メディアグランプリ

 糸島時間


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。


記事:中村はるみ(ライティング・ゼミ 11月コース)

 

「移住人気No.1の糸島」
移住は考えてないけれど、テレビの一言が胸に引っかかった。

転勤で1〜2年ごとに引っ越す生活を繰り返してきた。
荷ほどきや挨拶、また慣れないスーパーを探す。
そんな小さな労力を私は何度も味わってきた。
だから「暮らす」という選択の重さが分かるのだ。

軽い観光気分で行ける場所なのか、それとも本当にここで暮らしたくなるのか。
確かめたくて、私は旦那さんに言った。
「行ってみよう、糸島に」

糸島旅行は、ポカポカした昭和の縁側でお昼寝してきた感じだった。
おばあちゃんの膝で猫が寝ている、あの縁側である。

たくさんの人を魅了し続ける糸島とは、どんな所なのだろう?
旅行ではなく、暮らしたくなる糸島の魅力って何だろう?
疑問と期待が、シャボン玉のようにどんどん大きくなっていった。

糸島市は福岡県博多から西に電車で30~40分の位置にある。
名前から、てっきり海に浮かぶ小島かと思っていたが、普通に陸続きの土地だった。

糸島が有名になったきっかけはイギリスの雑誌である。
2021年にライフスタイル誌「MONOCLE」から、世界で最も魅力的な小都市ランキングの世界第3位に選ばれてからだ。

出発前は、「海辺でのんびりしよう」とだけ決めていた。
絶対にやりたいことは、海辺のカフェでお茶することだけ。

だが私の心には小さな不安があった。
もし糸島もインバウンド観光客で溢れていたら?
糸島の本当の魅力を知ることができるのだろうか?
そんな疑念を抱えたまま、私たちは糸島へ向かった。

レンタカー店のスタッフが、「数時間で一周できる小さな市ですよ」と教えてくれた。
ならばせっかくだからと、海沿いをグルっと回って、糸島を一周することにした。

まずは唯一の目的だった海辺のカフェへ直行する。
ドライブルートの最初にあった「Beach Cafe Granmare」は、名前の通りビーチまで歩いて10歩のカフェだった。

視界の端から端まで、玄界灘が広がっている。
この辺は内海なので、波がとても穏やか。
秋なので泳いている人はいないが、おかげで静かに過ごせた。

翌週に3連休を控えた平日のせいか、店内はガラガラ。
地元の方らしきご夫婦1組だけが、犬の散歩中に立ち寄った感じだった。

寒くはないので、あちこちの窓が開いていた。
潮の香りは控えめで、代わりに爽やかな海風が肌をなでるようだ。
私たちはビーチに向かって全面ガラスになっているカウンターに席を取った。

料理の提供も早かったから、実際はそんなことはないのだろう。
しかしスタッフも、後から来店したお客さん達も、みんなのんびり動いている気がした。
普段と違うペースが新鮮だった。

糸島をドライブしていて目についたのは、あちこちにあるブランコだった。

その中から有名な「ヤシの木ブランコ」へ行ってみることにした。
夏は家族連れの海水浴客でにぎわいそうな普通のビーチに、そのブランコはあった。

いつも見る湘南のビーチと違うのは、ヤシの木が何本も生えている点。
とりわけ大きな高さ10m以上はありそうな2本のヤシの木の間に、長さ6~7mの2本のロープで吊り下げられたブランコがあった。

ブランコの板は海と並行に取り付けられ、座ると海を真正面から見ることになる。
板は砂浜から高さ1mくらいの所にあるので、子どもにはちょっと危ないかも。

いつもなら、「早く空かないかな?」とか、「みんな待ってるのに、いつまで乗っているんだろう?」とイライラするところ。
でも糸島ののんびりした空気に慣れてくると、不思議と気持ちよく待てた。

待っている人の列なんてないので、人がいなくなったタイミングでブランコに乗る。
なんとなくの譲り合い、なんとなくの思いやりという不思議な雰囲気が漂っていた。

海の家とお土産屋はブランコの後方に建っていた。
だからブランコに座って海と向き合うと、やはり視界は玄界灘の海で埋め尽くされる。

一面の海に、一面の青空、遠くに名前も知らない小島がぼんやりと見える。
まさに私だけの空間と時間を手に入れた気がした。

タタタタタっと座ったまま後ずさりして、思いっきり蹴り出す。
ブランコが砂浜の上で頂点に達すると、空を飛んで、海へ飛び出しそうになった。

「これが本当の解放感なのだろう」
時間が止まったような感覚を覚え、前後の単調な動きの中で心が落ち着いていく。

海沿いのカフェでゆったり過ごし、ヤシの木ブランコで遊ぶ。
どの場所でも結構時間をかけずに行動していたのに、気持ちは穏やかでリラックスしている。

実際の行動時間と、心の時間の流れが違う。
これは“糸島時間”なのかもしれない。

糸島は自然に囲まれ、心からリラックスできるスポットがたくさんある。
でも駅近くには大型スーパーやスタバを始め、生活に便利な店舗がコンパクトにまとまっている。

もしここに暮らすとしたら、朝は海を見ながらコーヒーを淹れ、買い物は駅近のスーパーで済ませて、夕方は近所の人と砂浜で立ち話をする——そんな日常が、ふっと目の前に立ち上がった。
確かに「暮らしてもいいかもしれない」という気持ちが湧き上がった。

ブランコを降り、夕焼けに染まり始めた海を見ていると、ふと子どもの頃の縁側を思い出した。
おばあちゃんの膝で、猫が丸くなって眠っていたあの午後のぬくもり。
あの「安心」がここにはあった。

「ホテルの夕食は、やっぱりシーフードかな?」
ほどけた心のせいか、いつもより10%増しの笑顔で、旦那さんと二人でホテルへ向かった。

<<終わり>>

 

 

 

 

 

 

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