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出してからおいで

「咲けばちる 咲かねば恋し」《出してからおいで大賞》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
※この記事はフィクションです。
 
 

川沿いの桜のつぼみは膨らんでいた。しかしまだ咲いていなかった。1本だけなぜか満開の桜の木があった。
 
万里子は泣き出したい気持ちをおさえながら川沿いの道をあるいていた。大学の合格発表の張り出しには万里子の受験番号はなかったのだ。とぼとぼとした足取りで気持ちを緩めると涙がこぼれ落ちそうだった。
 
LINEで母には不合格であるという連絡をした。そのまま自宅に帰る気持ちにはならなかった。自宅の最寄り駅より何駅か前の駅で降りた。駅舎から外には早春の光があふれていた。目的地と違う切符が自動改札機に吸い込まれていった。見知らぬ街だった。あてどもなく路地を歩いていた。気がつくと川沿いに出た。川沿いに蔦に絡まれた洋風の三角屋根の家があった。電車で川を渡るときにいつも気になっていた三角屋根だ。
 
川の土手の桜並木の中で、1本だけ咲いていた桜の木の場所まで来た。白っぽい花びら。そして小さな葉っぱがでているから、ソメイヨシノとは違うようだ。
 
その桜の脇から土手をおりる道が作られていた。土手を降りて三角屋根の家の前にまで行くと、そこは小さなカフェだった。看板は古びてすり切れていた。もうお店はやっていないのだろう。ところが、道に面した窓からのぞき込むと店内のライトはついているようだ。
 
思い切って扉を押してみると、あっけなく開いた。扉の向こうは薄暗かったが所々に間接照明のライトがついていた。扉と反対側は一面のガラスでその向こうには小さな庭が見えた。カウンターには人の気配はなかった。お客の姿もなかった。おそるおそる入っていくと、後ろで扉がゆっくり閉まる音がした。
 
「いらっしゃい」
 
女性の声がした。低い声だったが澄んだ響きだった。庭側の椅子から立ち上がる気配がした。こちらを向いた女性は小柄だった。庭からの逆光で顔はよく見えなかったが、その分彼女の身体の輪郭が綺麗に浮かび上がっていた。
 
目が慣れて来た。身体にピタリとしたライダースジャケット、下はフレアのスカート。髪はアップにしているがかなり高齢の女性だ。すこし甘いたばこの匂いがした。
 
「ここは禁煙ではないのですか?」
 
ほかにも聞きたいことがたくさんあったのに、そんな言葉が万里子の口から出た。
 
「あら、こちら? これは葉巻の匂いよ」
 
「メニューは珈琲しかないけれど、いいかしら」
 
万里子の返事を待たずに女性はさっさとカウンターに入っていってしまった。どこか異次元に迷い込んだような店だった。小さいときに読んだ児童文学にありそうな場面。
 
すこしでも明るい席がいいと思って、万里子は庭がみえる窓際の席に座った。庭は小さいけれど、イングリッシュガーデンであることが見てとれた。でもあまり手入れはされていないであろう。そこここにイングリッシュガーデンらしくない日本の雑草が生えている。
 
ぼんやりと庭を眺めていた。つかの間忘れていた大学の合格発表のことが頭によみがえってきた。ほんの1時間ほど前の出来事なのに、どこか遠い昔の思い出のようだ。胸の片隅に追いやっていた黒雲は、思い出すとあっという間に気持ちいっぱいに広がってしまう。
 
コトリと音がして珈琲が置かれた。テーブルをみると、古いウェッジウッドのコーヒーカップから珈琲の湯気が立ち上っていた。自分の趣味にドンピシャのカップだった。
 
「あ、これ好きです」
 
思わず声が出た。
 
「そうでしょうね、あなたに合うかと思って選んだから」
 
女性は声にはすこし暖かさが滲んでいた。
 
女性の名前は洋子といった。気っ風がいい姉さんの風情を残したまま年をとったという感じだ。かつてかなりの美人であったろうと想像できる横顔をしていた。
 
「もうね、最近はくるのは常連さんばかりなのよ。あなたのような若い人がくるのは珍しいわ」
 
女性はこの不思議なカフェのオーナーでママであるらしかった。店内を見渡すと、珍しいレースでできた壁掛けやアンティークの調度品が置かれている。美意識が込められている空気感はただのアンティーク趣味とはまったく違うものだった。
 
洋子ママは、万里子のテーブルの向こうにあるロッキングチェアに腰を下ろした。そこが洋子ママの指定席であるらしかった。
 
ぽつりぽつりと万里子は洋子ママと言葉をかわした。
 
自分が大学に落ちたこと、なかなか自分が頑張ってこられなかったこと、思わず見知らぬ駅でおりたこと。気づけば身の上話をしていた。
 
洋子ママは聞くともなく万里子の話を聞いていた。洋子ママは時折、相づちを打った。
 
「それはあなたが馬鹿ね」
 
「だめなものはだめなのよ。その先どうするかじゃないの」
 
言葉はぶっきらぼうでも、なぜかその言葉は心に響いた。洋子ママの年を聞いて驚いた。72歳だという。かつては赤のベンツの2シートを操り、若い頃からなんどもパリに行ったという。アンティークはその頃から買いためたものらしい。
 
「私はね、もうそろそろ生きるのに飽きてきたわ」
 
「でもね、美しいものはいいわね。そこには光があるから」
 
万里子は洋子ママが天空の城のラピュタのドーラと、紅の豚のジーナを足して2で割った女性みたいだと思った。生きてきた厚みと時間と経験と。そしてそこにある意思と、生命力と。それらを全部混ぜて形にしたら洋子ママのような女性になれるのだろうか。
 
話をさせてもらったお礼を言って、そろそろ帰ろうと万里子は立ち上がった。カウンターの脇の人目につかない壁に短冊がひとつかけてあった。お会計の時に、なぜかその短冊が目に入った。思わずその言葉を口にした。
 
「咲けばちる 咲かねば恋し 山桜」
 
その声を耳にした洋子ママがふと寂しげな顔になった。でもその表情をふとおしこめていった。
 
「あの土手の上の桜ご覧になった?」
 
「あ、見ました。あの1本だけ桜が咲いていて」
 
「あの桜が山桜というのよ。誰が植えたか知らないけれど、毎年一番早く咲いて一番早く散ってしまうのよ」
 
それだけ言って、洋子ママは黙ってロッキングチェアに戻っていってしまった。何か気に障ることを言っただろうか。万里子は気にかかりながら、店を後にした。
 
帰ると、帰宅が遅いことで心配顔の母と父が居た。無言で夕食を食べる万里子を、父も母も黙って見守って、どこに言っていたとも聞きはしなかった。
 
万里子は、夕食後、ベッドに寝転びながら、あの短冊の言葉を検索してみた。
 
「咲けばちる 咲かねば恋し 山桜」
 
なんどか声にだして読んでみた。なにか呪文のようだった。そして何かの問答のような言葉だった。咲けばちるし、咲かねば恋しいんだったら、結局どっちがいいの? どっちともつかない言葉だ。
 
万里子にはよくわからなかった。そもそも古文の点数はいつも赤字すれすれだったから。でも今の時代はググればすぐに出てくる。この歌の解説もいくつかのサイトを渡り歩けばすぐに出てきた。
 
この言葉は下の句があった。
 
「咲けばちる 咲かねば恋し 山桜 思い絶えせぬ 花のうへかな」
 
これで一つの短歌だった。拾遺和歌集、中務という人の短歌なんだ。960年頃の歌人という。一体いつの頃だろうと万里子はぼんやりと日本史の教科書の年表を思い出していた。
 
「花が咲けば散ってしまうかと心配し、咲かなければまたひたすらに恋しく思われるものだ。なくなった私の子どもと同じように花をみていても物思いが絶えない」という意味の短歌だった。この歌には詞書がついていた。詞書はその歌が詠まれた背景や事情を説明するもののようだ。「子にまかりておくれる侍りけるころ、東山にこもりて」とあった。
 
「子にまかりてって、子どもが亡くなってということだよね……」
 
1週間経って、また万里子は三角屋根のカフェにやってきた。なんとか気持ちを切り替えて、ここから1年予備校に通うことにしてその手続きも済ませた。その間にもいつもあの短冊の言葉が心にあったのだ。
 
三角屋根は同じように蔦に覆われていた。あらためて店の看板をみるとうっすらと文字が見えたが読み取ることはできなかった。扉はあの人同じようにあっけなく開いた。後ろで扉が閉まった。洋子ママはあの日と同じようにロッキングチェアに座っていた。
 
「ようこそ。あら、またおいでになったのね」
 
万里子は同じ席に座った。洋子ママは同じコーヒーカップで珈琲を出してくれた。
 
「頂き物のクッキーだから」
 
今日は小皿にクッキーが2枚添えられている。アンティークであろう小皿は割れた部分が金継ぎしてあって、その雰囲気が洋子ママらしかった。
 
万里子はあの短冊の言葉のことを聞こうとした。でもなぜか聞けなかった。洋子ママはロッキングチェアに座って問わず語りに、自分の昔話を始めた。
 
自分が昔は羽振りが良かったこと、友人の破産に巻き込まれて夜逃げをしたこと、それでもそこから苦労して店をもったということ、そのときに自分の好きな世界をつくろうと決心したこと、かつて結婚していて子どもがひとり居たと言うこと。
 
子どもがひとり居た。
 
その言葉に万里子は身がすくんだ。過去形だった。それが洋子ママの時折見せる影の正体なのかもしれないと思った。そしてそれがあの短冊がいつまでも壁にかけてある理由なのかもしれないと思った。
 
最後まで万里子は洋子ママの子どものことを聞けなかった。洋子ママはゆっくりと自分語りを終えると、ふたりの間にはしばらく沈黙が訪れた。その沈黙は湖面を満たす静かな水面のようだった。のぞき込むと、気持ちの水底まで透明に見えてくるようだ。
 
「聞いてくれてありがとう」
 
洋子ママはそういった。
 
「私、ここまで全力で生きてきたのよ。人ってなにか事がおこらないと全力ってだせないものなの、不思議ね」
 
「そう考えると、人生に起こる問題って、全力を出すための贈り物だったのかもしれないっていまなら思えるわ」
 
ふっと笑う洋子ママの横顔は72歳には見えなかった。身体の奥から生命力の灯火が顔を内側から照らしているように、すこし頬が染まっていた。
 
4月になって予備校が始まった。万里子は新しい生活に慣れるのが精一杯だった。それでもいつも洋子ママの言葉が心にあった。
 
7月にはいって、一息ついた頃に万里子はまたあの赤い三角屋根のカフェに来ていた。新しい生活で頑張っている自分の話を洋子ママに聞いてもらいたかったのだ。土手の山桜の木は青々とした葉を茂らせて大きな木陰をつくっていた。
 
ところが、いつもの扉の前で万里子は立ちすくんだ。扉には小さな紙片が貼り付けられていた。窓からみても店内は明かりがついていなかった。押した扉は開かなかった。
 
紙片にはこう書いてあった。
 
「旅行にでます。しばらくお店はお休みします」
 
洋子ママはどこへ行ったのだろう。なにか、自分ひとり放り出されたような、途方にくれた気持ちになって、万里子はしばらくそこに立ちすくんでいた。万里子は洋子ママとの会話とその空気を一生懸命に思い出していた。あの出会いが幻でなかったことを自分に証明したい。そんな気持ちでいっぱいだった。
 
「あなたは今18歳? 私の4分の1ね。そこから4倍の時間をつかってここまで来ればいいのよ」
 
「私もね、まだ人生終わってないのよ」
 
「生きるって全力で生きることしかないのよ」
 
その言葉を一気に言い終えると、葉巻を無造作に灰皿に押しつけてから、洋子ママは庭の方を見ていたのだ。なにかを決心したように。洋子ママは自分の言葉の通りの人生を生きようとしている。だとしたら、私もそう生きていきたいと思った。
 
扉に貼られた書き置きのような紙片をみながら、もう一度洋子ママの最後の言葉を思い出していた。最後に洋子ママは私の方をまっすぐにみてこう言ったのだ。
 
「今度会うときは、あなたも全力を出してからおいで」

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。


 

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2020-03-30 | Posted in 出してからおいで

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