「だんじり祭り」という、ほとばしるエネルギーの集い《READING LIFE不定期連載「祭り」》
記事:伊藤千織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ドン、ドドン、ドン、ドドン。
あ、そうかもうこの時期か。私は仕事終わりにこの音を聞くと、胸騒ぎがするのだった。
「だんじり」の存在は知っていたが、それを実際に目の当たりにできるとは思ってもいなかった。私は4年ほど前、仕事の都合で大阪の堺市にいた。寮として暮らしていた場所も、職場まで自転車で15分ほどの距離だった。
毎年8月の夏休みが終わる頃から、どこからともなく太鼓と笛の音が聞こえてくるようになった。ほぼ毎日、夜の22時頃まで音がした。
一体どこから聞こえてくるのだろうかと、音が聞こえる方向へ歩いてみた。すると、毎日通勤のたびに通り過ぎていた、高さ4mはある大きな倉庫の中で、中学・高校生くらいの男女が一心不乱に太鼓や笛の練習をしていた。
私はそれで、市内の各町内にあるこの倉庫の正体が何だったのか知った。これまでは、地域の消防用の設備でも入っているのだと思っていた。しかし、正体はだんじりという山車の倉庫だった。
だんじり祭りは関西の様々な地域で行われているが、有名なのは大阪南部のいわゆる泉州地域だ。特に岸和田市のだんじり祭りは有名で、過去に岸和田市を舞台とした連続テレビ小説でだんじり祭りが取り上げられたことがあった。しかし、堺市にもだんじり文化があり、実は堺市のだんじり祭りは岸和田市よりも歴史が古いのだと聞いた。
だんじり祭りは毎年9月から10月の間の金土日の3日間で開催される。市によって開催日は異なるが、服装や「やりまわし」というだんじりを長い綱で引いて町を駆けまわる様子はほとんど同じだ。
この地域の人たちは、この祭りのために1年間を過ごしているといっても過言ではない。私の会社の社員さんも、この祭に出るために毎年有給休暇を取得していた。
私の会社は建設機械を扱っていた。いつも機械をレンタルしに来社するお客様も、この時期だけはテントや机、パイプイスなどの備品関係をレンタルするのだった。また、これまで取引したことのない町内会からも、この時期だけレンタルできないかどうかの連絡がよく来た。
私は東京出身で、育った街にはこういった地域のお祭りはなかった。あったとしても夏の小規模な盆踊り程度だった。なので、正直ここまでお祭りに熱を入れる文化を理解できなかった。ましてや、毎年どこかで死者が出たりする激しい行事だ。建物を傷つけて怪我をしてまでやるほど価値のある祭りなのかと、心のどこかで祭りの存在自体をばかにしたこともあった。
しかし、実際にだんじりの文化やだんじりが町内を駆け巡る様子を目の当たりにし、私はその熱を理解した。地域ごとに所有しているだんじりは、デザインがそれぞれ異なる。だんじり専門の大工さんがおり、すべて手作業で彫られている。それは宮大工と同じ技術で作られており、とても手の込んだものだった。
また、だんじり祭りの起点は、その地域で最も大きい神社だ。私の住んでいた町には大鳥神社という、歴史ある大きな神社があった。その周辺で各地域のだんじりが走りまわるのだった。
ある日、家の前の道路が、来週の金土日の3日間は一定の時間帯交通規制がかかるという立て看板が出ていた。この看板を見て、はじめて自分の家の前も山車が通ることを知った。そしてラッキーなことに、当時住んでいた家のベランダからその道路をはっきりと眺めることができた。
9月半ばになると、町の空気が着々とだんじり祭りに向けて高まってきた。町の電柱に提灯がぶらさがるようになり、ついにだんじり祭り当日となった。
仕事を終えていつものように自転車で帰宅していると、法被を着てねじり鉢巻を頭に巻いた人とたくさんすれ違った。子供も大人も、男性も女性もいた。私はいつ自分のベランダの目の前にだんじりがくるのかと、そわそわしながら自宅で待ちわびていた。
遠くの方から太鼓や笛の音、おののく低い声が聞こえてきた。よし来た、と、私は夕飯の支度を止めてベランダに出た。
自分の家の前のマンションの隙間から、赤い明かりを灯した提灯をぶらさげただんじりが通過するのが見えた。そしてだんじりは勢いよく前の道路を通り過ぎ、大量の群衆とともにあっという間に去っていった。
だんじりには男性が10人以上乗っていた。そのうちの4人が屋根の上でうちわを持ち「ヨーイヨイヨイヨイ」と、野太い大きな声で叫んでいた。その構え方、腕の振り方がとても格好良く、見とれてしまった。まるで風神雷神様のようだった。
30分ほどすると、また別の地域のだんじりがきた。一晩で3回は通った。通る度に音色も掛け声も異なり、楽しかった。
土日は昼間からだんじりが通っていた。だんじり全体の様子が見えるからか、夜見たときよりも迫力を感じた。だんじりのわきには大人だけでなく子供もいて、男の子だけでなく女の子も一緒になって駆け回っていた。「ヨイショー、ヨイショー」と、リズムのよい掛け声があちこちから聞こえた。太鼓の音も笛の音も、ただただ心地よかった。
そうして何度も音を聞き、声を聞き、祭りが過ぎ去ると、幻だったかのように町には平穏が戻った。町中に張り巡らされた提灯も翌日には撤去されていた。
だんじり祭りは今やイベントの一つになっており、皆命をかけてひいているが、その目的はその土地を守るため、その土地の繁栄を祈り、後世に繋いでいくためだ。地元が好きで、文化が好きで、それを守っていきたいと思うのは、なんて素晴らしいことだろう。思えばこの町で働いていた時、その職場にいた人たちはみんな地元が好きで、地元の人となら誰とでも打ち解けられていた。私のことも受け入れてくれ、とても温かい町だった。
結局この町にいられたのは2年半だけで、だんじりは2回しか見られなかった。しかし、この町で感じた一体感を、私は忘れることはないだろう。
だんじりの音色は、その地域の魂を呼び覚ます合図だと思った。1年間のその土地の繁栄を祈り、命をかけて土地を守るという意志のからみ合いだと感じた。それほどの強いエネルギーを感じた。
伝統を守るという決意と気合いを、だんじりを通してひしひしと感じた。今はその勢いも町への愛もわかる。この町は、今後もこのまま生きていくのだろう。
参考記事
「だんじり祭りの歴史」岸和田市公式ウェブサイト
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/rekishi.html
❏ライタープロフィール
伊藤 千織
1989年東京都生まれ。
都内でOLとして働く傍ら、天狼院書店でライターズ倶楽部に在籍中。小学生の頃から新聞や雑誌の編集者になるという夢を持っていたが、就職氷河期により挫折。それでもプロとして文章を書くことへの夢を諦められず、2018年4月より天狼院書店のライティングゼミに通い始める。
趣味は旅行、バブルサッカー。様々なイベントに参加し、企画もするなどアクティブに活動中。
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