【新江ノ島水族館、水槽の向こう側:第1回】シラス〜次世代水族館のあり方を提示する、世界初の展示〜《天狼院書店 湘南ローカル企画》
記事:東ゆか(あずま ゆか)(READING LIFE編集部公認ライター)
第1回:シラス 〜次世代の水族館のあり方を提示する、世界初の展示
日本は世界でも有数の水族館大国である。その中で水族館としての独自性を出すために、旧江の島水族館時代から特色のある展示に取り組んできた。今では多くの水族館が展示している「クラゲ」も、江の島水族館が展示を始めた当時は、業界の中ではエポックメイキング的な位置付けだったそうだ。
そんな江の島水族館が新江ノ島水族館へとリニューアルした際にテーマとしたのは「相模湾」だ。水族館の目の前に広がる相模湾は遠浅で、暖流と寒流がぶつかる外洋に面しており、豊富な生物が生息している。その相模湾の生き物たちを来館者に観てもらいたいというコンセプトを代表するのが、今回お話を伺ったシラスの展示である。
大下勲さん
新江ノ島水族館 展示飼育部 展示飼育チーム(魚類・無脊椎動物)
2018年より新江ノ島水族館の目玉展示である「相模湾ゾーン」を担当。
相模湾の名産・シラスを展示として見せたい
相模湾では古くからシラス漁が行われてきました。今でも春から秋のシラス漁のシーズンには目の前の砂浜からシラス漁の船が見えます。
みなさんシラスというのは魚の種類ではないことをご存知ですか? シラスはマイワシ、カタクチイワシ、鰻のそれぞれの稚魚の総称です。皆さんが江の島に来たら召し上がるしらす丼のシラスは、カタクチイワシの稚魚なんです。相模湾というのが新江ノ島水族館のテーマなので、名産のシラスを展示したいという思いから、世界で唯一のシラスの展示に取り組むことになりました。
僕がシラスの担当になって今年で3年目です。シラス担当と言っても、シラスだけの世話をしているのではなく、その他の魚類や無脊椎動物も僕の担当です。3年前まではクジラやイルカなどの海洋動物の担当をしていました。水族館の一番大きな生き物から、一番小さな生き物の担当になりました。
シラスの展示を始めると聞いたときには「本当にやるの?」と驚きました。まずシラスの成魚であるイワシという魚が、とにかく弱い種なんです。環境の変化にも弱く、成魚を海から運んできても、搬入時に水中から出されるショックで死んでしまうものが多いんです。他の魚にもいえることではありますが、イワシはそれが特に顕著で、しかもその稚魚のシラスとなると、捕まえた段階で死んでしまうんです。
ですので、水族館で展示をするには、卵の段階から水族館で育てる必要がありました。
当時すでに、カタクチイワシを繁殖させる技術を持っていた中央水産研究所(現・瀬戸内海区水産研究所伯方島庁舎)から、生育技術を教わって、2014年から生きたシラスの常設展示が始まりました。
365日、稚魚であるシラスを展示し続けなければならないことの苦労
シラスの展示が他の魚の展示と大きく異なるのは、稚魚の姿を見せなければいけないというところにあります。
「世界で唯一シラスを展示しています」と謳っているからには、365日、シラスが展示室にいなければなりません。水族館が水槽を空にするわけにはいかないんです。「シラス」として皆さんにお見せできる期間というのは、30日間ぐらいです。
それ以上になるとウロコも出始めますし、顔も変わってしまう。それだとシラスとは呼べないので、そうなる前にまた新しく孵化から生育をはじめて、展示できるシラスを用意しなければいけません。その繰り返しなんです。
他の水槽では成魚を展示している中で、稚魚を展示して、しかもそのサイクルが40日間というと、水族館の中でも特殊な展示です。
シラスを水槽から絶やさないために、この2年で一番苦労しているのが、孵化から1週間〜10日ぐらいの時期です。
人間の赤ちゃんもお母さんから受け継いだ抗体が、生後6ヶ月を過ぎると失われてしまって、病気に罹りやすくなります。それと同様に、シラスの孵化から1週間〜10日の間というのは、一番弱く、病気に罹りやすい時期なんです。アミルウーディニウムという寄生虫が寄生して、せっかく孵化したシラスが死んでしまうことがあります。
*アミルウーディニウム
魚のエラやヒレに付着する寄生虫のこと。寄生すると魚を酸欠状態にさせ、死に至らしめる。
(参照:「魚病情報資料(寄生虫病・真菌病)増補加筆版」
http://www.fish-jfrca.jp/02/pdf/H26parasitic%20and%20fungal%20diseases.pdf)
この時期は気が抜けません。そもそもアミルウーディニウムがどこからやってくるのかが分からないんです。
新たにシラスの展示を再開する前に水槽は綺麗に掃除をして、殺菌灯という水を消毒する機械を入れます。その殺菌灯で2,3日消毒をしてからシラスの卵を入れるんですが、それでもアミルウーディニウムが発生することがあります。この時が一番ハラハラしますね。
消毒以外の予防方法として、塩分を下げた海水の中で一定の期間育てる方法も採っています。ただし元になる海水の塩分が一定ではないんです。水族館の海水は、水族館前の海岸から200m沖の海水をそのまま汲み入れていますが、その位置だと、台風や雨で川から大量の水が注ぎ込むと塩分が下がってしまいます。
海水の塩分も不安定で、なおかつ魚の様子を見ながら塩分を調整することは、なかなか難しいことです。更に、海水の塩分を下げても、アミルウーディニウムが付着することもあるので、その予防法が最適解とも言えず、塩分を下げたり下げなかったりと試行錯誤を繰り返しています。
それでもアミルウーディニウムが付着してしまったら、急いで治療をします。治療には硫酸銅を用いますが、使用量を誤ると劇薬になり得ます。硫酸銅は他の魚の治療にも使われて、使用の基準値が定められていますが、シラスはなにせ弱いので、その基準値よりも少なめに硫酸銅を与えます。
しかし治療を施したからといって、しっかり経過を看ていないと、全滅してしまうこともあるので目を離すことができません。全滅してしまったら、もう一度孵化から取り組みます。
シラスの水槽が2つあるのは、シラスの孵化のタイミングをずらして成長過程を見せる意味もありますが、どちらかの水槽が全滅して、水族館からシラスがいなくなってしまうことを防いでいます。
シラスにとって安心できる環境づくり
そんな苦労もあるシラスですが、ちょうど順路の下り坂を降りきった角で展示されているので、多くの方に足を止めていただけています。
「シラスってイワシの子どもなんだ!」とか、透明な体がキラキラと反射している様子を見て「綺麗だね」というお客様の声も聞こえてきて、嬉しく思います。
シラスの水槽
シラスは小さな変化にも敏感で、何がショックになってしまうかを、飼育員たちは知見として高めています。
例えばシラスの水槽は閉館後も明かりを消しません。なぜなら消灯のショックで驚いて水槽に激突してしまうからなんです。
他にも孵化から生育までが成功する傾向にあるため、他の魚の水槽に入っている水を綺麗にする装置をシラスの水槽には入れないようにしています。
また、水槽の掃除の際に舞ってしまった不純物によって、シラスが死んでしまうこともあるので、掃除をする適切なタイミングを決めています。
繁殖については当時の中央水産研究所が公表していたものを踏襲しましたが、飼育についての知見は、病気のことも含めて、飼育員たちの飼育経験から積み上げています。
今では何がシラスにとってショックになり得るかについては、ある程度突き止めることができました。
エサのワムシを繁殖させることもシラスの繁殖の一貫
新江ノ島水族館で生まれ、生後90日以上経った姿。
もう「シラス」ではなく、カタクチイワシになっている
病気・刺激ということと、もう一つ、餌やりにも注意が必要です。
シラスにはワムシというプランクトンを与えています。プランクトンなので、彼らも生きているわけです。生きていれば水中に不純物を出すこともあるので、水槽の中のワムシが多すぎると、不純物が堆積して、シラスが病気にかかってしまうことがあります。餌を与える際には、顕微鏡でどれぐらいワムシがいるかを確認してから、適切な量を与えるようにしています。
実はこのワムシも新江ノ島水族館で繁殖させています。ワムシはシラスだけではなくて、クラゲやフウセンウオなどの他の魚の餌にもなっているので、安定した数が必要になります。
ワムシの培養槽。ワムシの餌となるクロレラの色で培養液は濃い緑色に濁っている
ワムシ用の水槽は7つあって、毎日顕微鏡でワムシの様子を見ます。生きているワムシが減ってきたり、卵を持っているワムシが少ないと、数日後にはその水槽のワムシが全滅してしまうことになります。
そうなってしまったら普段は餌用としては使っていない大きなワムシ水槽から、新たにワムシを供給します。その水槽も全滅しそうになることがあるので、そんなときは7つの水槽からワムシを集めて、大きな水槽を回復させます。
今でこそワムシの繁殖が安定していますが、以前はワムシが全滅しかけて、ワムシを急いで購入しに行ったこともありました。ワムシも生き物ですし、水族館の魚たちの餌にもなるので、シラスと同じぐらいに毎日の世話が必要です。
このワムシを安定して与えられるかどうかが、シラスや他の魚たちの生育や繁殖に大きく影響します。
現在、新江ノ島水族館のシラスは8世代目になります。今まで絶やすことなく繁殖を続けることができたのも、このワムシを安定して繁殖させることができているからこそです。シラスの繁殖とワムシの繁殖は、ワンセットとして捉えています。
シラスの繁殖から未来の水族館を示す
画面中央がマイワシの群れ
カタクチイワシのシラスは、今水槽にいる世代が8世代目で、9世代目の誕生も間近です。今後もイワシを次の世代に繋げることを願う中で、次に目指しているのはマイワシのシラスの展示です。
マイワシは相模湾大水槽の中で群れで泳いでいて、ぱっと水槽を見たときにとてもインパクトがあります。相模湾大水槽のシンボルです。そのシンボルを新江ノ島水族館の中で繁殖させたいと思っています。
現在、既にマイワシの繁殖に取り組んでいますが、マイワシは産卵期が年に1回しかないので、まだ卵さえ採取できていない状況です。もし採取から孵化に成功したとしても、カタクチイワシの飼育方法は転用できないだろうという覚悟もあります。難しいことは承知ですが、チャレンジを繰り返して、それを皆さんに見ていただくことは、より良いことだと思います。
成功すれば、紛れもなくカタクチイワシのシラスに次いで日本初の展示になります。旧江の島水族館時代から水族館としての独自性を追求してきた中で、また新しい展示を皆さんに楽しんでいただくことができます。そんな希少性も大切ですが、水族館に来ていただける方に「新江ノ島水族館生まれです」と紹介できれば、より親近感も生まれると思うんです。
魚を展示するだけではなく、水族館で飼育したり、その様子をお客様にも見ていただけたりするような、新しい取り組みをして、今後さらに水族館という場所の可能性を広げていければよいなと思っています。シラスの展示は取り組みは、その第一歩だと考えています。
(文:東ゆか、写真:山中菜摘)
□ライターズプロフィール
東ゆか(あずま ゆか)(READING LIFE編集部公認ライター)
神奈川県藤沢市生まれ、長野県育ち。幼少期は藤沢出身の母の帰省時に、必ず旧江の島水族館へ遊びに行っていた。海なし県で育ったため、年に数回訪れる湘南の海に対して人一倍の憧れと愛着がある。
□カメラマンプロフィール
山中菜摘(やまなか なつみ)
神奈川県横浜市生まれ。
天狼院書店 「湘南天狼院」店長。雑誌『READING LIFE』カメラマン。天狼院フォト部マネージャーとして様々なカメラマンに師事。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、カメラマンとしても活動中。
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