祭り(READING LIFE)

生活の中にこそ、縁日のような輝きを《通年テーマ「祭り」》


記事:戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「いい加減にしろ!」
 
私の夫は、10年間の結婚生活の中で、一度だけ家出をしたことがある。
いつもは温厚でのんびり屋の夫が、声を荒げるところを初めて見た。
 
バン!! と、叩きつけるようにドアを閉めて夫は出て行った。
季節は8月。薄暗い部屋の中は夜だがうだるように暑い。
 
「あんなに怒らなくてもいいのに……」
 
時間差で悔しくなってきた。涙がじわっとあふれる。
泣くともっと暑い。私は扇風機の首を固定させ、自分の顔に近づけた。
 
我が家はここ2年ほど、一度もエアコンを使っていない。
新築の賃貸マンションなので、ちゃんと備えつけのものがリビングについている。
壊れているわけでも何でもない。
ただ、私が「使用禁止」としているのだ。
すべては節約のため。これが、夫が怒った原因だった。

 
 
 

私と夫の共通の趣味は、温泉旅行に行くことだ。
子供ができるまでの数年間は、だいたい毎年春と秋頃に、各地の温泉街に行って、宿でのんびり過ごすのがお決まりのパターンだった。
昼頃宿に着いたらすぐに温泉に入り、そのまま部屋で酒盛りをするのだ。そして夕飯後、また温泉に入ったり、飲んだりと、とにかくぐだぐだで過ごすのが何より楽しい。
有名な温泉街の場合、夜に浴衣で散策をすることもある。しかしそこでも、観光やお土産を見るというより、地酒や珍味を買うほうがメインだった。
 
私はこの旅行を、とてもとても楽しみにしていた。
毎日の仕事を頑張る時のモチベーションにしていたといっても過言ではない。
今度の温泉はどこに行こうか。どんなお酒をもって行こうか……。そう考えるだけでワクワクした。
 
そんな気持ちもあって、いつしか私は、旅行中は細かいことは何にも気にせず、飲みたいお酒や食べたいものを買いたい、そう思うようになり、普段の生活費の中から「旅行積み立て」をしようと思いついた。
夫も大賛成してくれ、さっそく節約生活を始めてみることになった。思えば、始まりはこんなにささいなことだったのだ。

 
 
 

光熱費と食費の見直しから始まったそれは、夫婦2人暮らしだったこともあり、驚くほどすぐに効果が出た。
当たり前だが、使わなければ使わないほど安くなる。目に見えて結果が出るのが楽しく、私の節約はどんどんエスカレートした。
 
お風呂のお湯は3日に一度しか取り替えず、それも全て洗濯に再利用した。湯沸かし器はお風呂以外での使用を禁止した。真冬の皿洗いも冷水でやった。
エアコンは禁止。冬は家の中でもダウンジャケットを着て防寒。夏は扇風機とアイスノンを首に巻き、暑さを和らげた。
ブレーカーをいじり、元からアンペア値を下げた。リビングとお風呂以外の明かりをなるべく点けないようにし、家の中はいつもどこか薄暗くなった。
電気代を浮かすため掃除機は月に一度のみ。掃除は全てカラ拭きの雑巾で行った。
 
私は食費を月に15,000円に設定して、1円たりとも超えないようにした。もちろん外食なんてご法度。遠くの激安スーパーまで徒歩で行き、食材を購入した。お菓子など嗜好品は買わなくなった。
 
私のお小遣いは月1万円。服を新調することも滅多にしなくなった。保険の契約を見直し、スマホ代を安くしたり……。とにかくできることは全てやっていた。もはやこの頃は「いかに物欲を無くすか」について考えていたように思う。

 
 
 

私は、一度何かにハマってしまうと、何が何でもそれを続けないといけないような気持ちになってしまうことがある。
初めこそ、旅行のためにと思って楽しく節約を始めたはずだったものが、いつのまにか目標を失い、とにかく1円でも安く、安くと、執念で節約をするようになっていた。
 
夫はそんな私の性格を知っているため、なるべく付き合おうと思ってくれていたに違いないのだが、私が度を超えて節約に励み出すと、徐々に嫌がるようになった。
そこまでする必要あるの? やりすぎじゃない? と、度々言うようになっていた。

 
 
 

あの日夫が家を出て行った理由は、実はもう1つある。
あの日の前日、私は、軽い熱中症になって倒れていたのだ。
 
エアコン無しの部屋の温度は、連日の猛暑でとんでもなく上がり40度近くになっていたらしい。私は夫にめまいと吐き気を訴え、病院に連れて行ってもらった。
熱中症になりかけている、と言われて治療を受け、一日入院することになった。翌日、家に帰ると夫が怒り出した。
 
「節約で体を壊すなんて本末転倒だろ。もうこんな生活やめよう!」
 
しかし、私の思考はこんな時でも節約に凝り固まっており、自分の根性が足りなかった、そのせいで医療費がかかってしまったことが悔しいと思っていた。夫の言葉は耳に入らなかった。
だから私は、こう提案した。
 
「無駄な医療費かけてしまって本当ごめん。秋の温泉旅行は中止にして、埋め合わせしよう……」
 
そこで夫の我慢が限界に達した。
「いい加減にしろ!」
そう言い残して、彼は出て行ったのだった。

 
 
 

旅行のために始めた節約で、旅行を中止しようとした。それは文字通りの本末転倒だった。ぐうの音もでなかった。それでも、走り出した列車のように、私は止まることが出来なくなっていた。
夫に出ていかれ、悔しい気持ちで涙が出たものの、冷静になって考えていくと、自分がいかにおかしい振る舞いをしていたのか、だんだんと分かってきた。
 
私、今まで何していたんだろう……。
 
私は涙をぬぐい、2年ぶりにエアコンを掃除し冷房を入れた。

 
 
 

この事件から、もう7年ほど経っただろうか。
 
今では子供も生まれ、節約したくても思うようにできない日々だ。小さい子供がいるとなると、エアコンは一日中つけているし掃除だって毎日しなければならない。
あの頃に比べれば、光熱費も食費だってびっくりするくらい増えているし、正直なところ経済的には厳しくなった。
温泉旅行には、子供が生まれてからというもの一度も行っていない。
 
でも、家の中にあるワクワクの数は、あの頃に比べて段違いに増えている。
 
壁には、たくさんの娘の写真。一眼レフカメラを買った夫は、新しい趣味に目覚めた。
私は生花を買うようになった。季節の花をリビングに飾るだけで、すごく明るい気持ちになる。娘にひっくり返されないように気をつけなければならないが、それもまた成長を感じて楽しい。
 
家族が増えたら料理だってサボれない。
多少お金はかかっても安全な食材を選び、意識して美味しいものを作ろうと心がけるようになった。今では料理も立派な趣味になり、新しいレシピに挑戦することが楽しくてならない。
 
そして何より、希望のかたまりのような娘。
彼女の成長は、私と夫を何よりもワクワクさせる。

 
 
 

確かに、何か目標に向かって節約をすることは、良いことだ。買いたいものがあってお金が欲しいのなら、他のものを我慢することは、小さな子供だってやっている。
しかし、私の場合は目標を見失い暴走してしまった。あの頃の生活を思い出すと、毎日が我慢の連続で楽しみは1つもなかった。出費は悪だと思っていたくらいなのだから。
 
でも、それは間違いだ。
普段の生活の中にこそ、様々な楽しみがあるべきなのだ。
ワクワクすることがあるべきなのだ。

 
 
 

贅沢、ということとは違うように思う。
それはまるで子供の頃、縁日で、決して多くはない軍資金を握りしめ、何を買おうか悩むようなワクワク感。
 
一見怖そうだけど、子供に優しい屋台のおじさんおばさん。
舌が真っ青になるブルーハワイのジュース、甘い甘いわたあめ。キラキラ光る小さな金魚、水に浮かぶ極彩色のヨーヨー……。
あれもこれも欲しい、でも全部は買えないし……ああどうしよう! と、屋台の前をウロウロしたあの時の気持ちだ。
 
生活の中に、どんなに小さくても縁日のような輝きがあれば、それはきっと楽しい日常に変わる。たとえ大きなイベントのためだとしても、毎日をキリキリした気持ちで過ごすより、今の私には、とても健全なふうに思える。

 
 
 

そして、こんな嬉しいことも、時には起こる。
夫が言った。

「なあ、近場で贅沢はできんけど、今度の連休に温泉行かん? 子供も泊れる宿探して」
 
きっと前みたいに、飲んだくれて過ごすことはできない。でも、娘と3人で行く初めての旅行だ。どんな楽しいことが待っているだろう。
夫の提案に、ぱあっと気持ちが明るくなる。
抱いている娘も、よく分からないだろうがキャッキャと笑った。

 
 
 

生活の中に、縁日のような輝きを。
それは小さくても、私に確かな幸せをくれている。

 
 

❏ライタープロフィール
戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

滋賀県出身。同志社大学卒。
派遣社員として金融機関を中心に従事する傍ら、一児の母として育児に奮闘中。
あるオウンドメディア内でライティングを初めて担当し、「書くこと」の楽しさ、難しさを知る。スキルアップのために、2018年8月天狼院書店のライティング・ゼミ日曜コースに参加したことをきっかけに、ますます「書くこと」にハマる。
しがない三十路の主婦がどこまで書けるようになるのか。ワクワクしながら自分へのチャレンジを楽しんでいます。

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2019-03-11 | Posted in 祭り(READING LIFE)

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