「後の祭り」にならなくて良かったこと。《READING LIFE不定期連載「祭り」》
記事:たけしま まりは(READING LIFE公認ライター)
ドンドン ターンッタッ
ドンドン ターンッタッ
ドンドン ターンッタッ
ドンドン ターンッタッ……
ジャッジャッジャッジャッ
ジャッジャッジャッジャッ
ジャジャッ……
スマホに入れていた曲をシャッフルで聴きながしていたとき、10年前に聴き込んだ曲がふいに流れてきた。
3人組ロックバンド・チャットモンチーの「風吹けば恋」という曲だ。
チャットモンチーは2000年に結成、2005年にメジャーデビューを果たした徳島県出身のガールズバンドだ。ギターボーカル・橋本絵莉子の高らかで伸びのある歌声とキャッチーなメロディが好評を博し、リリースシングルがテレビアニメや映画の主題歌に続々と抜擢、2008年には女性ロックバンド史上最短で単独武道館公演を開催し爆発的人気となったバンドだった。
「風吹けば恋」は軽快なドラムとギターの音から始まり、さわやかなメロディで聴いているだけでテンションが上がる曲だ。
片想いの相手への気持ちが高まる様子を歌った曲なのだが、恋の追い風よ吹いてくれ! という想いがメロディとリズムにぴたりと合っている。何度も聴いた曲だった。
指が自然にドラムのリズムを追う。大学を卒業して6年以上経ったにもかかわらず、身体がリズムを覚えていて嬉しかった。
頭の中は10年前に戻り、金髪に失敗してムラになった明るい栗色に、古着のTシャツとぶかぶかのジーンズを履いていた18歳の自分を思い出す。
今や落ち着いた髪色にスーツが当たり前になったわたしは、その姿に懐かしさを覚えて「若かったなぁ」とついニヤけてしまう。
チャットモンチーは今年の7月に「完結」した。
それは事実上の解散で、今はもう彼女たちの演奏を録音された音源でしか聴くことができない。
チャットモンチーはわたしにとって青春の代名詞だった。「今はもういないのだが」と付け加えないといけないことがさみしく切なさがこみ上げるなか、曲がサビにさしかかる。
わたしの頭はふたたび10年前に戻り、あの頃の青春を思い浮かべていた……。
2008年当時、わたしは大学1年生で軽音サークルに入っていた。
当時のサークル内では男子はアジアン・カンフー・ジェネレーション、女子はチャットモンチーが一番人気で誰もがアジカンやチャットモンチーのコピーバンドをやっていた。
わたしもご多分に漏れずチャットモンチーを聴き、「えっちゃん(橋本の愛称)の声可愛い~!」とはしゃいでいた。
軽音サークルに入ったのは、高校の時にバンドにハマりバンドに憧れていたからだった。高校には軽音楽部がなかったため「大学に入ったら絶対に軽音サークルに入る!!」と決めていて、受験を乗り越え無事大学に進学できたら絶対に叶えたい夢のひとつだった。
サークルに入るときに希望のパートを聞かれ、わたしはボーカルを希望した。
本当は楽器をやりたかったのだが、いろんな事情を考慮しボーカル希望にしたのだった。
当時わたしはけっこうな苦学生だった。
地元の北海道から東京の私立大学に進学したのだが、家庭の事情で学費は自分で稼がなければいけなかった。
そのときは新聞社に学費を負担してもらう代わりに新聞配達をする「新聞奨学生」という奨学生制度を使って学校に通っていたのだが、慣れない東京生活に加えての新聞配達はかなりキツかった。
毎日夜中の2時半に起きて、6時前まで新聞配達をしていた。配達が終わればすぐに身支度をして学校に行かなければならないのだが、これまで受験ひとすじで部活をやっていなかったのでそもそも体力がなく、大学では授業中に爆睡したり寝過ごしたりして体力的にも精神的にもギリギリの生活を送っていた。
この生活に加えて楽器を習いはじめるのはさらなる負担だし、「やる!」と言ってできなかったときに周りに迷惑をかけてしまうと思うと楽器をやりたいとはなかなか言えず、歌詞さえ覚えればなんとかなるボーカルを希望したのだった。
わたしが入った軽音サークルは「初心者大歓迎!」と謳っていて、同期で入った子のほとんどが楽器初心者だった。一番人気はギターで、仲良くなった友達がマイギターを買い、基本のコードをひたすら練習していたのを横目で見ては心の中で「いいなぁ」とつぶやいていた。
ギターの初心者セットはだいたい3万円〜5万円で売られていた。少し頑張れば手の届きそうな価格だが、わたしは「生活費もしんどいし、これから教科書とか必要なものも買わなきゃいけないから……」と最初から諦めていた。
とは言え歌を歌うのは好きだったし、意外とボーカル希望の子が少なくてわたしはボーカルとして何度か声をかけてもらいバンドを組んでライブに出た。
はじめてライブで歌った曲はストレイテナーの「Melodic Storm」という曲とGO! GO! 7188の「C7」という曲だった。チャットモンチーはボーカルの声が高すぎてわたしがギブアップしたため、別のバンドの曲で演奏も初心者向けのものにしたのだった。
そのときは、これまでカラオケでしか歌ってこなかったわたしがバンドの演奏をベースに歌っていることにこの上なく感動した。
自分たちで音を出し、ひとつの曲を演奏しているという当たり前のことが楽しくて、楽器はやらずとも自分の声で曲に参加していることがすごく嬉しかった。
その後もわたしはボーカルとしてバンドをやっていたのだが、ライブに何度か出てボーカルに慣れてくるとわたしはふたたび「楽器、いいなぁ」と心の中でうらやむようになっていた。
バンド練習のときにたまにギターを触らせてもらったこともあったのだが、わたしの手は小さめですべてのコードを押さえきれず、ちょっと頑張って「やっぱ無理〜!」と言っていた。練習すればどうにでもなることだったが、手が小さいことがわたしの「楽器は無理」という気持ちを後押しして、楽器をやることになかなか本気になれなかった。
そのまましばらく「楽器、いいなぁ」「やっぱ無理」という気持ちが行ったり来たりしていたのだが、ある日ひょんなことからわたしは楽器をはじめることになったのだった。
「ドラム、意外と簡単だよ。 やってみる?」
夏の頃だったと思う。バンド練習の休憩中にドラム経験者の同級生からこんな風に言われたのがきっかけだった。
わたしにとってドラムは「超カッコイイけど絶対無理」な楽器だった。
ドラムをやっている人たちはみんな手と足がバラバラに動いていて意味がわからなかった。
観客としてステージを見ているときはわからなかったが、実は足がけっこう動いていて後ろから見ると全身がジタバタしているような感じだった。
ドラムは基本的に7種類のドラムとシンバルで構成される。
右足のペダルで踏むバスドラム、左足のペダルで踏むハイハットシンバル、基本のリズムで多用するスネアドラム、スネアドラムの上、右斜め上、右横に配置されるタムタム、フロアタム、そしてサビなどの盛り上がりで多用するクラッシュシンバルとライドシンバル。
これらを組み合わせてリズムをつくるのだが、種類が多すぎてどこをどうすれば良いのかもまったくわからなかった。
同級生は、ドラムの前に座ったまま固まっているわたしに手足の配置を教え、基本の叩き方を教えてくれた。
右手は、8拍子をハイハットできざむ。
左手は、8拍子の「3」「7」のタイミングでスネアドラムを叩く。
右足は、8拍子の「1」「5」「6」のタイミングでペダルを踏む。
左足は、ペダルを踏んだまま動かさない。
この手順通りにやると、基本のエイトビートができる。
口で言うのは簡単だが、やってみるとなかなか難しい。手だけ、足だけ、でしばらく練習し、手足の動作に慣れてから手足同時に動かしてみた。
最初はダメダメだったが、何度か繰り返すとテンポはゆっくりだがエイトビートがきざめるようになった。
はじめてエイトビートができたとき、わたしの中で冗談じゃなく電流が走った。
わぁ……! できた……!!
聴いたことのあるリズムを自分の手足で再現していることにわたしはものすごく興奮した。
いままで「絶対無理」って思っていたけど、やれば案外できちゃった。
ドラムって、やっぱりめちゃくちゃカッコイイ。
もっといろんなリズムを叩けるようになりたい。
もっと練習して、ドラムパートでライブに出られるようになりたい……!
案外できちゃったことの嬉しさと興奮が身体中にめぐり、わたしはすっかりドラムのとりこになったのだった。
それからは「ボーカルが本業、副業でドラム」みたいな感じでひっそりとドラムの練習をはじめていた。
なぜなら「ドラムはじめます!」と宣言するのが恥ずかしかったからだ。サークルに入ったときは初心者だった友達も今やだいぶ楽器に慣れ、わたしは「周回遅れ」感をひしひしと感じていたのだ。
サークルの部室にあるドラムで同級生にひととおりのリズムを教えてもらい、家に帰って古雑誌をドラム代わりにして練習した。
同級生に「これはドラム簡単だよ」という曲を教えてもらい、iPod nanoに曲を入れて通学途中や配達途中に聴き込んだ。
聴き込んでいるうちに、わたしの耳はドラムの音を拾うようになっていった。
いままでぼんやりと曲の全体像しか把握できなかったのが、ドラムをはじめたことで細かい部分まで聴き取れるようになった。変な言い方だが、耳の解像度が上がったのだ。
ドラムの音を拾えるようになると、わたしはこれまで以上に練習に励むことができた。
「この曲はまだわたしには難しいけど、この曲ならイケるかも」というのもわかるようになり、11月の学園祭でわたしはとうとうドラムとしてライブに出ることを決意したのだった。
ドラムデビュー曲に選んだのは、GO! GO! 7188の「C7」「近距離恋愛」という曲と、チャットモンチーの「恋の煙」という曲だった。
練習はいままで以上に苦しくて、楽しかった。ボーカルとしてカラオケ感覚でライブに出ていたときとは全然違い、楽器隊として曲を覚えるということがこんなにも大変だったなんて知らなかった。
苦労した分みんなで曲を合わせてミスなく演奏できたときはものすごく嬉しかった。
学園祭の日が近くなるとみんなが練習で部室を使いたがるので、有料のスタジオにも入り曲を完成させていった。
学園祭当日、配達と緊張であまり眠れず、目をショボショボさせながら大学へ向かった。
学園祭は11月の3連休中に行われ、各サークルにあてがわれた教室内で1日10組くらいのバンドがライブをすることができた。
わたしたちの出番は2日目の中盤くらいで、学園祭の空気に慣れた時間帯でちょうど良かった。
と言いつつも出番の直前まで何度もトイレに行き、曲を聴き込み間違いやすい箇所を練習した。いざ本番でドラムの前に座ったときは、頭が真っ白になって覚えたリズムが全部飛んでいっちゃうんじゃないかと思った。
ドラムスティックでカウントをとり、曲がはじまった。
演奏中は、緊張と興奮でずっと心臓が高鳴りっぱなしだった。
ドッドッドッドッ、と心臓の音がマイクに拾われんばかりの勢いで身体中に響いていた。
演奏しながら、おそらくわたしは苦笑いと変な汗を浮かべていたと思う。
なぜならわたしは緊張のせいでけっこうダメダメな演奏をしてしまっていたからだ。
ガチガチに緊張したせいで、わたしのドラムは「走って」しまっていた。
ドラムが走るとは、ドラムのリズムがどんどん速くなることだ。プロのライブでもよくあることなのだが、わたしの場合は爆速で走ってしまっていた。そのテンポにギターやベースがついていけず、わたしは走っているのに気づいていたがどうにもテンポを落とすことができずにバラバラの演奏になってしまったのだった。
ライブが終わると緊張からの解放感と走ってしまった申し訳なさが身体中を襲い、ちょっと放心状態になった。
バンドメンバーには泣き笑いの表情ですぐに「ごめ〜ん!」と謝ったが「大丈夫だよ〜! 楽しかったね!」と優しく応えてくれ、観客として見ていた同級生や先輩たちからは「お疲れ様〜!」と労ってくれ、みんなの優しさが染み渡り本当に泣きそうになった。
ドラムデビューは「ドラムをやろう!」と決意してから2ヵ月後のことだった。初心者からのスタートだったため、デビュー戦はみんなが温かい目で見守ってくれたのだ。
だからこそ「今度は“上手くなったね”って言われるように頑張ろう!」とさらにやる気が湧いた。なんだかんだ言って、緊張したけれどものすごく楽しかったのだった。
大学在学中はその後もドラムパートとしてライブに出て、4年生のときにはドラムボーカルまでこなすようになった。ドラムはそれなりに上達し、チャットモンチーの曲のほとんどを叩けるようになった。サークルの卒業ライブでは号泣しながら演奏したためドラムがかなり走ってしまい、なんともわたしらしい終わり方をしたなと思った。
あれから10年。大学を卒業してからライブに行くことはあっても自分でライブをすることは一度もない。
もしもあのとき「楽器なんて無理」と諦めていたら、その後一生「楽器、いいなぁ」とうらやみ続けていただろう。
たとえ楽器をはじめたとしても、初心者が集まって熱心に練習してライブに出る経験はあのときを逃せばもうなかっただろう。
新聞配達と学校の両立は本当に苦しくて人生で一番戻りたくない時期ではあるが、目の前のチャンスから逃げずに向き合い挑戦した経験はかけがえのないものだった。
わたしの人生をより豊かなものにしてくれたドラムに出会えて、諦めずに挑戦することができて良かったと心から思う。
もし、いまこの記事を読んでいる方で何かに挑戦しようかどうしようか悩んでいる人がいれば、ためらわずに挑戦して欲しいと強く思う。
人生は、自分が思う以上にあっという間だ。「後の祭り」になる前に、わたしはこれからも目の前のチャンスを逃さずに掴み続けて生きたいと思う。
❏ライタープロフィール
たけしま まりは
1990年北海道生まれ。國學院大學文学部日本文学科卒業。高校時代に山田詠美に心酔し「知らない世界を知る」ことの楽しさを学ぶ。近現代文学を専攻し卒業論文で2万字の手書き論文を提出。在学中に住み込みで新聞配達をしながら学費を稼いだ経験から「自立して生きる」を信条とする。卒業後は文芸編集者を目指すも挫折し大手マスコミの営業職を経て秘書業務に従事。
現在、仕事のかたわら文学作品を読み直す「コンプレックス読書会」を主催し、ドストエフスキー、夏目漱石などを読み込む日々を送る。趣味は芥川賞・直木賞予想とランニング。READING LIFE公認ライター。http://tenro-in.com/zemi/62637
2018-12-03 | Posted in 祭り(READING LIFE)