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 「知らんけど」おばちゃんに救われた私


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:ムー子(ライティング・ゼミ 11月コース)

 

「甲状腺に悪性腫瘍が見られます、甲状腺を全摘しましょう」

2025年1月末、甲状腺乳頭がんの診断が下った。
目の前にいる、先生の声はすごく淡々としたものだったが、その態度は私を動揺させないための冷静さだった。


2025年3月。
私は手術をするために入院することになった。
その次の日は早速手術だった。

前日ギリギリまで仕事をしていていたからか、朝から疲れていた。
私は一度も入院したことはない。不安な気持ちでいっぱいだった。


案内された部屋は4人部屋だった。
通路側のふたつのベッドはすでに使用されている。窓側ふたつのうち、ひとつを私が使用することになった。


病室の自分のベッドで荷物整理を終えると、ちょうど昼ご飯が運ばれてきた。
ぼんやりと手術のことについて考え、食べようとした時だった。


「お箸ない、どないしよお」

困惑する声が向かい側のベッドから聞こえてきた。

箸やスプーン、フォーク類、コップ等は持参制だったのだが、恐らく忘れてしまったのだろう。


私は自分の割箸やプラスチックのスプーン、フォークのストックを見た。
余裕はありそうだ。
それらをセットにして、私はカーテンを開けた。
「あの、よかったら使ってください」と向かい側のベッドに声を掛けた。


ひょこっと、朗らかな顔のおばちゃんが出てきた。

「え、いいの!? いやぁ、うれしいわあ」
箸を受け取ると弾けるような笑顔を見せた。

「いえいえ、もし足りなかったら声を掛けてくださいね」

そう言って私はすぐに自分のカーテンを閉めた。
喜んでもらえたのならよかった。
しかし、明日の手術を思うと気分が沈みっぱなしで雑談出来る状態ではなかった。


昼ご飯後「あのぉ、おねーちゃんちょっとよろしいかしら」と声が聞こえてきた。


カーテンを開けると、先ほどのおばちゃんがいる。
「さっきはありがとう。私ね、鼻が悪いから大きいところで見てもらいましょって言われてね、検査入院することになってここに来たのよ」


この病室は主に耳鼻科、頭頸部外科の患者の部屋だ。
私の手術箇所である甲状腺は頭頸部外科の部類に入るため、耳鼻科の患者と同じ部屋になる。


「で、おねーちゃんはなんでここにいるの? どこが悪いの?」

純粋に気になったのだろう。直球の質問だなと思った。
一瞬言おうかと思ったが、病名を言ってしまうと手術をする現実を突きつけられるため、口ごもってしまった。

「……首のね、病気なんです」やっと答えた。

頭頸部だから間違いではない。

「なんの病気なん?」

なんと、また聞いてきた!

「そっかぁ、首なあ……」
おばちゃんは考えながら発言した。

「おばちゃん長年生きてるけど、それ治らんで! 私も長年痛めてるけど治らんねん、 ぎっくり首のひどいやつやろ」

どうやら私は首を痛めてその手術をする、という風に思ったらしい。


「あ、いや、そんなわけではなくて……」
私が説明しようとすると

「ここだけの話しな、断言するわ! 首は、治らん! 知らんけど!」
おばちゃんがドヤ顔で発言した。


親しい間柄でもないのに病名を聞く直球さにびっくりした。勝手にしゃべった挙句に自己完結している。
クセがすごいおばちゃんである。


そして……治らないと断言する割に根拠はないんかい!
私の脳内から思わずツッコミの言葉が出てきた。


まるで中川家のコントに出てくるようなおばちゃんである。

中川家の礼二さんがおばちゃん役で「知らんけど!」とズケズケと好き勝手言う様子や、それを聞いて困惑する剛さん……とお笑いが大好きな私は想像してしまったのだ。
私は一気に脱力してしまった。
一周回って失礼さが面白さに消化されてしまい、おかしくて笑ってしまう。


その時に分かった。


なんだ、私結構余裕あるのかもしれない。


先生の言葉を思い出す。
「腫瘍を摘出する際に、発声に関係する反回神経を傷つける可能性があります」
声もかすれ声で出しにくくなる可能性を指摘されていた。


もしかして、声が出なくなったら? 

麻酔ってほんまに効くんやろうか。途中で切れたらどうしよう。

そういや、仕事できてない分先輩に任せたけど大丈夫かな。


がんって、全部取ったら終わりかな、ほんまに?


不安と恐れ、色々な気持ちが波のように次々と押し寄せてきていた。


そんな中でのおばちゃんとの会話。
自分の中にはこんなにも笑う余裕があったのか。

そのことに気づくと同時に「きっと私は大丈夫だ」と思えた。
それが分かっただけでも十分だった。
不安の感情は洗い流されていった。


その後もおばちゃんは話しかけてきた。私牛乳嫌いやから飲んで、とかジャムバター余ったからいらんか、などだ。悪い人ではなかった。


翌日昼近く、私は手術のために準備をしていた。
事前に行う点滴を看護師さんが持ってくるころだった。


「おねーちゃん」
声がしたと思いきや、私が返事する前に勢いよくカーテンが開く。
着替えの準備をしていなかったのが救いだった。

「おねーちゃんは少ししたら手術なんよな」

自身の検査前に水を飲んだらダメなことを忘れていたおばちゃんだが(間一髪で看護師さんが止めた)、私が昼から手術することはなぜか覚えていた。


「なんの手術なん? 首? 病名は?」

また聞いてくる。いいか、病名を言っても、と思い口を開けかけた。

「そや、おばちゃんな、あんたにこれあげるわ」
と何かを探している。

「手術前で暇やろ? よかったら読んだらええ、私こういう雑誌向いてないねん」


じゃあ、なんで買ったんやろ。
表紙が芸能人のゴシップで埋め尽くされている週刊誌を、私のベッド上の机におばちゃんが置く。相変わらずマイペースだ。


「おばちゃん、もう帰るわ。検査終わったからな」

朝早くから既に検査を済ませたおばちゃんは、にこにこしながら私の顔を見つめている。

「若いのにかわいそうやな、あんたも……首もう痛めたあかんで」


いや、ぎっくりと違うんやけどな……そして病名聞いたのに聞かへんのかい、と私は思いながら
「そうですね、気をつけますね……雑誌ありがとうございます」と答えた。

「おねーちゃんなら絶対大丈夫! 知らんけど」


最後の言葉のせいで、説得力があるような、ないようなおかしな励まし方になっている。
そして、昨日に引き続き私の中のツボに入ってしまった。
脳内で大きくテロップの「知らんけど」が流れる。


「ええ、私頑張りますよ」
と笑いをこらえながら答える。

「親切にしてくれてありがとう、達者で頑張るんやで、お箸おおきに!」


嵐のようなおばちゃん。
確定内容をすべてなかったことにする究極魔法「知らんけど」を連発した後、
キャリーバックをコロコロいわせながら、スタスタと、颯爽と出ていってしまった。


「絶対大丈夫」
おばちゃんの励ましのおかげか私の手術は無事終わった。
ありがたいことに、反回神経に問題はなく、声もちゃんと出た。
私を診てくださった医師チームの方もホッとしていた。


一つの言葉が緊張を和らげたり、場を和ませたりすることを、身をもって知った入院生活だった。つらい状況でも、少しでも明るさや朗らかさを忘れたくないものだ。
おばちゃんにそのことを教えてもらい、勇気をもらえたのが嬉しかった。


手術をして半年以上経った。
きっと今後も「知らんけど」が繰り返される度におばちゃんのことを思い出すだろう。

そして、同時におばちゃんの健康を願うだろう。

≪終わり≫

 

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