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こうして私は猫依存症になりました《週刊READING LIFE Vol.66 買ってよかった! 2020年おすすめツール》


記事:武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

2019年元旦、私は心に穴が空いた状態から始まった。
 
ペットロスに陥ったのだ。
 
前年8月末からから12月末まで4ヶ月間の期間限定でお世話することになった猫ちゃん達。
 
心の中で4ヶ月間の期間限定ボランティアと割り切っていたはずだった。

 

 

 

我が家はアメリカに住んでいる。
勤め先の事情で急遽日本に帰国が決まった知人ファミリー。
かわいがっていた2匹の猫ちゃん達に関しては、検疫の関係で飼い主である知人と一緒に日本に入国できず、成田の検疫所の管轄の施設で4ヶ月間過ごすか、4ヶ月の待機期間の間、この地で誰かに間預かってもらうというどちらかを選択しなくてはならなかった。
 
そんな時、飼い主である知人から私に声がかかったのだ。
 
「猫を4ヶ月間預かってもらえませんか」
 
子どもたちは当時ペットを飼いたがっていたのだが、私は反抗期の小学生女子と中学生男子の自分の子供の世話だけで精一杯だった。それに、昔実家で飼っていた犬が夜中に首輪を外して脱走し、近所のチャボを2度も噛み殺してしまったことで、不本意にも保健所に連れて行かなくてはならなかった辛い思い出があり、今でもそれは私の中でトラウマになっているのだ。
 
飼うからにはペットは家族の一員だ。人間の勝手な事情で手放すことはできない。
そんな経緯で子どもたちには申し訳なかったが、私は覚悟を決めることができなかった。
 
それから私は完全な犬派で、正直、猫を見てかわいいと思ったことは一度もなかった。
 
「ちょっと考えさせてください」
 
まだ飼い主さんの日本への帰国まで2ヶ月ほどあった。
 
わたしの中で、お預かりするべきか、断るべきか、2つの意見が対立した。
 
4ヶ月という期間だけなら、我が家でペットを飼う前のトライアル期間になっていいかもしれない。もし子供たちが全く猫の相手や世話ができないなら、ペットは飼わないとはっきり彼らに説明ができる。
 
その反面で、お預かりしている間、猫が家から逃げて行方不明になったり、病気や怪我をしたらどうしようかとリスクも頭から離れなかった。家族の一員で知人が実の子供のようにかわいがっている猫ちゃん達の身に何かあったら責任重大だ。
 
ただ、長いフライトの後に成田の検疫所の付近の委託施設で猫ちゃんが4ヶ月間待機するのは可愛そうな気がした。それならまだ我が家の方がましかもしれない。
 
飼い主である知人の力になりたいのは山々だったのだが、結論が出せずじまいのまま、私は夏休みを利用して日本に一時帰国した。
 
その時、実家の近くの図書館でたまたま目に留まったのが、猫を飼う前に知っておきたい事が書かれたガイドブックだった。
 
猫のガイドブックを読んで、当たり前だが猫は犬とは全く別のものだと思った。そう言えば日本では空前の猫ブームだ。私は流行りとかブームとかに乗るのは基本的に避けているのだが、ガイドを見ているとかわいいなと思えてきて、ブームの訳を知りたくなり、なんだか猫を預かってみたいと思った。私は飼い主さんへラインを送った。
 
「預からせてください!」
 
こうやって、2匹の猫がうちにやって来た。
 
猫は想像以上に可愛かった。途中、飼い主さんが「引き取りに行くのが、もう少し後になりそうです」と言ってくれたら、予定より長く猫と一緒にいられるのに、と期待したりした。
 
そう、気がついたら私は猫が好きになってしまっていたのだ。
 
その頃から最後の別れ日の事を考えだけで寂しくなった。だから、8歳だった娘には特に、「クリスマスが終わったら、飼い主さんが迎えに来るからね」と引取に来られた時に泣いたりして困らないように念を押した。
でも、実はそれは私自身への戒めでもあった。
 
飼い主さんが早朝に猫を引き取りに来た。その後、私は外出して外が暗くなってから家に帰った。その日は子ども達も親戚宅にお泊りで、夫も帰りが遅かったので家には誰もいなかった。玄関のドアを開けると、いつもなら、玄関まで様子を見に来る猫の姿は当然なく、家の中は静まり返っていた。その静けさは、今朝まで猫がそこにいたという事実をいっそう引き立たせた。
 
私は彼らがいないという事実を受け入れられなくて、家に入ることができなくなっていた。寂しさが胸からこみ上げてきた。私は一旦開けた玄関のドアをもう一度締めて車に乗り込んだ。とにかく彼らのことを思い出させないどこかへ行く必要があった。私はあてもなく車を走らせた。

 

 

 

2019年、年明け、家族皆がペットロスに陥り、我が家は自分たちの猫を飼うことに決めた。それ以降、運命の猫に出会うために、保護猫シェルターに足繁く通った。シェルターに行くだけでもいろいろ猫について学べた。猫の性格も十猫十色で、他の猫と仲良くできない猫や、常に抱っこしてほしい猫、触られるのが嫌で、近づくだけで「シャーッ!!」と威嚇する猫。人間に懐けない猫等……。シェルターに通いはじめてしばらくして出会ったその猫は、係員さんのイチオシだった。それはハチワレで、係員さんの胸におとなしく抱かれていた。そのハチワレは生まれた時からずっと一緒にいるという三毛猫とペアになっていた。去年預かった猫も2匹で、よく一緒に遊んでいたから迷わず即決し、その生後5ヶ月のメスの猫2匹を連れて帰った。
 
猫を飼うのは初めてではないけれど、やはり自分の家の猫を受け入れるという意味ではまた違った意味ですべてが新鮮だった。
 
小さな子猫達(ハチとミケ)は、とにかくブランケットが好きだった。左右の前足で柔らかいブランケットをよく踏んでいた。この行為が可愛すぎてネットで調べてみた。それは子猫が良くする動作で、お母さんのおっぱいがよく出るように、マッサージしている仕草なのだそうだ。柔らかい布団や毛布をふみふみしている様子は見ていて全く飽きなかった。2匹そろって寝ながらふみふみしている事があった。その動作をしている時は猫自身もリラックスしているようで、私も見ていて幸せな気持ちになった。まるで私にとって、手がかからない双子の赤ちゃんがきたようだった。
 
普段は私にあまり興味を示していないのに、ベッドで寝ていると猫が足元や頭の近くにやってきて丸くなって寝ている事があった。こうやって不意打ちで心を許してくれるしぐさは、ラブコメディに出てきそうなツンデレの恋人のように思えた。
 
猫たちは髪の毛を括るゴムが大好きだ。カウンターに置いていると勝手おもちゃにして遊んでいる。自分で投げては追いかけて、それを繰り返して延々と遊んでいるのだ。その様子は1人遊びができるようになった3歳の子供みたいだった。
 
時折、私が落ち込んでいたり、ため息をついていると、足元にすり寄ってきた。いつもは距離があるけれど、必要な時にはそばにいてくれる、私との心地よい距離感を知っている親友のように感じた。
 
歩いていると、急に足首を猫パンチで不意打ちを狙われることもある。特に私がぼーっとしている時に狙ってくるのが笑える。時々、お腹が空いている朝などにも、猫パンチで起こされることもある。こんな風に、時にはいたずら好きな5歳児になることもあるのだ。
 
猫たちは我が家の磁石になってくれた。兄弟喧嘩、子供の私への反抗が絶えなかった我が家だったが、猫の可愛い仕草を見つけては、家族皆が集まって猫の様子をじっと観察して笑顔になった。
 
猫がこんなにいろいろな顔を持っていることを飼ってみて初めて知った。私の猫の印象は、「気まぐれで人に懐かない」だったので、全くの誤解だった。赤ちゃんや5才児の顔もあれば、恋人や親友の顔を持っている。猫は飼って初めて気がついたがとても多面性のある動物なのだ。
 
物に例えるとすれば、スマートフォンのようだ。最初使い始めた時、携帯電話の画面がカラーで大きくなって、インターネットを使えたり写真を撮れるだけでしょ。と思っていたが、それだけではなく、地図もGPSも予定管理、時計、録音、お金の支払い、ゲームなど、何でもこれでできてしまう多機能なツールなのだ。それは、今では生活になくてはならないものになってしまった。同じように、私にとって猫もいなくなってしまったら困るほど、その多面性にすっかりはまってしまったのだ。
 
こんな風に、我が家と我が家の猫たちの生活は一見順調にスタートしたようにみえた。

 

 

 

我が家に猫が来てから1ヶ月経った頃、ミケが全く餌に手を付けていないことに気がついた。
 
かかりつけの獣医から大きな病院に行くように勧められて、いくつかの検査をした。ミケはFIP(猫伝染性腹膜炎)かリンパ腫に罹っていて、どちらも治療法がない病気で、余命は長く持って数週間だろうということだった。獣医は病名と余命と同時に安楽死の選択肢を私に提示した。
 
初めての事だらけで、起こっていることを理解するだけでも精一杯だった。いろいろ考えて、ミケにとって残された日々をできるだけ幸せだと思ってもらえるようにしよう、と家族皆で決めてお世話をした。それから数日後、ミケが苦しみ始めた時、安楽死について調べたりいろいろ考えた。アメリカではペットの安楽死のことを良く耳にする。私はそれを聞く度に、無責任だと怒りすら覚えていた。だが、アメリカでは治療法がない場合、ペットを思い苦しませたくないからこそ、その痛みや苦しみを取り除いてあげるために安楽死を選択するということだった。
 
ミケともっともっと一緒にいたかった。これ以上何もしてあげられない自分が歯がゆかった。同時に目の前で苦しむ骨と皮だけになったこの子をこれ以上苦しませたくないとも思った。葛藤の中で、この子を自分と置き換えてみた。自分が不治の病で苦しみながら死を待つ立場になったらどうしてほしいだろうかと。
 
私は安楽死を選ぶだろうと思った。
ミケを楽にしてあげようと思った。もうこれ以上苦しまなくていいように。

 

 

 

それからというもの、私は毎日ミケの事を思い出しては落ち込んでいた。
9歳になった娘が私に言った。
 
「ママ、皆生まれてきた限りは死ぬんだよ」
 
ミケの死は家族皆にとって辛いものだった。もちろん子どもたちにとっても、だ。だが、娘から悟りを開いたような言葉を聞いて目が冷めた。娘の言うことは全くの正論だった。娘は9歳の子供なりにミケの死を理解したようだった。辛い経験だったけれど、ミケは自分の死をもって、私には安楽死について考えるきっかけを、子どもたちには死と向き合い乗り越えるという大事なことを教えてくれたのだった。
 
そして、ずっとミケのお世話でハチの事をかまってあげてなかったことに気がついた。ハチも相棒を失って落ち込んでいるはずだ。今ここにいるハチにミケの分まで愛情を注いであげようと思った。ミケの死を通じて、元気でいられる今を大切にしないといけない。そんな風にも考えるようになった。

 

 

 

去年までの私は反抗期の子供の子育てで、怒る以外の感情が希薄になっていたけれど、猫と一緒に生活するようになって、笑ったりドキドキしたり泣いたり、慈しむ気持ちなどの忘れていた感情を思い出させてくれた。今まで知らなかった世界が広がった。子供が生まれたときも同じように感じたことを思い出した。
 
猫は私が去年手にしたものの中で一番価値のあるものだと思う。ブラックフライデーセールで多機能調理器インスタントポットなんかも買ってみた。それは便利で使いやすいアイテムであることは間違いないが、所詮スペック通りにしか動かない。猫はお金では買えない予測不可能な感情や経験や学び、癒やしや気付きを私に与えてくれる。
 
ハチは家族の一員で、私にとっては3人目の子供同然だ。子育てから親である私もいろいろ学んで成長するように、猫からも多くのものを学ばせてもらって、精神的に成長させてもらっている。
 
2020年、今年はハチとの生活を通じてどんな経験や学びが待っているのだろうか。考えを巡らせながらパソコン仕事をしていたら、私の猫パワーが減ってきたので、今からソファで丸くなっているハチを抱っこして、目一杯猫パワーをチャージさせてもらおうと思う。

 
 
 
 

◽︎武田かおる((READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
アメリカ在住。
University of Hull(英国)Women and Literature 修士過程修了
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語をキープするために2019年8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。同年12月より引き続きライターズ倶楽部にて書くことを学んでいる。
『ただ生きるという愛情表現』、『夢を語り続ける時、その先にあるもの』、2作品で天狼院メディアグランプリ1位を獲得する。

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