ミッション7:ふな寿司は、祭りにも使われる!? 「すしきり祭り」について調査せよ《ふな寿司をめぐる冒険》
記事:すずきのりこ(READING LIFE編集部公認ライター)
写真:辻村耕司(敬称略)
ふな寿司を神饌とするお祭りがある
滋賀県の郷土料理である「ふな寿司」は、古くから滋賀県の人々の暮らしに根付いているのですが、なんと、お祭りにも用いられているのです。
守山市幸津川町(さづかわちょう)のお祭り「すし切り祭」では、ふな寿司を神饌(しんせん)としているそうです。
すし切り祭りの「包丁式」では、10尾のふな寿司が乗ったまな板を運び、昔から伝わる祭式法記にのっとり、真魚箸(まなばし)を用い、ふな寿司に一切手をふれることなく、2人の若者が動作を合わせて、3尾のふな寿司を切り分けていきます。1尾目は神饌とされ、2尾目は神職・区長の三献の肴とし、3尾目は神輿番の肴にされるそうです。
まさに、滋賀県ならではのお祭り! ですね。
もう少し詳しくお話を聞きたいと思い、今回は辻村耕司さんにお話を聞いてきましたよ!
辻村さんは、「湖国再発見」をテーマに琵琶湖周辺の風景、祭礼等を撮影する写真家であり、近江の祭り研究所の代表でもあります。また、すし切り祭りが行われる、下新川神社発行の「すしきり祭りのリーフレット作成」も担当されたそうです。
今回は、写真の提供もして下さっておりますので、辻村さんの写真でお楽しみください!
では、辻村さん、すし切り祭りのお話や、滋賀県のお祭りについて、教えてください。
観光客も多く、格式高いお祭り
辻村:すし切り祭りを最初に見た時は「思ったよりすごいな」と思いました。
――― そうなんですか!? 県内の様々なお祭りを見ている辻村さんでも、凄いと思うお祭りなんですね。ふな寿司を切り分ける「包丁式」では、若い子が、ふな寿司を切り分ける役をしているように見えますが、高校生ぐらいの子が担当するのですか?
辻村:中学生か高校生ぐらいの子が担当していますね。昔は長男しか出来ないっていう決まりがあって、選ばれるのは名誉なことだと聞いています。「すし切り」を卒業した子が今度は、汗を拭いたりお世話をする役である「板直し」に回るんです。
――― そうなんですね。中高生というと多感で、忙しい時期ですよね。その合間をぬって練習して本番に臨んでいるのかと思うと、何かこうぐっと来ますね。
辻村:練習はされていますね。包丁って高価じゃないですか。だから、本番で使う包丁は前日辺りからしか使えないそうです。それまでは古い、切れない包丁で練習をします。ふな寿司も高価なものだから、練習にはビワの葉を使うんです。古い包丁でビワの葉を切って練習する。昔は、お祭りのある5月には、塩切りしたフナしかなかったので、本番でもふな寿司ではなく、塩切りしたフナを使っていたそうですよ。
――― なるほど。確かに最近のふな寿司は7月頃に飯(いい)に漬け込むので、5月にはまだ塩切りのフナですよね。結構観客の方も来ているように見えますが、見に来られる人も多いのでしょうか?
辻村:観客は多いですね。国会議員や知事、市会議員なども来られるので、格式が高いお祭りになっています。色々ヤジも飛ぶんですよ。フナを切り分ける時とか、来賓がお酒を飲む時にも。結構すごいです。
――― ヤジですか! 静かに厳かに進むのかと思いきや、結構にぎやかなんですね。他にもふな寿司が用いられるお祭りは、ありますか?
辻村:「ふな寿司を食べる」というお祭りはありますが、ここまでのお祭りはありませんね。すし切り祭りは、第10代崇神天皇の第一皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が、東国平定の途中でこの地に寄り「幸津川」と命名された時に、ふな寿司を献上したことがお祭りの起源と言われています。守山市内の弥生時代の遺跡でも、大量のフナの骨が出土していますから、古くから重要な蛋白源だったんです。それと、今ある祭りというのは、そのほとんどが、室町時代から始まったものなんです。庶民の生活が豊かになって、派手になっていく中で生まれたものが、現代にまで続いていると思います。でも、滋賀県のお祭りは、それ以前の古い形式が多く残っているのです。
無言のお祭りがある!?
――― 滋賀県のお祭りといえば、大津祭り、左義長祭り、曳山祭りなどが有名ですが、他にも特色あるお祭りが各地にあるというイメージです。古い形式のお祭りの中でも、特に興味深いお祭りはありますか?
辻村:えぇ、沢山ありますが、今回は2つのお祭りを紹介しますね。一つは、「三上のずいき祭り」ですね。ずいき祭りは、毎年10月の第2月曜に行われるお祭りで、「ずいき」でおみこしを作って奉納するお祭りです。おみこし一基作るのに、400本ものずいきが使われるそうで、とても重いんです。2005年に国の重要無形民文化財の指定を受けています。
――― このお祭りは、どこが興味深いのでしょうか?
辻村:夜に行われる神事「芝原式」が無言なんです。
――― ……無言、ですか?
辻村:えぇ。無言。一言も喋らないんです。子ども相撲の奉納があるのですが、その時だけ「えぃ」とか「やぁ」とか声がするだけ。あとは、ずっと無言です。
――― なるほど。すごく厳かなんですね。
辻村:まぁ、周りはうるさいんですけどね。超うるさいですけど(笑)芝原式では、猿田彦の所作」があって、古事記などに出てくる、天狗みたいな面を被っている“猿田彦”が先頭を歩いて、指示を出し「はなびらもち」というお餅を渡していくんです。その後、皆さんとともに食事して終わるという、とても古い形式の珍しいお祭りです。そこには、「子どもに相撲を取らせ、神様と一緒に楽しむ。神様と一緒に食し楽しむ」という意味があります。この形式が現代まで続いているというのは、なかなかないことやと思います。
――― 時代や生活様式が変わっても、ずっと同じ形式のお祭りが続いているんですね。なるほど。とても、興味深いですね。もう一つの、お祭りは何でしょうか?
「お祭りのため」に作られた場所で、イモの長さを競い合う
辻村:もう一つは「近江中山の芋競べ(いもくらべ)祭」です。日野町熊野神社の氏子である、東谷と西谷の両地区から奉納されたトウノイモの長さを競うんです。西谷が勝てば豊作、東谷が勝てば不作となると伝えられています。このお祭りは、山の上に広場があるので、そこで行うんです。
―――それって、お祭りのために作られた場所ってことですか?
辻村:そうです。そして、そこに敷き詰めてある石は、祭りの一週間前に洗って敷き詰め直すんです。
――― え! これ全部ですか!?
辻村:えぇ。そうです。すごく大変なことをしていますよね。実際に見てみると、すごく不思議な空間なんです。石が足りなくなったら、日野川から拾って並べているという。すごいですよね。他にも、子ども達が、きちんと衣装を着てお祭りをしているのも珍しいです。最近では、ジャージでお祭りに参加する子もいますからね。近年、観光客の方は増えているそうです。「見学の場所を増やした」って言っていました。
――― そうなんですか! いや、でも見てみたくなりますよね。古くから、途絶えずに続いているということがとても興味深いです。
辻村:ぜひ、見に行ってみて下さい。やっぱり、自分で見ることが大事ですね。自分の目で見ないと分からないことや、その場に行ってみないと見えてこないことも多いと思います。すし切り祭りについてもね、「あなたは本当に、すし切り祭りのことを知っていますか?」 と思いますよ。
誰も知らない、本当のすし切り祭り?
――― え!? それってどういうことですか?
辻村:包丁式の場面は確かに有名です。でも、すし切り祭りは、それだけではありません。包丁式の前日から始まって、当日も終わるのが夜の7時頃まで続く、長いお祭りなんです。その中でも宵宮の「嫁さんだ~せ」は特に凄いです。青年団の太鼓が、その年に結婚した新婚さんの家に向かって「嫁さんだ~せ」と言って、3回練り込むんです。太鼓のサイズは大きくなっていき、音も大きくなります。そして3回目にようやく「お嫁さん」が顔を出してお酒を注ぐ。そして朝の3時4時までお酒を飲んで、ようやく神社に帰るという。
――― ……すごいですね。もしかして、最初に辻村さんが「すし切り祭りは、行ってみたら思った以上に凄かった」とおっしゃったのは、こういう意味だったんですか!?
辻村:えぇ、そうです。それで次の日は、お昼すぎから包丁式ですよね。包丁式が終わった後、無病息災や五穀豊穣を祈願した諫鼓(かんこ)の舞が続き、そして町内を神輿が練り歩き、終わるのは7時頃になるんです。
――― 長いお祭りなんですね。すし切り祭りは、包丁式だけではないと。
辻村:えぇ、そうです。包丁式だけがクローズアップされていますが、それだけではないんです。「包丁式」は知っていても、宵宮の「嫁さんだ~せ」のことを知っている人が、どれぐらいいるのか。知っている人は全くいないんじゃないかって、思います。実際、宵宮の日に、集落の外を車で走っていても、分からないと思います。真っ暗な集落の中を歩いていると、子どもがちょうちんを持って歩いていたり、お酒を振舞っていたりするので、分かるんですけどね。祭りって、地域で暮らす人のために行う部分の方が、多いと僕は思うんです。
――― 確かに。お祭りって、その地域の人のためのものですよね。当たり前に続いてきたものであり、全てに意味があるという。
辻村:えぇ、それに、すし切り祭りでは、手作りで用意するものがあるので、1ヶ月程前から準備にかかるそうなんです。昔聞いた話によると、準備から当日まで、2石のお酒を飲むそうですよ。「石」というのはお酒の単位で、リットルに換算すると360Lだそうです。
――― 360Lですか!! 一升瓶なら、200本!
辻村:そうですね。ね、現地に行かないと見えてこないでしょう。
――― 本当ですね。話を伺って、知った気になってしまいますが、やはり現地に行かないと分からないことって沢山あるんですね。まさか、ふな寿司から、ここまで広がるとは、予想外でした! 生活に根ざしているお祭りのこと、もっと知りたくなりました。
最後に「お祭りを撮る魅力」について、教えて下さい!
一緒に歩くからこそ、見える景色
辻村:現地の人について、歩いていると、その土地のことや、普段見えないものが見えて来るんです。先日は大津市滋賀里の「志賀八幡宮御例大祭」に取材に行ったんですね。微妙な坂をおみこしを担いで、休みながら歩くのですが、琵琶湖がよく見えるんです。昔は高層ビルなど、高い建物がなくて琵琶湖を眺める場所ってなかったと思うんです。だから、きっと昔の人は「こうやって琵琶湖を見ながら、登り下りしていたのだろうな」と思いました。それに途中で、渡来人の古墳があることを発見したり、お旅所が千躰地蔵の隣だったり、三上山がそこから見える! など、発見が色々あってすごく面白かったです。
――― なるほど~。 だから、辻村さんは実際に足を運び、一緒に歩き、祭りを撮られているのですね。辻村さんの写真から、その様子がとても伝わってきますね。
辻村さん、すし切り祭りのこと、滋賀のお祭りのことを聞かせていただき、ありがとうございました! 「現地に行かないと分からないことが多い」とのことなので、ぜひ、滋賀のお祭りに足を運んでみてください!
今回学んだこと
・ すし切り祭りの「すし切り」は、中高生ぐらいの子が担当。選ばれるのは名誉なこと。
・ 練習は古い包丁とビワの葉。昔は塩きりのフナで行っていた
・ 観客は多く、野次も飛ぶ
・ 皇子が「幸津川」と命名された時に、ふな寿司でもてなしたことが、祭りの起源と言われている。
・ 滋賀県には古い形式のお祭りが多く残る
・ 三上のずいき祭りは、無言のお祭り。芝原式
・ 近江中山の芋競べ(いもくらべ)は、お祭りだけのための場所でイモの大きさを競うお祭り
・ 現地に行かないと分からないことが沢山ある
・ すし切り祭りは、包丁式だけではない! 宵宮の「嫁さんだ~せ」など、丸2日にわたる長いお祭り
・ お祭りは、一部がクローズアップされるけれど、地域の人のために行う部分の方が多い
・ 一緒に歩くと、見えてくるものがある。
・ ぜび、現地へ足を運ぼう!
参考文献
・ 近江のケンケト祭り・長刀振り
・ 近江の祭りを歩く
・ 湖国と文化 168号
今回お話を伺った方
辻村耕司さん
1957年生まれ。滋賀県立膳所高校卒、関西学院大学文学部地理学専修中退。湖国再発見をテーマに琵琶湖周辺の風景、祭礼等を撮影する写真家。日本写真家協会(JPS)会員。近江の祭り研究所、代表。主な著書(撮影)に、『近江の祭りを歩く』2012、『明智光秀ゆかりの地を歩く』2019等、いずれもサンライズ出版。
❏ライタープロフィール
すずき のりこ
1984年生まれ。2010年に結婚を機に滋賀へ移住。仕事を通してまちづくりや、市民活動に熱い人に出会い、地域や滋賀の良さに目覚める。
滋賀県のよさについて熱く話しすぎて「……観光大使?」と友達にドン引きされた経験アリ。
好きな食べ物は、鮒ずしと近江牛と彦根梨。
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