古譚 ~中華風異説幻想物語集~

【古譚 ~中華風異説幻想物語集~】第二話 小覇王別騎(一)


2022/05/30/公開
記事:黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
——一つお願いがございます。
 
そう、青年は言った。
 
その願いというのは、仙女である烏騅(うすい)にとって、到底理解し難いものであった。
さりとて断る理由もないので、仙女はその願いを叶えた。
 
その時青年は、心の底から安堵したように呟いた。
 
——ああ、これで、人として死ぬことができる。

 

 

 

 

 

“長江”というものはどうも苦手だ。
自分も相当な年月を生きてきたが、さらにその上をいく。生物でもないくせに、どうも萎縮してしまう。
いや、あるいは大切な人との別れを回顧させるためか。
 
烏錐は江東の地に渡っていた。
かつて、西楚の覇王、項羽が決起した地。そして、項羽がついに戻らなかった地である。
長江を渡り、彼の地に戻れば、再起の望みはあった。だが項羽は、死なせてしまった若者の父母に会わせる顔がないと、その望みを自ら絶った。
いや、もしかしたら、どう足掻いても再起の望みはないと分かっていたのかもしれない。
 
“天が俺を殺すというのなら、それも運命”
 
長江のほとりに来たときには、すでに受け入れていたのだろう。
 
だからこそ、烏錐は許せなかった。項羽を、我が君をそんな弱気にさせてしまう天を、許せなかった。
 
だから殺した。殺したのだ。天は、もう、死んだのだ。
我が力と、あの人間の策略によって、天——すなわち、漢王朝は滅びた。正確に言うと、劉邦の血を継ぐ“らしい”者は存命だが、それは大した問題ではない。天の導きの末に築かれた国が、国としての形を保てないでいる。それは息の根を止めたも同然だ。
 
我成功せり。ついに我が君の仇をとったのだ。
 
烏錐は実に満足であった。満足ではあった、が、ままならない気持ちが、自分の腑の底によどんでいることも分かっていた。もちろん、その正体も。
 
そう、分かっている。後に残るは、「愛しい主の不在」という事実のみ。
その事実を背負ってなお、烏錐は生きていた。生き延びていた。
烏錐自身は、この状態をあまり歓迎してはいない。とはいえ、烏錐は仙の者であり、普段は人間の姿をしているが、その正体は馬である。したがって、人間より野生が強い。自ら死を選ぶなどということは僅かなりとも考えられなかったし、そもそも仙となった身で、どのように死ねというのか。
 
結果、烏錐はこの胸底のよどみを紛らわすために、何か目的を持って生きようとした。
そこで考えたのが、江東の民に尽くす、というものだった。
項羽が最後に、顔向けできないと言った江東の民の子孫。彼らに施しをすることで、今は亡き主の汚辱を雪ごうとしたのである。
 
といってもできることは限られている。
子どもや年寄りのために、薬草を与えたり薬を煎じたりしているくらいだ。
だが、烏錐の意に反して、薬とともに彼女の評判は大変好ましいものとなっている。分け隔て無く接する姿(これは馬であるがために人間の差異が分からないためでもある)や、薬の抜群な効果(仙薬であるから当然ではある)、そしてそれらを無償で施してくれる気前よさ(そもそも仙の者に物資や金は必要ない)というように、図らずも烏錐は江東の民の支持を大いに得ていた。
 
(よく分からないが、好ましい印象を持ってくれていることは分かる。ならばこれで善(よ)しとしよう。江東の民の喜びと安寧こそ、きっと大王様が願ったことだ)
 
かように烏錐は納得することとした。その納得は安心を呼び、腑の底のよどみを紛らわしてくれるのだった。
 
頃は建安5年5月。晴天のもと薫風涼やかな、初夏の日のことである。
その日も烏錐は、薬を農婦のもとへ届けに、川のほとりにいた。川と言っても日常用に使っている小川である。女たちはそこへ集い、いつ尽きるとも知れぬ談笑をしながら、洗濯をしていた。
烏錐はそこへ直接向かい、農婦に話しかけた。
 
「どうだ、まだ痛むか」
「いいえ~、烏錐様がくださった薬を飲んだら、たちどころに胸の痛みがなくなりましたよ。本当にありがとうございました」
「一応、同じ物を置いておく。また痛みが出たら飲め」
「ああ、ありがとうございます。では……」
 
と、農婦が薬を、烏錐の手から受け取ろうとした瞬間である。
 
「あいや、待たれ~い!」
 
けたたましい蹄と車輪の音、そしてそれに負けない大音声(だいおんじょう)が、こちらへ向かってきた。
 
「あいや、待たれい、待たれい!」
 
二頭立ての馬車が勢いよく向かってきた。
その上には、やけに大げさに手を伸ばした若者の姿がある。
 
馬車は烏錐の近くまで来て止まり、馬上の若者はこれまた大げさに勢いよく飛び降りた。
 
「あいや、待たれい、ご婦人方! ご油断めさるな、その者は近頃ちまたを騒がせている妖術師、于吉(うきつ)仙人であろう! 我が江東の民をそそのかし……そそのかし……ええと、たぶん、悪しき企てを考えているに違いない!」
 
歯切れがいいのだか悪いのだか、何とも勢いだけの人間がいたものだ、と烏錐は思った。
そこで烏錐は農婦に尋ねる。
 
「誰だ? この、少々頭の足りなそうな男は?」
 
農婦は笑って答える。
 
「孫家のお坊ちゃんですよ。長男の伯符様。ここら一体をまとめている豪族の方です」
「然り! 我が孫家は江東の民のために、日夜邁進する者である。が、ああ……その、ご婦人方、俺はこのたび亡き父、孫文台の意思を継ぎ、孫家の当主となった。もう、貴殿らの知るお坊ちゃんではないのだよ。ふふふ」
 
烏錐が何を言うまでもなく、伯符という若者は得意顔で口を挟む。
が、
 
「あらあら、言うじゃありませんか。この間まで川に溺れそうになっていたお人が」
「そうですよ。私なんかお母上に内緒でお着替えをしてあげたじゃないですか」
「それを言うなら、あたしは坊ちゃんのおしめを替えた回数じゃ、ここいらじゃ一等ですよ」
 
農婦たちはそれぞれ若者の幼き日を暴露する。その顔はとても笑顔であった。まさに我が子を愛おしむ実の母のように。
 
「いやいやいや、ご婦人方? それ今言うことじゃないだろ! ……ったく、やっぱりばあちゃんたちには、かなわねぇな……」
 
若者は赤面しながらも苦笑した。
話を聞くに、この若者はこの地方の豪族である。確かに「孫」という一族がいたことは記憶の隅にあったが、自らの復讐という大義のため、他のことはあまり覚えていなかった。
しかし、豪族ということは、人間の世界では「えらい」人物にあたるようだが、この若者を見る限り、そのような威厳らしきものは見当たらない。
ただ、身分の差なく、親しく民と話しをしている姿に、烏錐は、今は亡き己の主人の陰を見たような気がした。
 
「何でも、江東の小覇王なんて呼ばれてるんですって。ちょっと、ねぇ……」
 
“覇王”という言葉に、烏錐は反応した。
小覇王とは、いわば、覇王を継ぐ者というような意味でもある。烏錐としては思うところが無きにしもあらずだった。
 
「おうよ、我こそは江東の小覇王なり! かっこいいだろう?」
「そういうところが、まだ子どもだっていうんですよ」
 
せっかくの自信も、農婦たちの笑いに一蹴される始末である。
 
(何とも不憫な……いや、愛されているという証か)
 
烏錐は農婦たちの笑顔に、この若者が愛されている証左を見た。
 
「それからね、坊ちゃん、この方は烏錐様といって、私たちに薬をくれたり、看病してくれたり、とても優しくしてくださる方なんですよ。坊ちゃんといえど、烏錐様に失礼は許しませんからね」
 
一人の農婦が言った。
 
「ん~? 本当か? ばあちゃん、だまされちゃあ、いけないぜ。近頃の仙人は言葉巧みに民を惑わすっていうしな。よおし、俺が化けの皮を……」
「失礼いたしました」
 
突如、若者を横に押しのけ、整った顔の美丈夫が烏錐の目の前に現れた。
 
「うわ! おい、何するんだよ!」
「主人の無礼、お許しください。私は孫家の家臣で、周公瑾と申す者。江東の民のために尽くしてくださること、主人に代わり、また、孫家を代表してお礼申し上げます」
 
そしてとても丁寧に、恭しく礼をする。
 
「殿、この方は我ら江東の民の恩人。であれば、先ほどの無礼を詫び、なおかつその多大なる貢献に対して礼を尽くさねば、我ら孫家は恩知らずで恥知らずとなってしまいます。ここは一つ、我らが屋敷へお招きし、その恩義に謝するのが筋というものでしょう」
 
ほお、こいつは切れ者だな、と烏錐は思った。民に対する感情に沿いながら、自分を監視下に置くのは、かような対処が適切だ。
 
「ん? そうか? まあ、お前がそういうなら、そうなんだろうな。よし、すまんかった、烏錐仙人。日頃から民の役に立ってくれてありがたい。是非とも歓迎させてくれ」
 
手のひらを返したような態度である。臣下の一言でその意を翻すとは、どちらが主人か分かったものではない。いや、それともよほどこの美丈夫を信用している証か。
 
どちらにせよ興味が湧いた烏錐は、その誘いに乗ることにした。
 
「ではそうさせてもらおう」
「ありがとうございます。ささ、お乗りください」
 
烏錐は誘われるままに車上に上がった。
 
川に沿って馬車を走らせること数刻、孫家の若当主はしゃべり通しだった。
孫家の前当主、孫文台がいかに偉大であったか、孫家がいかに江東の民に尽くしてきたか、妹、弟、そして馬車の手綱を握っている無二の親友のこと。
頼んでもいないのに一方的に話してくるのである。
 
ここまでくると烏錐でも感心せざるを得なかった。
 
(よくもまあ、舌の回る男だな)
 
そこで烏錐は聞いた。
 
「お前は小覇王と呼ばれているようだが……」
 
言いかけて口をつぐんだ。何か、いる。
 
「おうよ、俺こそは、かの西楚の覇王項羽の意志を継ぐ……」
「なるほど、人気はあるようだな。敵味方問わず」
 
そういう烏錐の手が、横から飛んできた矢を受け止める。
 
「な!」
 
それが嚆矢であるかのように、瞬く間に矢の雨が車上に降り注いだ。
 
「急げよ、私もあまり器用ではないのでな」
 
そういう烏錐は、しかし、涼やかな顔で、露を払いのけるように手を振る。すると矢は逸れ、あらぬ方向へ飛んでいく。
 
「お、おお! すげぇ、あんた本当に仙人なんだなぁ! 見ろよ、公謹!」
「黙っていろ! 舌を噛むぞ! ええい、よりによってこんな時に……」
 
主人ははしゃぐが従者はそれどころではない。というか、本当にこの若当主は何なのだ? それに、このえも言われぬ不安は何だ? この矢はただの矢のはずだが……そうか、何か“混ざっている”な。私と同じような力に、それに、どす黒い怨恨のようなものが……
 
思案する烏錐の傍らで、その若当主が立ち上がった。
「しゃらくせぇ! 追っ手の者よ、孫伯符はここにいる! 逃げも隠れもせんぞ、出てきやがれ!」
 
こいつは、本当に頭が足りないらしい。今まさに逃げているし、可能ならば隠れた方がよいに決まっている。
 
「おい、伏せていないと当るぞ」
「心配ご無用だ!」
 
言うが速いか、一つ、また一つ、高速で射かけられている矢を、手元の短剣で叩き落としている。
言うだけあって武勇には秀でているらしい。
 
「無駄だ無駄だっ!」
 
得意顔で獲物を振り回す若当主。
が、そのとき一矢が車輪に当った。
小さな矢であった、が、烏錐が気付いたときには既に遅かった。
 
(あの矢、ただの矢ではない。仙力が込められている)
 
小さな一矢は車輪を砕き、そのため車は傾き、若当主と烏錐が放りだされた。
 
「策!」
 
御していた美丈夫が振り返って叫ぶ。それに続いて第2第3の矢が馬と馬車をつなぐ金具をはじき、はずみで彼も放り出された。
 
「周瑜!」
 
美丈夫は大岩にたたきつけられ、そのまま意識を失った。
 
若当主は吹き飛んだ衝撃できしむ体を無理矢理動かし、美丈夫に駆け寄ろうとする。
それを烏錐が止めた。
 
「案ずるな。死んではいない。それよりも自分の身を案じろ」
「冗談じゃねえ。あいつがいないと、俺は死んだも同然だ。それに、孫家の当主は家臣を、友を見捨てねえ」
 
体を引きずりながら友のもとへ向かう姿に、烏錐は、一瞬項王の背中を見た気がした。
が、それがいけなかった。その矢の放たれるのを察知できなかった。
 
1つの矢が孫家の当主の背に深々と刺さるのを、烏錐は許してしまった。
気付いたときには全てを理解した。同時に全てが手遅れだったことも理解した。
 
「孫伯符、しゃべるなよ、動くなよ。これは仙人が使う呪いの矢だ。どうやらお前が言っていた呪いの仙人がいるようだぞ」
 
烏錐は解呪に取りかかるが、どうも勝手がよくない。おそらく、仙力ではこれを放ったものの方が上なのかもしれない。
 
だが、さすがは豪族の当主である。人間の底力が、意識を浮上させた。
 
「う、烏錐……仙人……」
「しゃべるな。体力を使う。この呪法、かなり強力な……」
「当然です。私が自らの血を以て練ったものでありますれば」
 
それは、静かに、全く音も立てずそこに現れた。
最初は何かの影だと思った。だが、炯々とした瞳がそれを、実体あるものと、否が応でも示していた。
 
烏錐と同じく漆黒の衣を身にまとい、そしてかつての烏錐と同じ、怨恨を溜めた瞳でこちらを見ていた。
 
烏錐は悲しげに呼びかける。
「ああ、やはり、あなただったのですね。烏吉(うきつ)」
 
 
《続》
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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