古譚 ~中華風異説幻想物語集~

【古譚 ~中華風異説幻想物語集~】第三話 小覇王別騎(二)


2022/06/06/公開
記事:黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「ああ、やはり、あなただったのですね。烏吉(うきつ)」
 
黒い影は、ええそうです、と答えた。
一瞬の沈黙の後、先に口を開いたのは影、烏吉の方であった。
「お姉さま、お退きあそばせ。私はその人間に用があるのです。その人間の命にね」
 
不安が烏錐の心の臓を、早鐘のように打つ。
目の前にいるのは、確かに、文字通りくつわを並べて走った友である。彼女もまた、馬の身でありながら生物の枠組みから外れた、仙の者であった。
だが、何かが自分と違う。
まがまがしいというべき、何か、鬼気迫るものを烏吉はまとっていた。
 
烏錐は再び問いかける。
 
「何が目的なのです」
「言ったでしょう。その人間の命に用があるのです。いえ、用はありませんね。その人間の命を消せればよいのです」
「なぜ? この人間があなたに何かをしたのですか?」
「いいえ、なにも。ですがこれから、この人間は多くの尊い命を死地に導くでしょう」
「は?」
「なぜなら、その男が“覇王”を名乗るからです」
 
烏錐には、烏吉の言わんとするところが全く分からなかった。
彼女もまた、覇王の臣下の愛馬として、最後まで項羽に付き従ったものの一頭だった。
そして烏錐と同じように、長江の河岸で主と別れる。
その主は、覇王とともに奮戦し、しかし、覇王に先んじて討たれた。
その光景を、烏錐はともに見ていたと記憶している。だが、気付いたときには傍らから消えていた。
 
それが、このようなまがまがしい姿で現れるとは、一体彼女に何があったのか。
 
「“覇王”が……命を死地に導く、と?」
烏錐は、炎のように燃えながらも、しかし氷の様に冷気を纏う瞳を、しかと見つめた。
「然り。我が主のように」
黒衣が音も無く近づく。
応じて烏錐も下がろうとするが、腕の中の若者がうめき、とどまった。解呪に集中しなければ、あっという間にこの人間の命は消える。そう実感できる。
別にこの人間に思い入れがあるわけではないが、しかしここでこの若者を死なせては、目の前の旧友を、何かもっと悪いものに変化させてしまいそうだった。そう、いよいよ箍(たが)が外されそうで、それを許してはならないだろうと、烏錐は決意せねばならなかった。
 
「主は、覇王の招集に呼応し、散々尽くしたあげく、戦場で死にました。覇王が死地に導いたのです。覇王によって殺されたのです。私は思いました。覇王はいつの世も、真の安寧を望む若者を死地に導く。私は、それが許せません。許してはいけなかったのです。あのとき、彼を思いとどまらせることができれば、本当の安寧が手に入ったのに……」
 
唇を噛み、視線を落とす烏吉が、ほんの少し昔の姿に戻った気がした。馬として、主とともにあり、烏錐とともに微笑んでいたときの姿に。
 
「項王が来て、戦に駆り立てなければ、あるいは、あのとき思いとどまらせることができていれば……あの人はただの農家で、私はただの農耕馬でいられた! それでよかった!」
 
悲泣とともに切実な叫びがこだまする。
烏錐は悟った。
そうだ。何も変わっていなかったのだ。烏吉は、あのときと同じく、主とともにありたかっただけだ。
 
自分もそうだった。ただただ、変わらずに、主を殺した天を憎み続け、その結果、復讐は成った。
では、烏吉の場合は? 彼女は何を殺せば、その心が癒える? もはや項王はいない。で、あれば、その志を継ごうと喧伝する者がいれば、その怒りの矛先が向かうのも当然。
 
(小……覇王……)
 
烏錐は腕の中の若者を見る。うなされているが、先ほどよりかはマシになった。少しは解呪が効いたようだ。
 
「慎ましくも幸せな家族をつくって、そして静かに息をひきとる。そんな幸せを、覇王は妨げた。私は許さない。彼のような、そして私のような者を出さないためにも、この世の覇王は私が滅す! そう心に決めたのです。ですから、自ら覇王を名乗る者がいるなら、それはその者を殺す幾千幾万の理由に値します」
 
烏錐は絶句した。自らは復讐を成し遂げておいて、それを否定することは、とてもではないができなかった。
これは、烏吉の復讐だ。“覇王”に対する復讐なのだ。
どうすれば……どうすれば彼女を止められる?
 
「かはっ……」
 
若者が咳き込んだ。よもや、また呪いの力が強まったか? 慌てて若者の顔をのぞき込む。
 
「かはっ……はっ、は、ははは」
 
笑っていた。さも可笑しそうに笑っていた。
烏錐も烏吉も唖然とするばかりであった。
 
「や、やはり、仙人というやつは、人の心が分からぬと見える」
若者はゆっくりと起き上がる。
 
「つまりお前は、あれだ、項羽に主を取られた哀れな畜生というわけか……」
 
今の体の状態では信じられないことに、若者は、孫伯符は、自らの両足で大地を踏みしめ、烏吉を正面に睨み返した。
 
「不遜な物言いだな。貴様に何が分かる?」
「分かるさ! 江東の男が項羽に請われたのだ。お前の力を貸してくれ、と。お前が必要だ、と、そう、西楚覇王に請われたんだぜ……」
 
そうして、くゎと眼を見開いて、烏吉を一喝する。
 
「断る男がいるわけがねぇ!」
ふらつきながらも、一歩踏み出す孫伯符。
 
「覇王ってのは、夢をかけられる存在だ。江東に、天下に、安寧を築くことができる、そう信じられていた存在だ。その軍勢に加わるんだぜ。これ以上の誉れはない。そう考えるのが、江東の男ってもんだ。」
「戯れ言を……」
「思い出してみろよ! 項羽の軍に向かうときの、項王のために戦うときの、お前の主の瞳を。これ以上ないくらいに、輝いていただろう? 燃えていただろう? それが江東の男だ。それが、覇王に夢を託した男の生き様だ! なるほど、お前の言うとおり、ささやかな幸せに生きるのも、1つの生き方かもしれん。だがな、その道を選んだとして、あるとき、ふと思うんだ。俺の人生、こんなんで良かったのかな、と。なぜあのとき項王の手を取らなかったのか、と。そうやって、一生を後悔のうちに終えるのだ。それをお前は幸せというのか? え? どうなんだ烏吉仙人、かつての戦士の愛馬よ!」
 
小覇王が咆哮する。
さすがの烏吉も、一歩たじろいだ。
 
「幸せに決まっている。人の幸せとは、人の生き方をして、人の死に方をすることだ。あのような死が、幸せであるはずがない!」
「ならば、お前は、今、主である誇り高い戦士を侮辱した……主の生き方を否定したんだ。大した忠義ものもあったもんだ!」
「うるさい! やはり……覇王を名乗る者に常識は通じない。命の軽重を問うに値しない。もういい、速やかに死ね!」
 
烏吉の叫びとともに、何もない空間から一矢が放たれる。
呪いの矢だ。当れば確かに烏吉の臨み通りになるだろう。
 
烏錐はとっさに身を挺し、自らの全ての法力で、これを防いだ。
 
すると、行き場を無くした怨嗟の念は、直線上に跳ね返り、矢を放った烏吉本人に返った。
その矢は鏡のように反射され、見開いた烏吉の紅い左目を射貫く。
 
絶叫とともに周囲が和らいだ。
烏吉が張っていた結界が解けたのであろう。
 
烏吉は、今までで最も醜悪な憤怒の形相をさらし、
 
「許しませんよ、姉様。覇王と名乗る全てを。それをかばうあなたも……」
 
そうして陽炎のごとくからだを歪ませ、やがて姿を消していった。
 
同時に、小覇王も倒れた。
 
「孫伯符、気をしかと!」
 
烏錐が抱き起こす。若当主は目を開けた。
 
「烏錐仙人……一つ……頼みがある」
 
息も絶え絶えだが、それでも若当主は言葉を続ける。
自分を延命させてくれ、と。
 
「一月(ひとつき)でいい。その間に、俺は残りの必要なものを、我が弟、仲謀に託していく」
小覇王の瞳の奥には、まだ消えていない炎が見えた。
彼は、自らの一族が天下を取ることを、死してなお諦めようとはしなかった。
 
「そんな短期間でよいのか?」
 
烏錐は尋ねる。
 
「かまわない。俺は、今ずるいことをしている。人は死ねばそれまでだ。俺は、おそらくここで死ぬだろう。それを、あんたがいるのをいいことに、ずるをしようとしている。1ヶ月以上は、望むべくはない。俺は……」
 
ちゃんと、“人として死にたい”のだ、と。
 
烏錐は、自然とあの青年、張角の言葉が思い出された。
黄巾の乱の前、烏錐は必要があっただけとはいえ、彼の病を治した。それどころか、かの青年には仙人にもなれる素質があった。
 
だが、彼は、それを拒み、元の病ある体を欲した。
“人として”死ぬために。
 
烏錐は物心つく頃には仙の身となっていた。だから、馬として死ぬことにそれほどまで価値があるとは思えなかった。仙としての力を思う存分に使い、自らの大望を果たそうとしたくらいである。
 
だが、この者は、この人間たちは、あくまで人間であることにこだわる。
徹頭徹尾、最初から最後まで、人間であることにこだわるのだ。
 
烏錐には、その気持ちが分からない。分からないが、それでも、おそらくあの方も、そう言うのだろうな、と、ちらと思った。
 
「いいだろう、孫伯符。お前につかの間生きるだけの力を与える。ゆめ忘れるな、一月後、お前は死ぬ。確実に。最後の最後まで、人として生きてみせよ、人の子」
 
その言葉に安心したか、
 
「多謝(ありがとう)……」
 
とつぶやき、孫家の若当主は、意識を手放した。

 

 

 

建安五年、孫家当主、孫策伯符死す。その野望は弟、孫権仲謀に引き継がれ、時代は三国鼎立の世を迎える。
 
黄龍元年(229年)、皇帝となった孫権は、兄孫策を、“長沙桓王”と諡(おくりな)した。
父孫堅が“武烈皇帝”と帝号を諡されたのに対し、孫策は王号である。
 
なるほど、皇帝は天の子であり、人ではないが、王は人の中から選ばれる。
死して後も、やはり人間であることにこだわったのだな、とは烏錐の雑感であるが、弟である孫権がどれだけ兄の意を汲めていたか、定かではない。
 
 
《了》
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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