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ただいま勝負師、修業中!《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
自分のことを、運が悪い人間だとずっと信じていた。
 
小学校の授業中に、私はよく友人から話しかけられた。けれども先生に「おしゃべりしないで」と注意されるのは決まって私の方だった。
駅で電車を待っている時、先に電車が到着するのは、必ず反対側のホームだった。
ビンゴも懸賞も当たらない。唯一、賞品を手に入れられるのは全員プレゼントの時だけだった。
 
だから、運についてはなかば諦めていた。その分、実力で補おうと奮闘してみたりもしたが、大した努力もしないうちに、「運も実力のうち」と成功しているアスリートや起業人を褒める言葉を聞いてしまい、奮起するのもやめた。
 
ところがある日、そのことを聞き、自分の考えを改めた。
 
「精子のうち、卵子と受精して誕生できるのは何億分の1に過ぎない」
 
それは生物か、もしくは保健体育の授業だったと思う。
眠気を誘う穏やかな語り口の中で、その部分だけ、雷鳴のように私の耳に突き刺さった。
私は狂喜した。
何千、何億とも言えるライバルの精子を蹴落とし、着床して生まれてきた私は運がよかったのだと。
しかも受精が行われる卵管膨大部までたどり着ける精子は、優秀な精子だけと言う。
 
私は優秀で運がいい精子からできているのだ。
同じように射精されても、目的を果たせなかった兄弟精子たちから、
「ぼくたちの分まで、生きるんだ。約束だよ!」などと、熱い思いを託されて、私の元となる精子は、どんな困難が訪れても生き抜くことを誓い、突き進んで行ったに違いない。
 
とにもかくにも、この世に人間として生を受けた私は、実は運がよかったのだ。
 
それからは、いじけることなく、さらに運を呼び込むために色々と励んだ。
夢を口に出して言うと叶うという、言霊の考えを信じ、自分の夢を家人や友人に告げて回った。
掃除をすると神様が家にやってくると言うので、せっせとクイックルワイパーを掛けた。
年頭はもちろん、機会があると寺社仏閣を訪ね、「ご縁がある」と言われる5円玉をお賽銭として投じ、祈った。
 
しかし、掃除の仕方が甘いのか、5円ではやはり少ないのか、以前と比べて、運が格段によくなったという実感はわかなかった。
 
人事を尽くして天命を待っていたつもりだったが、口を開けて待っていても、入ってくるのは雑菌や塵ばかり。夢など一向に叶わなかった。
 
「これはおかしい。一体、何が足りないのか?」
私は不安になった。幸運が訪れるブレスレットや財布やらに興味を覚えた。しかし、買い込みたいのは山々だったが、薄給の身には厳しく、泣く泣く購入を断念した。そして、貧乏人には夢も叶えられないのかと、新たなひがみを抱くに至った。
 
そんな、もやもやにも、すっかり慣れてしまったある日、離れて暮らす姉と久しぶりに会った。
大好きな広島カープのイベントで、その年に引退した選手のトークショーを見るために、二人で仲良く出かけたのだ。
 
イベントの後半では、その選手の直筆サイングッズが当たるじゃんけん大会が催された。
ここでも、運がやはりあまりよくない私は、早々に敗退した。
ところが、隣を見ると姉は残っているではないか。同じ姉妹であるのに、運の大小が違うのかと訝しがった。
その後も姉は、あれよあれよと勝ち進み、ついには他のファンとの一騎討ちとなった。
「じゃんけんぽん。あいこでしょ、あいこでしょ!」
何回もあいこが続く、緊迫した雰囲気の中、ついに姉が勝利を収めた。
これには私も興奮した。
「すごいよ、おめでとう!」と称賛し、「ああ、でもやっぱり私は運がないんだなぁ。1回戦で負けちゃうなんてね」と自嘲した。
姉は私を慰めるでもなく、それどころか、
「何言ってるの。じゃんけんは運じゃないよ」と私を牽制した。
戸惑う私に、彼女はさらにこう畳み掛けた。
「じゃんけんはね、相手との読み合いだよ。さっきの相手は私と同じような思考をしていたんだろうね。ずっとあいこが続いたから」
姉は「私は頭を使って、このサイン本を手に入れたのよ」と誇るように選手から直々に手渡された本を抱きしめていた。
 
ボクシングの試合では、相手が次に何をしてくるかを読み、それに対する自分の動きを考える。そして、自分の返しに対して相手が、どう反撃してくるかを予想して、さらにそれに勝つために、自分の出方を考える。
常に先の先を考えると言う。ジムに通う後輩が教えてくれた。
 
相手との読み合いが、試合の間、延々と続く。
あの、せわしなく動き回るラウンド中に、身体以上に脳ミソがフル回転しているとは、体力を消耗する前に、気力の方が参ってしまう。そうして少しでも、文字通り、気を抜いた方が相手にスキを与え、攻撃されてしまう。
 
これはじゃんけんも同じなのだろう。
もっと言えば、じゃんけんだけでなく、人生も同じなのであろう。
私が「運」だと思って、天に任せていたものは、先を読んで自分で決めることだったのだ。
 
運は波に乗って流れてくるものだと、それまでの私は思っていた。回転寿しのように、あちらの方からくるくると優雅に回りながらやってくるものだと思っていた。
けれどもそうではなかった。
世の中の流れを読み、人の心を読み、「運」が実っているところまで出向き、掴んでこなくてはならないのだ。
厨房にまで乗り込んで、取ってこなくてはならないものだったのだ。それも、食材のまま手に入れて、自分で握らなくては、本当の好機を手にすることはできないように思う。
運は誰かが用意するものでなく、自分で自分のために用意するものなのだ。
そうなのだ。運は戦略的に取りに行かなくてはならないものなのだ。
 
その考えを後押ししてくれた映画がある。「カイジ」だ。
うだつが上がらないダメ人間の青年カイジが、人生のどん底に突き落とされて、そこで死と隣り合わせのゲームを制し、逆転人生を手に入れる。そういうストーリーだ。
ゲームに臨む主人公は、その時だけ嫌に冷静になる。ざわざわざわ……と妙な胸騒ぎが起こった後で、待てよと、すべてのことに関して、意味を疑い始める。
そうして、対戦相手の胸中を探る。相手のどのような小さな動きも見逃さない。
ああでもない、こうでもないと考えを行ったりきたりして、あらゆる可能性を想定し、否定し、また想起して、結論を導く。見ているこちらの方が頭に穴が開くのではないかと思うほど、緊張し、集中して、結論を出す。
ああ、これなのだ。運を掴むというのは、まさしくこのような過程が必要なのだ。
 
勝負師と聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。
映画「博奕(ばくち)打ち」シリーズ主演の鶴田浩二氏や「麻雀放浪記」の阿佐田哲也氏であるかもしれない。はたまた、奇をてらった巧みな選手起用で「仰木マジック」と呼ばれた近鉄とオリックスの元監督である仰木彬氏が頭に浮かぶ方もいらっしゃるだろう。
 
いずれの人たちも、私にとっては生きる次元が違う精鋭な戦闘家に見える。勝負師とは、そのような研ぎ澄まされた感と知能と経験を兼ね備えた、ごく一部の人間に与えられる称号だろう。
 
しかし私は、今、この勝負師になろうと努めている。
今さらポーカーを極めたり、パチプロになるというのではない。
日常生活において、勝負師になろうとしているのだ。
未来を想像して、そのための行動を考えて、実行する。そのことをしようとしているのだ。
 
こう書いてしまうと、
「なんだそんなことか」と言われてしまうだろう。
その通りだ。大したことではない。けれども、今までの私はなんと先のことを考えず、漫然と過ごしていたことか。
 
スーパーでレジに並ぶ時は、人の数よりも買い物カゴの中身の多少を見極めて列を選ぶ人がいるだろう。また朝の通勤電車で、座っている人々の中から次に降車する人間を見抜き、その前に立つということをやっている方もいると思う。これらの行為は、「勝負師思考」を駆使していると言える。
また、上司に物を申しても角が立たない人は、やはり勝負師思考を身に着けている。
「相手にこのクレームを言えばきっと怒るだろう。けれども伝えないわけにはゆかない。では、別の言い方をして、聞き入れてもらおう」
 
日常のあらゆる場面で、勝負師思考は自分を良い方向に持ってゆくのに役立つ。ピンチではもちろん、平穏な時も自分を高めてくれる。
 
すべては戦略だ。
それまで、戦略を持って身近な人に臨むことには、何らかしら後ろめたいものがあった。
日常で戦略を用いることに、いやらしさを感じていた。計算高く、気の置けない人というイメージがあった。
けれども今は、とかく先が読めない時代だ。
他者に自分の人生を任せておけない世の中になった。
そんな時に、戦略はズルいだの、計算高くて嫌だのと、上品なことを言っていても始まらない。
コツコツと、勝負師思考を身に着ける修業を積むことが私には必要だ。
 
そんな中、また広島カープのイベントがあった。
これも、その年に引退する元カープ選手のトーク&出版記念会で、またしても姉と仲良く出かけた。
やはりイベントの後半には、元選手のサイングッズが当たるじゃんけん大会が行われた。
ルールは元選手とファンたちがじゃんけんをして、元選手に勝てば、その人は勝ちとなり、じゃんけんを続けることができるというものだった。
じゃんけんは男性ファンだけの回と、女性ファンだけの回とに分かれた。
私はここで、日頃の鍛錬の成果を出すべく集中した。
 
先に行われた男性ファンを対象としたじゃんけんの時、元選手が最初に出したじゃんけんの種類を記憶した。次の女性ファンとのじゃんけん会では、男性ファンの時とは違うものを出すと想定し、私は臨んだ。
読みは当たり、1回戦はクリアした。
2回戦も勝ち、3回戦も勝利した。ここで数がかなり絞られた。もちろん私の姉も残っていた。
商品のサイングッズは5点。次の回でおそらく勝敗が決まる。
「じゃんけんぽん!」
無情にも、私が掲げた手の先にあったのは、元選手に負けるものだった。私の努力もこれまでかと思われた。
 
だが、ここで元選手に勝ったファンは、4名だけだった。商品は5点。あと1点。
「敗者復活戦をしましょう」
天の声かと思われる、元選手からの提案がおこった。
残っているのは3人。私と姉と、知らないファンの女性だ。このうちの1名だけが、元選手のサイングッズを手にすることができるのだ。
じゃんけんぽん、あいこでしょ、あいこでしょ……。
ここでも、あいこが続いた。
あまりに続くので、ブレークタイムまで取られた。
仕切り直しの後で、「じゃんけんぽん!」とい掛け声のもと、高く伸ばした腕の先は、2つに分かれた。
結果、知らない女性ファンが勝利し、私たち姉妹は敗れた。
 
結局、運がよくないままだと言われれば、それまでだ。
けれども私はあの時、少なくても姉と同じレベルまでは達していた。
最後の最後で私は読みを外したのだ。もちろん、それは残念だし、あと少しのところでサイングッズを逃した痛みは大きい。
けれども、私は訓練の末、勝負師思考を少しだけだが、自分のものにすることができたのだ。
 
ますます混迷が深まる世界。
今、人類は太刀打ちできないほどの苦難に遭遇しているのかもしれない。
そんな中、私の努力など小さくて、何の解決にも役立たないとは思うが、それでも、じゃんけん勝利まであと一歩だったことを励みに、これからも勝負師修業を続けるつもりだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

カープの応援が生活の一部となっている、広島生まれの東京在住者。
勝負師思考が失われてくると、あっという間にダラダラと過ごしてしまう怠け者。それでもカープの試合がある時は、「試合開始前までに、全部終わらせる」と張り合いのある生活を送っていた。
プロ野球の開幕が延期に次ぐ延期となる中、今は映画「カイジ」のサントラを聞き、気分を盛り上げて勝負師修業に臨む。

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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