっとずっと」
「そうね、40歳でも、50歳でも、よ」
 
えぇぇぇ~。
洋子はちょっと想像してみた。50歳のおじさんがお母さんに抱きしめられるなんて。まるで洋画の世界だ。
 
「あの、お聞きしてもいいですか? おいくつでいらっしゃるのですか?」
 
洋子は我慢できずに聞いてみた。
聞いてみると女性は御年93歳。自分で地下鉄に乗って今から美術展を見に行くという。その気力と華やかさに洋子は圧倒されていた。
 
「うちもね、男の子ふたり、いろいろなことがあったわ」
「でもね、そのたびに、ぎゅーって抱きしめてきたの」
「今思うとね、もっともっと抱きしめて上げればよかったかも、と思うわ」
 
女性はすこし黙った。亡くなった息子さんのことを考えているのかもしれないと思った。
 
地下鉄が急に減速した。洋子が降りるつもりの駅に近づいていた。
 
「あ、あの、ありがとうございました」
「わたし……」
 
自分のことを話そうとして何から話して良いのかわからなくなった。仕事を育休でやめていること、子育てがつらいこと、今日思い切って外出してきたこと、そしてなによりも、今とても救われた気持ちになっていること。
 
思わず涙がこぼれそうになった。
 
それを察してか、知らずにか女性が微笑んだ。
 
「子育てって、祭りみたいなものよ」
「その最中って、もう夢中で夢中で。無我夢中にやるしかないのよね」
「髪をふりみだしてね、子どもと喧嘩しながらね、どうしてわからないことも、答えがみつからないことも沢山あって」
 
最後はひとりごとのようだった。この女性にもそんな時代があったのだろうか。洋子は不思議な気持ちでその横顔を眺めた。
 
「子育ては思っているよりもずっと楽しいものだから。そして、あっという間に終わってしまうから」
 
「覚えておいて。後から振り返るとね、あの時が人生の華だったのかもしれないって思うわ。終わってしまった祭りは、振り返るととても切なくて愛しいものよ」
 
洋子が降りる駅に着いた。
もう車内は空いていた。立ち上がってベビーカーを抱えた。後ろ髪を惹かれる思いだった。もう少し話をしていたかった。
 
その気持ちを察してか女性が言った。
 
「あなたなら大丈夫よ。またどこかでお会いできるといいわね」
 
洋子はみじかく、ありがとうございます、としか言えなかった。もっと沢山のお礼を言いたかったのに。このほんの10分のやりとりにどれだけ救われたのかを伝えたかったのに。
 
電車から降りた。
振り返るとドアがしまって、静かに電車が動き出していた。窓から先程の女性がこちらに向かってゆるやかに手を降ってくれているのが見えた。洋子は思わずそちらに向かって深々とお辞儀をした。
 
人生の祭りがあるとしたら、それはいつのことだろう。
93歳の彼女には、振り返った人生はどのように見えているのだろう。彼女の祭りはいつだったのだろう。93歳の彼女にも私のような時代があったのだろうか。洋子はベビーカーを押しながら改札口に向かった。
 
洋子は、ふと宮沢賢治の言葉を思い出した。大学時代に卒論で宮沢賢治を取り上げるほど、洋子は宮沢賢治が好きだった。
花巻農学校の教師だった宮沢賢治。人が生きているということは細胞が集まっている祭りだ、と授業で話していたという。
 
洋子は子どもの頃の祭りを思い出した。
祭りの日の前夜のワクワク感。そして祭りの日のざわめきと高揚。そして祭りには必ず終わりがある。
 
いくつかのエスカレーターを登った。
出口の最後のエスカレーター。上るに連れて上から指す光が増してきた。子どもは眩しそうにそちらの方を見上げていた。今がまさにその祭りの最中だとしたら。
地上は晴れているようだった。
 
 
 
 

❏ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23nd season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2019-06-24 | Posted in 祭り(READING LIFE)

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