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解答のない選択式問題集《週刊READING LIFE Vol.65 「あなたのために」》


記事:武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』の著者、開成中学校・高等学校の校長柳沢幸雄さんの書かれた東洋経済ONLINEの記事を読んだ。
 
9年前、あなたのために選択したことは少なくとも間違っていなかったのかもしれないと思えてほっとした。

 

 

 

「息子さん、キンダーガーデンに入るのを1年遅らせた方がいいんじゃないですか?」
 
我が家はアメリカに住んでいる。これは息子が4歳の時に通っていたプレスクール(3歳児と4歳児が通う学校)の先生に言われた言葉だ。キンダーガーデンは5歳児になると入学できて、本格的に勉強が始まる前に準備をする学校になる。
 
アメリカでは9月から学校が新年度のため、6月から8月の夏生まれの子供は日本で言う1月から3月生まれの早生まれに当たる。息子も8月生まれのため、日本の3月生まれの子供と同じで、学年で一番年下の方の子供になるのだ。(居住区により区切りの月日が異なる)
 
アメリカでは夏生まれの子供、特に男の子のキンダーガーデンへの入学を遅らせることは珍しいことではない。後に紹介する2011年のニューヨーク・タイムズのオンラインの記事によると、その年、「アメリカでは11人に1人の割合で入学を遅らせる児童がいる」という統計が出ていたようだ。実際に息子と同じプリスクールに通う男の子のお母さんも早い時期からキンダーガーデンへの入学を遅らせてプレスクールにもう1年通わせると言っていたし、他にも夏生まれの男の子のいるご家庭で、入学を遅らせると言っていたのを聞いていた。
 
入学を遅らせる理由はいろいろある。
 
この時期は早生まれと遅生まれでは体の大きさにも差があるし、運動能力や学力そして情緒の発達面でも生まれた月齢により開きがあるのも当然のことだ。そのため、同じ年であっても早生まれの子供は遅生まれの子供よりもできないことがあったり時間がかかることがある。
 
1年入学を遅らせて、クラスの中で年上の立場になれば、学力においてもスポーツにおいても他の子供よりも比較的できることが多くなるだろう。それは子供の自信につながるため、子供にとって大きなメリットになる。親御さんの中にはスポーツの面から有利だからと、敢えて入学を遅らせる人もいるらしい。もちろん様々な面で発達の遅れがある場合や性格がおとなしい場合などで入学を遅らせる事もあるだろう。
 
私はプレスクールの先生から息子のキンダーガーデンの入学を遅らせることを提案され正直戸惑った。日本人の感覚として、当然のように5歳になったら息子もキンダーガーデンに行くと思っていたからだ。とにかく先生に理由を聞いてみることにした。それによっては選択の余地もなく、遅らせる事が息子にとって最善案になるかもしれなかった。
 
先生からの答えはこうだった。
 
「1人で遊ぶことが多く、おもちゃの貸し借りなどもうまくできていない。英語力も同年代の子どもたちと比べて劣るため、友達とコミニュケーションがうまく取れていない。このままキンダーガーデンに行っても他の子供達と交流がうまくできないと友達付き合いがうまく行かず大変になってくる」
 
仮に入学を遅らせなかったとして、息子がキンダーガーデンや1年生になってから学力や情緒の面で遅れがあることが顕著になり、もう一年留年したほうがいいと学校側から言われたら、周りの友達にもそのことを知られてしまう。それは息子本人の自尊心にも関わってくるため避けるべきだ。だから、入学を遅らせるとしたら、キンダーガーデンに入学する前のその時のタイミングがベストだった。
 
選択肢があって、不安があるのなら幼少期から自信を付けさせるためにも遅らせるほうがいいのかもしれない。それに、自信、それは私自身に欠けているもので、長年のコンプレックスになっていたものでもあった。
 
私は悩みに悩んだ。何人かの先輩ママに相談した。そんな時、ある方がとても有益な記事を送ってくれた。
それは「Delay Kindergarten at Your Child’s Peril」(キンダーガーデンのスタートを遅らせないで)というタイトルで、神経科学が専門で子供の脳の発達に関する本を出版しているSAM WANG さんとSANDRA AAMODTさんによって書かれた2011年9月24日付けのニューヨーク・タイムズオンライン版の記事だった。それには「子供をサポートするために入学を遅らせることが、返って逆効果になる」ということを、学力と情緒の面から様々なリサーチとエビデンスを基に説明されていた。「子供にとって学ぶメリットを最大にするには、すべての質問に対して正しく答えることができる環境に子供を置くのではなく、答えを間違えてそれをすぐ正していける環境に置くことだ」と書かれていた。つまり、学力を最大限に伸ばすためには自分の今の能力よりも上のレベルの環境でチャレンジする事が大事だということだ。もちろん、「問に対して間違いが多すぎる場合は子供にとって望ましい環境ではないので、キンダーガーデンの入学を遅らせることも勧められる」とも記されていた。
その後、息子が通っていたピアノの先生にも相談した。その先生は日本では幼児教育が専門で、すでにお子さんが成人されている大先輩ママである。
 
私の相談を聞いて先生は間髪入れずに答えた。
 
「遅らせることはないですよ」
 
先生ご自身が4月生まれで、先生は日本で育ったため、子供の頃勉強もスポーツも何も努力しなくてもできるのが当たり前だった。しかし、小学校の高学年になって早生まれの友達から勉強等を抜かされてしまったそうなのだ。早生まれの子供は頑張って努力しないと、4月や夏生まれの子供に追いつけないので、頑張る習慣が自然につくことが多いそうだ。うちの息子の場合も夏生まれで最初から頑張る習慣がつくので、将来的に常に努力する習慣は彼にとって強みになるということだった。
 
先生は付け足した。低学年の頃は他の子達と比べて学力に遅れがあるかもしれないが、高学年になれば追いついてくると。
 
ニューヨーク・タイムズの記事を読み、ピアノの先生の話を聞いて、私は遅らせずに予定どおり9月から息子をキンダーガーデンに入学させることに決めた。その後、もう一度プレスクールの先生と話をする機会があった。最初に話をした時から数ヶ月経っていた頃だった。先生も息子の英語も上達してきたし、友達と一緒に仲良く遊べるようになってきたから、1年待たなくても大丈夫だろうと言った。
私の選択肢は決まったのだった。

 

 

 

チャレンジする環境を選んだ限りは、多少は大変なこともあるのだろうと思ったが、小学校に入学した後の息子への代償は想像を超えていた。
 
まず、息子には読解力に遅れがあることがわかった。初心者用の本を図書館で借りたりして一緒に読んでみたが、なかなかそのレベルから先に進めないようだった。1年生の時に学校で読解のレベルのチェックがあり、本読みに遅れがある子どもたちのためのリーディングの補習クラスに入ることになった。息子の読解力はちょうど1学年下のレベルだった。読むということは英語だけではなくすべての教科において内容を理解する事に関係する。読解力がないために、息子は他の教科を理解するのにも苦戦していたようだった。
 
2年生になったときだった。息子が学校から帰ってくるなり、クラスの男の子から紙が入ったリサイクルのゴミ箱を頭の上からひっくり返されたと言ってきたのだ。
 
本来子供のトラブルは子供同士で解決するのが理想的だが、今回はいたずらにしては度を越していた。相手の男の子は、1年キンダーガーデンを遅らせてきていて、息子よりも1年半ほど年上の子だった。息子は自分より年上の体格のいいクラスメートに逆らうことができなかったのだろう。それ以来、寝る前になると「高校になっても〇〇(相手の子)は同じ学校にいるのかな。怖いよ」と不安を訴えるようになった。すぐに担任の先生と校長先生にも介入してもらい、その件は数週間で一段落した。息子がターゲットになった理由はいろいろあったかもしれないが、体格が小さめだったからかもしれないという考えをどうしても排除できなかった。
 
5年生になった息子は、友達ができずに悩む日が続いた。第一子ということ、8月生まれということで、精神的に幼かったため周りの大人っぽい友達についていけなかったことも原因の1つだったのだろう。友達との付き合いが大事になってくる年頃だったこともあり、悩んでいる息子を見て私自身も辛かった。
 
息子の学校が始まって以来、問題が起こる度にアメリカ人の親御さんがするように息子のキンダーガーデンへの入学を遅らせた方がよかったのではないかと自問自答する日が続いていた。特に友達関係で息子が悩み始めたときは、1年入学を遅らせた同じ年の男の子のお子さんが、のびのびと学校生活をエンジョイしているのを見て、その問を考えることが多かった。
 
しかし、中学の後半に差し掛かりに、息子の様子に変化が起こった。精神面でも他のお友達に追いついてきたのだろう。スポーツや趣味を通じて気の合う友達ができてきた。本人の努力の結果、やっと学力についても運動能力についても学年レベルに到達してきたのだ。以前はトラブルが絶えなかった学校生活も今では楽めるようになってきたようだった。
 
私は気がついた。息子は身を持って9年前にピアノの先生もおっしゃった事、そしてニューヨーク・タイムズの記事にも書かれていたことを実証したのだと。

 

 

 

だが、その後も私の自問自答は続いた。息子に最善な選択だと思って、チャレンジする環境を選んだ事までは良かったが、読解力の遅れや情緒や社交の面での遅れのせいでうまくコミニケーションができないことで、人一倍苦労させてしまったことは、結果的に息子にとって良かったのだろうかと。

 

 

 

そんな折、東洋経済ONLINEの『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』の著者、開成中学校・高等学校校長の柳沢幸雄さんの書かれた2019年12月29日付の記事を読んだ。開成中学校・高等学校は都内にある中高一貫教育の私立の男子校で、長年に渡り東大格者数が日本一であることで知られる学校だ。
 
その記事では、「集団の中で負ける経験」が男の子にとって非常に大事であるという事、負ける経験が後になればなるほど、そのショックが大きくなるので、負ける経験を早く経験することを強調されていた。また、「成功体験を積んだほうが自己肯定感が高くなる」と考えられているが、「本当の成功体験というのは単に勝つことではなく、『負けたり、失敗した状態から立ち直ること』。つまり何かを克服した経験こそが、本物の成功体験であり、自己肯定感はそのような経験から育まれる」ということだった。
 
この記事を読んで、息子のために選択したことが正解かどうかはわからないが、少なくとも間違っていなかったのかもしれないと思えてほっとした。自己肯定感とは幸福感とも関係しているため、子供にはしっかりそれを育んでほしいと思っていたからだ。特に私自身が自己肯定感を持つのに苦労しているために余計にそう感じてしまったのもあるだろう。

 

 

 

子育ては解答がない選択肢問題集だと思う。自分の子供が幸せになってほしいからこそ親は自分のことを決める以上に慎重になる。自分の経験のデータベースと、専門家のエビデンスなどに基づいて、多くの親が子供の為にベストな環境とは何かを考えてあらゆる事を選択しているだろう。
 
しかし、親が子供のために選択した事が、子供にとって正解なのかどうかの結論を短期間で求めるのは難しいと思う。何を成功、そして幸せとするのかはあくまでも子供自身が大人になって主観的に感じて判断する事だからだ。
 
つまり、その解答は、唯一未来の子供が持っているのだと思う。彼らが大人になった時に、自然に親に感謝できる時が来たとすれば、親が選択してきた事が正解だったということになるのではないだろうか。
 
息子は今年秋にアメリカの高校に入学する。アメリカの高校生活では、大学出願準備のためにボランティアやアルバイト、リーダーシップのプログラムなどを経験するようになる。私は徐々に解答のない選択式問題集を息子に手渡していっている。これからは自分で選択し、今までのように集団の中で負けたり失敗したりして、その後どう取り組むか考えてさらに成功体験を積み上げていってほしいと思う。
 
高校に入学する前に、今までの背景、ニューヨーク・タイムズや柳沢幸雄校長先生の記事の事を息子に話してみたいと思う。その上で、自分の人生を振り返ってみて息子がチャレンジする環境に身を置くことを選択するのかどうかを見守っていきたい。
 
そして、10年後、息子と同じ目線で話ができるようになったら、私が9年前に彼のためにした選択が正しかったかどうかの答えを密かに聞いてみようと思う。
 
 
 
 

参考文献
SAM WANG and SANDRA AAMODT.(2011, Sept 24). Delay Kindergarten at Your
Child’s Peril. The New York Times. Retrieved on Oct 15, 2011, from
https://www.nytimes.com/2011/09/25/opinion/sunday/dont-delay-your-
kindergartners-start.html?_r=2
柳沢幸雄(2019年12月29日)「男の子は「鶏口より牛後になるべき」深い理由
名物校長が語る『自己肯定感の高め方』」『東洋経済ONLINE』
2019年12月31日アクセス
https://toyokeizai.net/articles/-/321523

 

◽︎武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
アメリカ東海岸在住。
米人の夫と子供2人、愛猫1匹と暮らしている。
日本ヨーガ禅道友会認定教師
Kaivalyadhama Yoga Institute 認定教師
ゆるやか禅整体師
University of Hull(英国)Women and Literature 修士過程修了
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語をキープするために2019年8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。同年12月より引き続きライターズ倶楽部にて書くことを学んでいる。

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